その二 唯物史観(社会観)
単なる個人論や人間関係論から社会観への移行を引き起こすものは何か。それは、人間関係には、個人の性格や心の持ち方や考え方では説明の付かない領域があることに気付くことである。大抵は、個人あるいは集団の相争う場面に接して、あるいはその渦中に巻き込まれて、なぜ争うのかと追求して行くことからその事実に気付くのだが、表面的には平和な人間関係の根底に個人的理由を超える原因を見抜くこともある。思想史的には、多くの先行者があったとはいえ、この事実はマルクスによって明確に意識され、定式化された。
彼は、新聞記者として現実生活の諸問題を報じている間に、世の中の争いというものは経済上の利害に基くものだという事実に気付いた。確かにそれは争いだから、表面上は言葉の争いであり、考え方の争いなのだが、その考え方の違いは根本的には経済的利害の違いによって説明されることを発見したのである。
この程度の事ならマルクス以前にも気付かれていた、と言うかもしれない。その通りである。しかしマルクスは、この事実から出発して、人間関係を、事実としての人間関係、即ち人間は実際にどういう関係をもって生活しているかと、当為としての人間関係、即ち人間関係はいかにあるべきかについての考えとに二分し、事実(存在)の当為(意識)に対する根源的規定性を定式化したのである。即ち、人間の社会的存在は社会的意識を規定する、と。ここに経済的利害の重要性は単なる指摘から、社会観の一般的方法となった。
この唯物史観が「言葉として」知れ渡っている世に生まれてくる人々は、特別の努力をしないでも経済的利害の問題に気付くし、マルクスによるこの一般的定式を知ることになる。そして、その定式の表面上のもっともらしさを理解しただけで、一部の人は唯物史観に賛成し、他の一部の人々は「それだけが全てではない」として、唯物史観に反対する。私は、いずれも間違いだと思う。私見によるならば、現代において唯物史観を本当に理解する鍵は、価値判断の問題であり、善悪と高低と好悪の区別と関係の問題である。
価値判断が人によって違うということから、「価値判断は主観的なもので、そこには客観性は無い」とする考えが、公理のようにまかり通っている現代で、これはおかしいのではないか、価値判断の争いとは、一通りでしかありえないものについての複数の考えの争いであり、従ってそれは自然科学上の論争と何ら変わらないのではないか、と気付くことから、唯物史観の主体的捉え直し、その創造的継承が始まるのだと思う。逆に、この問題意識を介して唯物史観を考え直さない人が、どんなに政治運動をやっても、どんなに経済史を勉強してみても、『資本論』を何度読み返しても、唯物史観は絶対に理解できない、と私は考えている。
さて、マルクスは人間関係を事実としてのそれと当為としてのそれに二分した後、前者は人間の物質生活の中で事実上築かれている人間関係であり、分配や消費を含む広義の生産活動の中で結ばれている関係なので、それを生産関係及びその総和と捉え直した。そして、生産関係がイデオロギー上の関係を決定するということは、それ迄考えられてきたような、精神世界の自立性を否定し、逆に、生産関係こそ独自の歴史を持つものだという考えに導いた。マルクスが『ドイツ・イデオロギー』の中で、経済史の独立性と思想史の経済史への従属の2つを跡付けようとしたのはこのためである。
この説を貫徹するために、彼は「二種類の言語」という説を立てた。即ち、人間の活動にはつねに意識と観念と言語が伴うにも拘らず、やはり、生産関係(社会的存在)とイデオロギー上の関係(社会的意識)を分けるために、前者の中に組み込まれている言語と、後者の言語とを分けたのである。論理的性格からは、直接的言語と反省された言語と捉え直すこともできるだろう。その上で、先の2つの歴史を調べ、所与の時代の支配的な思想はその時代の支配階級の思想だと見抜いたのである。
しかし、我々が個人的人間関係に悩み、社会的人間関係に関心を持つのは、それについての学問を作るためではない。1度しかない人生をよりよく生きるためである。個人はいつからこの「いかに生くべきか」の問題意識を持つようになるか。言うまでもなく、自我の目覚め以降である。その時、その問いに答えるために「人間とは何か」を考え、人間にとっての万物の意味を考えるのである。そして、この時、本人には自覚されていないが、事実上、概念的思考が始まっている。即ち、事物の現象や本質を知るだけではなく、それと人間との関係を考え、それを全てのものについて考え、統一的な像を作ろうとする努力である。それは、同時に、真理概念の変革を伴っている。事物の人間にとっての意味を考える時、人は「本当の物」とか逆に「偽物」といった言葉を使うが、ここでの「本当」とか「偽(にせ)」とかは、もはや単なる認識上の事柄ではない。これをはっきりと意識し、真理の客観的概念として定式化した人がへーゲルであった。
