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ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

an und fuer sich

2014年05月13日 | ア行
英; 仏en et pour soi

 das Ansichはan sichを名詞化して出来た言葉。

 ドイツ語では an sichという言葉は普通に使われている。「~自体」「~自身」という意味で、「~をそれだけとして見れば」ということである。例えば Die Idee an sich ist nicht schlecht, nur lässt sie sich kaum realisieren.(その考え自体は悪くないが実現の可能性がほとんどない」という風に使われる。従って、カントがDing an sich(物自体)という言葉を作ったのは言葉としては特別な事ではなかった。

 しかしこの意味では für sichも、また an und für sich も使われうる。つまりこの3つには違いがないのである。

 ヘーゲルはしかしこの3者を区別した。an sichだけをその本来の意味を強めて使い、für sich は「~自体」ということではなく、「自己に対面している」という意味に特化した。そこから、「自己だけに対面している」=独立している、孤立している、という意味が出てくる。又、自己に対面していることは意識の特徴だから「自覚している」という意味も出てくるし、「顕在している」という意味も出てくる。

 an sich はそれとの対で「自体的」「本来的」「潜在的」といった意味になる。

 an und für sichは元々「絶対的」という意味も持っているが、「顕在化したものが本来の姿になっている」という意味で「絶対的」という意味にもなる。

 一般にはヘーゲルの翻訳では、an sichは「即自的」「自体的」、für sich は「対自的」「向自的」、an und für sichは「即かつ向自的」などと訳されることが多いが感心しない。その場の一番近い意味を出して訳した方がいいと思う。

 なお、「精神現象学」でも「論理学」でもヘーゲルは an sichと区別してan einemという表現を使っている。an sich がむしろ「潜在的」を意味するのに対して、an einem は「表面に出て身につけている」状態を意味する。etwas an einem habenという言い回しを金子武蔵氏は「自分で具えている」と訳しているが、私はたいていの所で「身につけて持っている」と訳した。寺沢恒信氏もこの違いに気づいていてその訳書『大論理学』1の388頁以下で詳しく論じている。その結論は、後者の場合は「それ自身のもとに」という直訳の下に「〔顕在的に〕と入れる」というものでした。これも間違いではないと思います。

 01、Im Herrn ist ihm das Fürsichsein ein anderes oder nur für es; in der Furcht ist das Fürsichsein an ihm selbst; in dem Bilden wird das Fürsichsein als sein eignes füs es, und es kommt zum Bewusstsein, dass es selbst an und für sich ist. (Pänom. S.149)

 金子訳・自分だけでの存在は主においてあるときには奉仕する意識にとってひとつの他者であり、言いかえると、自分に対してあるものにすぎないし、また畏怖においては自分だけでの存在は己れ自身に即してあるにすぎないのに、造形においては自分だけでの存在は自分自身のものとして自分に対してあるようになり、かくしてこの奉仕する意識自身が即自且つ対自的にあることを自覚するに至るのである。

 牧野訳・〔今までのことをまとめると〕召使の意識が主人の中に自覚的独立存在を見た時、それは他なるものであった。あるいは自覚的独立存在はただ召使の意識の向う側にあっただけである。恐怖を感じた時、自覚的独立存在は〔召使の向う側からこちら側に移ってきて〕召使の意識自身と一体となっていた〔が、まだ対象的に自覚されていなかった〕。形成することによって〔はじめて〕、自覚的独立存在であるということは召使の意識自身のものとなり召使の意識の対象となり、召使の意識自身が絶対的なものだと自覚されるにいたるのである。

 2-1、Das Sein ist das unbestimmte Unmittelbare; es ist frei von der ersten Bestimmtheit gegen das Wesen und von der zweiten innerhalb seiner. Dieses reflexionslose Sein ist das Sein, wie es unmittelbar an und für sich ist. (Große Logik, S. 47)

 寺沢訳・存在は無規定な直接的なものである。それは本質に対する第一の規定態をも・それ自身の内部での第二の規定態をもまぬかれている。この反省の欠如している存在が、直接にそれ自身で独立してあるがままの存在である。

 牧野訳・〔始原を為す〕存在は〔存在なのだから〕直接的なものであるのはもちろんだが、規定を持たない直接者である。そこには〔第二段階の〕本質との対比で表面化する規定もなければ、自己自身の内部での規定もない。この反省無き〔外への反省も内への反省も無い〕存在が完全に無媒介に所与として在る存在である。

 感想・これは「大論理学」の本文の冒頭の句です。最後のan und für sichはschlechthinと同じではなかろうか。再版ではan ihm selberと替えられています。つまり、何の根拠もなくただ「そういう事がその存在の表に出ている」という事でしょう。

2-2、Das Sein ist das unbestimmte Unmittelbare; es ist frei von der Bestimmtheit gegen das Wesen sowie noch von jeder, die es innerhalb seiner selbst. Dieses reflexionslose Sein ist das Sein, wie es unmittelbar nur an ihm selber ist. (Suhr. Bd.5, S. 82)

 山口訳・存在は無規定な直接的なものである。それは本質に対する規定性から自由である。それ自身の内部でそれが持ちうるどの規定からもまだ自由であるのと同様にである。この反省を欠く存在は、直接にただそれ自身のもとにのみある存在である。

 牧野訳・〔ここで謂う所の純粋〕存在は〔存在なのだから〕直接的なものであるのはもちろんだが、規定を持たない直接者である。つまり、それは本質との対比で規定を持たないのみならず、自己自身の中にもいまだに規定を持っていない。〔更に言い換えるならば〕この反省無き〔外への反省も内への反省も無い〕存在が自己の表面に出てきただけの存在である。

 2-3、寺沢の解説・B版ではここ〔2-1の下線部〕は「直接にただそれ自身のもとに(an ihm selber)あるがままの存在」というように改められている。A版には"an und für sich"というという表現をB版よりも気軽に使う一般的傾向がある。ここもその一例で「それ自身で独立して」という位の軽い意味だと考えて、そう訳した。だが1831年のヘーゲルにとっては、この表現はもっと重々しい意味をもつものになっていたので、ここのような場合にこの表現を用いることをふさわしくないと考えて、訂正したのであろう。小さな表現上の改変であるが、ヘーゲル哲学の重要な術語の用法に関することであるから、注目しておきたい。(寺沢1、385頁)

 2-4. 牧野の感想・①私は初版と再版の詳しい対比的検討をしたことがありませんので、「A版には"an und für sich"というという表現をB版よりも気軽に使う一般的傾向がある」という寺沢の指摘は、感謝してそのまま受け入れます。

②初版のここのan und für sichが再版でan ihm selberと変更されていて、内容は同じだと思うならば、再版のように訳すべきではないでしょうか。それと断った上で。

 ③ヘーゲルがan sichの代わりにan ihmを使うことはかなり知られていますが、完全に同じ意味かと言うと、そうではないと思います。私見は訳に出しておいた通りです。この一番肝心な点で寺沢も山口も理解が不正確だと思います。

03、寺沢の注解・an sich, für sich, an und für sichはヘーゲルの独自の用語で、大変にやっかいなことばである。きわめて形式的にとらえれば、弁証法的発展の三つの段階をそれぞれ指示しているといえる。すなわち、「アン・ジッヒ」は発展の第一段階としての未分化の統一を、「フュール・ジッヒ」は発展の第二段階としての区別・分離・または否定を、「アン・ウント・フュール・ジッヒ」は発展の第三段階としての、分離を克服した統一・区別によって媒介された同一・否定の否定を意味する。しかし、以上に述べたことは、ただ形式的にこれらの用語の基本的な意味を述べたにすぎず、実際にこれらの用語がヘーゲルによって使われている場合には、それぞれのコンテキストの中でさまざまのニュアンスを含ませて使われているので、そのことを無視して、これらの用語をただ「即自的」、「向自的」、「即かつ向自的」などと訳したのでは、ただ横文字を縦文字に置きかえただけのことで、翻訳したことにはならない。本訳書では、それぞれの場合についてそこで使われている意味をできる限り表現するような訳語をあて、その原語が「アン・ジッヒ」等々であることを示すためにルビをふるという方針をとった。だが、なにぶんにも多様なニュアンスを含んでいる場合が多いので、苦労したわりにうまくいっていないことをおそれている。──

 以上は本訳書でこれらの用語を訳すにあたってとった方針であるがしかしどうにも仕方のない場合もある。ここなどがその一例であって、"An-sich"と名詞化して大文字で書いてあり、「即自」と訳す以外に手がない。ここで「客観的な即自」といっているのは、「主観(思考)と無関係に、それだけで独立して、何ものにも影響されないで、しかも運動・変化・発展することなしに、客観的に存在しているもの」というほどの意味である。(寺沢1、381頁)

 04、、寺沢の注解・ヘーゲルは、an sichとan ihm(男性または中性名詞をうける場合。女性名詞や複数名詞をうける場合にはan ihrやan ihnen。さらにselbstをつけてan ihm selbstなど)を使いわけている。しかしその区別についてのはっきりした説明をどこにも述べていないので、使用例からその意味のちがいを考えるほかない。これらのことばの使い方はA版でもB版でもことなっていないと思われるので、その区別がもっともわかりにくいと思われる箇所・すなわちB版132頁にでてくる・一つの文のなかに両者が用いられている使用例について考察することによって、両者の意味のちがいを明らかにしたい。

 B版132頁は「規定」というカテゴリーについて述べているところであるが、そこにつぎの表現がある。"... sondern die 〔Identität〕, durch welche das Etwas, was es an sich ist, auch an ihm ist;" "Die Bestimmung enthält dies, dass was etwas an sich ist, auch an ihm sei."どちらも大変わかりにくく、従ってまた訳しにくい表現であるが、問題のことばをそのままにしてかりに訳をつけてみるならば、「……そうではなくて、或るものが、よってもってその或るものがan sichにあるところのものでan ihmにもまたあるゆえんの同一性」、「規定は、或るものがan sichにあるところのものがan ihmにもまたあるべきだ、ということを含んでいる」と訳せよう。

 まずan sichは、副詞的に使われる場合には「本来的に」とか「それ自体で」と訳すことができ、名詞に直接にくっつけてDing an sichというように使われる場合には「物自体」とか「物そのもの」と訳されるのが普通である。だが「本来的に」ということは、前後関係によっては、「本来はそうなのだけれどもまだ実際にはそうなっていない」という意味をもち、こういう場合には「可能的に」とか「潜在的に」と訳すと意味がよくわかる。an ihmと区別して使われる場合のan sichには、この「可能的」ないしは「潜在的」というニュアンスがあると思う。いっそうわかりにくいのはan ihmのほうである。ところで前記の二番目の表現のすぐつぎに、B版はパラグラフを改めてつぎのように述べている。──

 「人間の規定は思考する理性である。思考一般は人間の単一な規定態であって、人間はこの規定態によって動物から区別される。思考が人間の向他存在から・すなわち人間がそれによって直接に他者と連関するゆえんの人間に固有の自然性や感性から区別されてもまたいる限りでは、人間は思考そのもの(Denken an sich)である。しかし思考はまたan ihmにもある。人間そのものが思考であり、人間は思考するものとして定在しており、思考は人間の現実存在(Existenz)ならびに現実性(Wirklichkeit)である。そしてさらに思考が人間の定在のうちにありかつ人間の定在が思考のうちにあることによって、思考は具体的であり・内容と充実をともなうものとしてとらえられるべきであり・思考は思考する理性である。このようにして思考は人間の規定である」(B版132-3頁)。

 これは人間を例にとって「規定」の説明をしている叙述であるが、同時にan sichとan ihmとのちがいの説明にもなっている。すなわち前半で「思考そのもの」といわれているのは、人間が動物から区別されるゆえんのものであり、したがってそれは「思考能力」のことだと解せられる。だが人間は、つねに思考能力をもつからといって、つねに思考能力を働かせているわけではない。その限りで「思考そのもの」は「可能的」であり「潜在的」である。──

