昨日は、温泉巡りで、少々疲れて夜はグッスリと
朝6時のモーニングコールで起きて、7時に食事に行き8時までの集合時間までの間、お店を覗き私の水着と、あきちゃんのアロハと、S君のTシャツを買い、荷物を持ってロビーに集合
いよいよ「白亜」ともお別れ・・・残念な事は、海を見に行かなかった事です。
後で聞いたのですが~後の二組の人は見に行かれたのですよ~後ろ髪惹かれるような気持で、に乗り・・・「白亜」空港に向かう
「広州」空港に着いたのが、午前11時20分
荷物を受け取り専用バスに乗り込み~昼食の場所に移動
「白亜」と違い「広州」の空は、どんよりと霞がかかった様な感じで、お日様だけが、赤い・・・すっきりと晴れて青空が見えるのは、年に数えるだけで、台風の後だけなんだって~
何時もどんよりとしてるそうですよ~
昼食は、「点心料理」この味は日本でも食べていますね。(飲茶)
昼食後観光に出かけます。
最初は「鎮海楼」広州の歴史を今に語りつぐ朱塗りの楼閣
明代の建築で、高さ28m。
楼内は広州博物館として利用されている。
「広州最大の越秀公園内にある鎮海楼は木造5層の楼閣。
明代1380年に広州城として海賊の侵略に備えて建築された。現在の建物は1686年に再建されたもの。
「鎮海楼」の3階、展望の良い場所から撮影
「魯迅記念館」 もとの中山大学の鐘楼を魯迅記念館としている。
魯迅は、1927年1月~9月までの間、中山大学で教鞭をとり、この鐘楼(時計台)の2階に住んでいた。
3階から見た「モクレン」
モクレン一輪
「六榕寺」1400ねん以上の歴史を持つ仏教寺院。
その昔曇裕大智法師が南方に行くのを人々が引きとめるために建てたという。
名は詩人蘇東ばが6本の榕樹(ガジマル)に「六榕」の文字を残したことに由来。
美しい花弁が連なって見えるその姿から「花塔」とも呼ばれている。
蘇東坡(蘇軾)
1931年、辛亥革命の指導者、孫文を記念して広州市民と華僑によって建立。
この地は、1921年に孫文が臨時大総統に就任した当時の官邸跡地である。八角形の建物が特徴的。
朝6時のモーニングコールで起きて、7時に食事に行き8時までの集合時間までの間、お店を覗き私の水着と、あきちゃんのアロハと、S君のTシャツを買い、荷物を持ってロビーに集合
いよいよ「白亜」ともお別れ・・・残念な事は、海を見に行かなかった事です。
後で聞いたのですが~後の二組の人は見に行かれたのですよ~後ろ髪惹かれるような気持で、に乗り・・・「白亜」空港に向かう
「広州」空港に着いたのが、午前11時20分
荷物を受け取り専用バスに乗り込み~昼食の場所に移動
「白亜」と違い「広州」の空は、どんよりと霞がかかった様な感じで、お日様だけが、赤い・・・すっきりと晴れて青空が見えるのは、年に数えるだけで、台風の後だけなんだって~
何時もどんよりとしてるそうですよ~
昼食は、「点心料理」この味は日本でも食べていますね。(飲茶)
昼食後観光に出かけます。
最初は「鎮海楼」広州の歴史を今に語りつぐ朱塗りの楼閣
明代の建築で、高さ28m。
楼内は広州博物館として利用されている。
「広州最大の越秀公園内にある鎮海楼は木造5層の楼閣。
明代1380年に広州城として海賊の侵略に備えて建築された。現在の建物は1686年に再建されたもの。
「鎮海楼」の3階、展望の良い場所から撮影
「魯迅記念館」 もとの中山大学の鐘楼を魯迅記念館としている。
魯迅は、1927年1月~9月までの間、中山大学で教鞭をとり、この鐘楼(時計台)の2階に住んでいた。
3階から見た「モクレン」
モクレン一輪
「六榕寺」1400ねん以上の歴史を持つ仏教寺院。
その昔曇裕大智法師が南方に行くのを人々が引きとめるために建てたという。
名は詩人蘇東ばが6本の榕樹(ガジマル)に「六榕」の文字を残したことに由来。
美しい花弁が連なって見えるその姿から「花塔」とも呼ばれている。
蘇東坡(蘇軾)
1931年、辛亥革命の指導者、孫文を記念して広州市民と華僑によって建立。
この地は、1921年に孫文が臨時大総統に就任した当時の官邸跡地である。八角形の建物が特徴的。