貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

見初める

2019-11-17 08:59:24 | 日記

見初める

令和元年11月17日

 今朝は、笠覆寺で、

「見初める」ということ。

 久しく体験しないことに思いを

馳せる。

 

 太鼓橋を渡り、山門に。

 阿吽仁王像をじっくり拝察。

 そして、参拝!

 息子たちの諸事のお礼をする。

 天平5年(733)、僧・善光

(または禅光)が浜辺に打ち上げ

られた流木を以て十一面観音像を

彫り、現在の南区粕畠町にその像

を祀る天林山小松寺を建立した

のが始まり。 

 その後、堂宇は朽ち、

観音像は雨露にさらされるがままに。

 ある時、旅の途中で通りかかった

藤原兼平(藤原基経の子、875 - 935年)

が、雨の日にこの観音像を笠で

覆った娘を見初める。

 都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻と

する。

 この縁で兼平と姫により現在の

場所に観音像を祀る寺が建立され、

笠で覆う寺、即ち笠覆寺と名付け

られたという。

 笠寺の通称・地名等もこの寺院名

に由来する。

 鎌倉時代には塔頭寺院が派生し、

僧・阿願によって境内には鐘楼が

造られ、尾張三名鐘に数えられる

梵鐘が鋳造される。

 この鐘は建長3年(1251)の銘

があり、愛知県の有形文化財に指定

されている。

 大晦日には除夜の鐘として

参拝者も撞くことができる。

 明治時代初期の廃仏毀釈その他

の影響で一時期荒廃が進むが、

昭和時代に住職らの努力で隆盛を

取り戻し、現在に至っている。

 厄よけや藤原兼平と姫の故事に

ちなんで、縁結びを祈る参拝者も

多いという。

 尾張三十三観音、名古屋二十一

大師の札所であり、また昭和30年

頃には名古屋市観光協会の後援に

より大名古屋十二支恵当寺で、

巳年の護り本尊の普賢菩薩の霊場

になる。

 昭和62年には

「なごや七福神の恵比寿の霊場」

になる。

 二回目の参拝!参拝。