では、人間の本質は何か。従って人間の使命は何か。マルクスはこの問いに対して3種の定義を与えた。それは、人間だけは他の動物と違って、「自己に成る」必要があると見抜いたからである。人間以外の動物は、その完成した形態上の特徴によって定義され、分類されている。しかし、人間は形態上はサルと変らないから、機能上の特徴によって定義するしかないのだが、その機能上の特徴が完成されておらず、人間は人間化の途上にあるのである。
マルクスによる3種の人間規定、①人間は道具を作る動物(労働する動物)である、②人間の現実的本質は社会的諸関係の総和である、③人間は類的存在であるは、このように理解して初めて統一的に理解できる。
マルクスは、このような全体的視座を定めた後、自分の生きていた時代における「人間の現実的本質」を研究した。これが『資本論』に集約される彼の経済学研究である。そして、その結論として、かつて封建制下の小生産者を収奪して生まれ成長してきた資本家達が、今度は、組織された賃労働者に収奪されて社会主義社会になる、と推定した。
このマルクスの理論を認めない場合はもちろん、認めた場合でさえ、個人がどう生きるかは一義的には決まらない。それは、根本的には、本人がどういう人生を生きたいかによって条件付けられているのだが、個人を取りまく事情や本人の才能によっても影響されるからである。そして、直接的には本人の判断によるのだが、この判断は歴史の運動や自他の諸条件についての認識に基くとはいえ、その認識は完全無欠なものではありえず、そこには多かれ少なかれ飛躍があり、分からないけれどやってみるという要素が残るからである。仕事に就く場合でも、何かの団体に入って社会運動をする場合でも、あるいは結婚する場合でも、調査と思索の上で選択をするのだが、そこには必ず分からない部分が残るのであり、分からないが選択し、行動するという要素が残る。この要素を不当に拡大して、人間の行為の選択にはいかなる客観的根拠も無いとしたのがサルトルの実存主義であり、その「投企」概念である。
こうして決断した結果、何らかの社会運動をしようということになると、その人は同じ考えの人々と組織を作ることになる。その時、その人は本項のテーマであった社会観のほかに、前項のテーマであった狭義の人間関係論に直面することになる。それは、換言するならば、人間関係を律する規律のあり方の問題であり、組織論ということになる。この問題についての前項での結論は、人類の解放という目的を持つ運動にあっては、その問題は、人格の平等と能力の不平等と個人の有限性を認め、その三大原理を正しく処理した組織論に行きつく迄は、本当の解決に達しないだろう、ということであった。
6、方法論
認識は真でありうるのかという素朴な反省から始まった認識論は、検証された認識が否定されるという経験を介して深まる時、一方では存在論から実践的認識論へと進み、他方では個人論及び個人的人間関係論から社会観へと進んだのであった。
これを見た今、我々は「認識を正しく導くにはどうしたらよいか」という方法の問題に直面する。これは、既に、近世初期に認識論が始まった時から問題とされていたことであり、個人が認識論的反省をする際にも多かれ少なかれ意識されているテーマである。人間の反省はよりよい実践のためであり、認識におけるよりよい実践とはより正しく認識することだからである。
よりよい認識を考えるには、その前に、認識とは何かということをこの面から規定しておかなければならない。すると、認識とは今迄知らなかった事を知ることだ、と言える。従って、それをよりよく行うには、未知の対象についての知識を予め持っていなければならないという矛盾のあることが分かる。又、それを知る知り方の特徴についても知っておかなければならない。なぜなら、対象は認識の特質を介して認識されるからである。
その認識の特質については前節まででまとめた。感覚の根源性、ここからは「調査無くして発言権無し」とか「大衆路線」というスローガンが生まれてくる。思考の加工性、ここからは概念操作能力の訓練ということが出てくる。実践的認識論、ここからは歴史的反省の重要性が引き出される。人知の相対性、ここからは、決めつけを排して冷静に話し合い、真偽は歴史の判定に待つという落ち着いた態度が結論される。唯物史観、ここからは事実としての人間関係と当為としての人間関係(人間観)を分けて考えることが要請され、社会思想と特定の階級の歴史的傾向とを結びつけて考える態度が生まれてくる。
