ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

スペインで車検に行く

2006-11-23 11:21:01 | スペインの生活
スターターモーターを購入して取り付け、やっと車が動くようになった。相変わらずパワーステアリングのベルトはキュルキュルとものすごい音を立ているし、このところ現象は起きていないとはいえ、水漏れの問題も解決していないのだが、11月は車検の月。ということで、昨日は車検に行った。スペインでは、10年未満の車は2年に一度、それより古い車は毎年車検に出さないといけないことになっている。

ペドロランドから3キロほどの町にも車検場はあるのだが、ここには2つしか検査用の設備がなく、いつも待つ車の列ができている。おまけに、最近地元の英字新聞の読者欄に、ここの車検場はスペイン人をえこひいきする、スペイン人は割り込みをして、先に見てもらえるという投書が載っていた。

そこで、天気はいいし、ドライブを兼ねて、昨年イギリスのナンバプレートからスペインへ登録替えをしたときに利用したレドバンの車検場に行くことにする。レドバンはペドロランドから内陸部に40キロほど入ったところで、海の近いペドロランドとはまったく風景が異なる。茶色の地肌を見せた岩山がすぐ隣にそびえ立つ。

ここまで、オレンジとレモンの木々の並ぶ果樹園とアーティチョーク畑の間を走る田舎道を行くのだが、道中5人も売春婦を見かけた。お天道様が高いというのに、こんな時間(11時半)からすでに商売をしているらしい。一人はプラスチックの野外用の椅子持参、もう一人は背もたれと座席がきちんとクッションになっている立派な椅子を持参していた。もちろん、みなさんお弁当持ちである。

車検場の受付は混みあっていたが、長かった前の人が終わるとすぐに受付嬢がわたしたちに向かって「車検ですね?」と声をかけてくれた。イギリスと違ってスペイン人はきちんと列を作って順番を待つということをしないので、果たして到着順に応対してもらえるかが心配だったのだ。受付嬢はてきぱきとコンピュータに向かって何か打ち込み、車検料金の45ユーロ(約6800円)を支払うと、車検用紙をわたしたちに手渡しながら、5番の車検ラインに行くようにと指示した。

ここには、大型トラック用、ディーゼル乗用車用、ガソリン乗用車用、特別予約用など用途に分かれた5つの車検ラインがある。検査員も10人以上はいるようだ。

車検用紙には50項目ほど検査項目がびっしりと印刷されている。これを持って5番ラインに車に止めて待っていると検査員がやってきた。まずタイヤ周りを目でチェックする。それから車を車検ラインに進めると、コンピュータを使った排気ガスのテストとランプ類の点灯チェック。それから前に進んでブレーキの検査。さらに前に進むと、階段のついた溝が真ん中にあって、検査員が車の下に入れるようになっている。今度は下からブレーキとステアリングのチェック。15分ほどで検査が終わって、名前を呼ばれると、車検の報告書と共に車検済みのステッカーをもらい、無事車検合格。一時検査員が車を運転して前に進める場面もあったのだが、パワーステアリングのベルトはずっとおとなしくしていた。水漏れもなし。でかしたぞ。

この間、ガソリン乗用車用の5番ラインが混みあっていると判断すると、空いている別のラインを利用したり、手の空いている検査員がどんどん次の車の検査に取りかかるなど、実に手際のよい車検場だった。営業時間を見ると平日は8時から22時までとなっている。シエスタもないようだ。またまた、思いがけないスペイン人の勤勉さと能率のよさに感心してしまった。

こうして無事車検を終えて、帰路に着く。途中、道路脇のレストランに入ってタパスをいただく。ちょうど1時をまわったところで、スペイン人の昼食には1時間早い。ここのタパスは、バルセロナに比べて無難なものが多かった。サラダ類と鳥の唐揚げなど5皿を取る。魚のフライが醤油をかけて食べたいくらいおいしかった。テラスで食事をしたのだが、少し風があったものの、気温は23度でとても気持ちがよかった。レストランの裏はちょっとした崖になっていて、眼下にはオレンジの果樹園を臨む。