 「思考はまたan ihmにもある」からあとの叙述では、「思考する人間」すなわち「思考能力を現に働かせている人間」のことがいわれている。人間が現実に思考している場合に、思考は「思考一般」ではなくて、内容と充実をともなった具体的思考になるのである。このことを考えると、「思考はan ihmにもある」とは、思考が単に可能性としての能力ではなく、人間が現実に思考することによって思考活動として顕在化していることをいうものと解せられる。

 an ihmをそのように解釈して、はじめにあげた二つの使用例にもどると、前者は「或るものが、よってもってその或るものが本来的にあるもので顕在的にもまたあるゆえんの同一性」と、後者は「規定は、或るものが本来的にあるところのものが顕在的にもまたあるべきだ、ということを含んでいる」と解釈することができて、意味が明瞭につかめると思う。わたしはヘーゲルのan sichとan ihmの区別をこのように理解するので、an ihm, an ihm selbstなどがこの意味に使われていると解釈される場合は、例えばここの場合のように、「それ自身のもとに」という直訳の下に〔顕在的に〕と入れることにした。(寺沢1、389-390頁)

  参考

 01、anの基本的な意味は「~の表面と接触して」ということである。(趣味S.91)

 02、名詞の後に付いて、例えば der Begriff an sichとなると、der Begriff als solcher と同じで、「概念そのもの」の意。つまり、「概念を厳密に考えると」という際に使う。(大講座中巻190頁)「それ自体においては」「やかましく言うと」(1956年06月04日)

 03、etwas an sich haben = ある事柄を性質として持つ。(初等463頁)


飯田市の住民自治と太陽光発電

2014年05月09日 | ア行
 太陽光パネルを付けると200万~300万円かかる。二の足を踏む住民のため費用ゼロで設置する会社が長野県飯田市にある。おひさま進歩エネルギーだ。住民が支払う料金は最大の4・4㌔ワットなら月2万1000円。10年目以降、設備は家主のもの。節電に努めて余った分を売電すれば月々の負担は減る。

 この会社の母体は、エネルギーの地産地消を進めるNPO法人だ。

 原亮弘(あきひろ)社長は「飯田は自主自立の気風が強い」と言う。

 「県庁所在地から遠く、いろんな施策が届かない。自分たちでやるしかない、という思いが市民にあります」

 飯田では「公民館をする」と言う。健康づくりであれ何であれ、公民館でのスポーツ活動、生涯学習などを通じて住民が地域課題の解決を図る

 市民が出資した基金をもとに公共施設や事業所に太陽光パネルを置く計画を市が立てた。環境省の補助金がつき、担い手として2004年12月に発足した会社が、おひさま進歩である。初年度は保育園など諸施設が手を挙げた。こうした「市民共同発電所」が市内に160ヵ所以上ある。

 半面、なかなか個人住宅には普及しない。打開策が冒頭で紹介した「おひさま0(ゼロ)円システム」だ。2009年の再生エネルギー固定価格買い取り制度導入を機に募集し、飯田市と周辺の105軒が利用している。プロジェクトを軌道に乗せるため、飯田信用金庫が融資に応じた。

 上沼俊彦・常勤理事融資部長は、市の支援と電力買い取り価格の高さに加え、使命感も理由に挙げる。「われわれが先頭切ってやらないと。地元金融機関ですから」。

 飯田市は4月から「地域環境権」を盛り込んだ条例を施行し、「再生可能エネルギーを利用し、利益を受ける権利は第一義的に住民にある」と保障した。資源の活用をめざす住民組織に1000万円を限度に貸し付けもする。

 この地方の日照時間は年2000時間と全国最長級だ。学校の屋根に太陽光パネルを設置して売電収入でバスを走らせ、地域のお年寄りの足にするといった構想もある。アルプスに挟まれ、水資源も豊か。市の調査によると、小水力の適地すべてで発電すれば理論値では全世帯の倍のざっと8万世帯分を賄える。

 飯田市は「地域エネルギー自治」を掲げる。竹前雅夫・地球温暖化対策課長は「これこそ地域振興の切り札とみています」。
  (朝日新聞、2013年06月06日。田中啓介)

      関連項目

飯田市と自然エネルギー       

NHKの職員の厚遇ぶり

2014年04月25日 | ア行
 お断り・NHKの職員の厚遇について、4月10日に掲載した記事より詳しい記事が出ましたので、重複をいとわずに、再度、引用します。

      記

 NHK職員の待遇は厚く、「放送界のキャリア官僚」とか「電波貴族」とも称される。給与水準のみならず各種手当や健康保険、取材現場での特権もある。彼らが安倍政権にすり寄るのは、この厚遇を守りたいからではないか。

 昨年4月、NHKは5年かけて職員の給与を10%削減することを決定した。

 この給与カットに先立って当時の松本正之会長は国会審議で「NHK職員の給与というのは、やはり受信料で成り立つ公共放送であるということで、社会一般の水準とか公務員給与の状況等も熟慮して決める、考えていくべきものだというふうに思っております」(12年3月22日、衆院総務委員会)と答弁した。

 だが、10%カットしたところで「社会一般の水準」とはかけ離れている。13年度予算から試算した職員の平均年収は約1177万円だ(給与支出総額を職員数で割った数字)。平均的な国家公務員の年収約600万円(一般的な事務職である行政職俸給表「一」職員の平均、13年度)を大幅に上回り、仮に10%削減されても民間サラリーマンの平均年収408万円(国税庁「民間給与実態統計調査」、12年)の2倍以上ある。

住宅手当は「月5万円」

 しかも10%削減は基本給や賞与について適用されるだけで各種手当はそのままだ。元NHK経理担当職員の立花孝志氏はこう語る。

 「NHK職員の厚遇を支えるのは各種手当です。たとえば扶養家族が3人いれば世帯給が月額3万7500円、子供2人が23歳未満ならさらに1万7500円が支給されます。住宅補助手当は首都圏で扶養家族がいれば月5万円、地方だと2万円になりますが単身赴任であれば毎月3万3000円の単身赴任手当があります。その他にも物価の高い都市部勤務の職員のための地域間調整手当、北海道の職員には寒冷地手当もあるし、海外赴任の職員には国内家族手当が毎月10万~15万円、現地に連れて行った子供一人につき教育手当7万円など挙げていけばきりがありません。残業代の割増率は30%、休日出勤は40%で一般企業よりも高い(法定は25%と35%)」

 また福利厚生としては各地に転勤者用住宅も用意されている。

 たとえば高級住宅地として知られる東京・広尾にあるのがNHK羽沢寮。都心の一等地に3階建ての社宅が3棟建ち並ぶ。立花氏によれば「3LDKの間取りで周辺の家賃相場からすれば月額30万円はするところですが、年齢などの条件次第では3万円程度で住むことができる」という(NHK広報局は個別の社宅の家賃については明らかにせず「家賃は居住面積によって異なり、月額1万~10万円程度」と回答)。こうした社宅は格安公務員住宅と同様に、民間相場との差額が職員にとっては「非課税のヤミ給与」となる。

 また健康保険の保険料率が低いことも見逃せない。NHK健康保険組合の保険料率は「1000分の53・5(5・35%)」であり、中小企業の従業員などが加入する協会けんぽの9・97%(東京都)はおろか、大手企業の従業員などが中心の健康保険組合の平均保険料率8・635%すら大きく下回る。年収は高く、負担は低くなっているわけだ。

 公的年金に上乗せされる企業年金も手厚く、決算資料によれば2009年まで予定利率(期待運用収益率)は年率4・5%という高い水準が維持されてきた。実際の運用で得られる利率は一般的に1・5~2%程度とされ、NHKのような確定給付型の企業年金では足りない分は企業が補填することになる。その原資ももちろん「みなさまの受信料」である。多くの日本企業が2000年代に入って予定利率を引き下げてきたが、NHKは問題を先送りして高水準の給付を維持してきた。

 そうしたツケがたまり08年度末には企業年金の積立不足が約3300億円にのぼった。10年度末に確定拠出年金への一部移行を決めた際に、NHKは2014年度末までに積立不足を半減させるとしたが、これまた「みなさまの受信料」である。NHKの支給基準によれば、管理職以外の職員が受け取ることのできる退職年金(上限)は月額約8万円。公的年金のほかにこれだけ積み増される。

 元NHK記者の柿沢未途・結いの党政調会長はこう語る。

 「NHKは高給批判について、いつも『民放と同じくらいの給料を出さないと優秀な人材が集まらない』と釈明しますが、民放は営業努力でスポンサーを集めて給料を払っている。NHKの収入源は国民から半強制的に取っている受信料であり、民放と同列に扱える話ではありません。体質としては役所と同じで、『予算を使い切らないと受信料の減額を求められる』という考えがあり、国民生活と乖離した存在となっている」

 ちなみに籾井会長の報酬は基準通りなら年間3092万円となる。

 ドキュメンタリー1本に数千万円の予算

 NHK職員は番組制作にも資金を使い放題だ。

 年間の番組制作費は約3091億円。民放キー局の制作費はフジテレビ約993億円、TBS約988億円程度だから3倍以上の潤沢さ(いずれも12年度の数字)。

 NHKの「平成25年度 収支予算と事業計画の説明資料」によると、番組1本当たりの制作費の目安として『NHKスペシャル』『ためしてガッテン』などの情報・ドキュメンタリーが60万~3790万円。『大河ドラマ』『BS時代劇』などのドラマが990万~5830万円とある。「ドキュメンタリー1本に数千万円の予算というのは民放とは比較にならない規模」とキー局幹部は溜息をつく。

 受信料収入に物を言わせた特権は報道現場でも「記者貴族」を生む。

「部数減に各紙が苦しんでいますから、全国紙の記者でも地方に行けばマイカー取材が当たり前です。しかしNHKの記者は地方でもちょっとした事件が起きればタクシーを貸し切って動いている。在阪のNHK社会部記者が『多い時はタクシー代が月に数十万円になる』と言っていたことがありますが、このコスト感覚は他のメディアにはない」(大手紙社会部記者)
取材先との関係づくりでもNHKはカネの力で他社に比べて優位に立つ。

「大相撲などは多額の放映権料を支払っているNHKが主催者みたいなものですから、国技館の中に取材ブースが設けられるし、中継解説に親方を呼んで出演料を払えるから関係が簡単に深まる。プロ野球も採算度外視で民放が放送しないようなカードを中継していますから、球団幹部などから情報が取りやすい」(スポーツ紙デスク)

 政治報道でも同じである。

「大手紙やキー局の場合、政治部記者を与党クラブ・野党クラブに振り分け、与党に手厚く人員を配置します。NHKの場合はそれに加えて将来有望と考える政治家であれば手当たり次第に特命記者を張り付け、その政治家が野党の時も、無役の時も付き合わせて関係を作らせる。もちろん他社もそうしたいのだが、とてもではないがコスト的に無理」(大手通信社OB)

 人海戦術によって公共放送として報道の質を高めているのであればいいが、本特集でみてきたように厚遇を維持してくれる時の政権に阿り、偽者ドキュメンタリーで誤報を訂正しない。NHKは「給与について、要員や制度の見直し等により一層の抑制に務めてまいります」(広報局)とするが、これまでの経緯を見れば到底信用できない。

(niftyニュース、2014年04月21日)

     関連項目

NHK職員の待遇

NHK職員の給与

NHK職員の待遇

2014年04月10日 | ア行
 NHK職員の待遇は厚く、「放送界のキャリア官僚」とか「電波貴族」とも称される。給与水準のみならず各種手当や健康保険、取材現場での特権もある。彼らが安倍政権にすり寄るのは、この厚遇を守りたいからではないか。