残されたものは、未知の対象について予め知っていなければならないという矛盾である。これは次のようにして、次の各項が妥当する範囲内で解決される。即ち、方法というのは、①それ以前の研究の成果であり、結果である、②しかしそれが一般化されているが故に、今後の研究の導きの糸になる、③それはあくまでも導きの糸であって、証明手段ではない。
そして、このように方法の性格が分かると、それは知識の問題というより知識の使いこなしを含んだ能力の問題だということも分かってくる。そうすると、それを高めるには、多くの場合、生きた先生について修業をしなければならないということになり、ここでも又、狭義の人間関係の問題に帰ってくる。
以上は個人の認識をよりよく導く方法であった。しかし、集団の認識をよりよく導く方法も、これと原理的には変わらない。変わる点は、個人の頭の中での迷いは同一能力者の2つの考えのくい違いだが、意見を異にする複数の人間の間には能力の差があるということ、認識能力外の好悪の感情や利害やメンツといったものが介入しやすいことであろうか。情報機器の発達や使いこなしで話し合いがスムーズに行くなどというのは、個人の調査研究でも、カードや機器の活用で左右される部分のあることと同じである。
このような認識論を意識的にせよ無意識的にせよ、正しく適用した個人や組織が、それなりの成果を上げてきた。自然生活運動はそれを自覚することで、人間関係こそ鍵であるとして、真の民主主義を考える研鑽を中心に据えることになった。
(1)寺沢恒信訳国民文庫版の第2版(1960年6月20日刊)への「解説」による。以下、引用の頁数はこの訳書のものである。但し、訳文は少し変えた所もある。
(2)『鶏鳴』第94号所収の拙稿「理論の党派性」(本書にも「党派性」で所収)
(3)これらの語は、語としては以前からあったようで、既にヘーゲルにもある。エンゲルスには「相対的誤謬」(『反デューリンク論』第9章)、「絶対的真理」と「相対的真理」(『フォイエルバッハ論』第1節)などの用例がある。
(4)真理という語をどう定義するかで既に諸説がある。ヘーゲルはそれを主観的定義と客観的定義と絶対的定義とに分けたが、前二者については拙稿「ヘーゲル哲学と生活の知恵」(『生活のなかの哲学』所収)で説明した。客観という語についても諸定義があるが、ヘーゲルの『哲学の百科辞典』第41節への付録2(牧野紀之訳『小論理学』第41節への付録3)にその分類がある。
(5)レーニンは宗教をまともに研究したことがほとんど無いようだが、宗教の中には沢山の真理が含まれている。これを弁証法的唯物論の立場から止揚するのが真の理論であり、「具体的普遍」概念の実行である。宗教を原理的に考える観点については拙稿「宗教と信仰」(『先生を選べ』所収)に書いた。
(6)「形而上学」の諸義については拙著『関口ドイツ語学の研究』の「単語の心」の「メタフユジーク」の項に書いた。「独断論」の語義については「ヘーゲル哲学辞典」の「教条主義」(本書所収)に書いた。
(7)このような私見に対しては、「青木書店の『哲学辞典』や新日本出版社の『社会科学辞典』が出ているし、ソ連や中国でも各種の辞典が出ているではないか」という反論が予想される。私としては、これらの辞典が運動に十分役立たないと考えたので、自分で作っている。上記の物で満足だという人は、どうぞそれをお使い下さい。言葉ではお互いの異同を確認するにとどめ、お互いの考えを実行し、判定は歴史に任せるのが理性的だと思う。
(8)①以上に述べた「現実認識の論理」については、拙稿「『パンテオンの人人』の論理」(『生活のなかの哲学』所収)で詳しく原理的に展開した。②実験については、多分、エンゲルスが「フォイエルバッハ論」の第2章で「実践、即ち実験と産業」という句を書いたためだと思うが、無批判に実践の1種とされてきた。中国では「三大実践」として、産業と実験と階級闘争を挙げるのが常であった。しかし、実践はつねに理論との相関関係の中で考えることと、相対的観点と絶対的観点を忘れないで、どちらの観点で考えているのか意識して考えることが、大切である。絶対的観点からは、それは人間の物質的生活そのものであり、従ってこの場合は、理論とは精神生活となる。この時、実験は理論の一要素である。相対的観点からは、人間の一切の行為について、直接的なものと反省されたものとの関係が成り立つ時、前者を実践とし、後者を理論という。だから、ある文章を書くことは、文章論との関係ではその文章論の実践だが、その文章の内容との関係では理論である。実験は産業の反省としての理論の一部だが、仮説の実践でもある。
(9)人間の行動こそが認識の真理性を確認するという点については、エンゲルスが『自然弁証法』の「弁証法」とされている項で述べた。内容的には、これは、ヘーゲルの『哲学の百科辞典』の第232節の本文及び付録にあることと一致する。