久々にものごとがうまく運ぶという体験(特に車関係で)ができて実に満足の半日だった。

ついにバルセロナを出発

2006-11-10 17:18:14 | 旅行
10月31日火曜日。この日は朝食抜きで、朝9時ぴったりに迎えに来たタクシーに乗って、郊外の修理工場に向かう。修理の承認のサインをした後、近くの高層住宅街の中にあるバーに入って、コーヒーを飲む。近くの公衆電話からロンドンのオフィスに電話を入れ、修理工場に戻る。今日はホテルもチェックアウトしてしまったし、ここ以外に居場所がない。今日中に修理を終えてもらわないと、明日は万聖節で国民の祭日だから、バルセロナにさらに2泊することになりそうだ。

プレッシャーを感じてくれたのか、ほかの車に優先して修理に取りかかってくれたようである。スターターモーターが故障したのだが、中を掃除して再び車に取り付けると言う。本当は多少金がかかっても、新品に取り替えてくれたほうがありがたかったのだが、部品のストックがなかったのかもしれない。

こうして、12時半に修理が終わり、再び旅路に着く。ありがたいのは、すぐに修理に取りかかってくれた修理工場の人々。スペイン人を見直した。わたしたちの車の修理が終わると、すぐに次の車を運び入れて、修理に取りかかっていた。スペイン人と言うと「マニャーナ」文化と言われるが、ここではそれは当てはまらないようだ。

そして、保険会社。一度だけ連絡のミスがあったが、それでもよく面倒を見てくれた。車が故障しても、何の心配しなくてすんだ。ホテルでもタクシーでも何でも希望を伝えればすぐに手配をしてくれる。ただで観光旅行をしたかったら、目的地近辺で車を故障させるに限る。ホテル代も交通費もただだ。今回はお客さんたちが待っているので、急いで自宅に帰らなくてはならなかったのが残念だ。そうでなければ、あと数日バルセロナに泊まっても悪くはなかった。

アリカンテに近づくと、外の気温を示す、車の温度計が23度から急に29度に上がった。一瞬また車が故障したのかとひやりとしたが、実際に外は暑かった。

午後6時半、ついになつかしのペドロランドに到着。1週間前に到着していたお客さんたちと感動の対面を果たす。たまたま近所には多くの人たちが来ていて、お隣のオランダ人のトーシュ、お向かいのオランダ人のヤンとティーニ、ドイツ人のウィルフレッドとエヴェリン、同じくドイツ人のヘルムートと再会の挨拶をする。トラブル続きだっただけに、今回は本当に家に到着してうれしい。

実はこの話には後日談がある。3日後にまた車が動かなくなった。スターターモーターが再び壊れたのだ。幸い自宅を出るときにエンジンがかからなくなったので、今度はレッカー車のお世話にはならないで済んだ(結果、急遽お客さんが借りていたレンタカーに大人6人子供2人が乗って外出することになった)。

今度は新しいスターターモーターに交換しないといけなさそうだ。が、ここなら修理を手伝ってくれるご近所の人もいるし、通訳を買って出てくれるスペイン人の友人もいる。車がなくて不自由だろうと、お隣のトーシュも自分の車を使ってよいと申し出てくれた。現在イギリスにいる2軒隣りのパットの車を使うこともできる。スペインの家は小さいし、庭も狭いし、家屋は建て込んでいて近所はうるさいが、ここにはすばらしい友人たちがいる。

まだバルセロナ

2006-11-08 17:39:37 | 旅行
ホテルで朝食を取った後、保険会社に電話をして状況を尋ねる。週末の間にたまった故障車を修理工場に届けるので、今朝はたいへん忙しいのだそうだ。同じサービスエリア内で故障した車も数台見ているし、故障車の墓場を実際に目の当たりにした身の上としては大いに納得。午前中(つまりスペインでは午後2時まで)に修理工場に届けられれば、ラッキーという感じらしい。修理に取りかかるには車の持ち主の承諾のサインが必要ということで、車が修理工場に届いたら保険会社が電話をくれるということになる。

修理工場へのタクシーを手配してくれる保険会社のために、ホテル近辺を離れるわけに行かない。そんなわけで、散策はホテルの一角に限られたが、なかなか楽しかった。近くのレストランで8ユーロ50セント(約1,300円)のメニュー・デル・ディア(日替わり定食)をいただく。わたしはタラと赤ピーマン入りのスクランブルエッグの前菜とメインコースには魚のトマトソース煮をいただいた。これにデザートと飲み物が付く。

