ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

タイタニック号の遭難

2006年04月12日 | ネタをたずねて三千里
♪超豪華客船タイタニック号。


 いろんな曲を寄せ集めたMDを何気なく聴いていると、セリーヌ・ディオンの「My Heart Will Go On」が流れてきました。
 「『タイタニック・愛のテーマ』だったっけ。あの映画が大ヒットしたあとは、この曲を演奏する機会が増えたんだったな~」・・・。


 ぼくがDVDやビデオを買う時は、必ずレンタルショップで借りてからにしています。「この先何度も観たくなるだろう」と思えるものだけ買いたいからです。
 でも、映画「タイタニック」は、あまりの前評判の良さに(ぼくの周りでも「感動した」という人が多かったので)、前もって観ることもなく買いました。でもこれは、1回観るとすぐ友人にビデオをあげてしまったほど、自分的には大ハズレの作品だったのです。(^^;)
 「あーんな恋愛なんてありえ~ん」とか、「海難パニック映画なら『ポセイドン・アドヴェンチャー』の方が見応えあるよなー」なんて思ってたんですが、つまるところ、今思うとレオナルド・ディカプリオのハンサムぶりにシットしただけだったのかもしれないですね・・・(^^;)


      『タイタニック』(1997年)


 なんてことを思い出して、ものの本を調べてみたら・・・。
 タイタニック号が遭難したのは、なんと94年前のあさって、つまり、1912年の4月14日ではないですか。(!)
 正確には、4月14日23時40分に氷山と衝突、2時間40分後の15日午前2時20分に沈没した、とされています。
 ということで、今日はタイタニック号の沈没にまつわる話など。


 タイタニック号の正式な名称は「Royal Mail Ship Titanic」です。当時の技術の粋を集めて建造された超豪華客船で、全長268m、総トン数46328、船底から煙突先端までの高さは52.2m。もちろん当時の世界最大級の巨船で、専門家たちからは「不沈」と呼ばれていたそうです。ちなみに「タイタニック」というのは、ギリシア神話に出てくる巨人神「タイタン」にちなんだもので、船の威容を表しています。


 タイタニック号は、1912年4月10日、イギリスのサザンプトンから処女航海に出航。乗員乗客合わせて2200人余りを乗せ、ニューヨークへと向かいます。
 全航路の約3分の2を過ぎた4月14日は、流氷による危険があるという6通の警告を、船舶間の無線によって受けていましたが、さしたる重大事項だとは考えられていなかったようです。


 北大西洋のニューファウンドランド沖を航行中の4月14日23時40分、見張りの船員が水面上の高さ約20mの氷山を発見しました。氷山が水上に現れるのは全体の10%程度と言われているので、実質的には高さ約200mの巨大な氷山だったと言えるでしょう。船は、発見わずか40秒後には氷山へ衝突、翌15日午前2時20分に沈没しました。犠牲者1513名を数えるこの事故は、史上最悪の海難事故のひとつとしてあまりにも有名です。
 15日午前0時15分、タイタニック号は遭難信号CQEを発しましたが、途中から新しく制定されたばかりの救難信号SOSを発信しています。これは、史上初めてのSOS発信でもあるということです。


 さて、このタイタニックにまつわる不思議な話です。


■1892年、W・ステッド氏は、ロンドンの新聞に「海難事故対策が不十分である」という記事を載せました。その中で、「巨大定期船が北大西洋上で氷山に衝突し、多数が犠牲となる」という短編を書いており、記事を「救命ボートの不足は危険である」と締めくくっています。
 ステッド氏は20年後、自分の予言した「北大西洋を航海する巨大船」という条件にぴったり当てはまる船、不吉なタイタニック号に乗り合わせ、犠牲になりました。(タイタニック号の救命ボートは最初から絶対的に不足しており、そのため犠牲者が増えた)


■作家モーガン・ロバートソンは、1898年に、「豪華客船が米国へ向かう途中、氷山と衝突して多くの人命とともに沈没する」という小説を書いています。「処女航海途中の4月の北大西洋上」というところまで事実とそっくりでした。
 この本のタイトルは、「タイタン号の遭難」です。


■1912年3月、J・オコンナー氏はタイタニック号の乗船券を1枚予約しましたが、船が沈む夢を見て不安な気持ちを拭いきれなくなり、乗船を解約して難を逃れました。


      タイタニック号の乗船券


■1912年4月7日の「ポピュラー・メカニクス」紙にも、架空の世界最大の客船がニューファウンドランド海域で氷山に衝突して沈没する物語が掲載されています。
 タイタニック号が遭難したのは、その1週間後でした。


■C・マクドナルド機関士は、なぜか不吉な予感がしたために、昇進のチャンスのあった仕事を断りました。その仕事とは、タイタニック号での勤務だったそうです。


■イギリスのヒューズ夫人が14歳の頃、ちょうどタイタニック号が沈んだ夜に大きな船が沈む夢を見ました。うなされて目覚めた彼女は、祖母にその話をしたあとでまた眠りました。後日、彼女の叔父、つまり祖母の息子であるL・ホジキンソン4等機関士がタイタニックの事故によって亡くなったという連絡が入りました。


■カナダのC・モーガン牧師は、4月14日の午後、夜の礼拝の前に居眠りをした時に、大きな水音、人々の叫び声、古い賛美歌などを夢の中で聴いたそうです。
 夢に強い印象を受けた牧師は、その夜の礼拝の終わりに夢の話をし、夢の中で聴いた古い賛美歌を信者たちとともに歌いました。タイタニックが遭難したのはちょうどその頃のことです。
 衝突のあと、逃げ遅れた人の心を鎮めるためにオーケストラが賛美歌を演奏、沈む直前まで船に残った人々がそれに合わせて歌っている声が聞こえていたという話が残っています。


■1935年4月、イギリスからカナダに向かう貨物船で、船員のW・リーブスは当直の見張りに立ちました。海は穏やかでしたが、かつてのタイタニック号の事故がその夜と同じ4月14日に起きたことを思い出たリーブスは、恐ろしさのあまり、思わず危険信号を発してしまいました。気がつくと、周囲にはそれまでには見えなかった巨大な氷山がいくつもあり、船は全速後退で急停止して危うく難を逃れました。船はそれからの9日間、救助が来るまで流氷に閉じ込められていました。
 ちなみに4月14日はリーブスの誕生日で、その夜彼が乗っていた船の名は「タイタニアン号」だったそうです。


■今日は音楽の話がほとんどないので、むりやりひとつ。
 タイタニック号には、たったひとりだけ日本人が乗っていました。当時の鉄道院副参事・細野正文氏で、氏は無事救助されています。姓でおわかりでしょうか、細野氏は、日本ポピュラー音楽界でも屈指のベーシストである細野晴臣氏(はっぴいえんど、イエロー・マジック・オーケストラ etc)の祖父にあたる方なんですね。


      
     タイタニック号へ乗船する人々


 ぼくには、これらの話がどこまで検証されているのかは分かりません。広く伝わっている話ばかりですが、もしかすると後づけの話もあるかもしれません。
 でも、不思議な話はぼくの好きなところなので、今日はそんな話をいくつか集めてみました。


 なお、タイタニック号遭難関連の映画は、1997年のレオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット主演のもので13本にもなるということです。1本目はアメリカ映画で、タイトルは「Saved From The Titanic」。なんと遭難事故からわずか1ヶ月後に公開されているそうです。


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コメント (8)
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