 昨年4月、NHKは5年かけて職員の給与を10%削減することを決定した。

 この給与カットに先立って当時の松本正之会長は国会審議で「NHK職員の給与というのは、やはり受信料で成り立つ公共放送であるということで、社会一般の水準とか公務員給与の状況等も熟慮して決める、考えていくべきものだというふうに思っております」(2012年3月22日、衆院総務委員会)と答弁した。

 だが、10%カットしたところで「社会一般の水準」とはかけ離れている。2013年度予算から試算した職員の平均年収は約1177万円だ(給与支出総額を職員数で割った数字)。

 平均的な国家公務員の年収約600万円(一般的な事務職である行政職俸給表「一」職員の平均、2013年度)を大幅に上回り、仮に10%削減されても民間サラリーマンの平均年収408万円(国税庁「民間給与実態統計調査」、2012年)の2倍以上ある。

 しかも10%削減は基本給や賞与について適用されるだけで各種手当はそのままだ。元NHK経理担当職員の立花孝志氏はこう語る。

「NHK職員の厚遇を支えるのは各種手当です。たとえば扶養家族が3人いれば世帯給が月額3万7500円、子供2人が23歳未満ならさらに1万7500円が支給されます。

 住宅補助手当は首都圏で扶養家族がいれば月5万円、地方だと2万円になりますが単身赴任であれば毎月3万3000円の単身赴任手当があります。

 その他にも物価の高い都市部勤務の職員のための地域間調整手当、北海道の職員には寒冷地手当もあるし、海外赴任の職員には国内家族手当が毎月10万~15万円、現地に連れて行った子供一人につき教育手当7万円など挙げていけばきりがありません。

 残業代の割増率は30%、休日出勤は40%で一般企業よりも高い(法定は25%と35%)」

 ちなみに、立花氏のNHK職員時代の給与明細(2004年)を公開しよう。高卒、入局19年目(37歳)の時のもので年収は1100万円超あった。

 明細には<クリエイティブ>手当がついていたが、これは全一般職に一律で年2回、各4万2000円支給されていた。厚遇批判を受け2013年度より廃止された。

(niftyニュース、2014年04月07日)

    関連項目

NHK職員給与

猪瀬知事の辞職

2013年12月27日 | ア行
 東京都の猪瀬知事が辞職しました。史上最多の得票で知事に成った方が、史上最短の在任期間で辞職するという何とも皮肉な結果と成りました。

 目にした記事の中では次の読売新聞のものが好く纏まっていると思いますので、先ずそれを引きます。

──作家から副知事、そして都政のトップへと上り詰めた猪瀬知事。
 ジャーナリスト的な手法を用いて道路公団の民営化問題などに取り組み、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで注目を集めたが、石原慎太郎・前知事から副知事に起用されてからは独断専行も目立ち、行政手腕を不安視する声が都庁内部にもあった。
 副知事に起用されたのは2007年6月。都幹部らに向けたメッセージでは「国にもの申す」姿勢を前面に出し、「不必要な事業」をカットすると打ち上げた。

 石原知事が4期目の途中で辞職すると、後継者として知事選出馬を正式に表明。衆院選と同日選となった都知事選で、史上最多となる約434万票を獲得して初当選を圧勝で決めた。
 しかし、就任会見では「434万票の4割以上は石原都政の刷新をやってほしいと思っている」と自己分析し、独自色を強調するように。新しい施策を記者会見でいきなり発表するなどの動きも目立ち、都議会への事前説明もしないなどとして、都議会からは「議会を軽視している」などの懸念が広がった。
 都幹部によると、知事就任後は、政策を説明する職員に、声を荒らげる場面が副知事時代よりも増えたという。「最多得票で知事になり、人が変わってしまったのでは」などと違和感を口にする幹部も少なくなかった。

 19日の辞職表明を聞いた都庁内部は、「これで都政は平常化する」とホッとした雰囲気に包まれた。ある都幹部は「副知事時代から議会を軽視する人だったので、遅かれ早かれこうなっていた」。(2013年12月19日 読売新聞)

 本人の記者会見では「政治のアマチュアだった」といった言葉が出たそうですが、私はこの言葉が一番正鵠を射ていると思います。改革を目指して首長に成ったものの途中で挫折した方々の失敗の理由も同じではないかと思います。志し半ばで長野県知事選挙で敗北を喫した田中康夫の失敗の真因はいまだに私には分かりませんが、議会対策で配慮が足りなかったことははっきりしていると思います。鹿児島県阿久根市の竹原信一市長も余りにも強引な議会対策と職員対策で志を遂げずに敗北しました。

 視野を広げますと、民主党の挫折もその「アマチュア性」に求める事が出来ると思います。自称社会主義の失敗も根は同じでしょう。要するに、行政というのは、それを専門とする多数の職員に担われているのです。その職員の力を無視して事を運ぼうと考えるのはバカげています。地方政治は二元代表制なのです。議員の力を無視しては上手くいきません。

 私は引佐町という小さな町に来て一番好かった事は、行政との距離が近くなったことだと思っています。しかも、自治会長まで務めました。自治会長になると、入ってくる情報量が全然違うのです。役場と接触する機会も格段に増えました。それを通じて、「なるほど、役場はこういう風に動いているのだ」という事が分かりました。

 3年近く前、浜松市長選挙に「仮」立候補をして、正式立候補すら出来ずに終わりましたが、市長になったとしたら、改革をやってみせる自信がありました。それはこういう経験を積んでいたからです。以前の私だったら、無理だったでしょうが、市役所のかなり高い地位にある職員が、「絶対に秘密にしてくれ」という条件で、「牧野さんは行政というものを好く勉強している」とメールをくれました。


言いやすい人に言う

2013年11月28日 | ア行
 先日、NHKの教育テレビで、母体保護法(旧・優生保護法を改めたもの)の発効(1996,09,26)を契機に、「命の質を選べるか」という番組が放映された。2日連続の番組の2回目である。その中で、妊娠中絶に関して、女性の体のことは女性自身に決定権があるとして、「女の自己決定権」を主張する意見があった。私はこれを聞いて少し疑問をもった。

 なぜ妊娠中絶をしたいと思うのだろうか。その理由としては、大きく分けて、次の4つが考えられる。①強姦などによる不本意な妊娠の場合、②避妊したかったのだが、避妊が出来なかった場合、③避妊したのだが、失敗した場合、④産むつもりだったが、後に考えが変わった境合、である。さて、この4つのパーセンテージを考えてみると、②の場合が圧倒的に多いのではあるまいか。①も③も④も、ゼロではないだろうが、非常に少ないと思う。

 そうすると、次に、②はなぜ起きるのか、という問題になる。それは、女性が避妊を希望したが、男性が受け入れなかった場合と、そもそも女性が何らかの理由で避妊の希望を男性に伝えなかった場合である。ということは、この段階で「女の自己決定権」が通っていないということである。

 さて、そうだとすると「女の自己決定権」を通す場合が2つあることになる。そして、前者(避妊)の方が根本である。なぜなら、前者があれば、後者(妊娠中絶)はほとんど問題にならないからである(ほとんど、というのは、①③④の場合があるからである)。そうすると、テレビに出てきた女性は、前者の「自己決定権」にはほうかむりして、後者の「自己決定権」だけを声高に叫んでいることになる。なぜこういう不公平な事をするのだろうか。多分、それは前者の方が言いにくいからであろう。個人としての主体性をより強く要求されるからであろう。私はこれは非常に卑劣な事だと思うのである。

 しかし、世の中にはこういう事はとても多いと思う。学生に書いてもらう援業のアンケートを見ていても、これを感じることがある。私に対して個人的な反感を書いてくれる人がいるのである。あるいは、理由も挙げずに、「お前の授業は、予備校の素晴らしい授業に比べて全然魅力がない」と書いてくれる人がいるのである。こういう事を書く人は、たいてい、次の授業から出てこなくなるから、成績もつかないのだが、たとえ出たとしても、又勉強が出来たとしても、私は成績を付けないつもりである。これを少し論じたい。

 私の授業を全否定する学生は他の授業に対してはどういう態度を取っているだろうか。多分、どんなお粗末な授業に対しても、何も言わないだろう。なぜなら、ほとんどの教師はアンケートを取らないし、まして悪い教師は取らないからである。すると、この学生は、アンケートを取る教師には勝手な事を言い、アンケートを取らない教師に対しては文句があっても言わないということになる。これこそ卑劣な態度ではなかろうか。

 民主的人間関係の第一原則は「公正」ということである。私の授業がどんなにお粗末なものであるにしても、少なくとも、年度の途中で何度もアンケートを取って生徒の意見を聞いているという点で、私は公正さの最低条件を満たしている。逆に、この点すら評価せずに、アンケートを取る「言いやすい教師」には言うい、言わせない教師には言わない学生の態度は、最も不公正である。だから、私は、このような人を自分の生徒とは認めず、成績を付けないのである。

 ついでに、それでは、すべての悪い教師に対して公平に批判しているならよいかという問題を考えたい。私は、それでも不可にする。なぜなら、その学生と私との間に最低限度の師弟関係すら存在していなかったと思うからである。私が授業の一環として取るアンケートは、師弟関係を前提した上での話し合いであり、微調整である。だから、それは「より良い授業のために」と題されている。

 もし、教師が根本的に悪いとか、或る教師の授業がおよそ大学の授業と認められないというなら、学長か学部長に訴えるべきである。もちろんこういう窓口を設置している大学はなく、それは大学が根本的にはまだ民主的でない証拠である。しかし、それは私の授業の責任ではない。

 大学の授業とは認められるが自分は嫌いだというなら、実はこういう類の批判が多いのだが、その場合には、自分でその授業を辞めるしかないだろう。

 人間には間違いがある。しかし、間違いを直すにも正しい方法がある。二人以上の人間が集まれば意見の違うのは当たり前である。だから、意見が違った場合の処理方法を確定し、常々改革していく必要がある。今の日本の学校の根本的な欠点は、教師には間違いはないと暗黙に前提して、教師に問題のあった場合の是正方法を作っていないことである。そして、人間関係に疑問を感じた場合にどう処理するのが認識論的に正しいかを考える授業が、必山修科目になっていないどころか、そういう授業が一つも無いことである。
(1996,09,28。雑誌「鶏鳴」第141号から転載)

付記

 あまり好い例でもなかったと思いますので、一般論として説明し直します。要するに、「言いやすい人に言う」という事は、正確に言い換えますと、「言いやすい人にだけ言う」という事であり、更に正確に言い換えますと、「言うべき人には言わないで、言いやすい人にだけ言う」という事です。

 「言うべき人に言わない」のは「義を見てせざるは勇なきなり」と言われますように、大きな悪であり、「言いやすい人にだけ言う」のは、内容的に間違っている場合は論外として、内容的に正しい指摘だとしても、せいぜい「小さな善」でしかありません。従って、「言うべき人には言わないで、言いやすい人にだけ言う」という事は、「大きな悪」を隠すために小さな善をする事であり、正真正銘の偽善です。

 大学での最後の年、或る学生が私の小さな間違いを捉えて指摘してくれました。この学生はこう言う事を何回かしてくれました。批判すると、「先生が間違っているから指摘したのだ」ということでした。私は、「まず学長の大学運営を批判的に検討するのが、学問的に正しい順序である」と述べました。他者の間違いだからといって、何でも指摘して好いという事にはならないと思います。

 最近は、我がブログへの批判的なコメントを公開するか否かの基準を厳しく考えるようになりました。コメントを投稿したが載せられなかったという方は、自分の牧野批判が本当に公正だろうかと、今一度反省してみて下さるようにお願いします。