(10)「そもそも思考とか意識とは何か、それはどこから来たのかと問うてみるならば、それは人間の脳の産物であり、人間自身が自然の1産物であり、その環境の中でその環境と共に発展してきたのだと、分かるのである。その時には、また、人間の脳の生んだもの〔思考と意識〕は、結局はそれもまた自然の産物なのだから、その他の自然の関連と矛盾せずに合致するという事は、自から理解されるのである」(エンゲルス『反デューリンク論』第3章)。なお、ヘーゲルは「理性は歴史の中に理念があることを確信している」と言っているが、そこにもこのエンゲルス説と同じ考えがある。この点は拙稿「唯物弁証法問答」(「ヘーゲルと共に』所収)の第13問答にくわしく書いた。
(11)この2種の懐疑論の区別はヘーゲルに拠る。「哲学の百科辞典』第39節参照。また、「実証主義」の語義については、『鶏鳴』第84号所収の「ヘーゲル哲学辞典」の同名の拙稿にまとめた。
(12)物質概念の定義については、そもそも定義するとはどういうことなのかから考え直さないと混乱する。これについては拙稿「かわいい子には旅をさせろ」(『生活のなかの哲学』所収)にまとめた。
(13)レーニンによる物質の定義については、拙稿「唯物弁証法問答」(前出)の第9問答に書いた。
(14)思考の物質的性格については、「認識論の認識論」(「哲学夜話』所収)にくわしく書いた。
(15)エンゲルスが「近世哲学の根本問題」として「思考と存在の関係の問題」を挙げ、その第1の面として「精神と自然の関係の問題」を述べたのは、存在論上の唯物論か観念論かの問題に当たる。その第2の面として「思考と存在の同一性の問題」を述べたが、それは認識論の問題である。エンゲルスがこの二面を並列させ、存在論を先に持ってきたのは、根拠が挙げられていない。自分で原理的に考え直してみないエンゲルス盲従分子を彼は念頭に置いていなかった。
(16)この3点を詳しく述べたものが、それぞれ、拙稿の「労働と社会」と「『パンテオンの人人』の論理」と「理論と実践の統一」である。許萬元氏の力作「ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』(大月書店)は前2点についての優れた研究である。
(17)これが哲学史的には、ヒュームによって独断の微睡(まどろみ)から目覚めさせられたカントの経験に当たる。
(18)マルクス『経済学批判』への「序言」。
(19)レーニンは『人民の友とは何か』の第1分冊で、社会関係を物質的社会関係とイデオロギー的社会関係に分け、それぞれを、形成される前に人間の意識を通らない関係と通る関係として特徴付けたが、これは間違いである。生産関係のほとんどは、形成される前に人間の意識を通るし、社会主義的生産関係はなおさらそうである。レーニンがこの両概念の定義で間違えたのは、認識論上の物質と意識の違いを社会関係の区分に無反省に適用したからだが、その「無反省」とは、命名的定義と概念規定的定義の違いについての反省に欠けたということである。多くの人々もレーニンのこの定義に釈然としないものを感じているようだが、それをはっきり言えないのは、左翼陣営の非民主主義的体質が背景にあるからだと思う。どこがどう間違っているかを指摘できず、代案を出せないのは、社会的意識とは人間関係についての当為なのだということを見抜けないからだと思う。
(20)拙稿「価値判断は主観的か」(『生活のなかの哲学』所収)を「書斎の窓』誌に発表した時、当時はまだ付き合いのあった許萬元氏は電話を寄こし、「少し強引ではないか」と批判してくれた。氏と私との違いはもちろん生き方の違いが根本だが、理論的にはここにあると思われる。
(21)古在由重訳『ドイツ・イデオロギー』(岩波文庫)31頁
(22)拙稿「子供は正直」(『生活のなかの哲学』所収)、その他。
(23)拙稿「ヘーゲル哲学と生活の知恵」(前出)に書いた。尚、個人の考え方の成長の諸段階については、「恋人の会話」(『生活のなかの哲学』所収)にまとめた。
(24)「サルの人間化における労働の役割」(『ヘーゲルの目的論』所収)への訳者の注解の59, 62、63、64、65, 68, 72、76参照。
(25)拙稿「労働と社会」
(26)「価値判断は主観的か」(前出)
(27)その1例としてデカルトの『精神指導の規則』を挙げておこう。
(28)拙稿「中国共産党の論文『プロレタリアート独裁の歴史的経験について』への評注」(『ヘーゲルからレーニンヘ』所収)の評注21に書いた。
(29)拙訳『経済学批判への序言』への訳注31参照。
(30)拙著『先生を選べ』
(1988年08月10日)