ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

模様替え

2005-11-30 02:20:20 | スペインの生活
今までのテンプレートは、そろそろいくらペドロランドでもちょっと夏過ぎてきたので、変更してみた。

これまでクリスマスムードには抗ってきたのだが、もうあと1日で11月も終わりということになると、さすがにもうそろそろクリスマス気分になってもいいかなという気になってきた。クリスマスというのは、日本の年の瀬のようなもので、どうも気ぜわしくて落ち着かない。もっとも、スペインではまだ商業主義が広がっていないので、煽り立てられないのがうれしい。スペインでは、まだクリスマスは純粋に宗教的なもののようである。イギリスとは対照的だ。

このところ、さすがのペドロランドも寒くなってきた。日中は太陽が出ると、20度近くまで気温が上がり、日陰でも14度くらいなのだが、今日は太陽があまり顔を出さなかった。それでも、ロンドンの3度よりはずっと暖かい。義父がロンドンから電話をかけてきたが、外に出ると肌が痛いくらいだと言う。今年はやっぱり予報どおりの厳冬か。来週の火曜日の夜には、2ヶ月の滞在予定で、イギリスに向けて出発である。途中のフランスも寒そう。

車の登録

2005-11-23 20:55:24 | スペインの生活
国の進化の度合いというのは、お役所仕事の多さに反比例すると思う。

イギリスから持ってきた車をスペインで登録し、スペインのナンバープレートを取得するための手続きをしている。もっぱら夫が走り回っているのであるが、その複雑なこと。

この車は、もともとは日本から輸入されたもので、イギリスのパジェロ専門の中古車店で買った(ちなみに、イギリスでは、日本から輸入したパジェロのほうが、ヨーロッパで生産されたイギリス仕様のショーグンより多いのだそうだ)。まず、左側通行用のヘッドライトや霧灯(これは日本から輸入されたときにはなかったので、イギリスで付けられたもの)を右側通行のスペインの道路用に変えないといけない。

おまけにこの車は後部座席と後部ウィンドーがスモークガラスになっているので、規定の量の光を通すかどうか検査をしてもらい、証明書を得ないといけないのだ。結局、後部ウィンドーは、元の黒のフィルムを取り除き、新しい黒いフィルムを装着しないといけないことになった。夫は、前のほうがずっと後ろが見やすかったと嘆いている。検査・後部ウィンドーの変更・証明書発行で、150ユーロ(21,000円)也。

準備を整えて、車検工場に行く。イギリス同様、スペインでも毎年車検が義務付けられているのだが、これは登録時の車検ということで、毎年恒例のものより厳しいらしい。が、排気ガスの点検もなければ、警笛を鳴らしてみてチェックするでもない。ヘッドライトの照射角度すら確認しなかったそうだ。整備士が興味を持っていたのは、車より必要書類がそろっているかどうかのほうだったとのこと。

この車検が90ユーロ(13,000円)で、その前手続きに当たるエンジニアの報告書が80ユーロ(11,000円)だった。ちなみにエンジニアの報告書については、ミニ車検のようなものを車検工場でしてもらい、その結果を車検工場の人がアリカンテ(50キロほど離れた都市)まで持っていって、判子を押してもらうということで、取得に2日間かかった。

さらに、市役所に行って日本の住民票に当たるものを取ってこないといけない。それから、パスポートのコピーに市役所の判子を押してもらわないといけないそうなのだが、これはわれわれの所轄の市役所ではやってくれないので、20キロほど離れた町の町役場に行かないといけないそうなのだ(???)。

この後、アリカンテの陸運局に行って、車両登録の手続きとやはりアリカンテの税務署で輸入税の納税があるわけだが、これは代行サービスに頼むことにした。イギリスで輸出許可証を取ってきたので、輸入税は免れるらしいが、車両登録手続き・ナンバープレートの発行に575ユーロ(約80,000円)、代行サービスに200ユーロ(28,000円)かかる。

この陸運局だが、1人うるさい係員がいるらしくて、その人は可能な限り避けろという警告がクチコミで広がっているようだ。もしこの人に当たってしまったら、書類を彼のお気に入りの順番にそろえておくようにという指示まで出回っている。

スペインでは運がものを言うことが多い。同じことをするにも、たまたま厳しい係員に当たったら、出直すしかない。が、やる気のない係員か融通の利く親切な係員に当たったら、もうけもの。また、その日の彼らの気分というのも大いに影響すると思う。出掛けに奥さんと喧嘩してきたりすると、翌日出直したほうが早いかもしれない。