    関連項目

偽善

議論の認識論


意見文の指導

2013年07月04日 | ア行
 はじめに

 ヘーゲルの「始原論」を調べている時、「始まりをどうするべきか」が問題になるのは何も学問や論理学の場合だけではない、と考えました。

 先ず確認しておきたいことは、ヘーゲルがその「大論理学」の第1部の「存在論」の冒頭で問題にしている「学問の始まり」とは、「哲学一般の始まり」でもなければ「学問一般の始まり」でもなく、「ヘーゲルの考えている論理学の始まり」だということです。これまでの訳者は、みな、「学は何をもって端緒とすべきか」などと訳していて、この「学」と訳しているWissenschaftがWissenschaft der Logikの言い換えだということを理解していなかったようです。

 さて、始まりはどこで問題になっているかと一般的に考えてみますと、哲学でも論理学でも、その他何らかの学術書を書く場合はいつでも問題になります。いや、学術書だけではありません。小説でも詩歌でも書き出しは大問題です。文字関係だけではありません。映画でも最初にどういう場面を写すかは大問題でしょう。芝居でももちろん同じです。音楽でもそうでしょう。いや、政治家の演説でも同じでしょう。絵画や彫刻などではどうでしょうか。門外漢なので分かりませんが、制作に当たっては「どこから手を付けるか」は問題になるでしょうが、完成した作品では「始まり」も「終わり」もないのではないでしょうか。いや、聞くところによると、絵画の中には「動き」があるそうですので、やはりその「動き」をどこからどう始めるかは画家にとっては大問題なのでしょう。要するに、何らかの意味で「始まり」のある事柄では当然、「何から始めるか」が問題になるでしょう。そして、そこでは「始まりでその作品のほとんどが決まる」と言って好いほど重要なのではないでしょうか。

 では、ヘーゲルやマルクスのほかに「始まり」を論じたものはないのでしょうか。私は浅学にして知りませんが、映画でも音楽でもきっとそういうことを論じた人はいるだろうと思います。結婚式での挨拶の指南書などはあると思います。こんなことを考えていたら、「大村はま(授業の神様といわれる中学国語教師)に確か『書き出しの研究』とかいうものがあったはずだ」と気づきました。調べてみたら、ありました。氏の全集である『大村はま国語教室』(筑摩書房)の第6巻の中にありました。しかし、それは大したものではありませんでした。大村らしい緻密な研究ではありますが、我々にとって参考になる点はほとんどないと思います。私はかつて、その資格もないのに、「美しい論理的な日本語のために」(『生活のなかの哲学』に所収)などという文を発表しました。そこでは「結論がすべてを支配する文章」が好い文章である、と書きました。大村の研究を読んでも、これ以上の原則は思いつきませんでした。

 第1節 大村はまの「意見文の指導」

 その同じ全集第6巻に、その「書き出しの研究」の次に、「意見文の指導」という文章がありました。これを読んで考えた事をまとめます。

 まず、この「指導」の骨子を紹介します。これは4つの「節」(とします)から成っているのだと思います。大村は番号を振っていないようですので、振りますと、次のようになります。

 第1節、意見を書き合う
 第2節、1つの意見
 第3節、「課題図書」について考える
 第4節、意見から意見 意見に意見

 さて、第1節「意見を書き合う」の冒頭にこう書いてあります。「もちろん、意見文を書く力をつけようとしての学習であるが、生徒が自分で直接生活のなかから問題を拾って意見を書くのではなく、新聞の投書を取り上げ、それについて意見を書くのである。~今回は『取材』(何を書くか)の部分に中心を置かず、『書く』ことの方に中心をおいた。~取材そのものの指導は、別に、その目的で学習を展開して、そのなかで試みるわけで、この2つを1つの展開のなかで、いっしょに、主目的にしない」。これで少しがっかりしました。「自分で問題を拾って書く」事の指導の記録がどこに書いてあるのか(参照箇所の指示)も書いてないと思います。多分、していないのでしょう。これが大村の大欠点であることは後に書きます。

 この節の「学習の実際」の中で確認したい点は、「選んだ投書に対しての単なる感想や批評ではなく、自分の意見を述べるようにと注意した」という言葉でしょう。「単なる感想や批評」と「自分の意見」とはどう違うのか、その説明はどこにあるのか分かりません。これも問題です。しかし、先に進みます。「学習の実際」は、取り上げた40編もの投書について、先ずAさんが意見を書くと、次の生徒は元の投書とAさんの意見との両方を踏まえて意見を書く、という方法になっているようです。

 出てきた結果を仮綴じにして提出させ、最初の意見文(担当者のもの)については、心をひく題、ゆたかな内容、しっかりした考え、人に訴える力、よくわかる文章、適切な段落、使いこなされた用語、正しい表記、読みやすい文字、の9個の観点で評価をして、その評価表を返したようです。こういう細やかな指導こそ大村の真骨頂でしょう。続いて、実例が載っています。「人心を騒がすTV占い番組」と題した投書についてH君が意見を書き、それについてKさんとOさんが意見を書いたものです。この3つが皆、載っています。

 第2節は「一つの意見」となっています。「1つの意見文には1つの意見だけを書くように」との趣旨を表しているようですが、内容はこの授業における「指導の実際」の報告です。

 ・二ヶ月前から、意見文を書くという予告をした。
 ・「こんなに意見を述べたいことがある」と題するプリントを作った。これは生徒の意欲をかき立てた。

 次にそのプリントが採録されています。そこには56個のテーマが載っていますが、私の注目するテーマだけを引きますと、3・学校生活に求めているもの、23・先生と生徒、29・制服の意味、30・卒業式を考える(注・戦後の答辞のあり方を大村が紹介し、生徒は大興奮だったが、学年会という教師の集まりで否決されたという背景がある)、40・けさの講話から、41・勉強とは、くらいです。

 大村は「なかなか、意欲的に書けるような題材はないものである」と言っていますが、生徒は多くの授業に不満を持っていますから、学校教師のお粗末授業の本当の原因は校長のリーダーシップの欠如にあるのだと話して、校長の学校運営について意見文を書かせたら、「意欲的に」書くと思います。30の「卒業式を考える」もそういうことを考える絶好の機会だったと思いますが、大村の問題意識が低かったのでそういう所へ持って行く事が出来なかったのだと思います。

 第2節の第3項(としました)は「プリント」と題されています。生徒に配った実際のプリントがどういうものだったかが紹介されているのですが、副題として「意見を整え、構成を考えるために」とあります。具体的指導としては、そのプリントには、「A・自分の意見」「B・自分の意見の材料」「C・反対の考え」「D・反対の考えの材料」「E・反対の考えをふまえての自分の意見」という5個の欄があります。冷静に考える方法を指導する好いプリントだと思います。その上で、それらをどの順序で書くかを考えさせています。

 第4項は「接続詞の学習の復習」です。実際、学者でも適切な接続詞の使い方を知らない人が少なくないので、大学でもこういう事をする必要があると思うくらいです。

 第5項は「互いに書き合い、育て合う」です。大村も1人の書き手として加わり、実際に書いて指導する、とあります。ABCの生徒3人が一組(ひとくみ)になるようです。その3人と教師との4人で1枚の用紙に「自分の意見」を書くのだそうです。まず、生徒AとBとが書き、それを踏まえて教師が「自分の意見」を書くと、それらを読んで最後に生徒Cが、まとめるのではなく、「自分の意見」を書くようです。この方法で、3つの題で書くと3人の生徒が必ず1回は最後に来るように成る訳です。ものすごく細かな技術だと感心しました。

 第3節は「『課題図書』について考える」です。「夏休みの学習の1つに『百字の意見』があった。新聞から投書を選んで、百字で意見を書く」のだそうです(大村自身が出した宿題なのかどうか、分かりません)。それを集めた結果、「課題図書」についての投書が一番多く、従って生徒の書いた「百字の意見」もそれについて書いている人が一番多かったので、それを秋の授業で取り上げた、ということなのでしょう。大村らしい「指導」で学習し、自分の考えをまとめたところで、「発表会」をしたそうです。発表者は4人にしたそうです。その後、Kさんの書いた「てびき」がプリントして与えられ、そのKさんの最終的「まとめ」が例として、出されています。いろいろな意見を整理し、考えた上で書いた立派な意見文ですが、最後にこう書いてあります。

──現状のままであったら、「課題図書」と感想文は、子供たちの負担になるばかりだと思う。子供にも、ひとりひとり個性があり、好みがある。だから「課題図書」の幅をもっと広くとったらいいのではないかと思う。また、すぐに感想文を連想して読む気がしなくなるような考え方を「課題図書」に対して持っているような、みじめな子供をこれ以上作らないように、大人は立ち上がらなければいけない。(引用終わり)

 第4節の「意見から意見、意見に意見」は指導の技術的な面が多いので、余り関心が持てません。省きます。

 第2節 私見

 さて、以上の大村による「意見文の指導」を読んで考えた事を書きます。

 第1項 作文指導の方法

 私は作文教育についてまともに調べた事がありません。何かの機会に偶然眼にしたもので覚えている物を再度、開いてみました。1つは田宮輝夫著『子どもと作文』(国民文庫、1984年)です。著者は小学校教諭で日本作文の会の常任委員だそうです。もちろん「出版当時」の事です。「この本は、1人ひとりの子どもたちを本当にかしこく、豊かに、たくましく育てていくうえで、作文を書くことが、どんな意味をもっているかを、お父さんやお母さん方にわかってもらうために書いたもの」(まえがき)だそうです。実際も、そうなっています。

 「戦前は『綴方の時間』が、時間割のうえにきちんと書き込まれていました」が、戦後は、文部省の『学習指導要領』によって、作文を時間割に組み込む必要がないとされたため」に、先生によって「作文を書かせる教師とそうでない教師とができました」(18頁)といった報告もありますし、また、「はじめは、ある日ある時のできごとを、時間の順序にしたがって、一つひとつのものやことがらのすがたや動きを、ていねいに思い起こしながら書くことが大切です」といった作文指導の実際的な面にも言及していますが、本書の圧巻は何と言っても、67頁以下にあるK君の作文でしょう。

 三年生になって教育実習に来た松木先生が実習期間を終えることになり、「お別れの会」を持った。その後に、書いた作文です。これを書いたK君は3年生になってはじめて原稿用紙3枚も書いたのです。2年生の時勉強も遅れがちだといわれていた子どもの作品です。

 その作文の冒頭の部分を引きます。

   松木先生のこと                   3年 K
 松木先生といっしょに、まい日べんきょうしたりしたのでたのしいです。
 それから、松木先生がいつもこくばんにじをかいたり、えをかいたりするから、いつもこたえがすぐわかるようにおもえてくるから、いい先生だとおもいます。
 あと、松木先生といっしょにあそんだりしてたのしいです。
 あと、こくごのべんきょうをしたり、さんすうのべんきょうをしたり、しゃかいのべんきょうをいっしょにしたり、りかのべんきょうをしたりして、たのしいです。
 あと、松木先生がいるといつもべんきょうがたのしくなります。
 あと、松木先生がそばにいると、べんきょうのこたえがわかるときもあります。
 あと、松木先生がべんきょうをおしえてくれるので、ほんとうにありがたいとおもいます。
 あと、松木先生がまえにいると、べんきょうがすこしずつ、こたえがわかってきます。(以下略)

 これについて田宮はこう評しています。「若く明るくて心がやさしい先生だったので、子どもたちは松木先生が大好きでした。とりわけ勉強が遅れがちなK君にはよく目をかけてくれて、K君がよい発言などすると、松木先生は目頭を熱くしてじっとききいるような場面も何回かありました。それだけに、K君も松木先生が大好きでした。その松木先生が、あしたから学校へこなくなるというのです。ふだんは、こんなに長い文章を書いたことのないK君が、このときは、松木先生への思いをいっぱいこめて、いつまでも書きつづけていました。