その後、別のバーに移って、外のテーブルでコーヒーを飲みながら、道行く人を眺める。思わず目を剥いてしまったのが、黒豚を散歩させているお嬢さん。さすがバロセロナ、何でもありだなと感心していたら、バーの中から男性二人が飛び出してきて、お嬢さんの(あるいは黒豚の)後ろ姿をまじまじと眺めていた。彼女の曲がっていった方向には、人々の反応が波紋のように広がっていく。やっぱり黒豚のお散歩はバロセロナでも珍しいらしい。

バルセロナで感心するのは、午後2時から4時のシエスタタイムでも開いている店が少なくないことである。やっぱり都会は違う。

再びホテルのラウンジに戻って、保険会社の電話を待機するが、5時半を過ぎても連絡がないので、こちらから電話をしてみる。すると、すぐにタクシーを手配するので、修理会社へ行くようにとのこと。夕方のバルセロナはたいへんな混雑であった。やっと郊外の三菱自動車のディーラーに到着すると、時刻は午後7時10分前。修理工場のほうは閉まっていた(商売熱心なことに営業部門は9時まで開いているようだ)。結局この日は修理開始の承認のサインができず、ホテルに引き返し、バルセロナにもう1泊することになる。さらに悪いことには、修理部門が閉まっていたため、車の鍵を手に入れることができず、着替えを調達することができなかった。明日の朝一番に修理工場へ向かうタクシーを手配してもらうことにして、ホテルに戻る。

バルセロナの街の中はまだまだ渋滞中。コンジェスチョン・チャージ(道路の混雑と大気汚染の防止のために設けられた税金。ロンドンの中心地に車を乗り入れるのに8ポンドを支払わなくてはならない)導入前のロンドンでもここまで車が多くはなかったように思う。車の多さもさることながら、なんといってもスクーターや小型のオートバイの多さ。しかも、どこから飛び出してくるかわからない。こんな街でタクシーの運転手をするのは、心臓に悪いだろう。

こうしてバルセロナに2泊することになった。この日は前日より気温が低く、前日車の中に置いてきた上着を持って来ることができなかったので、外で食事をするのは断念する。別のバー・レストランで再びタパスに挑戦。この日は無難な選択で、3皿だけ注文する。イカリング(カラマレス・アラ・ロマーナ)とロシア風サラダ(要するにツナとかオリーブとかの入ったポテトサラダなのだが)にチョリソ。ブティファーラというのが謎めいていて興味深かったが、冒険する元気がなかったので、注文しなかった。後で辞書で調べたら、カタルーニャ風ソーセージということだった。だいたい何かわかったので、次回は挑戦してみたい。

保険会社の連絡の不手際のせいで、修理工場へのタクシーの旅は徒労に終わり、今日は何も進展がなかった。昨夜の楽観的な気分はしぼんでしまい、疲れが押し寄せてくる。この夜は早めにホテルに戻って寝る。

バルセロナの夜

2006-11-08 16:35:42 | 旅行
1泊分の着替えをバッグに入れ、泊まりの支度をした後、30分ほどで迎えに来たタクシーに乗り込む。バルセロナの市内までは約30分ほどだった。バルセロナの街もほかの大都市とあまり変わらないなと思っていると、ガウディの手になるカサ・バトリョのたいへん個性的なファサードが目に飛び込んできた。

ホテルは何の変哲もないビジネスホテルだが、改装直後のようで、すべてが新しくてきれいで、設備も整っている。インターネットも部屋でできるらしい。こんなことなら、ノートブックパソコンも持ってくればよかった。

日曜日の夜はホテルのレストランは閉店ということで、外に食事に出かける。日中の気温は26度くらいだったが、夜でも暖かく、歩道に並べられたテーブルでは、多くの人が食事をしたり、ビールを飲んでいた。近くのバー・レストランで、タパスとビールの夕食にする。

イカリングにクリームコロッケ、勇敢ソース(salsa brava、確か怒れる雄牛のように勇敢なという意味だったと思う)のかかったフライドポテト、蒸しムール貝、ここまではわりと無難。第2弾として、callosなるものを注文した。「辛いよ」とウェイターが言う。出てきたのは、臓物のトマトソース煮であった。全然辛くない。臓物くらいで動揺するわたしではないが、早々に夫が降参した後、さすがに全部は食べ切れなかった。臓物自体にはあまり中身がなくて、とくに味もない。でも、失礼にならない程度しか残さなかったと思う。一緒に注文したイカの唐揚げのほうは2人で平らげる。これだけイカを食べたら、当然のごとく、この夜は胃がもたれてしかたなかった。