こうして1つのことを成し遂げるのに、多くの人と多くの判子が関わってくるわけだ。お役所仕事を増やすことによって、より多くのスペイン人に儲けさせようという、国を挙げての陰謀なのかもしれない。より多くの人が関われば、それだけ汚職や収賄の余地も出てくる。後進国ほど、書類と判子の数は多くなる。


まぎれもなくオレンジ

2005-11-19 00:15:52 | スペインの生活
庭の木の実がかなり大きくなってきた。こうなるとオレンジであることはもうまぎれもない。

近所の人と話していたら、その人も、昨年レモンの実がなっていた木に(あるいは昨年はレモンの実がなっていたと記憶している木に)、今年はオレンジの実がなったという例を見たことがあるそうだ。他家受粉の結果とする説もあるが、レモンとオレンジってそんなに簡単に転換できるもの?親戚同士なんだろうけど。

来年はレモンの実がなったらいいなと、いまだにレモンに未練が残るわたしだった。

スペインの不法入国者対策

2005-11-18 21:18:35 | スペインの摩訶不思議なローカルニュース
のちローカルニュースではなくて、イギリスのラジオで聞いたニュースなのだが、国際連合はスペイン政府にもっと人道的な方法で不法入国者に対処するよう要請しているそうである。

北アフリカに2箇所スペインの領地があるのだが、ここでは、ヨーロッパへの足がかりを求めるモロッコからの不法入国者が絶えない。ここで捕まえたモロッコ人の不法入国者を、スペインの警察はサハラ砂漠で捨てている(ニュースではdumpという言葉を使っていた)というのが問題となり、今回の国連の要請となったわけだ。

イギリスでは、人権擁護派が幅を利かせており、法を破る者すら法で手厚く保護しないといけないという現状に不満をおぼえる人たちも多い。他人の家に侵入した泥棒を家主が捕まえて怪我をさせようものなら、国の負担で(つまり納税者の金でということだが)訴訟を起こせる制度を使って、泥棒のほうが損害賠償金を要求するような世の中である。

ペドロランドのドイツ人住民のウテが数年前に泥棒に入られた。シャワーから出たところで、泥棒(女性)と鉢合わせたのだが、驚くウテを見て、泥棒は逃げていったそうだ。今度泥棒を現場で取り押さえたらどうしたらいいかと事情聴取にあたったスペイン人警察官にウテが聞いたら、ご主人(ドイツで警察官をしている)の警棒で思い切り叩きのめして、死体は夜空き地に捨てるように、そのほうがわれわれ警察官の事務手続きが簡単で済むから、と言われたそうな。

同じような話を別の地域に住むイギリス人からも聞いた。まるで西部劇のような話だが、スペインのイギリス人の間ではたいへん好評である。


フランス紀行(8)

2005-11-15 22:04:04 | 旅行
フランス紀行の最後に、購入した家をご紹介します。

結局最後に見た地域の3つの物件のうちの1つに決めた。わたし自身は最初フランスに住むことにはからあまり情熱を持っていなかったので、夫の決断である。

ボルドー市内から内陸へ100キロほど入ったところで、大西洋岸へは車で1時間半ほどである。この地方は、昔からイギリス人に愛されてきたドルドーニュの南部にあたる。この家は袋小路の奥に位置した3軒のうちの1軒で、もう1軒にはイギリス人夫婦が住んでいるようである。たまたま彼らを訪れていた友人もこの家に興味を持ち、わたしたちのすぐ後に内見をしたようだが、不動産屋のファブリスが、わたしたちのほうが先につばをつけたのだからということで、わたしたちを優先させた。われわれがここに引っ越してきたら、この新しい隣人はあまりいい印象をわたしたちに持たないのではないかと、ちょっと心配だ。

フランスというのは意外に遅れている国だと思ったことが2つ。まず、都市ではどうなのか知らないが、下水道が完備していなくて、見た家全部が汲み取り式であった。実家のある東京西部でも下水道本管に繋がったのは、ほんの6~7年くらい前だったようだから、わたしはあまりショックを受けなかったが、イギリスで下水道が完備していないというのは、田舎でもめったにないと思う。が、わたしが驚いたのは、汚水処理をするのは2年に一度とか4年に一度と不動産屋たちが言っていたことである。実家では、確か3ヶ月にいっぺんとかもっと頻繁に汲み取り屋さんが来ていたような気がする。フランスでは、よっぽどタンクが大きいのか。あるいはちゃんとしたタンクではなくて、ただ地中に埋められているだけなのか?いずれにせよ、道理で庭が大きいわけである。

