ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

聖ヨハネの火祭り

2009-06-30 12:45:15 | 旅行
6月24日は洗礼者・聖ヨハネの日で、前夜にはあちこちで火祭りが行われる。昨年は、フランスのわが村、サン・マルシャルでも焚き火とお食事会が行われた。スペインのアリカンテでは、サン・フアンの火祭りとして、1週間くらい毎晩ストリートパーティーやら、行列やらお祭り行事が行われる。

6月23日は、アンドラ・ラ・ヴェリャでも、午後から爆竹が鳴り響き、とてもうるさかった。公園ではコンサートや花火大会などもあったようだ。

わたしたちは翌朝6月24日の朝、フランスの我が家に向けて出発したが、この日は一部祭日ということで、交通量も少なく、スムーズにアンドラを脱出した。

アンドラの建物

2009-06-30 12:44:00 | 旅行
アンドラには、スレートの屋根に石の建物が多い。重苦しい感じがして、アンドラ風の建物は好きではないと夫は言うが、グレーのスレートの屋根は雪景色に映えてとても美しいだろうとわたしは思う。

写真はアンドラ・ラ・ヴェリャのサン・エステベ教会。この中には、アンドラのロマネスク様式の教会のミニチュアが飾られていて、たいへん興味深い。

アンドラの食べ物

2009-06-30 12:42:29 | 旅行
アンドラでは、ホテルで2食、ホテルの近くのバーで2食しかしなかったのだが、ほかのレストランのメニューなどを見ると、スペインの影響が強いように思った。特に、タパスはあちこちで見かけられる。それも、トルティージャ(スパニッシュオムレツ)やパタタス・ブラバスなどのようなスペインのタパスの定番は必ず含まれている。パエリャも人気。

バーでは、夏のこの時期、あちこちでオルチャータを宣伝中で、スペイン(特にバレンシア地方)に帰ったような気分だった。

ウェイトレスなどサービス業についているのは外国人が多いようで、話をした若いウェイトレスは、ロシア人とポルトガル人だった。どちらも、英語はあまりできなくて、スペイン語かフランス語ならということだった。

若い人が多くて(特にフランスの田舎に住んでいると平日の日中若い人を見かけることは滅多にない)、この国の将来は安泰だという気がした。もっとも、外国人も多いに違いない。この国には、ヒッピー的な雰囲気も漂っているのだが、それはスキーリゾートのせいかもしれない。夏は仕事をして金を稼ぎ、冬はスキー三昧なんていう若者も多いのだろう。

国中が免税店

2009-06-30 12:41:47 | 旅行
アンドラの通貨はユーロ。間接税は4パーセントで、関税はないのか、関税率が低いのか、タバコ・香水・ガソリンが安い。とにかくガソリンスタンドと香水店の多いこと。国全体が免税店のようだ。

観光案内所でもらったパンフレットによると、人口は83,000人で、レストランの数は350、店の数は2,000。ホテルの合計床数は37,800。

このパンフレットによると、店の開店時間は、月~金午前9時半から午後8時まで、土・8月中は午前9時半から午後9時まで、日曜・祭日も営業となっているが、わたしの見た感じだと、午後1時半~4時まで休業のところが多いようで、そういう意味ではスペインに近いようだ(フランスは正午~午後2時)。

駐車場も多かった。そして、警察官や交通監視員(写真・カラフルな制服がかわいい)も多くて、警察官が街角で交通誘導をしている姿もよく見かけられた。

アンドラという国

2009-06-30 12:34:05 | 旅行
実は全然予習をしないで行ってしまったのだが、どうしてプリンシパリティ(公国)なのに、プリンス(大公)がいないのだろう?宮殿もないみたいだし、と滞在中不思議に思っていた。モナコのようなおしゃれな大公一家のいる公国を想像していたのである。

帰ってきてインターネットで調べたら、アンドラの国家元首は、フランス大統領とスペインのウルヘル司教の共同元首だそうだ。1993年にフランスから独立。なんだかもっと前からあったような気がしたが、意外にも新しい国なので驚いた。

