貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

「真猿=まさる」は「魔去る・勝る・優る・賢る・増さる」

2019-01-14 08:26:38 | 日記

「真猿=まさる」は「魔去る・勝る・優る・賢る・増さる」

 平成31年1月14日(月)

 今日は、成人式。 

 晴天の青梅。

 青梅の成人は、小学生の時に書いた

作文か絵等が出身校毎に紹介され、

式終了後、各自に渡される。

 タイムカプセル!

 今朝は、まさる神社へ。

 全国に約二千ある日吉神社・

日枝神社・山王神社の総本宮で

ある滋賀県大津市の日吉大社は、

猿を神の使いとして崇拝すること

で知られ、平安京の鬼門に位置

することから、鬼門除け・災難除

けの社として崇敬されるように

なった。

 参拝の仕方もあり。

 日吉神社では昔から神様のお遣い

の猿を「真猿=まさる」と呼んで尊ぶ。

「魔去る・勝る・優る・賢る・増さる」

に通じる縁起の良いものとして、

大切にされている。

 また、猿は夫婦仲がよく親子の愛情

も深い動物で、犬と同様沢山の子供に

恵まれることから、家内安全・夫婦円満

・子授け・安産・子育ての守護、

縁起物だ。

 元禄2年(1689年)の7月24日、

 「奥の細道」の道中の松尾芭蕉は、

小松に入ると近江屋という旅宿に

泊まった。

 翌25日に出立しようとしたところ

小松の人々に引き留められ、

本折日吉神社の神官で俳人の

藤村伊豆守章重、俳号・鼓蟾(こせん)

の館に一泊。

 同夜、芭蕉はじめ曾良、北枝、歓生

(かんせい)、塵生(じんせい)ら十人が、

有名な山王句会を催した。

 その時の芭蕉の発句が、

「しほらしき 名や小松ふく 萩すゝき」

 その後、芭蕉は小松を立って

山中温泉に行くが、何故かふたたび

小松を訪れている。

 「奥の細道」の旅で、同じ土地を2度も

訪れたのは小松だけで、芭蕉と小松の人々

との間に特別な関係があったことが

伺われる。

 芭蕉翁留杖之地としての記念碑と

芭蕉の句碑、

 そして、小松市の俳人二句碑が目立っていた。