仕事の関係でブロードバンドは必須なのだが、フランスではごく最近ブロードバンドが普及し始めてきたということだ。ペドロランドでは、電話が入るのに18ヶ月かかったが、電話線開通のあかつき(2002年)にはすでにブロードバンドは可能だった。フランスはスペインよりもブロードバンドでは遅れているというのは意外であった。

先日売買同意書にサインをしたばかりで、すべての購入手続きが終わるのは来年の1月末の予定である。この売買同意書だが、まるで履歴書のよう。「売り手のXXXは、何年何月何日にどこどこで生まれ、何年何月何日にどこどこで誰それと結婚した」というように、売り手と買い手の略歴で始まる。家を売り買いするだけで、見合いではないっていうのに。この売買同意書にサインをしてから、7日間がクーリングオフ期間で、この期間にキャンセルがなければ正式な手続きが始まり、それ以降のキャンセルの場合には、買い手の払った手付金は払い戻しができないことになる。イギリス(イングランド)の場合は、契約交換の直前まで、いつでも売り手が気を変えることができるので、買い手はなかなか気の休む暇がない。

イギリスとフランスでも不動産売買の手続きはいろいろと異なる。住宅ローンの条件として、生命保険に入らなくてはならないのはフランスでもイギリスでも同じなのだが、この生命保険申し込みに際しての質問がなかなか変わっている。

イギリスでは必ず喫煙者かどうか聞かれ、喫煙者の場合には保険金がかなり高くなるのだが、その質問がフランスではない。その代わりに、視力矯正用のレンズ(眼鏡あるいはコンタクト)を使用しているかどうかを聞かれる。面倒くさかったのでNOにしてしまったが、これがYESということになると、左右の裸眼の視力と矯正後の視力を記入しないといけない。視力がどう生命保険と関係しているのかよくわからないのだが。

当面はスペインの家はそのままにして、3拠点体制で暮らしていく予定。が、もしそれがあまりにも不便だったり(なんか落ち着かなさそう)、経費がかかりすぎるようだったら、フランスかスペインの家を売るか、賃貸に出すかもしれない。来年はとりあえず、お試し期間ということになりそう。


フランス紀行(7)

2005-11-11 20:15:31 | 旅行
10月16日(日)のフランス南部の天気は、スペイン北東部の天気は、ペドロランドの天気は

朝食後、昨日の夕方から降り始めた雨の中を出発する。途中、深い霧に包まれるが、不思議なことに、国境を越えてスペインに入るなり、太陽が現われ気温も上がる。

イギリスの主食は何かとよく聞かれるが、日本の米にあたるのがジャガイモではないかと思う。イギリスの典型的な食事のパターンというと、肉に温野菜2種類プラス何らかの形のジャガイモ(フライ、マッシュ、ジャケット、ソテー、ただゆでただけのものなど)ということになる。お隣のオランダ人に聞くと、オランダ料理も同じようなものだと言う。ベルギーも同じパターンのようだ。

西洋の主食はパンという観念が日本にはあるようだが、日本のご飯のような形でパンが食卓に上ることは、イギリスではあまりない。映画やテレビを見ていると、戦時中や戦争直後の配給制度下で、夕食時に少しの肉や野菜を補うような形で、テーブルでパンを切りながら、食事と一緒に食べているシーンが見られことがよくある(現代でも、イギリス北部を舞台にしたドラマなどではこういう食卓のシーンが見られることもある)。

今回フランスで感じたのは、ジャガイモの扱い方がイギリスやオランダ・ベルギーとは違うことだ。非常に比重が軽い。ほかの野菜と同様に扱われている。もっとも、フランス式にゆっくりと前菜・メインコース・チーズ・デザートと4コース食べたら、ジャガイモで腹を膨らます必要はまったくないのだが。異なるのは、イギリスのレストランだと、「とりあえずこれで飢えをしのいでおいてね」という感じで最初に出てきたパンは前菜が終わった時点で下げられてしまうことが多い。しかし、フランスではメインコースが終わるまで残っている。イギリスでは、チーズ・アンド・ビスケットというくらいで、チーズには必ずそれをのせるクラッカーとバターがついてくる。が、フランスではチーズだけで食べるようで(それにレタスの葉っぱとクルミのドレッシングが添えられる)、チーズが出てくる時点でパンを下げようとするウェイターに、イギリス人たちは残しておくように頼んでいた。

