ジャニス・ジョプリンは、空前絶後の、ブルースロックの歌姫である (美津島明)
私が、ジャニス・ジョプリンの名を知ったのは、確か高校一年生のときである。彼女が二七歳の若さでこの世からおさらばしたのが一九七〇年のことだから、その死から約四年経ってその名を知ったことになる。そのころ組んでいた″土一揆″という名のバンドが、文化祭で演奏することになり、レパートリーのひとつとして「ムーヴ・オーバー」という楽曲を取り上げることになり、それを歌っているのがジャニス・ジョプリンという女性シンガーである、とバンドのリード・ボーカルのSから教えてもらって、はじめてその名を知ったのだ(ほかに取り上げたのは、高一のガキらしく、ディープ・パープルの『ハイウェイ・スター』とか、そんな感じだった)。Sの家で、その楽曲を何度も聴かせてもらったのだが、自分が受け持つドラム・パートにばかり注意が向いていたせいか、ジャニスのボーカルの印象はほとんど残らなかった。だから、その後、彼女のアルバムを丁寧に聴くこともなかった。彼女のボーカルのすごさを理解するには、当時の私はあまりにも幼かった、ということなのだと思う。どうでもよいことなのかもしれないが、当時Sは、彼女のことを「ショップリン」「ショップリン」と呼んでいたような気がする。だから私は、つい最近まで、彼女の名を「ジャニス・ショップリン」だと思いこんでいた。なにせSは、私より英語ができたので、彼の発音に疑いを持つなんて思いもよらなかったのだ。当時人々が彼女をなんと呼んでいたのか、よくは分からない。
そんなわけで、私とジャニスとは、幸運とは言い難い出会い方をし、その後も、熱心なリスナーと呼べるほどの聴き方をしたことはなかった。そのことは、正直に申し上げておかねばならない。
そんな私にとって、先日の七月二五日(土)にMUSIC AIRの特集番組で観たジャニス・ジョップリンは、衝撃的なものだった。彼女の、魂の奥底からふりしぼるような渾身の歌声にすっかり圧倒されてしまったのである。四〇年の歳月を経て、私の心はやっと彼女の歌声を腹の底から受け入れることができるようになったらしいのだ。歯がぐらぐらしてきたり、全力疾走ができなくなったりはするが、年を取るというのも、まんざら悪いことではないようだ。
たしか番組のはじめのほうで、「サマー・タイム」が放映されたような気がする。印象的なイントロに続き、ジャニスの歌声が聴こえはじめるやいなや、大げさではなく、私は一瞬身体が金縛りに遭うのを感じた。そのむき出しの歌心に身体がぞっとしてちぢこまってしまったようなのだ。〈ジャニスは、こういう歌い手だったのか〉と、私ははじめて気づいたのだった。ビリー・ホリデーのレパートリーとして有名な当曲をジャニスがどう歌っているのか、とっくりとお聞き願いたい。紹介記事によれば、一九六九年のパーフォーマンスのようである。
Janis Joplin - Summertime (Live -1969)
みなさんは、この歌声をどのようにお聴きになられるのだろうか。もともとやわらかくて傷つきやすい、彼女の心が受けた無数の傷の所在を、私は感じる。彼女の心はすすり泣いているのである。学生時代、他人と打ち解けて馬鹿話をすることが苦手で周りから浮いた存在になりがちだったようだし、容貌のことでいろいろと言われたりもしたようだし、尖鋭なポップスのハードな最前線で女性シンガーのパイオニアとして新しい道を切り開くうえでいろいろと無理を重ねたりもしたし、といろいろあったのだろう。世間の無理解やいわれなき誹謗中傷は、いつも彼女の周りに渦を巻くようにして存在していたはずである。もともとはごくふつうの家族思いで繊細な神経の持ち主でもあった人間が、そういう境遇によって深く傷つかないはずがない。こちらが、そういうことを身にしみて分かるほどに年齢を重ねた、ということがあるのだろう。
次にご紹介したいのは、番組中でも放映された「ボール・アンド・チェイン」の動画である。この動画には、次のようなドラマティックな背景がある。
一九六七年六月十六日から十八日にかけて、カリフォルニア州サンフランシスコ市の南に位置するモンタレーで、モンタレー・ポップ・フェスティバルが開かれた。その後のウッド・ストック(六九年)、ワイト島(七〇年)など大規模ロック・フェスの先がけとなったという意味でも、当野外フェスは、歴史に残る伝説的なものであった。出演者を列挙すると、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、ザ・バーズ、バッファロー・スプリングフィールド、ママス&パパス、ザ・フー、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス、エリック・バードン&ジ・アニマルズ、サイモンとガーファンクル、ローラ・ニーロなどである。