観光案内所でいただいたパンフレットによると、アンドラはカタロニア語を公用語とする世界で唯一の国であり、スペイン語とフランス語、英語も使用されているということだ。

わたしにとって最初に出会ったアンドラ人は、トンネルの料金所の女性だったのだが、「ボンジュール」と呼びかけると、「オラ」と返された。で、それからはスペイン語に切り替えることにした。レストランのメニューなどは西語・仏語・英語の3カ国で書かれていることが多いが、英語はそれほど通じない。もっとも、「英語はちょっとしかできない」と言う人がとても上手だったりして、半分は謙遜かもしれない。

首都、アンドラ・ラ・ヴェリャの中には、フランスの郵便局が大きな建物を街中に構えていたり、街角にアンドラの郵便ポストとスペインのポストとが並んでいたり(写真)、なかなかおもしろいお国事情だった。

アンドラへ

2009-06-30 12:31:54 | 旅行
今日のフランス・ドルドーニュ地方は最高気温34度

先々週の土曜日から4泊5日で、南フランスからアンドラにかけて旅行した。スペイン国境に近いペルピニャンに、イギリスの知人が貸し別荘を1週間借りたので、遊びに来ないかというお誘いがあったため。ついでに、ちょっと足を伸ばして、ピレネー山脈の真ん中にある小さな公国・アンドラに行くことにした。

ペルピニャンで2泊した後(風がとても強かった)、アンドラまでは130キロほどの道のりなのだが、これが実に5時間もかかった。まず、途中、フランス国内で交通渋滞にあう。原因は、鉄道の踏み切りの遮断機が下りたまま、上がらなくなってしまったため。1時間近くして、やっと警察と鉄道会社の車が来て、車の列が動き始めた。なんのことはない、鉄道会社の人が、遮断機の棒を「うーん」とがんばって自力で持ち上げている間に、警察官が片側ずつ交互に車を誘導するという、ごく原始的な解決方法であった。これを編み出すのに1時間もかかったわけである。フランスの非能率的さと対応の遅さには呆れてしまった。

その後は、ピレネー山脈沿いの曲がりくねった道。景色は美しいが、時間がかかってもなかなかアンドラへの距離が縮まらない。おまけに、夏のウォーキングと冬のスキーが観光シーズンとなっているこの辺りでは、その合間の今が道路工事のピーク時らしくて(天候もいいし)、あちこちで工事のため片側通行の交通規制が敷かれていた。また、金を払ってトンネルを利用したら、出口で道路工事のための迂回路が設定されていて、せっかくトンネルを使って避けた山道を半分くらい戻ったのではないだろうか。

アンドラ公国内に入ると、さすがにシーズンオフのため、静かだなと思ったのもつかの間、首都、アンドラ・ラ・ヴェリャに向かう唯一の幹線道路が渋滞。ここでまた1時間近く、動かぬ車の中で座っていた。原因は交通事故。

やっと予約したホテルを探し当てたときには、ぐったり。ホテルの部屋で一息ついた後、夕暮れのアンドラ・ラ・ヴィリャの街をほんのちょっと、ホテル界隈を散歩する。

村のサッカークラブ親睦会

2009-06-19 17:17:24 | フランスの生活
6月14日(日)に村のサッカークラブの親睦を兼ねたお食事会があった。なぜサッカークラブとは全然関係のないわたしたちが参加することになったかというと、村の「おやじバー」の常連コネクションによる。常連のジージーがサッカークラブの会長であり、同じく常連のドミニクがお世話役をしている。この日は会員の家族のほかに、バーのオーナー、ジャン・ピエールの顔も見えた。会場は村の「サル・デ・フェート」(公民館ということだが、小学校の体育館をさらに小さくした感じ)。この日は天気がよく、公民館の隣、公衆便所の脇で、パラソルを広げて、その下で料理をしていた。

テーブルにはプラスチックのカップと皿が並べられ、ポテトチップとピーナッツのおつまみがところどころに置かれている。まず最初にアペリティフの桃味の甘い赤ワインが注がれた。そして、テーブルに赤ワインとロゼワインのボトルが置かれたが、これがどれも、オリジナルのボトルに入っていないという胡散臭さ。そして、かごに入ったフランスパンが各所に配られる。

