貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

ゆかいなことを まじめに

2018-03-01 08:45:05 | 日記
ゆかいなことを まじめに

平成30年3月1日(木)

 二日間にわたり、自分の部屋の模様替え。

 40年近くお世話になった自分の机とおさらば。

 息子が不要になった一回り大きな机と交換。

 40センチほど長く、1メートル60センチある。

 組み立て式でイタリア製。

 重い。

 組み立ては簡単だったが、ひっくり返すのに

大きいのと重いのも重なり、二苦労から三苦労。

知恵力も振り絞って独力で成し遂げる。

 これで、また、いろんな事に挑戦かな?

 自分の机のガラス板の下から、小さなメモ紙が。

「むずかしいことを やさしく

 やさしいことを ふかく

 ふかいことを ゆかいに

 ゆかいなことを まじめに」

という井上ひさしさんの言葉。

 「ふかいことを ゆかいに」

 これが私の課題、難題。

「ゆかいなことを まじめに」

 ううんとうなって絶句。

 すると、下に、

「シェークスピアはほら吹き親父、

 モリエールはおもしろ親父

 ・・・・・・・

 私の父は ゴーカケンラン。」

 と。

 またしても 「ううん?」。



 文字摺観音の鐘楼だ。

< もちずり石と百人一首 >

 かつてこの地は、綾形石の自然の石紋と

綾形、そしてしのぶ草の葉形などを摺り

こんだ風雅な模様の「しのぶもちずり絹」

の産地だったそう。

 その名残を今に伝える文知摺石は、都か

らの按察使(巡察官)、源融(みなもとのとおる)

と長者の娘・虎女の悲恋物語の舞台となり、

小倉百人一首にも詠まれている。

「陸奥の しのぶもぢずり たれ故に 

     乱れそめにし 我ならなくに」

と。

その悲恋物語とは・・・・・・。

 「遠い昔の貞観年中(9世紀半ば過ぎ)のこと。

陸奥の地を訪れた源融は、村の長者の娘・虎女

と出会う。

 日ごとに二人の情愛は深まり、融公の滞留

はひと月にも及び、再会を約し、遂に都へと

戻る日がやってくる。

 再開を待ちわびた虎女は、慕情やるかたな

く「もちずり観音」に百日参りの願をかけた。

満願の日を迎えたが、都からの便りはなし。

 嘆き悲しんだ虎女がふと目を遣ると、

「もちずり石」に慕わしい融公の面影が彷彿

と浮かんで見える。

 しかし、近づくとそれはすぐに消えてしまう。

 虎女は遂に病の床につく。

 その後、一辺の歌が都の使いの者により

虎女のもとに届けられる。

 届いた歌には

「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえに 

   みだれ染めにし我ならなくに」と、

融が遠く都で恋の思いに心乱れている様子が

記されていた。

 故事にちなんでもちずり石は

 別名「鏡石」とも呼ばれている。  

 境内の奥には虎所と源融(京都嵯峨の

清涼寺より土を移す)の墓が建立され、

当時の歴史を今に伝えている。

甲剛碑等