この、きら星のごときそうそうたる参加メンバーのなかで、当時のジャニス・ジョプリンは、サンフランシスコのバンド、ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー の無名のヴォーカリストとして当フェスに参加し、動画にあるような驚異的な歌いぶりを披露した。ママス&パパスのキャス・エリオットが観客席で、神がかり的な熱唱を披露するジャニスに口を開けたまま見入っている約20秒間のシーンが、とても印象的である。この、観客の目に焼き付く鮮烈なパーフォーマンスをきっかけに、ジャニスは、スターダムに一気にのし上がっていくのだった。ちなみに「ball and chain」とは、ひと昔前の映画やアニメなどで囚人が装着されている、鎖に金属球をつけた足かせのことで、そこから、束縛するもの一般を意味するようになったらしい。ジャニスが足をジタバタさせているのは、その意味で理にかなったおのずからの振り付けと言えるだろう。彼女が出だしのところで発声しはじめたときの、低い色艶のある声に接すると、痺れるような感覚が湧いてくる。当楽曲は、黒人女性歌手ビッグ・ママ・ソントンのカヴァーである。
Janis Joplin - Ball & Chain - Monterey Pop
観客のすさまじい反応に興奮し、スキップして舞台裏に戻っていくジャニスの後ろ姿が初々しい。
次に紹介するのは、「maybe」。番組では放映されなかった楽曲である。ジャニス特有の激しい情念を前面に打ち出した歌唱法ではなくて、それを内に秘めつつも、ほろ苦いブルーズの味わいが強く感じられる作品である。彼女の激しさが苦手、という方も、この曲なら許容できるのではないかと思ったのもあるし、彼女の歌心を素直に受けとめることができるナンバーではないかと思ったこともあって、取り上げてみた。いかがだろうか。ハートに沁みわたる歌声ではないだろうか。
Janis Joplin - Maybe
ちょっと上手に歌えるくらいの人気女性歌手に、「歌姫」という称号を気前よく与える流儀が流行って久しいような気がする。江戸時代の人形浄瑠璃『義経千本桜』に「梅ヶ枝うたふ歌姫の」とあるそうだから、その用法には二五〇年以上の歴史がある言葉ということになる。そういう言葉をむざむざと手垢にまみれさすようなまねをするのはしのびない気がする。一時代を画するような大きな存在にこそ、この称号を与えたい。日本であれば、戦後なら、美空ひばりとちあきなおみのふたりだけにふさわしい。ジャニス・ジョップリンは、あえてジャンル分けをすれば、ブルース・ロックの女性シンガーである。その継承者はだれかと考えてみると、ほとんどの人はだれも思いつかないのではなかろうか。その意味で、ジャニス・ジョプリンは、空前絶後のブルースロックの歌姫なのである。欧米系で流通している言葉に置きかえるのなら、〈ジャニスは、ブルースロックにおける空前絶後のディーヴァである〉となるだろう。
私が、ジャニス・ジョプリンの名を知ったのは、確か高校一年生のときである。彼女が二七歳の若さでこの世からおさらばしたのが一九七〇年のことだから、その死から約四年経ってその名を知ったことになる。そのころ組んでいた″土一揆″という名のバンドが、文化祭で演奏することになり、レパートリーのひとつとして「ムーヴ・オーバー」という楽曲を取り上げることになり、それを歌っているのがジャニス・ジョプリンという女性シンガーである、とバンドのリード・ボーカルのSから教えてもらって、はじめてその名を知ったのだ(ほかに取り上げたのは、高一のガキらしく、ディープ・パープルの『ハイウェイ・スター』とか、そんな感じだった)。Sの家で、その楽曲を何度も聴かせてもらったのだが、自分が受け持つドラム・パートにばかり注意が向いていたせいか、ジャニスのボーカルの印象はほとんど残らなかった。だから、その後、彼女のアルバムを丁寧に聴くこともなかった。彼女のボーカルのすごさを理解するには、当時の私はあまりにも幼かった、ということなのだと思う。どうでもよいことなのかもしれないが、当時Sは、彼女のことを「ショップリン」「ショップリン」と呼んでいたような気がする。だから私は、つい最近まで、彼女の名を「ジャニス・ショップリン」だと思いこんでいた。なにせSは、私より英語ができたので、彼の発音に疑いを持つなんて思いもよらなかったのだ。当時人々が彼女をなんと呼んでいたのか、よくは分からない。
そんなわけで、私とジャニスとは、幸運とは言い難い出会い方をし、その後も、熱心なリスナーと呼べるほどの聴き方をしたことはなかった。そのことは、正直に申し上げておかねばならない。
そんな私にとって、先日の七月二五日(土)にMUSIC AIRの特集番組で観たジャニス・ジョップリンは、衝撃的なものだった。彼女の、魂の奥底からふりしぼるような渾身の歌声にすっかり圧倒されてしまったのである。四〇年の歳月を経て、私の心はやっと彼女の歌声を腹の底から受け入れることができるようになったらしいのだ。歯がぐらぐらしてきたり、全力疾走ができなくなったりはするが、年を取るというのも、まんざら悪いことではないようだ。
たしか番組のはじめのほうで、「サマー・タイム」が放映されたような気がする。印象的なイントロに続き、ジャニスの歌声が聴こえはじめるやいなや、大げさではなく、私は一瞬身体が金縛りに遭うのを感じた。そのむき出しの歌心に身体がぞっとしてちぢこまってしまったようなのだ。〈ジャニスは、こういう歌い手だったのか〉と、私ははじめて気づいたのだった。ビリー・ホリデーのレパートリーとして有名な当曲をジャニスがどう歌っているのか、とっくりとお聞き願いたい。紹介記事によれば、一九六九年のパーフォーマンスのようである。
