令和5年12月15日(金)
5基目の句碑は、
「行秋や
手をひろげたる
栗のいが」 。
「行秋や
手をひろげたる
栗のいが」 。
元禄7年。伊賀での作。
「人々にわかれて、
山路を行くと、
栗の木の梢に手をひろげた
ような栗の毬(いが)が
いくつも残っていて、
あたかも握った掌をひろげて
行く秋を呼び返そうとする
如くに見える」
の意。
こっそり抜け出さねばならぬほど
熱心にとどめる伊賀の門人衆に
対する惜別の情を託している。
6基目の芭蕉句碑の句は、
「此秋は
6基目の芭蕉句碑の句は、
「此秋は
何で年よる
雲に鳥」 。
元禄7年。
「此秋はいかなる事の心に
かなはざるにかあらん。
伊賀を出て後は、明暮に
なやみ申れしが…。」
なやみ申れしが…。」
(笈日記))
とある如く、
死を前にして、めっきりと
死を前にして、めっきりと
老をかんじたのである。
どうして今年はこんなに
老のさびしさが しみじみと
身にしみるのか。
空を仰げば、
雲の中に消えて行く鳥が見える。
思えばあの鳥の如く
漂泊の旅を重ねて来た自分の一生
であったの意。
<その説明>