ペドロランド付近のレストランは北ヨーロッパ人の客が多いせいか、スペイン人経営のレストランでも、肉(あるいは魚)にサラダとポテトフライというパターンが多い。でも、本当のスペインの家庭料理では、フランスのようにパンが主食になっているケースが多いのではないと思う。主食というのは、腹を膨らませるものという意味だ。

11時間のドライブのあと、ペドロランドには8時半頃に到着した。頼まれた荷物をご近所の人たちに配って歩き、再会を喜び合った後、スペインならではの安い中華料理店に行って、いつものセットメニューをいただく。不通になっている電話線のことはしばし忘れて、無事スペイン到着を祝うのだった。

フランス紀行(6)

2005-11-10 19:26:19 | 旅行
ホテルをチェックアウトした後、大西洋岸のリゾート地、ラ・ロシェルに向かうアランとスーと別れ、不動産屋に行く。2軒物件を見てまわる。この地域は売り物件自体があまり出ないみたいで、不動産屋もあまり見せるものがないと言った雰囲気であった。インターネットで見ていいと思っていた物件はすでに売れてしまったとのこと。この地域は他と比べて不動産の値段も高いようだ。1軒は小さすぎ(庭がほとんどない)、もう1軒は改造半ばで2階への階段すらなかった。家の中に井戸があったり、ポタージェと呼ばれる石のストーブのようなもの(昔、農作業をする人たちのためにスープを温めるのに使われたそうだ)が2階にある、とても個性的な家であったが、いったいこの先どのくらい金がかかるのか、はっきりとわからないところがリスク要素だ。

この後、さらに南下し、緯度的にはボルドーと同じくらいのところ(ボルドーから内陸部に約100キロくらい入る)で、午後にまた別の不動産屋に会う。英語を話す(若気の過ちでイギリス人のガールフレンドについていって、イギリスのシェフィールドで暮らしたことがあるそうだ)フランス人の青年が、3軒ほど物件を見せてまわってくれる。

1軒目の居間には、いのししの頭の剥製が壁にかかっていた。家主は留守で、鍵がかかっていなかったので、勝手に中に入らせていただいたわけだが、猟銃が居間の隅に無造作に立てかけられていたのは、あまりにも無用心ではないか?寝室のダブルベッドのヘッドボードとサイドテーブルは豹柄のフェイクファー(だよね?)で飾られていて、家主の趣味がうかがわれた。

フランスでは狩猟が人気と見えて、田舎道で車を走らせていると、蛍光色のジャケットをつけた男性たちが猟銃をかかえて歩いていたりする。いのしし狩りのシーズンだそうだ。3軒目の家の家主の息子は、わたしたちがいる間に、銃をかかえて猟に出かけていった。この家ではかつて銃を売っていたそうである。そのせいで、家の一部は厚い窓ガラスが使われいたり、警備が厳重になっている。ちなみにこの家には、屋外プールがついていて、庭も広いし、3寝室、広いダイニング・リビングルームにさらにもう1つの居間と2つの小さな部屋と車庫部分がついている。でも、実のところ予算オーバー。

この後、スペインに向けて南下を始めるが、移動を始めたのがすでに午後5時近かったので、1時間半ほど車を走らせた後、マルマンドというところで一泊することにする。



フランス紀行(5)

2005-11-10 19:20:01 | 旅行
10月15日(土)のフランスの天気はときどき

同行の夫妻、アランとスーがこのホテルを気に入ったというので、3連泊を希望するが、この日から来年の3月いっぱいまでホテルは閉鎖されると言う。いくらシーズンオフとはいえ、6ヶ月近くも閉めてしまうなんて大胆だ。いったい従業員は6ヶ月間職無しでどうするのだろうと思っていたら、ゲイのウェイター(ルパート・エベレット風であった)は、この間パリでエキストラの仕事をするのだと言っていた。

ホテルの今季最後の朝食をいただく。フランスのホテルの朝食は、かなりかなり簡素であるが、それでもクロワッサンとフランスパンにジャム、オレンジジュース(かグレープフルーツジュース)に普通ヨーグルトとフルーツがつく。最初の2泊をしたホテルではこれで6ユーロ(831円)であった。ここはそれより高かったが、ヨーグルトもフルーツもつかなかった。今日で店じまいなので品切れのまま補充しなかったのか、単に高いだけなのか。いわゆるコンチネンタル・ブレックファーストだと、ドイツ式にハムとチーズがつく。イングリッシュ・ブレックファーストほどではないが、結構満足が行くものだ。