Janis Joplin - Summertime (Live -1969)
みなさんは、この歌声をどのようにお聴きになられるのだろうか。もともとやわらかくて傷つきやすい、彼女の心が受けた無数の傷の所在を、私は感じる。彼女の心はすすり泣いているのである。学生時代、他人と打ち解けて馬鹿話をすることが苦手で周りから浮いた存在になりがちだったようだし、容貌のことでいろいろと言われたりもしたようだし、尖鋭なポップスのハードな最前線で女性シンガーのパイオニアとして新しい道を切り開くうえでいろいろと無理を重ねたりもしたし、といろいろあったのだろう。世間の無理解やいわれなき誹謗中傷は、いつも彼女の周りに渦を巻くようにして存在していたはずである。もともとはごくふつうの家族思いで繊細な神経の持ち主でもあった人間が、そういう境遇によって深く傷つかないはずがない。こちらが、そういうことを身にしみて分かるほどに年齢を重ねた、ということがあるのだろう。
次にご紹介したいのは、番組中でも放映された「ボール・アンド・チェイン」の動画である。この動画には、次のようなドラマティックな背景がある。
一九六七年六月十六日から十八日にかけて、カリフォルニア州サンフランシスコ市の南に位置するモンタレーで、モンタレー・ポップ・フェスティバルが開かれた。その後のウッド・ストック(六九年)、ワイト島(七〇年)など大規模ロック・フェスの先がけとなったという意味でも、当野外フェスは、歴史に残る伝説的なものであった。出演者を列挙すると、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、ザ・バーズ、バッファロー・スプリングフィールド、ママス&パパス、ザ・フー、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス、エリック・バードン&ジ・アニマルズ、サイモンとガーファンクル、ローラ・ニーロなどである。
この、きら星のごときそうそうたる参加メンバーのなかで、当時のジャニス・ジョプリンは、サンフランシスコのバンド、ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー の無名のヴォーカリストとして当フェスに参加し、動画にあるような驚異的な歌いぶりを披露した。ママス&パパスのキャス・エリオットが観客席で、神がかり的な熱唱を披露するジャニスに口を開けたまま見入っている約20秒間のシーンが、とても印象的である。この、観客の目に焼き付く鮮烈なパーフォーマンスをきっかけに、ジャニスは、スターダムに一気にのし上がっていくのだった。ちなみに「ball and chain」とは、ひと昔前の映画やアニメなどで囚人が装着されている、鎖に金属球をつけた足かせのことで、そこから、束縛するもの一般を意味するようになったらしい。ジャニスが足をジタバタさせているのは、その意味で理にかなったおのずからの振り付けと言えるだろう。彼女が出だしのところで発声しはじめたときの、低い色艶のある声に接すると、痺れるような感覚が湧いてくる。当楽曲は、黒人女性歌手ビッグ・ママ・ソントンのカヴァーである。
Janis Joplin - Ball & Chain - Monterey Pop
観客のすさまじい反応に興奮し、スキップして舞台裏に戻っていくジャニスの後ろ姿が初々しい。
次に紹介するのは、「maybe」。番組では放映されなかった楽曲である。ジャニス特有の激しい情念を前面に打ち出した歌唱法ではなくて、それを内に秘めつつも、ほろ苦いブルーズの味わいが強く感じられる作品である。彼女の激しさが苦手、という方も、この曲なら許容できるのではないかと思ったのもあるし、彼女の歌心を素直に受けとめることができるナンバーではないかと思ったこともあって、取り上げてみた。いかがだろうか。ハートに沁みわたる歌声ではないだろうか。
Janis Joplin - Maybe
ちょっと上手に歌えるくらいの人気女性歌手に、「歌姫」という称号を気前よく与える流儀が流行って久しいような気がする。江戸時代の人形浄瑠璃『義経千本桜』に「梅ヶ枝うたふ歌姫の」とあるそうだから、その用法には二五〇年以上の歴史がある言葉ということになる。そういう言葉をむざむざと手垢にまみれさすようなまねをするのはしのびない気がする。一時代を画するような大きな存在にこそ、この称号を与えたい。日本であれば、戦後なら、美空ひばりとちあきなおみのふたりだけにふさわしい。ジャニス・ジョップリンは、あえてジャンル分けをすれば、ブルース・ロックの女性シンガーである。その継承者はだれかと考えてみると、ほとんどの人はだれも思いつかないのではなかろうか。その意味で、ジャニス・ジョプリンは、空前絶後のブルースロックの歌姫なのである。欧米系で流通している言葉に置きかえるのなら、〈ジャニスは、ブルースロックにおける空前絶後のディーヴァである〉となるだろう。