この後、別のバーに移って、外のテーブルでビールを飲む。ホテル代もタクシー代も保険会社持ち。思いがけないバルセロナ滞在もそんなに悪くないかもしれないと気楽な気持ちになるのだった。




トラブルの始まり

2006-11-07 16:26:34 | 旅行
10月29日の朝、フランスは霧に覆われていた。フランスの家を出発すると、すぐにタイヤの空気圧が急速に低下しているのに気がつく。サービスエリアの駐車場に車をとめ、早めにスペアタイヤに交換して事なきを得た。

もっとも、まだまだ油断はできない。スペインでは、外国人の車を狙った盗難が多い。なぜ外国人かというと、休暇で使うべく多額の現金を持って移動しているのが明らかだからだ。サービスエリアに駐車した車のタイヤをナイフで切り、しばらく走行したところで、パンクに気がついて車を止めると、親切心を装ってタイヤ交換を手伝うふりをする。パンクという災難にすっかり心を奪われている気の毒な人たちの隙を狙って、車中に置かれた貴重品を盗む、という手口である。このような泥棒には「善きサマリア人」という名前がついている。聖書の逸話に基づくが、聖書のサマリア人は本物の善人である。名前をつけたのは、皮肉なイギリス人だろう。実際に、スペインの我が家の2軒隣りのイギリス人パットとアイリーンも去年の12月にこの被害に遭った。盗難も困るが、スペアタイアまでパンクさせられたら、泣きっ面にハチである。スペインに入ったら、サービスエリアでは2人同時に車を離れないように気をつけよう。

トゥールーズに近づいたところで、霧が晴れた。城壁の町カルカッソンヌを遠くに臨んだ後、海岸沿いの高速道路に達する。そこからスペインの国境までは1時間ほど。

無事スペインに入る。運のないフランスを脱出してほっと一息。スペインは保険会社の勝手知ったる本拠地でもあるし、故障してもスムーズに事を運んでくれるだろうと気を抜いたのが甘かった。バルセロナの北30キロほどのサービスエリアでガソリンをいれ、ドライブインでサンドイッチを買って車に戻ると、エンジンがかからない。どうやら、スターターモーターが故障したらしい。保険会社に電話をかけると、30分で救援トラックが来ると言う。

食事を終えた人たちが車に乗り込み、次々に何の問題もなくエンジンをかけて去っていくのをうらめしい気持ちで見送る。唯一の気休めは、故障をしたのはわたしたちだけではなかったことだ。1時間半以上待ってやっとレッカー車が到着したが、3台いっぺんに現れた。わたしたちのレッカー車の運転手に、自分のレッカー車はいつくるのかと問い合わせる人もいた。反対車線のドライブインの駐車場では、白いワイシャツを着た男性がいまだに人待ち顔である。この日はもっとも故障の多い日曜日だったのか、このサービスエリアはもっとも故障の多いサービスエリアに違いない。レッカー車の運転手も、イギリスの車の救援は今日これで2台目だと言っていた。

レッカー車に乗って、ロードサービスの会社の事務所まで行く。そこから保険会社に連絡を取ってくれた。今日は日曜日で修理工場は開いていないので、車はこの会社の敷地内(別名、故障車の墓場と言う)に置き、翌日三菱自動車のディーラーに持っていくという。保険会社がホテルとそこまでのタクシーを手配してくれた。三菱自動車のディーラーに近い郊外のホテルには空きがなかったため、バルセロナ市内のホテルに泊まることになる。

フランスへの道

2006-11-06 17:45:07 | 旅行
ご無沙汰しました。現在、スペインにいます。

今回もやはりハプニング無しというわけにはいきませんでした。話は長くなるので、何回かにわけてイギリスからフランスを経てスペインに至るまでの経緯をお話します。

10月25日(木)の午後に一応車が走行可能な状態になったということで、車を引き取ってきた。実はタイミングベルトのカバーは届いていなくて、これはいつ手に入るかわからない。でも、普通の車にはケースはないようなので、たぶんオフロード走行用にカバーが付いているのだろうという結論に達する。今回の旅にオフロードはないので、カバー無しでも大丈夫だろう。また、パワーステアリングのベルトもキュルキュルとものすごい音を立てているのだが、これも新しいものが手に入るのは早くても翌日になってしまうということだし、走行には支障をきたさないので大丈夫と判断を下す。