 K君は、一文が書き終わると、じいっと教室の壁をみていて、また、つぎのことばがみつかると、書きはじめました。一文書いては、じっと考え松木先生との事実を思いおこしながら書きつづったものです。19回もくりかえし、くりかえしでてくる『あと』ということばは、K君が、まだなにかないか、まだないかと、松木先生との出会いの1つひとつを、たんねんに思いおこしていったあらわれの『あと』です。この『あと』という、不必要と思える2つの文字のくりかえしのなかに、松木先生に教えてもらったことに応えようとするK君の誠実さが表現されています。切ないほどの思いのこめられている『あと』です。(以下略)」(73頁)。

 大切な事は、出来ない子がこういう作文を書くまでに心を揺さぶったのはもちろん松木先生の授業が第1でしょうが、ここまでの文章を書かせた素地はそれまでの田宮の作文指導だったということです。

 そして、その「指導」の内容は、多分、大村のような細かさには欠けるかもしれませんが(89頁を見ると、かなりの指導をしています)、大村に比して、むしろ「どういう事を書かせるか」に重点があるようです。「子どもたちの作文力は、実際に作文を書く機会を多くし、おたがいの作文を読み合うなかでしか伸びません」(31頁)という点は同じだと思います。大村も「自分のやり方が唯一絶対だ」などとは言っていません。

 もう一つ思い出したのは清水義範著『清水義範の作文教室』(早川書房1995年)です。これは著者の弟(清水幸範)が名古屋で塾をしていて、そこの小学生の作文の授業を担当した経験をまとめたものです。担当と言っても自分は東京に住んでいますから、基本的にはFAXでのやりとりで、月に1度くらいは実際に名古屋に行って、対面授業をするようにしたようです。

 この授業が大村や田宮のそれと違う所は学校の正規の授業ではなく塾の授業だということです。そのためもあって、遠慮なくものを言っているという感じがします。例えば、小学生の作文なんてやはりつまらないものだと言って、原因を2つ挙げています。1つは「書く動機がないからだ」とした上で、「もう1つの要因」として、「子どもたちがいい作文を書かなければ思い込んでいる」という事をあげています。「私の家族は、いろいろ文句もあるけどやっぱり大切な人たちで、ぼくの姉はぼくの宝物で、お父さんには長生きしてほしくて、旅行は楽しかったです」というふうに書くのが作文だと思っている、というのです。

 更に清水は「作文にはいいことを書かなきゃいけないという思いこみを小学生に植えつけているのは、親でもあり、大人全体でもあり、社会でもある。そして、そこに全部の責任があるとは言わないが、学校の先生のせいでもあるのではないだろうか」と書いています。そして、「『私は妹がにくらしくなり、殴ってやりたいと思いました』という作文に対して、『姉妹はなかよくしましょう。弱い子を殴るのはよくないことです』という指導を書きそえる。なんじゃい、それは。それは国語の指導にはぜんぜんなっておらんではないか。(中略)そんな指導はせんでもよろしい。作文の指導は、作文力とでもいうものを高めるためにするもので、道徳教育をするためのものではないのだ。事実がちゃんと説明できているか、その時の気持が読み手に伝わるか、さらに言えば読み手を同感させられるか、という文章面のことを評価し、指導しなくちゃいけない。そうしないで、書かれている事実を評価していると、子供は、大人に文句を言われないことを書かなくちゃ、と思ってしまう。いい作文でなくちゃ、だ。その結果、小学生の作文はつまらなくなる。(中略)何を書いてもいい。ただし、読み手にちゃんと伝わるように書くんだよ、というのが私の立場である。もっとも、そうは言っても子どもたちはそんなひどい(たとえば、いじめは楽しいとか)作文はまず書いてきませんがね。でも、基本的な心構えの問題です」(26-30頁)。

 この問題は高学年になるほど重要性を増すと思います。まして、「作文」の授業でなく、哲学とか、あるいはそれこそ道徳の授業だったら果たしてどう「指導」するのが正しいか、大問題のはずです。しかし、そういう研究や議論がそもそもあるのでしょうか。私は教科通信に関心を持っていますが、高校生とのやりとりを発表したものがあります。妹尾和弘『私の目は死んでない』(評論社2000年)です。岡山県の県立高校の国語教師だった妹尾が、生徒が何を考えているのか分からなくて困った時、授業の最初に5~10分の時間を取って、「今、自分が思っていることを自由に書いて下さい」といって生徒に書いてもらい、B4の紙1枚にまとめて「いま、ここで」と題して、返した。それを15年続けたのを元にして編んだ記録です。この通信は学級通信ではないのはもちろんですが、教科通信とも言いにくいものです。

 これが生徒に支持されたのは、生徒は勉強ももちろんしたいのだが、それと同じく、あるいはそれ以上に他の生徒との本音での意見交換をしたがっているからだと思います。こういう事を教師がしてくれると、日頃会話をしない同級生や同学年生とも話し合えるからだと思います。私の大学での教科通信に対しても、「こういうのが高校時代にあったらなあ」という感想を何回も聞きました。

 この妹尾の通信の大欠点は教師の考えが全然書かれていない事だと思います。生徒同士の意見交換だけでも確かに意味はありますが、テーマが限定されます。生徒の視野を広げてあげるのは教師の重大な任務です。又、高校生ですから家庭の事などでかなりシーリアスな事も書かれているのですが、教師がそこで何かを書くとすると、それこそどう「指導」するかが問題になります。これを「難しい」と言って避けているのは、やはり本当の教師ではないと思います。

 清水は「作文指導」での教師の役割を上のように限定してはいますが、最後をこう結んでいます。「作文を書くということは成長へのチャンスに満ちている。そこでもし適切な指導をしてあげれば、眠っている子供たちの目を覚まさせることができるのだ。(中略)学校の先生というのは、やらなきゃいけないことが山ほどあり、~大変である。私もそのことはよく理解している。しかし、子供に作文を書かせて、よくできました、のスタンプを押して返すだけというのは、あまりにも惜しい。せっかく作文を書かせたというのに、点をつけて返すだけではなんら教育になっていないのだから。

 『よいことをしましたね』や『弟にはやさしくしましょう』式の、内容への干渉はしなくていいから、せめて、『すごくおもしろかった』とでも書き添えてやろう。『この話、このあとどうなるのか気になるから、続きを書いて先生に見せてくれ』でもいい。『そいつがどんないやな奴なのか、いまひとつわからないので箇条書きにしてくれ』とか、『なんとまあ豊かな感受性を持っているの、いいことだなあ』でもいい。少くとも、子供が、その作文を書いてよかったと思うような、またやる気が出るような、そういうコメントをつけて返してやってもらいたい。それが作文指導のとりあえずの第一歩ではないだろうか」と結んでいます。

 私が哲学の教科通信『天タマ』を出し始めた時、或る生徒の母親が子どもの机の上にあった「通信」を見たらしく、こう言ったそうです。「みんなしっかり自分の意見を書いてるじゃない。先生もきちんと批評を書いているし、生徒のためになるいいプリントだね」と。生徒自身のレポート1つ1つにも「感想」を書ける時は書きました。書けなくなった時は、「教科通信だけにする」と、説明しました。なぜ私は批評を書けたのか。授業の目的は『各人が自分の考えを自分にはっきりさせ、更に発展させること』だと気づいたからです。逆に言えば、授業としては特定の結論を出さない、ということです。もちろん「授業中の私語をどうするか」といった「1つに決めなければならない問題」では、「生徒の意見を聞いた上で教師が決め」、それに従ってもらいます。この原則に気づいて霧が晴れました。私も自分の意見を腹蔵なく言えますし、生徒もどう振る舞って好いか迷わなく成りました。思うに、この原則は他の授業でも当てはまります。なぜなら、「今正しいとされている事」や「学習指導要領」に書かれている事は、相対的真理にすぎないからです。何十年後かには間違いとされているかもしれませんし、少なくともより大きな真理の1契機に引き下げられているでしょう。学校教師の一番悪い事は、自分が絶対的真理を教えていると思い込んでいることです。

 第2項 子どもに本を読ませる方法

 「作文」の基礎は「読書」にあるという事は、ほとんどの人の認める事ではないでしょうか。学ぶのが先で、表現はその後に付いてくるのです。あるいは、学びながら身につけるのです。という事は、作文指導の根本は読書指導であるという事だと思います。

 しかるに、その読書指導には子どもないし生徒に読書の指導をする事と、自分が模範を示す事との両面があると思います。「子どもが本を読まなくて困る」と言う親に対して、「では、あなたは本を読んでいますか」と聞くと頭を掻いてしまうという話はよく聞きます。親だけではありません。学校教師は本当に生徒の模範になるほどに本を読んでいるでしょうか。大いに疑問です。

 ですから、解決策は「先生が模範を示せばよい」という事になります。又、校長も本を読んでいる人が少ないと思います。学校のホームページを見ますと、校長の話を載せなければ格好が付かないという事で校長の話が載っていますが、それは大部分が入学式とかの挨拶です。大学の学長ですら、しかも「教養」を人に説くほどエライ哲学者学長(東洋英和女学院大学学長)である村上陽一郎でさえ、その「学長だより」は式辞の転載です。本を読んで考えた事、映画を見て感銘を受けた事、展覧会で見た絵の話などは載っていません。政治的な話題や他校でのいじめ自殺事件についての考えなど、望むべくもありません。これでは生徒に「文章を書く意欲を呼び起こす」とは言えないでしょう。

 品川女子学院の「校長日記」は公立学校の校長欄より村上の「学長だより」より充実しています。ブログ形式で毎日書いているようですが、がんばり過ぎの感じさえします。「日記」にしないで、「週間活動報告」くらいにして、学校で起きた事だけでなく、上に例示したような事柄を論じ、他の教師や生徒の意見も載せるようにすると模範的なものに成るでしょう。学校は独学の府ではなく、集団学習の府なのです。学校では、校長通信こそ討論、即ち集団的思考の練習をする場でなければならないと思います。

 第3項 「偏った読書」

 大村の先の「『課題図書』について考える」の箇所を読んでいますと、しきりに「かたよりのない読書」といった言葉が出てきます。そして、それは公理のごとく正しい考えとされているようです。逆に言うならば、「片寄った読書は避けるべきだ」という考えが疑問もなく受け入れられています。本当に、片寄った読書は悪い事なのでしょうか。いや、そもそも「片寄らない読書」と「片寄った読書」の境界線はどこに引かれているのでしょうか。

 大村の「指導」ではぜひこの問題に注意を向けさせるべきだったと思います。なぜなら、この問題は「読書」に限らず、「生き方」でも同じだからです。中学生にも成ると、自分の将来について考え始めます。その時の大問題の1つが「生き方における幅の広さと1つの事を深く追究する事との矛盾」の問題だと思います。私はかつて『関口ドイツ語学の研究』の中でこの問題について偉そうな事を述べましたが、反省しています。この問題に正解はないと今では思っています。各人が自分で自分についてだけの答えを出して生きるしかないと思います。

 この問題は更に、中学校以上での「教科担任制」の問題にも発展します。多くの人はこれを当然と思い、今や小学校でも一部ではそれが導入されているようです。では、教科担任制は本当によい面ばかりで弊害はないのでしょうか。大村はこの問題を考えた事がないようです。少なくとも書いていないと思います。しかし、「意見文の指導」を読んで感じた大村の限界はこれと関係しているようです。と言うのは、意見を言うということは、一般的には、社会的な問題について意見を言うことであり、もう少し狭く取ると、政治的な問題について発言する事であるのに、大村自身は国語教育については「意見」を言っていますが、政治的な発言は(多分)していないと思われるからです。中学校の教師は担当教科の教師である前に中学校教師なのだという事を考えるべきです。そして、同時に、生徒にもこのことを考えさせるべきです。

 いや、大村だけの話ではありません。ほとんどの教師が、特に校長が、「公務員の政治的中立性」を口実にして、政治的発言から逃げていると思います。そして、この「教師が政治的発言をしない事」こそ、生徒が「意見の言えない人間」になる最大の原因だと思うからです。

