貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

あゝ義経 佐藤一族と乙羽の椿 哀しみに!

2022-09-13 10:15:09 | 日記
令和4年9月13日(火)
 昭和42年に、
医王寺師弟の句碑として、

松野さんと大橋さんの句碑も残っていた。
 何か、もの悲しく、
侘しさがいっぱい!
という感じの句だった。

  奥の院まで行こうと足をのばすと、
右手に三体の像がある。

 一番左に、
「あゝ義経~佐藤一族」というタイトルので、
三番までの歌詞が・・・。
 その間に、芭蕉の句も入れ込んである。

「兄頼朝の 旗揚げに 
   九郎義経 馳せ参じ 
  佐藤継信 忠信も 
   主従の契り 堅く結い 
  屋島の戦さ 熾烈なり 
  義経矢楯 あゝ 継信が逝く
という一番。

「兄頼朝に うとまれて  
   九郎義経  あゝ苦境
   佐藤忠信  やがてまた
    京都堀川に 露と消ゆ
   悲運の九郎
     哀れなり
   あゝ 白鳥(とり)も哭く」

「文治5年の 夏の頃 
   奥州落ちの 義経を
    討たん 鎌倉大軍を 
 石那坂にて これ阻む
 飯坂 庄司 基治は 
   気骨の古武士
    あゝ ここに散る」

 三体像の中央に源義経、

右に佐藤継信、

左に佐藤忠信が並んでいる。

 小学2年生の先生が
お昼時によく読んでくれた本の中に、
『源平盛衰記』や『義経』の話等あり、
懐かしい歌詞だった。
 奥の院薬師堂の境内に見られる板碑群には、
荘司佐藤基治・乙和・継信・
忠信墓碑(県指定重要文化財)があるという。
奥の院参詣

 「乙和の椿」

 佐藤継信・忠信兄弟を失った母乙和の
深い悲しみと母情が宿ったと言われる、
蕾のまま落ちてしまう椿のこと。

 その傍で、
佐藤兄弟は今もなお尊ばれていた。