マキペディア(発行人・牧野紀之)

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浜松の竹内康人さん、『調査・朝鮮人強制労働』(社会評論社)

2016年06月17日 | タ行

 植民地だった朝鮮半島から戦時下の日本の炭鉱などで働かされた朝鮮人の実情について、静岡県近代史研究会の竹内康人さん(59)の約30年にわたる調査・研究をまとめた本が出版されている。竹内さんは「過去を隠すのではなく明らかにすることで信頼が生まれ、人が大切にされる社会につながる」と話す。

 日中戦争や太平洋戦争の拡大で日本国内の労働力が不足すると、朝鮮人は日本の炭鉱や土木工事現場などの労働者として使われた。竹内さんが「朝鮮人の強制労働」というテーマで研究を始めたのは1986年ごろからだ。地域史から植民地支配や戦争に迫ろうと考えた。

 竹内さんの母方の祖父はフィリピン・ミンダナオ島で戦死し、父親は学徒動員で北海道・旭川の陸軍部隊に送られていた。

 「少し時間がずれれば、わたしは生まれなかったかもしれない。戦争は未来を奪う。戦争のない社会を作るには一人ひとりの命を大切にすることが大切だと思う。そのために一つひとつの命の歴史を残したいと思った」と動機を話す。

 調査は仕事が休みの日を使った。当時は菊川町(現菊川市)に住んでいたため、隣接する掛川市の旧中島飛行機地下工場跡から調べ始めた。地下工場としては県内最大級で朝鮮人が動員されたことは地域でも知られていたという。

 朝鮮人動員の全体像をつかもうと、全国各地の現場を訪ねた。当時の内務省や旧厚生省の資料のほか、各地の国書館で工事記録や証言資料、博物館や文書館では企業文書や名簿などにもあたった。

 現地での聞き取りや裁判支援、証言集会などで知り合った生存者から話も聞いた。北海道の炭鉱や掛川で働かされた男性は「炭鉱の落盤事故で頭に指が入るほどの穴が残り、今は両足が動かない。こんなことがあっていいのか」と訴えられた。「勉強ができる」などと誘われて14歳で富山の機械メーカーに来た女性は「集合に遅れると殴られた」「せっけんや歯ブラシを買うとなくなるほどの小遣い銭のみで、賃金はなかった」と聞かされた。

 今までに話を聞いた生存者は約60人、遺族らは約30人。日本への動員後に消息不明になった男性の足跡を、一枚の写真を手がかりに仲間とたどったこともあったという。

 竹内さんはこれまでの研究内容を『調査・朝鮮人強制労働』(社会評論社)にまとめた。「炭鉱」「財閥・鉱山」「発電工事・軍事基地」「軍需工場・港湾」の4巻の計約1400頁に及ぶ。県内関係は伊豆や天竜(浜松市)の鉱山、富士川や大井川の発電工事、沼津や清水の軍需工場など4分の1を占める。

 編集者の新孝一さん(57)は「1人の研究者が文献だけではなく各地の現場に足を運んで調べ、全体像を明らかにしている。このような本は他にはないのではないか」と話す。

 竹内さんは動員されて死亡した朝鮮人約1万人の名簿をまとめた『戦時朝鮮人強制労働調査資料集・増補改訂版』(神戸学生青年センター出版部)も出した。

 この資料集の名簿には1万人分の名前や出身地、行き先、死亡日、死因が記されている。死因の欄には「労災」「頭蓋骨折」「空爆死」などが並ぶ。竹内さんが日本各地や韓国などを訪ねて、埋・火葬資料や企業名簿、旧厚生省の調査名簿などを閲覧や複写して調べた。名簿から遺骨の身元が判明し、遺族に返還できたケースもあったという。

 朝鮮人労働者は「募集」「官斡旋「徴用」といった形態で日本に動員された。竹内さんは「当時の朝鮮人が植民地支配によって日本人化され、日本の戦争のために労務や軍務に動員されていくのに強制なしではできなかった」と指摘する。本では「強制労働」を、戦時下の朝鮮人への甘言や暴力による強制的な動員・連行による労働として定義した。

 竹内さんは「動員された側の悲しみや痛みに思いをはせることが大事だと考える。これらの本を通じて、消されたままの名前や歴史を復元して歴史を民衆のものにしたい。歴史的責任を明らかにして、過去の清算による平和構築を目指したい」と話す。

 問い合わせは竹内さんヘ
ファクス(053・422・4810)で。(張春穎)

(朝日、2016年05月12日)
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