 私は「教科担任制」の最も徹底した大学で、「これでは拙い」と思って「小大学」という考えを打ち出し、実行してきました(拙著『先生を選べ』参照)。「ドイツ語の時間なのだから、ドイツ語だけやれば好いのだ」と言う人はいつも出てきますが、大部分の学生は私見を支持してくれます。
 はっきり言いますと、要するに、校長(トップ)が自分の学校運営についてきちんと自分の考えを発表し、他の教師や生徒の考えを聞いて、公開の場(校長通信)で議論をすれば好いのです。これをする見識と勇気と能力が校長に欠けているのが最大の問題なのだと思います。

 第4項 読書感想文

 大村の先の「『課題図書』について考える」の中に出てくる事の2つ目は「感想文を書かされるから読書が嫌いになる」という事です。これもよく知られた問題です。それなのにこれが深められていません。その原因の1つは、先に指摘しておきました、「単なる感想」と「自分の意見」とはどう違うのかが解明されていない事だと思います。

 私見を書いておきますと、これは善悪や高低と好悪との違いに関係します。つまり、善悪、良否、高低についての判断に根拠を付けて述べるのが意見で、好悪を言うのが感想です。しかし、実際には感想という形を取った意見も沢山あると思います。

 しかも昨今の日本語表現を注意して聞いていますと、断定を避けて、「~かもしれない」と結ぶ言い方がものすごく多用されています。「~させていただく」の多用と併せて、この2つが日本語の濫用の双璧です。

 そもそも夏休みの宿題として読書感想文を課すことが適当かの根本問題があります。そこまで言うならば、更にいわゆる「自由研究」とやらも問題です。私の子どもの頃は戦後の混乱期だったからか、そういう事を経験しませんでした。自由研究にはどういう意義があるのでしょうか。外国にもこういうのがあるのでしょうか。

 欧米の先進国では、夏休みの過ごし方は、家族で海や山に行くとかが中心のようです。アメリカなどでは民間主催の催しに参加することもあるようです。貧しい人にはそれへの補助制度もあるとか。日頃の放課後の過ごし方とも関係しますが、基本は自宅で過ごし、好きな事の稽古に励み、自習をし、友人などと付き合う、ではないでしょうか。日本ではこの「基本」が塾通いで取って代わられているのではないでしょうか。

 さて、本題に戻って、感想文が適当でないとしたら、何があるでしょうか。私は大学生に夏休みの宿題の1つとして、「100頁以上の小説を読み、そのあらすじをまとめる」という課題を与えました。考えた事を書きたいなら書いてもよい、という但し書きを付けました。我が家の娘は小学校で図書委員に成った時、「自分の読んだ本を友人に紹介する(勧める)としたら、どう話すか」を昼休みに放送してもらう、という企画を立てたようです。

 学校教師ももう少し工夫したらどうでしょうか。自分が子どもだった時、読書感想文や自由研究をどう思ったかを思い出したらどうでしょうか。生徒に宿題を出すならば、自分もやってみたらどうでしょうか。なお、清水は前掲書の109頁以下で「読書感想文の愚」と題する文章を書いています。

 終わりに

 大村の「意見文の指導」から出発して大分いろいろな事を考えてしまいました。全体として、大村はもちろん素晴しい「国語」教師だとは思いますが、「意見文」などという社会的視野の要求される事柄になると、氏の限界も目立つと思いました。

 もっとも私の「哲学の授業」を受けた生徒たちでも、授業では立派な意見文を書いてくれましたが、その後、社会人となった今、折に触れてその時のような意見文を発表しているかと言いますと、答えは疑問符です。

 或る大学生は私の事を「こんなに意見を言う先生には初めて出会った」と言っていましたが、我が「マキペディア」の読者も、私の問い合わせには親切に答えてくださいますが、「意見文」はあまり書いてくださらないようです。

 自分の意見を言うという事は、自分の立場を明らかにすることで、日本人の一番躊躇する事ですから、日本人が日本人である限り解決しない問題なのかもしれません。いや、そうとも言えません。日本では保守的ないし右翼的な人たちは自分の意見をどしどし発表しています。逆に言うと、民主派の人たちの声が小さすぎるようです。昨今の様子を見ていますと、かつてのワイマール時代のドイツの民主主義がナチスの全体主義に敗北してゆくのもこういう風だったのだろうか、などと考えてしまいます。今の日本にはかなり大きな言論の自由があると思います。その上、インターネットという手段も発達しています。よりよい社会を目指し、公正で楽しい社会を目指す人々はこれらの権利と手段を最大限に使って戦うべきだと思います。(2013年7月4日)

関連項目

「哲学の授業」

議論の認識論

自然エネルギーで地域の自立を(飯田市)

2013年05月30日 | ア行
      朝日新聞編集委員、安井 孝之

 本州のほぼ真ん中に位置し、南北に天竜川が流れる長野県飯田市で、エネルギーの自立をめざす新しい実験が始まった。吹き抜ける風やふりそそぐ太陽光、川の流れから得られる再生可能な自然エネルギーは誰のものか、を問いかける試みである。

 再生可能エネルギーはそこに住む人々の共有財産で、それを主体的に活用する権利も、また、そこに住む人々にある──。4月1日に施行された新しい条例は、こんな新しい考えを「地域環境権」という新しい言葉に込めた。

 飯田市の牧野光朗市長は「再生可能エネルギーの活用は、地域住民との協働事業で進めたい。市としても全面的に支援していく」と話す。

 なぜ「協働事業」にこだわるのか。

 固定価格で電力会社に自然エネルギーの買い取りを義務づける制度(FIT)が昨年始まったのをきっかけに、全国各地で太陽光パネルの設置が広がった。休耕田などの遊休地を活用する動きもある。

 牧野市長はこんな動きをみて、疑問を持ったという。FITで確実に収益を上げられるとみた東京の大手企業の参入が目立ったからだ。

 確かに、遊休地から地代は入るが、発電事業の収益の多くは地域を素通りして、都市に持っていかれる。地域の自然から得られるエネルギーなのに、いいとこ取りされるのではないか。活用するなら地域との協働事業にしてほしい。そんな思いを実現するために、前提となる「地域環境権」を条例に明記した。

 企業が再生可能エネルギーの利用で稼ごうと考え、発電事業に取り組むのは自由だ。そのうえで、地域から得られる価値を地域と共有する仕組みをつくれば、地域から信頼され、持続的に成長できる。

 米の経営学者マイケル・ポーターが近年提唱する、社会問題の解決と利益の双方をめざす「共通価値の創造(CSV)」が、結局は企業の持続的な成長をもたらすという考え方にも一脈通じる。

 条例施行を受けて、飯田市東南部の上村地区で発電能力200㌔ワットの小水力発電所計画が進んでいる。200世帯ほどの小集落で、エネルギーの自立を目指すという。

 地元企業や金融機関から約2億円超の投融資を受け、毎年1000万円の利益を上げる計画だ。利益は、地域を走るバスの増便や地域への医者の派遣事業などに使う。再生可能エネルギーから得られる利益を地域のために還元する。

 東京電力福島原発事故を機に、再生可能エネルギーへの関心は高まった。コストや発電量など越えるべきハードルは、確かに残っている。

 大きな川のはじまりも、山間の小さな泉のわき水から。小さな集落で始まった挑戦が大きく育つことを願う。
  〔朝日、2013年04月07日)

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再生可能エネルギー一覧

いじめ自殺問題

2013年03月31日 | ア行
 いじめ問題は相変わらず未解決です。そもそも「完全な解決」はありえないのかもしれませんが、現状は余りにもひどすぎます。

 さる1月31日、大津市の中学生のいじめ自殺問題についての「第三者調査委員会」の報告書が出ました。それを報じた朝日紙は次のように書いています。

        

 大津市で2011年10月、市立中学2年の男子生徒(当時13)が自殺した問題で、市が設置した第三者調査委員会(委員長・横山巌弁護士)は31日、越直美市長に報告書を提出した。担任ら複数の教師が自殺前からいじめを認識しており「適切に対応していれば自殺に至らなかった」と指摘。自殺は「いじめが直接的要因」と明言した。

 これまで学校や市教委は、生徒が自殺するまで「いじめの認識はなかった」と繰り返し、「家庭にも(自殺の)要因はある」などと発言してきたが、いずれも否定した。

 第三者委はまず、男子生徒の自殺前に生徒や教師がいじめの可能性を繰り返し指摘していたことに着目。学年会議でも複数の教師が指摘しており「いじめがあったのではないかという認識が教員間にあった」。ところが情報が共有されず有効な対応ができなかった結果、男子生徒は「相談してもいじめがやむことはないという絶望感から(自殺を)決行した」と認定した。

 また、学校や市教委は訴訟をにらんだ法的責任論を重視し、いじめと自殺の因果関係を否定したいという動機が「家庭にも要因」という虚構を作り出したと指摘。「虚構に寄りかかったことでいじめと白殺の関係への解明作業を事実上放棄した」と批判した。

 学校と市教委が「いじめをした」と認定した同級生は3人だったが、うち1人の行為は、程度が軽く回数も少ないとして、いじめとは認定しなかった。

 再発防止に向けた提言では、学校をサポートする外部機関の必要性を指摘。いじめ対応の専門スタッフを置くことや、いじめの相談を受ける第三者機関の常設などを盛り込んだ。過熱したマスコミ報道が事態を混乱させたとも指摘した。

教師間、共有されず

 第三者委による聞き取り調査は、生徒を中心に延べ56人、95時間に及んだ。

 報告書は、男子生徒へのいじめが「透明化」(当たり前の光景となり気づかなくなる)していたと表現した。

 報告書によると、いじめは連日のように教室内、廊下、トイレで行われ、クラスの多数の者が見ているにもかかわらず、誰もこれを止めなかった。複数の同級生が担任に訴え、複数の教師も暴力を見聞きしていた。報告書は「教員たちがもう少し子どもたちの声に耳を傾け、一歩踏み込んでいれば、と悔やまれる」と指摘。市教委に対しても「調査を学校に丸投げし、指導・助言もしていない」と批判した。

 同席した第三者委の横山巌委員長は、昨年8月から5ヵ月間に及んだ調査を「亡くなった少年の気持ちを常に忘れることなく取り組んできた」と振り返った。尾木直樹委員は「調査活動をしている間にも全国で何人も次々に亡くなった。それが一番つらかった。一刻も早く報告書を出して、ブレーキをかけたいと何回も思った」と話した。一方、大津市教委の松田哲男教育部長は、報告書の指摘について「真率に受け止めたい」と述べた。学校側や市教委が組織防衛に走ったとされている点については「決してそんな風に思ってはいません」と述べた。(朝日、2013年02月01日)

 同日の社会面でも取り上げていましたが、そこからは越直美市長の「学校や教育委員会には大きな問題があり、今後徹底した改革が必要だ」という言葉だけ確認しておきましょう。

 ここ数年大ブレークした尾木直樹さんも委員に入っていたのに、「こんな提案しか出せないのかなあ」というのが率直な感想です。これではいじめは減らないでしょう。

 どこが悪いかと言いますと、第1は、いじめを防げなかった校長と教育長への処分が軽すぎる事です。今回は校長は既に教育委員会に移っているそうですが、「停職1カ月」と先日報ぜられました。しかも、これでも「重い処分」なのだそうです。基準自体が甘すぎます。教育長はこの3月で辞めたはずですが、退職金は減らなかったのでしょうか。

 教育行政の実態については、「教員人事の真実」をお読みください。これを読めば収入に響かない限り、校長も教育長も痛くも痒くもない事が分かるでしょう。学校のトップがどれほど卑劣かを知りたい人は、「静岡大学のセクハラ問題」をお読みください。

