令和5年12月24日(日)
甲賀市甲南町: 嶺 南 寺
桓武天皇の御代
桓武天皇の御代
神亀2年(725)華厳宗の僧侶、
良弁僧正が竜法師平林の地に
草堂を建立。
<本堂>
無量寿仏を安置し、
寺名を安養院と称す。
その後、
その後、
延暦年中(782-806)に、
伝教大師が杣の庄に用材を求め
巡化された際、
この地一帯に悪疫病が流行。
人々が困苦する姿を見て
深く傷み、薬師如来、地蔵菩薩
の両尊像を刻す。
薬師如来を東北の地、
地蔵菩薩を南西の地、
すなわち竜法師の両入口に安置。
東方の教主薬師如来に向かい
無常息災のご修法を、
南方の教主地蔵菩薩に向かい
延命の御修法を修し、
人々を救済し給う。
これ以降天台宗となる。
その後
その後
長保年間(999-1004)
恵心僧都巡教の時
無量寿仏を刻して安置。
その時僧都が寺庭に刺した
梅の杖が根付き花を咲かせた
ことから山号を梅香山と呼ぶ。
嘉承年間(1106-1108)の
嘉承年間(1106-1108)の
火災以降度重なる災火に遭うが、
天和2年(1682)広円法印が再建。
享保8年(1723)の火災で
享保8年(1723)の火災で
堂宇を焼失した際、
復元し現在の地に移転。
薬師堂、不動院を合併して
寺号を嶺南寺と改める。
同時に天満宮を寺傍の
高地に移す。
嘉永年間(1848-1854)の火災で
本堂を焼失するが、
平成18年に本堂再建を果たして
現在に至る。
<黄金の観音像>
金箔というより黄土色の
観音像が建てられている
清楚なお寺という印象。
<芭蕉句碑>
芭蕉の句は、
「秋山に
あら山伏の
祈るこゑ」。