イギリスを出発すると決めると、翌日夕方のフェリーでフランスに渡ることにした。

急いで荷造りをするとろくなことはない。今回の最大の失敗は、デジタルカメラからパソコンに写真を転送するためのケーブルを忘れたこと。というわけで、来年1月にイギリスに戻るまで、このブログは写真なしになるかもしれません。ごめんなさい。できれば、メモリカードの読み取り機を買うとかして、なんとか写真をアップロードする方法を考慮してみたいと思っています。

もう1つの失敗は靴4足をイギリスに忘れてきたこと。すっかり荷造りするのを忘れていた。このうち3足は夏用のサンダルで、故障した車と一緒にイギリスに着いたときには、すでにイギリスの夏は終わっていて、とうとう出番がなかった。これで来年の夏まで日の目を見ないことになる。スペインに持ってきていたら、まだまだ活躍のチャンスはあったのだけど。

ニューヘイブンの港に向かう途中、サセックス県の田舎道(これでも幹線道路だが)で不思議な看板を見かけた。「野鳥保護地区」という看板のすぐ下に「オーブンで焼くだけ・猟鳥獣の肉あります」という文字。野鳥は保護されているのか?それとも、人々の晩御飯になっているのか?

いつ車が故障するかとハラハラドキドキしながら、フランスに渡る。フランスの港・ディエップに到着したのが夜10時半。夏のバカンス族大移動に巻き込まれた前回とは異なり、今回は交通量も少なかった。途中、ルーアンの川沿いで縁日が開かれていたようで、遊園地の乗り物がライトアップされてにぎやかで美しかった。スリリングな旅もとりあえず朝午前6時半に終わって家に到着し、湯沸かし器のスイッチを入れて床に就く。家のほうは特に変わったことはなかったようだ。

4時間ほど眠って、午前10時半に起床。この日は暑くて、日中日向の気温は30度を越えた。イギリスから買って持ってきたペンキ・照明器具などを車から降ろし、フランスに置いてあった洋服などを車に積み込む。庭の芝生を刈り、バラの剪定をして、冬の準備をする。次回イギリスに1月末に戻るときには、フランス経由になるかもしれないが、たぶん家の状態をチェックするにとどまり、1泊以上はしないだろう。ここの冬はかなり厳しいらしい。毎年、零下16度まで下がる日があるのだそうだ。そのような日は年に1度しかないのだそうだが、冬の間氷点下は当たり前らしい。わたしたちが今年2月に立ち寄ったときも、零下2度だった。

夕方、お向かいのイギリス人カップル、ブライアンとメリルの家にお邪魔する。ワインを飲みながら、1時間ちょっとおしゃべりを楽しんだ。わたしたちがいなかった間に激しい嵐があって停電や洪水の被害があったこと。また、空き巣に入られて、イギリスから来ていたお客さんの現金と宝石類が盗まれたとのこと。それはたぶんジプシーの仕業だわね、とわたしが言ったら、やはり警察も同じことを言っていたそうだ。ちょうど同じ時期に近くの町にサーカスが来ていたらしい。彼らは大きなものは取らない。また、ドアを壊したり、ガラスを割ったりして侵入することはなく、ドアや窓が開いていたりといったちょっとした隙を見て家に入り込む。万が一見咎められたりすると、ごめんなさいと謝ってそそくさと立ち去るのである。居直って暴力を振るったりする危険性はないが、他人が汗水たらして手に入れたものを盗むのはやはり許せない。

家に戻ると8時を回っていた。外食に出かけるのには遅すぎるし、5コース料理の間座り続ける体力もないので、夕食は近くの町にピザを買いに行って家で食べることにする。お向かいのメリルもやっぱりフランスで軽い食事をするのは難しいと言っていた。この辺りではどこも2時間かけて5コース食べるというパターンのようだ。5コース残さず食べるのは無理なので、2コースほど飛ばすと、「うちの料理のどこが気に入らないのか」と詰め寄られるのが困ると嘆いていた。

こうして、その晩は夜12時に床に就く。目覚ましを7時にセットしておいたが、この夜(厳密には10月29日の朝2時)にサマータイムが終わって、時刻が1時間早くなるので、新しい時間ではこれは6時ということになる。7時まで寝ても実はまだ6時で、1時間得をしたことになる。日暮れが早くなるのはさびしいが、いいこともある。