 先の記事の最後に「大津市教委の松田哲男教育部長は、報告書の指摘について『真率に受け止めたい』と述べた。学校側や市教委が組織防衛に走ったとされている点については『決してそんな風に思ってはいません』と述べた」とありました。こういう言葉が通る程現場は甘いのです。本当なら、この言葉だけで転勤させるべきです。

 越直美市長の「学校や教育委員会には大きな問題があり、今後徹底した改革が必要だ」という言葉も実行されていないようです。自分の1年間の評価を「ゼロ点」とした厳しさは買いますが、どうしたらよいのか分からないのではないでしょうか。メールを送ろうかと思っても、「市長への提案箱」は「自治協働課市民相談室に回される」と書いてありますので、出す気がしません。相変わらず、「市長の日記」は自分で書いていません。要するに市長へ直接訴えるルートがないのです。

 第2に、「再発防止に向けた提言では、学校をサポートする外部機関の必要性を指摘。いじめ対応の専門スタッフを置くことや、いじめの相談を受ける第三者機関の常設などを盛り込んだ」とありますが、この対策ではだめです。「相談してもいじめがやむことはないという絶望感から(自殺を)決行した」という指摘が活かされていないではありませんか。「相談したら、必ず受け止めてくれると思える場所」を作り、入学式や始業式で繰り返し話し、学校の至る所に張り紙をしておけば好いのです。

 では「必ず受け止めてくれる」人は誰でしょうか。校長がそうであるべきです。ですから、「いじめにあったら、校長に言う」という事を徹底させる。校長は直ちに教育長に報告して、1週間内に解決する。1週間以内に解決していないと生徒が判断したら、市長に直接言う、といったルールを決めて、張り出し、それを実行するように皆に要求する事です。越市長はなぜ「私に連絡して下さい」と言わないのでしょうか。日記も自分で書かない人では生徒に信頼されないと自覚しているからでしょうか。やれやれ。

 3月30日の朝日紙夕刊には品川区の中学1年生の自殺(昨年9月)生徒の父親の事が載っていました。これが私にとって特に気に成ったのは、品川区が若槻教育長のリーダーシップで教育改革をして、「校長の眼付が変わった」という話を読んだ記憶があるからです。

 学校教育は「校長を中心とする教師集団が行うもの」ですから、校長の眼付が変わったならば、いじめも減少していると思っていたからです。若槻さんとは違ったやり方で教育改革をした愛知県犬山市では「生徒間のトラブルが減った」と聞いています。

 品川区のホームページを開いて見ると、その自殺問題は出て来ていないようです。いじめ自殺ではない、で押し通すつもりなのでしょうか。

 第3に、いじめは犯罪ですから、いじめた生徒は犯罪者です。従って、それに相応しい扱いをするべきです。親に責任を取らせると言っても、こういう生徒の場合は親に問題があるのが普通ですから、難しいでしょう。イギリスではこういう生徒を集めた学校があるとか読んだ記憶があります。宗教者のやっている農場のような所で預かってもらえると好いのかもしれませんが、こういう所がどこにでもある訳でもないでしょう。児童自立支援施設は十分なのでしょうか。これが最大の難問ですが、ともかく同じ学校に居続けられるという現状はおかしいと思います。

 第4に、住民のするべき事は「学校(校長)を評価するサイト」を作ることです。どういう点をみれば好いかは「学校ホームページの必要項目」に書いてあります。やりながら改善して行けば好いのです。私企業は客に監視されるから改善するのです。公務員は客(市民)が監視しないから態度が変わらないのです。「議員に通信簿を付ける会」の出来た所では、改善が見られるではありませんか。

 最後に、これら全ての前提として、「道徳教育」ではなく、「公民教育」を充実させるべきだと思います。公民教育とはどのようなものか分からないという人は、憚りながら、『哲学の授業』を参考にして下さい。これが公民教育です。


NHKの職員の給与

2013年02月22日 | ア行
 NHKが民間の4倍ともされる職員給与の是正に向け、基本賃金を今後5年間で10%削減することを柱とする改革案を打ち出した。労使交渉を経て、早ければ今夏の賞与分から実施する。

 遅きに失した印象もぬぐえないが、受信料という安定収入に甘えた「ぬるま湯的経営」という批判に応える上でも当然の措置だ。NHK改革の本気度が試されている。速やかに実行すべきだ。

 NHKは、平成16年に相次いだ職員の制作費着服や乱脈経理問題などを契機に改革をスタートさせたが、その後も不祥事は後を絶たない。最近も看板アナウンサーが痴漢容疑で逮捕されている。希薄なコスト意識が気の緩みの背景だとする見方もある。

 昨年10月、NHKは受信料を月額で最大120円値下げしたものの、職員数は1万人レベルで、ここ数年はほとんど変わっていない。NHKは「公共放送としてサービスの質を維持する上で必要」としているが、番組作りの「公平・公正」を疑う声についても、もっと耳を傾ける必要がある。

当時の川端達夫総務相は「受信料の負担者である国民・視聴者の理解が得られることが必要だ」と答弁しており、そのことも今回の給与削減につながった。

 改革案では、管理職の登用には試験制度を新設するなど能力主義を導入するという。なにを今更の感が否めない。NHKは「努力が報われる制度になる。競争原理が働き、職員のモチベーションがあがる」(吉国浩二専務理事)と説明するが、その発言自体、民間との感覚のずれを示している。

 このほか、不明朗と指摘される一部手当も来年度から廃止する。その1つ「クリエイティブ手当」は「自己啓発や自己研鑽(けんさん)」を促すとして一般職に無条件で支給されてきた。年間の支給総額は約4億円という。ばらまき手当と言うほかない。その他の手当も徹底した見直しが求められる。
(産経ニュース、2013年02月18日)

 PS

 NHKの給与体系は、年功序列的で横並びの色彩が濃い。支給額も全国一律が基本で、平均年収は平成23年度決算時で1185万円と在京の民放局並みだ。

 昨年3月22日の衆議院総務委員会では、同時期の一般の被雇用者報酬が約440万円であるのに対し、厚生費などを入れた人件費は1780万円にもなると指摘された。厚遇ぶりは突出している。


平取ダム建設は凍結せよ

2012年12月24日 | ア行
                   大塚 和義(大阪学院大学教授、アイヌ民族学)

 北海道の日高管内西部を流れる沙流川(さるがわ)は地域のアイヌ文化を育んできた。アイヌ語でシシリムカ(本当に・あたり・塞がる・させる)と呼ばれたように、砂が多く流れる川でもある。この川の上流に巨大ダム「平取ダム」を造る計画が進められ、まさに建設の可否を決める重大局面を迎えている。

 川の中流には巨費を投じた二風谷(にぶだに)ダムがある。建設当時、2人のアイヌ民族出身者がアイヌ民族の文化享有権を巡る裁判を提起。アイヌ民族の文化享有権を不当に無視ないし軽視したとして札幌地裁で違法判決が出され、確定した。

 この判決を踏まえ、平取ダム建設の文化的側面への影響を調べるため、地元のアイヌ民族出身者や研究者などからなる「アイヌ文化環境保全対策調査委員会」が2003年に発足。筆者も加わり、06年に報告書をまとめた。アイヌの伝統文化を継承する動植物資源、とりわけヒグマやワシタカ類への影響が大きいとされ、予定地にチノミシリ(我ら祭る所)が存在することも分かった。

 ところが現状は、アイヌの聖域の水没に何ら対策がとられないまま、工事が進められようとしている。これはアイヌ文化振興法(1997年成立)や先住民の権利に関する国連宣言(07年採択)の趣旨に背く重大な問題である。

平取ダム計画  アイヌの聖域、水没の危機

 アイヌの伝統と近代の開拓による景観が交じるダム予定地の周辺は、国から重要な文化的景観に指定されている。縄文時代から、海峡を越えて本州でも石斧に使われた「アオトラ石」の唯一の産出地でもある。こうした文化遺産や自然環境を踏まえ、この地の価値を総合判断する作業が求められる。

 平取ダムが抱えるもう一つの問題は安全性だ。沙流川は砂がたまるスピードが極めて早く、ダムには適さないと、当初から指摘されてきた。二風谷ダムには湖面から顔を出すほど土砂が堆積している。平取ダムからの放流による砂が加わればどうなるのだろう。

 ダム推進派はデータを使って安全性を主張するが、恣意的な変更を繰り返したデータには不安を覚える。下流の自治体議会からは、安全が確保されるまで工事の中止を求める意見書さえ出ている。

 国土交通省北海道開発局が先月出した報告書は、「平取ダム建設は妥当」と結論づける。だがそこに文化的課題への具体的な対策は記されていないし、二風谷ダムの使用可能年数も示されていない。

 平取ダム建設は当面凍結すべきだ。いま必要なのはこの地に根付くアイヌ文化への配慮と、信頼できるデータに基づく検討、再評価を通じた沙流川の安全と美観、流域社会の健全な生活の構築だ。

(朝日、2012年12月22日)

浜松中2生のイジメ自殺

2012年12月21日 | ア行
01、中日新聞、2012年12月20日

 浜松市立曳馬(ひくま)中学校2年の男子生徒=当時(13)=が6月に集合住宅の屋上から落ちて亡くなった問題で、市教委の第三者調査委員会(委員長・岸田真穂弁護士)は12月19歩、自殺と判断した上で「背景にいじめがあった」とする調査報告書を公表した。学校や市教委の対応を「死に十分向き合ったとは言いがたい」と指摘。家庭や地域社会にも「いじめられる本人の立場で考えて」と求めた。

 報告書によると、生徒は部活動への出欠をめぐる同級生とのいざこざを契機に今年2月以降、塾や部活動など学校内外で10人以上の同級生らから「死ね」などの暴言や暴行を受けていた。

 調査委はこうした行為が4ヵ月に及んだと認め「友人だった者から心理的、物理的攻撃を受けて心が休まる場がなくなり疲弊し、閉塞(へいそく)感を感じていた」と判断。強がりな性格にも触れ「積極的にいじめを訴えたり、学校を休んだりできなかった」と指摘した。

 一方、この生徒に対するプロレス技のような行為を教員が複数回目撃し、止めたとの証言も採用。いじめをうかがわせる行為が教員間で共有されなかった理由を「教員のいじめの認識の甘さが根底にある」と問題提起している。

 市教委の高木伸三教育長は報告書を受けて初めて遺族と面会し謝罪。記者会見では「死の背景を知らされ胸が痛い。いじめが追いつめた」と自殺との因果関係を事実上認め、関係者の処分を検討する考えを示した。

 生徒は6月12日午後、学校から帰宅して間もなく屋上から転落。遺書は見つからなかった。

 学校側は当初「思い当たる節はない」と説明。同級生らが男子生徒に対し自転車をけったり、暴言を吐いたりしたと学校側の調査に答えたため、学校や市教委は「いじめ」の存在自体は認めた。だが市教委は「いじめと亡くなったことがつながっているという確証が持てなかった」(高木教育長)として、遺族の意向も踏まえ7月下旬に調査委を設けた。

 岸田弁護士や元家裁調査官の佐々木光郎・静岡英和学院大教授(生徒指導論)ら4人による調査委は8月以降、全校生徒対象の無記名アンケートや関係者への聞き取りを実施し、いじめの有無も含めて死に至った背景や再発防止策を検討した。

02、読売新聞、2012年12月21日

 浜松市中区で6月、自宅マンションから転落死した同市立中学2年の男子生徒(当時13歳)について、市教委の第三者調査委員会が塾や学校でのいじめが背景の自殺と結論づけたことを受け、市教委は20日の定例会で、教員のいじめ対応能力を向上させる専門家チームを発足させる方針を示した。

 定例会では、委員から「教師がいじめを見つけられなかったことは重く受け止めなければいけない」「学校を監督するのが市教委、市教委を監督するのが教育委員。私たちにも人を思いやる気持ちが欠けていた」などの意見が出た。

