ペドロランド日記

スペインの国際村「ペドロランド」を中心にフランスとイギリスに発信地を移しながら、日々の出来事を綴っています。

カトリック王フェルナンドの食卓

2010-07-23 12:44:49 | 旅行
今日のフランス・ドルドーニュ地方は一時ちょっと涼しくなって今日の最高気温は23度。

パラドールの特色のひとつは、レストランのお国自慢メニュー。レストランの内装は中世の雰囲気をかもしだしているところが多い。最近は、それぞれのパラドールで、30ユーロ弱で中世の食事を一口ずつ試すことができるメニューを用意している。ウェートレスやウェーターは民族衣装に身を包み、雰囲気たっぷり。ソス・デル・レイ・カトリコの中世メニューは、"La Mesa de Fernando El Cato'lico"と名づけられている。

まず前菜は、地元独特のパンに、ひよこ豆のクリーム(フマスそのもの)にいわしのマリネを添えたもの。それに、子ヤギのパイ、ムーア風ナス(キッシュみたい)。もう一品メニューにないものがついていた。これは何なのか不明。子ヤギのパイはとてもおいしくて、これだけ大きなサイズにして、メインとして出してもいいくらい。



次は、ポリオル"Porriol"鍋ということだが、要するにリークのスープ。なぜか油揚げの味噌汁を連想する味だった。

メインは、出てきただけで驚き。



要するにチキンのシチューなのだが、プレゼンテーションが変わっている。上に添えられているのは、ゆで卵の黄身。味付けは、白ワインに鳥のだし、アーモンド、ニンニクとローストしたサフランだそうな。

正餐が終わった後、これに使われたパンは貧しい人々に配られたということである。現在のパラドールでは、空洞にしたパンの中身は、ミガス(パンくずを揚げたスペインの伝統料理)に使われているに違いない。このパラドールにもミガスがアラカルトメニューにあり、しっかり翌日の朝食のビュッフェにも含まれていた。

デザートは、梨のコンポートのシナモンソース添え。



これはアラカルトメニューでもデザートとして選べるのだが、フルーツだからベジタリアン向きと思ったら大間違い。肉のストック、アーモンドとシナモン入りの牛乳で梨を煮てあるそうだ。仕上げにはバラの香りが付けられている。

最後に給仕長と思われる若い男性(スペイン人ではなくて、東欧人のようだった)が、このメニューの解説が英語とスペイン語の両方で書かれたパンフレットを持ってきてくれた。



簡単なレシピーも含まれている。アラゴン地方の料理の特色は、ムーア人(イスラム教徒)とユダヤ人の影響を受けていること、特にシナモンやサフラン、ナツメグなどのスパイス類がふんだんに使われていることらしい。

その後、隣のバーで無料のコーヒーをいただくことができた。

オリーテのパラドールは3つ星だったのに対し、ここは4つ星。設備もずっとすばらしく、内装も実に品がよく、センスもよかった。部屋もオリーテより大きく、バスルームもシンクを2つ備えて、豪華。料金はオリーテより安かった。レストランの中世メニューの内容(値段は均一のようだ)もオリーテよりよかったが、アラカルトメニューの値段はオリーテよりも高かったようだ。幹線道路より40キロほど外れることになったが、それだけの価値はある一泊だった。




ソス・デル・レイ・カトリコ

2010-07-20 15:12:20 | 旅行
今日のフランス・ドルドーニュ地方は31度



スペインの我が家からフランスの我が家へと移動する途中で、パンプローナの南東約40キロのところにあるソス・デル・レイ・カトリコ(カトリック王のソス)という小さな村のパラドールに一泊する。ナバラ地方のパンプローナのほうに近いものの、行政区としては、アラゴン地方のサラゴサに属する。ここは、昔ナバラ王国による侵略に対するアラゴン王国の防御最前線となった5つの村の1つである。名前は、カスティリヤ王国のイザベラ女王と結婚し、二国を統合することで、スペインの基礎を作ったアラゴン王国国王のフェルナンド5世がここで生まれたことにちなむ。端から端まで15分くらいで歩けてしまう山の上の小さな村(標高619メートル)。

村全体が国の文化財に指定されていて、自分の家といえども、勝手に手を加えることができないそうだ。パラドールは城や修道院などの歴史的建物を改装したものが多いが、ここのパラドールは近年になって建てられたものらしい。が、周りの建物にあわせて、アラゴン風の建築様式を保っている。

写真は、パラドールから望んだ村(左上)、町並み(右上)、教会入口(左下)、修道院を改装した村役場(右下)



ソスで見つけた謎の銅像。映画監督のようだ。2つ並んだ椅子のうち右側はスペインの女優の名前が入っている。有名な女優ではないようだが、レコンキスタという映画に出演していることから、フェルナンド5世にちなんだ縁か?




