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modus(様態、様相)とはどいう「在り方」か

2016年04月08日 | 「関口ドイツ文法」のサポート
modus(様態、様相)とはどいう「在り方」か

 私は『関口ドイツ文法』(未知谷)の902頁に「『話法』」という訳」という題で次の文を書きました(角括弧の中は今回補充したものです)。

──「話法」という言葉はドイツ語のModal-, Modalitätの訳です。問題はこのドイツ語の意味です。これはラテン語のmodusから来ています。羅英辞典を引きますと、これはmeasure(尺度)が一番に出てきますが、こことの関係ではmanner, mode, way, methodといった意味だと思います。つまり、「在り方」「様式」ということです。従って、語自体としては「主観のあり方」という意味はないと思います。

 カントはその12個のカテゴリーの中に〔量、質、関係と並んで〕Modalität(様相)という種類を挙げ、具体的には可能性、現実性、必然性の3つを取り上げました。たしかにカントのカテゴリーは主観の形式であり、主観が現象を捉えなおす|時の枠組みですから、「主観のあり方」と称することもできますが、ドイツ文法の「話法」とは大分違うと思います。

 ここで認識論の根本を繰り返すつもりはありませんが、普通の考え方では、やはり、ドイツ文法の話法は主観のあり方ですが、可能性とか現実性とか必然性は客観のあり方になると思います(ヘーゲルの論理学: ではこれらは客観的論理学の中に入っています)。しかし、それはやはり「あり方」ではありますからmodusに由来する言葉で捉えて好いのだと思います。──

 この文は本当にお粗末でした。何が問題なのかがはっきりしていません。modusを主観のものと取るか客観のものと取るかはたしかに大切な問題ですが、私に本当に分かっていなかったのは「様相」とか「様態」と言われるもの(ないし事態)は「在り方」の1種であることは間違いないのですが、どういう「在り方」が特にmodusに由来する語で表現されるのか、ということだったのです。

 最近、少しフランス語を勉強しようと思い、フランス語版ウィキペディアで「レーニン」の項を少しずつ読んでいます。そうしたら、Lénine annonce que le nouveau régime sera fondé sur le principe de “contrôle ouvrier”: les modalités de celui-ci sont fixées par décret fin novembre(レーニンは、「新体制は”労働者による統制”という原則に基づいて作らなければならない」と告げた。そして、この「統制」の具体的な在り方は11月末の政令で定められた)という文とUn ensemble de décrets sont pris dans les mois qui suivent pour modifier la société russe(政令の全体はそれに続く数ヶ月の間に決められた。それがロシア社会の在り方を決めることになる)という文に出合いました。「そうか、彼らはmodusに由来する語をこういう風に使うのか」とひらめきました。

 「在り方」というのは何かの「在り方」ですが、その在り方と言っても根本的な在り方から末端的な在り方まであるわけです。思うに、「様態」で表現される「在り方」はそのどちらでもない「中間的な事柄の在り方」だと分かったのです。

 哲学史上で「様態」を使った人で有名なのはスピノザです。スピノザの「様態」は「無限者である神の属性〔思考と延長〕の変状」とされています。つまり「属性」レベルの事ではないのです。その次のレベルでの「在り方」なのです。

 先の文にも出ていましたカントの「様相」(Modalität)も直観や概念といった認識能力の最高位のレベルの事柄ではなく、概念(カテゴリー)を分類する観点の1つです。

 ドイツ文法の「話法の助動詞(Modalverb)」も動詞を分類する直接法や接続法や命令法といった中心的なものとは少し違った観点での「在り方」です。

 最後に、Modalverbを「話法の助動詞」と訳して好い理由を説明します。それは『関口ドイツ文法』の605頁に書きました「2度目には一般化して言う」という法則がここでも働いているからです。
たしかに一般的にmodal-と言ったのでしたら「法」(やり方)という意味でしょう。しかし、文法を論じているのですから、modal-と言えば、断るまでもなく、Sprache(言語表現)のmodal-(様相)に決まっている訳です。それが動詞論ですから「話法」となっただけの話です。

 ついでに。仏語版ウィキペディアのレーニンの項ですが、これが内容的にも革命前のロシア社会民主党内での論争などが詳しくて、びっくりしています。多分、相当の研究者が書いたのでしょう。まだ読み終わっていません。そもそも頁数が90頁あります。ドイツ語版のレーニンは60頁です。英語版のそれは30頁です。
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