1、大学などの教師の職務名ですが、言葉としては読んで字のごとく「(技芸を)教え授ける」という意味でしょう。
2、しかし、この語は明治になってそういう仕事が出来た時、英語の professorの訳語として出来たようです。誰がいつそういう訳語を作ったのかは知りません。
と言うより、中国の古典の中にある言葉を訳語として当てたようです。
3、ではこの訳語は正しいでしょうか。正しくないと思います。欧米語の professorという言葉はラテン語の profiteorや proferoという動詞に由来します。
これらはいずれも「公に知らせる」という意味でする。分析すれば、 pro(前に) fateor (告白する)、あるいは fero (運ぶ)ということです。
つまり、自分の信念なり主義主張なりを「公衆の前に告白し運ぶ人」という意味です。それについて聴衆は賛成しようが反対しようが自由です。静かに聞く義務はありますが、「真理としてありがたくおしいただく」義務はありません。
逆に、 professorは「自分の主義主張を前に持ち出せ」ばそれでよいのです。
4、これを「教授」と訳したために、教授の「教える姿勢」についても、学生の「学ぶ姿勢」についても、又教師と学生の本当の関係についても正しい理解が妨げられたように思われます。
参照文献
牧野紀之著『先生を選べ』(鶏鳴出版)