夏のスペイン

2010-07-16 18:34:37 | 旅行
6~7月をスペインで過ごすのは4年ぶりくらいのことだ。いかに暑いかを忘れていた。

6月12日にフランスからスペインに来たときには、いつもは茶色で退屈なスペイン中央部の風景が緑に変わっているのが新鮮だった。ここ数年フランスとスペインへの移動には、サラゴサを経由する北スペイン横断ルートを取っているのだが、スペインからフランスへの移動は3月、フランスからスペインへの移動は10月だったので、6月のスペインを見るのは久々のこと。この時期には、不毛だとばかり思っていた大地に小麦と思われるものが栽培されていた。高速道路の中央分離帯および沿道には、北スペインではエニシダが咲いていて、南下するにつれて、次第に赤・白・ピンクのオリアンダー(セイヨウキョウチクオウ)が見られるようになった。

その1ヵ月後に再び同じ道を北上すると、穀物の収穫が終わったようで、緑は茶色に変わり、オリアンダーの花が北上していた。6月中旬にエニシダが咲いていたところがオリアンダーに代わっている。よく見ると、枯れたエニシダの枝の下からオリアンダーが咲いているところもあった。

今回の道中泊は、牛追いで有名なパンプローナから40キロほど離れた、ソス・デル・レイ・カトリコのパラドール。北スペインはさぞかし涼しいであろうと期待していたが、到着してみると気温は28度であった。やっぱりここも暑い。



ワールドカップの終わり

2010-07-16 16:15:43 | スペインの生活
今日のフランス・ドルドーニュ地方の天気は27度

ついにワールドカップが終わってしまった。結果は、7対3で圧倒的なタコの勝ち。タコには勝てなかったものの、やっぱり結果を予想しながら見るのは、ストレスもあるが、断然エキサイティングであった。会社の予想ゲームの結果は、1660人中283位に終わる。

決勝戦は、近くのバー、ラス・ミモサスで見る。経営者のローサをはじめ、イギリス人を中心とした客のほうも圧倒的にスペインのサポーターが多かったものの、バルセロナFCとスペイン代表チームおよび裏のスペイン人一家が大嫌いなわたしは、オランダを応援していた。が、さすがにオレンジのティーシャツにオレンジの帽子をかぶってスペインのバーに行く勇気はなかったので、こっそりと応援する。

延長戦にまでもつれ込み、翌朝にスペイン出発を控えたわたしにとっては最悪の結果。試合終了後、隣の中華料理店で簡単な食事を取り(本当は試合前に食事をするつもりで家を午後6時に出たのだが、バーの席取りをするはめになってしまった)、友人たちとしばしのお別れのドリンクをともにした後、午前1時に家に戻る。幸い、裏のスペイン人一家はすっかり寝静まり、スペインの優勝を祝ってバーの外を通り過ぎる車の警笛の音が遠くでときおり聞こえる程度であった。

最後の熱帯夜を過ごし、翌朝午前8時半にスペインの我が家を出発。パンプローナの最高気温は23度という天気予報に期待し、北スペインへと向かう。

スペインからフランスへ

2010-07-09 13:24:00 | スペインの生活
今後の予定を。

日曜日のワールドカップ決勝戦が終わった翌日月曜日に、スペインを出発します(早く起きられるか心配)。夫いわく、ワールドカップが終わった以上、1日たりとも、スペインの暑さには耐えられないということなので。途中、パンプローナから40キロほど離れたソス・デル・レイ・カトリコというところのパラドールで一泊し、火曜日にフランスの我が家に到着する予定です。このパラドールのある村は、アラゴン王フェルナンド誕生の地で、国の記念物にも指定されていることから、中世の街並みがそのまま残るところだというところで、とても楽しみ。後日、写真を含めてご報告します。

わたしがオランダを応援する理由(わけ)

2010-07-09 13:03:27 | スペインの生活
今日のペドロランドは30度!

スペインに来て4週間が経とうとしている。最初の1週間こそ変わりやすい天気が続いたももの、その後3週間は連日晴れで30度の暑さが続いている。スペイン滞在の目的であるワールドカップもついに決勝戦を迎えようとしているところだ。

日本とイングランドが敗退した現在、スペインにいるわたしには、スペイン支援のメールがよく届くのだが、今大会わたしが応援しているのは、日本でもイングランドでもなく、最初からずっとオランダ。

わたしがスペインよりオランダを応援する理由は2つ。(1)裏のスペイン人一家より、お隣のオランダ人、アリーとトーシュのほうが好きだから。(2)現在の心境としては、セスク・ファブレガスよりロビン・ファンペルシーのほうが好きだから。

とにかく裏のスペイン人一家の騒々しさには閉口している。スペインの試合のある日は、朝からラッパや警笛が鳴り響く。ゴール時にはラッパ・警笛に加え、爆竹が炸裂。勝った後はしばらくこの騒ぎが続く。スペインの初戦である対スイス戦のときは、スイスのゴールの後、すっかり静まりかえり、静けさが続いた。というわけで、それ以来、スペインの敗退を祈ってきたのであるが、あいにく決勝まで進んでしまった。わたしたちの辛抱はとうとう決勝戦の日曜日まで続くことになる。

今大会は、会社のIT部門が開発した社内ワールドカップ予想ゲームに参加しているために、通常よりずっと気合を入れて観戦している。このゲームには、世界中の支社に勤める社員のうち、1600人近くが参加していて、わたしは現在283位。選手やチームなどはよく知っているつもりなのだが、今大会は実に予想が難しい。かえって何も知らないドイツのタコなどのほうが、よく当たるというものだ。

一番エキサイティングだったのが、オランダ対スロバキア。社内ゲームで得点が2倍になるジョーカーカントリーとして、開催前にわたしはオランダを選んでいた。この試合は2対1でオランダの勝ちと予想していたのだったが、ロスタイムまでオランダは2対0でリードしていた。もし、スロバキアが1点あげないと、得点予想ポイントの1点を失うばかりか、得点差ボーナスポイントの1点をも失うことになる。スロバキア、ゴールせよというわたしの祈りが天に届いたのか、ロスタイムにスロバキアがペナルティを得て、1点をあげた。これで、勝敗予想の2点に加えて合計点は4点となり、さらにジョーカーのおかげで得点は2倍になり、合計8点をゲット。

周りが盛大にスペインを応援する中、風当たりは厳しいが、決勝戦も引き続きオランダを応援するぞ。