ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト 【7】

2020年06月20日 | 随想録

【Live Information】



★毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト★
 
 
【7】 シカゴ 「シカゴの軌跡/Chicago Transit Authority」

 
※ハチくんはイライラしているわけではありません。夢中になって布を噛んでいるのです。なにせ布切れ(タオルとか)をカミカミするのが大好きな奴でして。問題はいま噛んでるのはぼくの気に入っているシャツだということです。。。(> <;)
 
 
 ぼくの中学時代は、ベイ・シティ・ローラーズが飛ぶ鳥を落として焼き鳥にして食ったうえにビールまでが付いてきたという、凄まじい人気を誇っておりました。そしてクイーン、キッス、エアロスミスらが日の出の勢いでロック界に旋風を巻き起こしておりました。
 世はイーグルスのメガ・ヒット「ホテル・カリフォルニア」に席捲され、パンク・ロックの出現で大騒ぎだったですね。
 
これらはいわば「ロックの王道」を行くものばかり、オールド・ロックに対して批判的だったパンクにしても、「反体制」という意味ではまさにロックの本質そのもので、「原点回帰」ともいえる動きだったと思います。
 
 
 高校のとき、倉敷の「音楽図書館」に出入りしてました。今の文化センターの2階です。
 所蔵のレコードからリクエストして、ヘッドホンを使って無料で聴くことができる、夢のようなところです。(圧倒的にクラシックが多かったですが)
 お目当てはビートルズの「青盤」(後期のベスト・アルバム)と、クイーンの「シアー・ハート・アタック」だったのですが、ある時その両方ともが先にリクエストされていたんですね。しかたなく数少ないロックのレコードから単に時間つぶしで選んだのがシカゴの日本編集ベスト・アルバム「栄光のシカゴ」でした。
 バンドの名前くらいしか知らなかったんですが、ホーン・セクション入りというところに少し興味を覚えたんです。
 
 
 管楽器入りの音楽といえば、クラシック、ジャズのビッグ・バンド、吹奏楽くらいしか知らなかったぼくにとっては、まさに初めて味わう未知の世界でした。
 ブラス・セクションの攻撃的でゴリゴリなアンサンブルにまず驚き、ブルージーでロック・スピリット丸出しのギターに惚れ込み、音数の多い派手なベース・ラインにシビれ、他のロック・ドラムとは多少毛色の変わったジャジーでテクニカルなドラムに魅かれ、といった具合です。
 もちろんロック・バンドとしての力量・存在感も大きかったですね。
 曲も、ハード・ロック、ジャズ・ロックはもちろん、ポップなものからウエスト・コースト風味のものまでとても幅広く、その後は音楽図書館へ行くたびに「栄光のシカゴ」を聴くようになりました。
 
 
 ロックは様々な音楽性を取り込める懐の深さがある音楽だと思うんですが、いわゆる「ロックらしいロック」「ロックの王道」「ティーンズ向けロック」以外の、他の音楽の要素を大胆に吸収昇華したロックはシカゴが初めてでした。
 また積極的に歌詞に政治的・哲学的メッセージを盛り込んでいたところも「オトナなロック・バンド」としてぼくの目に映っていました。
 
 
 もちろん後年ファースト・アルバムから順に買っていくんですが、最初に買ったのが「シカゴの軌跡」。
 デビューした1960年代後半から1970年代半ばくらいまでのシカゴの音楽は、「ブラス・ロック」と言われていましたが、そのブラス・アンサンブルは、どうにもこうにもカッコよかったですね。
 1曲目の「イントロダクション」は文字通りシカゴの音楽性が詰まった名刺代わりの曲。すごくパワフルで、まさに激動の60年代、って感じの曲です。高校3年の時、卒業を前に岡山倉敷の高校3年を主体にしたビッグ・バンドが組まれ、ぼくもベースで参加させてもらったんですが、苦心してこの曲を演奏したのもいい思い出です。
 
 
 ジャンルの好き嫌いなく、クロスオーバー的にいろいろな音楽をまたぐことに全く抵抗を覚えたことがないのは、早い段階でシカゴの音楽に出会ったからだ、と自分では思っています。これが音楽にかかわっていくうえでどれだけ助けになったか。
 
 
 ベース弾きの端くれとしては、ピーター・セテラは憧れのひとりでした。その手数の多い派手なベースには、ジャック・ブルースやティム・ボガートと並んで明らかに影響を受けました。
 おかげでぼくも手数の多いベーシストに育ち、多少チヤホヤされるようになりましたが、ちゃんとした音楽観を持った方々からはよく「ウルサイ!」と言われましたね~ 
 それでも目立ちたいだけのぼくはお構いなしで弾きまくり続け、ナニが良くないのかサッパリ分からないまま月日は流れ、なぜ先輩方に喧しいベースと思われていたかに気づくのにその後何年も何年もかかったのでした。(- -;)




コメント
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