 再発防止策としては①専門家チームを発足させ、子供が抱えている問題を感知する教員の能力や子供に向き合う姿勢がどう良くなっていくかを検証する、②第三者委のメンバーを招いて今回の問題を検証する――などの対策が示された。
 また、学校だけでなく、保護者や地域住民にも働きかけながら、再発防止に取り組んでいく方針を確認した。

 男子生徒が通っていた中学校では20日午前、全校集会が開かれ、校長が生徒に「生徒が亡くなった背景に、約4ヵ月にわたるいじめが継続的に行われていたことが明らかになった」と報告した。同校では今後、男子生徒の命日にあたる6月12日を「命について考える日」とし、生徒に命の重みを教えていくという。

  感想

 教育長や校長はなぜ辞めるとか、少なくとも給与の一部返納とかをしないのでしょうか。市長にはこういうお粗末教育長を任命した責任はないのでしょうか。なぜ黙っているのでしょうか。
 又、市民はこういう教育長や市長になぜ文句を言わないのでしょうか。


エコパーク

2012年11月26日 | ア行
 国内最大級の照葉樹林を守り、環境を壊さない農業や産業を長年進めてきた宮崎県綾町(あやまち)の一帯が今年(2012年)7月、「ユネスコエコパーク」に登録された。自然との共生を目指すエコパークは、国内では30年以上前に4地域が登録ずみだが、持続可能な暮らし方にも踏み込む新基準の下では、初めて。「町おこしの参考に」と注目を集めている。

「ほんもの」を手作り

 10月中旬、快晴の日曜日。古いもので樹齢400年の木々が生い茂る森の中は、ひんやりした空気に包まれていた。宮崎市中心部から北西約25㌔。綾町に広がる照葉樹林は、地元の人が「てるはの森」と呼ぶように、太陽の光を受けた木々の葉がキラキラ光る。

 「森の生き物の一員になってゆっくりした時間をすごして下さい」。福岡市と宮崎市から来た5人を森林セラピーの男性ガイドが案内した。

 町が主催するセラピーは、森の中を半日かけて歩きながら川のせせらぎを聞き、風の音を感じ、「水が枯れない」という湧き水口の水を飲む。宮崎市の会社員の井上朋子さん(42)は「五感を刺激され、本当にリラックスできました」。

 人口約7000人の綾町は80%が森林だ。自然との共生の礎を築いたのは、高度成長期の1966年に就任した郷田実・前町長(2000年に死去)。ふるさとの自然をなくしてはいけない、との強い思いから、国の針葉樹植林政策に反対を貫き、「てるはの森」の伐採を最小限に食い止めた。全国で初めて有機農業推進の条例をつくり、化学肥料や農薬をなるべく使わずし尿や生ごみを肥料にした土づくりを進めた。

 町内の野菜が並ぶ「綾手づくりほんものセンター」には、近郊から多くの買い物客が訪れる。野菜には「金」「銀」「銅」の印。金は3年間無農薬、有機肥料で作ったもの。銀、銅は町の認証基準に沿い、農薬や化学肥料を抑えて作った野菜だ。

 有機農家の山口今朝広(けさひろ)さん(61)は、虫が寄るのは人工肥料の成分のせいと説き、代わりにキノコ菌を土にまく。本を読みあさって研究を重ねてきた。「医者がもうかるようではダメなんだ。もっと健康にいい野菜をつくりたい」と目を輝かせる。環境保全型の農家は約390人、野菜などを育てる町内の農家の9割にのぼる。

 農業だけではない。木工や陶芸、染め織りなど、40を超える工房も目を引く。環境破壊につながるような企業誘致をしなかった結果という。

 「これまでの町づくりがエコパークの理念に合っただけ。時代が追いついてきた」と、国の「現代の名工」にも選ばれた藍染め作家の秋山美和さん(71)は言う。

 エコパークは、ユネスコが認定する「生物圏保存地域」の国内通称だ。登録された綾町を中心とした総面積1万4580haは3つのゾーンに分けられる。自然保護を重視する「核心地域(コアゾーン)」では、人の立ち入りを制限。「緩衝地域(バッファゾーン)」は森林セラピーなど観光や教育、研究に活用する区域。人が生活する「移行地域(トランジッションゾーン)」では、有機農業など自然と共生した持続可能な暮らし方が体現される。

 登録されたことで、お金が直接、町に落ちるわけではないが、町は「自然と共に生きる町づくりが世界的に認められた」(前田綾町長)と喜び、観光の活発化を期待する。課題は、同じユネスコの世界遺産などにくらべ日本では認知度の低い「エコパーク」を、町の知名度アップにどうつなげ、共感を広めていくか。

 もともと、宮崎市から車で約30分とアクセスが良いため日帰り客は多いが、より長く滞在してもらう策を当面は考えるという。町の担当者は「自然を残しながら、豊かさを感じられる暮らしを実践する町の魅力は、一見で分かりにくいところもある。魅力を感じてもらえる体験型のプランを考えていきたい」と話す。

持続可能な地域発展

 1976年から登録が始まったエコパークは、今年7月時点でガラパゴス諸島(エクアドル)やイエローストン(アメリカ)など117カ国610地域に及んでいる。国内は、1980年に志賀高原(長野県など)、白山(石川県など)、大台ケ原・大峰山(奈良県など)、屋久島(鹿児島)の4地域が認定されている。

 しかし、4地域と綾町の登録には大きな違いがある。4地域は国が選んだのに対し、綾町は地元が主体的に申請したからだ。

 さらに、1995年にユネスコが策定した戦略で「地域主導の持続可能な開発と自然保護の両立」が重視され、エコパークの理念が大きく様変わりした。それまでは自然保護が重視され、核心地域と緩衝地域しかなかったが、移行地域が新設され「持続可能な形で地域も発展しないと、多様な生態系も守れない」という考え方が加わった。先に登録された国内4地域は現在、移行地域を設けるかエコパークから外れるか、13年末までの回答が求められている。

 30年以上、綾町に携わり、申請書作りを手がけた河野耕三さん(64)は「多面的な価値観を大事にした町政の結果で、今後もエコパークだけに頼る町にはならない」と意気込む。

 登録後、町には全国の自治体や福祉関係者らの視察が相次いでいる。

 10月下旬には福島県只見町の目黒吉久町長らも訪れた。世界的に貴重なブナ林があり、エコパークを目指すという。目黒町長は「現代社会の流れで自然と人間が分断され、過疎と高齢化が進んだ。自然と共生するあり方を取り戻したい」と語った。

 エコパークにくわしい横浜国立大大学院の松田裕之教授(生態学)は、町民の活動からボトムアップで登録された綾町を、海外の学者も高く評価していると紹介したうえで、こうエールを送る。「公共事業や企業誘致とは正反対の取り組みをしてきた綾町は、今後の地方のあるべき姿のトップランナーだ」

 (朝日、2012年11月17日。張守男)

          関連サイト

綾町役場ホームページ

いじめで判決

2012年11月17日 | ア行
 心の病で不登校になったのは、集団いじめが原因だとして、石川県加賀市の女子児童と両親が、市と同級生9人の保護者に、総額約4800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が9日、金沢地裁小松支部であった。

 小野瀬昭裁判官は「児童のうち3人が違法ないじめを行い、市はいじめを防ぐ適切な措置を怠った」として、市と児童3人の保護者計6人に、約703万円の支払いを命じた。

 判決によると、女児は小学1年生から2年生だった2007年から08年、階段で押されて尻もちをつかされたり、「きもい、うざい、あっち行って」と言われるなど、同級生から日常的にいじめを受けていた。

 担任教師は08年5月7日に女児の母から、女児がいじめられていると申告を受けたが、いじめていた児童の保護者には連絡せず、その後もいじめは継続。6月2日に女児が学校を休み、初めて保護者に連絡した。その後、女児はいじめによって心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症した。

 小野瀬裁判官は担任教師が女児の母親からいじめを告げられた時点で、個々の児童に注意し、その動静にも注意を払ったうえで、家庭と協力していじめの真相を解明し、原因を取り除く努力をすべきだったと指摘。いじめが女児の心身に耐え難い精神的苦痛を与えたことを認め、適切な処置をとらなかった教師の不作為を遵法と結論づけた。

 市側は訴訟でいじめがあったと認めながら、「学校はいじめ防止のために適切な処置をとった。児童の症状は、いじめが直接の原因とは言えない」と反論。保護者側も「いじめの具体的事実が明らかでない」などと請求棄却を求めていた。

 加賀市教委は「判決文が届いておらず、コメントできない」としている。

 (朝日、2012年11月9日)

   感想

 裁判に訴えたのは好かったと思いますが、校長の責任の追及のない点が拙いと思います。「学校教育は校長を中心とする教師集団が行うものである」という事はいつになったら認められるのでしょうか。

      関連項目

斎藤孝のいじめ論

小布施町図書館・まちとしょテラソ

2012年11月15日 | ア行
 我が鶏鳴出版は地方・小出版流通センターと取引をしています。このセンターは大手の取次店(本の問屋)では口座を開いてもらえない小さな出版社のために両者の仲立ちを目的として1976年に川上賢一さんが中心になって作ったものです。

 川上さんは新宿にあった新左翼系の模索舎に関わって本屋の経験を積み、それを踏まえて独立したようです。我が鶏鳴出版も資本金(?)3万円を拠出して参加しました。

 川上さんは設立直後から月刊の「地方・小出版流通センター通信」を出しています。その通信は出版流通の底辺から見た出版業界の様子を報告し、意見を述べているものですが、なかなか内容があります。それをいずれまとめると、ちょっとした史料になるのではないかと思うくらいです。

 さて、それの435号(2012年11月15日)に下記の文がありました。私以外にも知らない方もあろうかと思い、引用します。

                

 人口1万1000人余の長野県小布施町にこれからの公共図書館の姿が見える図書館があります。夜、隣接する市役所や学校が閉れば真っ暗になるところに「あんどん」のような窓の多い外から丸見え、平屋建て1000平米の町立図書館(「まちとしょテラソ」)が浮び上がっています。

 3年前に開館したこの図書館は「おしやべりオーケー」、町民や町を訪れる人々の「交流と創造の場」を目指して創られました。図書や映像による学びの場の創造や、文化継承という図書館本来の機能強化に加え、子育て支援、地域住民同志や来訪者との交涜、情報発信の場として役割を果たすことを目指します。

 情報発信として進めるデジタルアーカイ化構想は、町を1つのコンテンツと捉え、町に点在する様々な文化資源を、町民サービスの向上に活用しながら、関連情報を全世界に発信してゆこうという包括的事業計画。

 町議会の報告会は図書館でなされ、8時まで開いている建物には、塾帰りの子どもたちや、仕事帰りの大人たちも寄っていきます。図書資料ばかりでなく、映像・音の資料、そして講演会や演奏会などさまざまなイベントも行い、町民はもとより訪れる訪問者との交流の促進を果たしています。

 「世の中を照らそう、子どもたちの足下を照らし、ここから羽ばたいてもらおう」そんな意味を込めて「テラソ(照らそう)」とだじゃれて、「まちとしょテラソ」(町の図書館テラソ)という名称になったそうです。

 批判の多い「無料貸し本屋」になってしまう図書館ではない役割を意識的に編み出そうとしています。都市部では「ビジネス図書館」的役割(個人の学習と自立)がとりあげられることが多いのですが、小布施は「町づくりのための図書館」という、老若男女が行き交い、歴史や経験を雑承し、人つくりと生きがいを持てる地域の創造を目指します。

 この図書館には8万冊余の図書資料がありますが、館のみではなく、「町じゅう図書館」という構想もあり、町民の家の玄関口や商店の一角に書棚に入った本や資料が置かれ、町民や訪問者が利用し交流の輪が広がってゆく場=百ヶ所余の設置を企てています。地域の出版との連携が考えられないかと思案しますが?(引用終わり)

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小布施町図書館