写真はブーデイユの城の塔の上から見た水車小屋。ボートの形を模して作られた。もう水車小屋としては使われていないようだが、人は住んでいるようである。

フランス紀行(4)

2005-11-09 22:40:50 | 旅行
10月14日(金)のフランスの天気はときどき

この日は午後にイギリス人とアメリカ人のご夫婦の家を見に行くことになっていた。持ち主自らがインターネットに広告を載せいていて、この物件には不動産屋の介入は無し。

午前中、ブーデイユの城を見学する。入場料大人5ユーロ80セント也。ガイドはない。入り口で英語のパンフレット(と言ったって、プリンタで印刷した程度のもの)をくれるのだが、驚いたのは帰りに返してくれと言われたこと。でも、塔のてっぺんからの風景は5ユーロ80セントと筋肉痛の価値はあったと思う(以降の記事でそこからの写真を載せます。ちなみにこの写真はホテルの駐車場からの風景)。

カフェの通りに面したテーブルでビール(生ビールなのだが、変な味がした)を飲みながら、のんびりした後、午後、シャトー・ルベックという小さな村に家を見に行く。ご主人は画家ということで、物置はアトリエに改造されていた。庭はあまり広くないが、周りを森に囲まれている。借景ということになるかな。隣はフランス人家族ということであるが、垣根でほぼ全体を囲まれているので、ほとんど隣は見えない。

このご夫婦は、奥さんがカリフォルニア生活が長かったということもあり(生まれはボストンだそうだが)、冬の寒さが嫌になったので、ここを売ってもう少し南のスペイン国境に近いパーピニヨン辺りに引越したいということだ。

この辺りは山あり谷ありの田園風景が広がり、とても美しい。前日見た家も魅力的なのだが、ポワトゥー・シャラント地方は気候的にそれほどイギリスと変わらないし、耕された農地がまっ平らの大地に続く風景はここほど興味深くないということで、夫の気持ちはすでに前日見た家から離れ、この地方に傾きつつあるようである。


フランス紀行(3)

2005-11-09 22:16:45 | 旅行
10月13日(木)の天気はときどき

この日は10時に不動産屋とのアポがあり、3軒ほどの物件を見る。2軒目の家は、古い石の家をフランス人の持ち主が自ら住むために改造し、電気配線工事を含め、ほぼ土台が完成したところで、転勤になったので売らなくてはならなくなったとのこと。庭はそれほど大きくないのだが、居間がとても広い。とても気に入ったのだが、とりあえず他の地域の他の物件を見てから決めるということになった。

この後、3つの地域で6つの物件を見ることになるのだが、フランスの家というのは、イギリスの家ともまた異なっている。

イギリスでは、ほとんどの家が玄関を開けるとそこには玄関ホールがあり(ここで挨拶をしたり、コートを脱いだりする)、そこから2階に上がる階段があったり、1階の奥に続く廊下がある。ところがフランスで見た9つの家はすべてこの玄関の間がなかった。ドアを開けると台所だったり、居間だったり、食堂だったりするわけだ。

そもそも、玄関というのものがはっきりしない。たぶん表と裏という感覚がないのだろう。イギリスでも日本でも通りに面した部分が表ということになり、そこに玄関があるのが普通ではないかと思う。が、9軒のうちのある家では、表には家の一部である車庫の大きなドアしか入り口がなかった。ここで車を降りて、小さな洗濯部屋を通り、台所に至るのであるが、当然こんなルートでお客様をお迎えすることはできない。裏までまわって、裏庭に面したドアからお客様を受け入れることになると思うのだが、ドアを開けると、そこは台所に通じるダイニングルームである。

イギリスの家には雨戸というのがなく、日よけになるのはせいぜい厚手のカーテンくらいなのだが、フランスの家にはみんな板のよろい戸がついている。やっぱり日差しの強さと日照時間の長さの違いか?もっとも、フランス北部の気候はあまりイギリスと変わるところがない。スペインでは、窓は一部屋に1つ、小さめのものだ。ここまで来ると、太陽は迷惑になってくる。スペインの新しい家では、よろい戸はアルミニウムかなにかの軽金属でできていて、上下に上げ下げする方式が多い(電動式も可能)が、フランスでは板の左右開閉式のものがほとんどだった。

この日は少し南下し、アングレームの南まで行く。リエベックという大きめの町で泊まろうと思ったのだが、どこも宿は満室。結局、ブーデイユという小さな村まで足を伸ばし、城の近くのホテルに泊まる。