前菜はビュッフェ形式で4種類のサラダ。メインコースは、ローストチキンか羊肉。サッカークラブの男性たちが、大きな入れ物から羊肉のスライスを取って、皿に盛ってくれる。チキンは、たまたま当たった場所によっては、骨だらけで食べるところがあまりない。わたしは羊肉を選んで、量的には正解だったが、一部とても堅くて、ナイフで切っていると、紙の皿に穴が開いてしまった。

添え物の白いんげん豆の煮込みはセルフサービス。それが終わると、ドレッシングのかかったサラダ菜がボウルに入って配られ、それぞれ自分の皿に採り分ける。そして、チーズ(カマンベールとエダム)。デザートになると、各種フルーツの乗った大きな1枚パイを持って男性たちが歩いてきて、好きなフルーツを言うとその部分を切り分けてプラスチックの皿に乗せてくれた。

この間に、今年を限りに会長を退くジージーとそれを引き継ぐグレゴワールの演説があった(見るからに若返り人事である)。そして、もう1人の役員が演説をしていると、「歌を!」という合唱が聴衆から起こる。リクエストに応えて、「サン・マーシャル、フォーミダーブル」というサビ部分の印象的な村歌を披露してくれた。まさかこんな小さな村に、村歌があったとは知らなかった。

最後はコーヒーで、プラスチックのピッチャーから各自のプラスチックのコップに注いでくれる。そして、次期会長のグレゴワール自ら、ミネラルウォーターの1.5リットルPETボトルに入ったコニャックを希望者に注いで歩いた。おまけに、近くに住むドミニクが、友人が作ったというプラムの焼酎を家から持ってきて、試してみろと言う。アルコール度75パーセントだそうだ。のどに火がつくような、とても強い酒だった。

会費は1人15ユーロ。食事の面から言うと、決してお得とはいえないが、アルコールだけはふんだんであった。さすが、バーの常連が主催したお食事会である。でも、何よりもフランス人の生態観察には、とても有意義な午後だった。

働く機械シリーズ

2009-06-19 13:05:33 | フランスの生活
今日のドルドーニュ地方はときどき小雨

解体現場ではないけど、働く機械シリーズということで、トラクターの写真。我が家の裏には、イギリスの花粉症患者(90パーセント以上が芝に対するアレルギーだそうな)だったら、見ただけで鼻がむずむずしてきそうな野原が広がっている。年に一度、草を刈り取って干し草ロールを作るのであるが、2軒隣りのイギリス人・ブライアンの日記によると、昨年は6月27日だった。昨年は遅いほうで、今年は6月11日。

まずは草を刈り、このあと、青いトラクターが来て、刈った草にくしを入れた(空気を入れるため?)。翌日、同じ青いトラクターが後ろの装置を付け替えて、草を束ねてロール状にする作業をしていた。現在、裏の野原には、スイスロール状になった干草が並んでいる。

草を刈った途端、目ざとくノスリ・タカなどの猛禽類が20羽近くやってきて、野原の上を旋回し始めた。

今年の収穫

2009-06-18 18:57:56 | フランスの生活
今日の天気は最高気温28度

去年は、サクランボがまったくならず、ミラベルの実もならず、インディアン・ビーン・ツリーには花が咲かず、まったく不作の年だった。今年のサクランボの収穫はまあまあ。去年はご近所でも、1軒を除いて、まったく実がならなかったそうだが、今年はどの家でもサクランボの収穫があったようだ。

我が家には桜の木が3本あり、豊作とは言えないものの、どれにもまずまずの数の実がなった。一昨年は豊作で、毎日食べられるだけの量を摘んでは食べていたら、ある朝起きてみると、すっかり実がなくなっていたことがあった。どうやら鳥の仕業のようである。今年は、それはなかったのだが、雨でかなり実が傷んだのが残念。数日続いた雨が止んで外に出てみたら、すっかり実が落ちていた。(写真は3週間前に撮ったものです)

周囲の様子からすると、インディアン・ビーン・ツリーは今が花の時期のようなのだが、我が家の木にはほんのわずかしか花がついていない。また、いちじくは、前年かなり短く剪定してしまったため、昨年は実がつき始めたのが9月。とうとう寒くなり始めるまでには大きくならず、実を食べることはできなかった。今年は収穫があるといいのだけどな。それにしても、フランス人は食べられる木が好きなことだ(でも、インディアン・ビーン・ツリーの「豆」は食べられません)。