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初版『資本論』の所蔵

2018年11月21日 | サ行
   初版『資本論』の所蔵

1、11月5日の朝日新聞夕刊に次の記事がありました。
      「資本論」
  ──マルクスのサイン入り初版本、世界に15冊、4冊は日本に

 生誕200年を今年迎えたドイツの思想家カール・マルクス。その「資本論」の自筆サイン入り初版本が日本に少なくとも4冊あることが研究者の調査でわかった。

 サイン入り初版本は東北大、法政大、関西大、小樽商科大が所蔵していた。いずれも扉ページ横などに、友人や研究者の名前と謝辞、マルクスの自筆サインが書かれている。国際マルクス・エンゲルス財団(オランダ)で全集の編集委員を務める大村泉・東北大名誉教授(マルクス経済学原論)の調査でわかった。

 大村名誉教授によると、資本論は1867年、第1巻のドイツ語初版本が1千冊発行された。このうちサイン入りは世界で15冊確認されているという。

 国内の大学がサイン入り初版本を購入した経緯はさまざまだ。東北大は1989年、外国書籍を扱う丸善から490万円で買った。友人のドイツ人ジャーナリストへの献群が書かれており、付属図書館の貴重書庫に保管されている。

 国内の4冊の中で最も早い1921年に購入したのが、法政大の大原社会問題研究所だ。「日本円換算の18円20銭で購入」との記録が残る。関西大は1984年に丸善から520万円で入手。両大学とも公開は予定していないという。

 唯一、一般に公開(要予約)しているのが小樽商科大。元学長が1980年にべルリンの古本屋で購入し、遺族が大学に寄贈したものだ。大村名誉教授は「日本には初版本が約50冊、中でもサイン本が4冊あり、ドイツやロシアより多い。戦前のマルクスブームの証しだろう」と話す。

 2013年、マルクスが自筆で注釈を書き込んだ資本論の初版本が、「共産党宣言」の手書き原稿とともにユネスコ世界記憶遺産に登録され、サイン入り初版本の価格も急騰。オーストリアの古書業者が150万ユーロ(約1億9千万円)で売り出したことでも話題になったという。(2018年11月05日朝日夕刊、石川雅彦)

 2、感想

 第一に考えた事は、この記事はマルクスを「思想家」と紹介していますが、「マルクスを紹介するとしたら、ほかに何という言葉が考えられるかな?」という事でした。すぐに浮かんだ対案は、革命家と経済学者です。ドイツ語版のウイキペディアを見たら、哲学者、経済学者、社会理論家、政治ジャ-ナリスト、労働運動の指導者、ブルジョア社会の批判者と六つもの称号が挙がっていました。
 ちなみに、エンゲルスは哲学者、社会理論家、歴史家、ジャーナリスト、共産主義の革命家、ブルジョア社会の批判者でした。マルクスと比べると「経済学者」が「歴史家」に替わっていますが、内容的には同じと考えて好いでしょう。レーニンとなると「ソ連の建設者」が入っていますし、毛沢東では「中国共産党の主席と中華人民共和国の主席」が主です。
 元に戻ってマルクスの肩書きを何とするかと自分で考えてみますと、やはり「思想家」が無難かなと思います。エンゲルスも同じです。その意味は、私の現在の考えでは、「革命家」とは言えないということです。その人生の前半は「革命家」だったと思いますが、後半は「経済学者」は少し酷いとするならば、やはり「思想家」しかないでしょう。なぜかと言いますと、「革命家」と言うのは、革命のためには、客観情勢と自分の資質・能力から考えて、今何をするべきかを考えて行動していなければならないと思うからです。そして、後年のマル・エンは、「革命家」と言うには、運動なり運動の組織の中心に居てそれを指導し、特に後輩達に本当の理論を身につけさせるためには何をしなければならないかを、常に考えて実行していなければならなかったにも拘わらず、それをしなかったからです。
少し酷い言い方をしますと、昔、学生運動が盛んだった頃、「学生時代のアカなんて、ハシカみたいなものだ」と言う言葉がありました。これを「はしかアカ」としますと、マル・エンは「元祖はしかアカ」だったのではなかったか、という事です。1848年の革命運動に参加した頃はアカだったのでしょうが、亡命してからは徐々にアカではなくなっていったのではないだろうか、という考えです。「こんな現状では社会主義革命なんて、無理だ」と思い、理論的な仕事をしていたのではないか、ということです。
 エンゲルスは『フォイエルバッハ論』(1888年)の最後を「ドイツの労働者階級の運動こそドイツ古典哲学の相続者である」と結んでいますが、これはリップサービスだったのではないだろうか、と思うようになりました。1878年に『反デューリンク論』を書いた時も、この『フォイエルバッハ論』を引き受けた時も、ドイツの社会民主党方面からの要請で書いたようですが、そしてそれは「喜んで引き受けた」ように書いてはいますが、本当は「まだオレに頼んでくるとは、情けない話だ」という気持ちがあったのではないでしょうか。同時に「後輩の養成に手抜かりがあったな」という自己反省まであったかは分かりませんが(多分、無かったでしょう)。

 もう一つ考えた事は、こういう歴史的史料の収集と保管において日本が世界の先端を行っているという事実です。これは、その裏面に、「先人の思想を主体的に継承して、生きて行くという点では、決して世界の先頭に立ってはいない」、という事実を伴っています。ここに日本の学者の講壇学問の特徴がよく出ていると思います。普通の言い方をするならば、「マルクスの思想を受け継いで生きる」という事とは切り離して、本だけ珍重するということです。分かりやすく言うならば、政治的実践には踏み込まないで、マルクスの理論を「客観的に」研究するだけで自己満足しているということです。

 マルクス研究で最近特にがんばっている的場昭宏は、「私は、これからの時代こそマルクスの時代だと思っております。そのためにも、マルクスとはどういう人物だったか、その思想はどういうものであったかを、とりわけ若い人たちに学んで欲しいと思っております」(『カール・マルクス入門』360頁)と言っていますが、何のためにマルクスを学ばなければならないかは書いていません。そして、ご自分は「ライフワークである『マルクス伝』を執筆中……じきに勤務先の大学も退職するので、余った時間を伝記の完成と、マルクスの詳しい解説つきの翻訳のために、あの世に迎えられるまで捧げるつもりでいます」(同、357頁)と言っています。正直でいいですが、内容的には「世の不正と戦う気はありません」、「政治には一切関わりません」ということです。

 3、朝日新聞の記事

 少し前、こういう記事がありました。

 ──今月上旬、シングルマザーの彼女(18)は、仕事に復帰した。2人目の子どもを出産して2週間。「早すぎるって友達に言われたけど」。メイクをして向かうのは「性的サービス」を伴う那覇市の夜の飲食店だ。

 7歳で親が離婚し、父親に引き取られた。年上の兄弟が食事を作り、服はもらい物が多かった。中学卒業後、父親に「自立しろ」と言われ、働く所が見つからないうち、知人に誘われて今の店に。数ヵ月後に妊娠、出産した。

 母子生活支援センターの寮で暮らしたり職員の指導で、食堂の店員など「昼の仕事」に就いたが、時給は700円台。アパートに移るお金を稼ごうと、友人宅に泊まると言って「夜の仕事」に出た。多いときで一晩に3万円を手にできた。

 2人目の子どもを出産した日も、直前まで店に出ていた。「最初の子が可愛かったから、次も産みたかった」。父親たちとは結婚に至らなった。

 知事選は投票権を得て迎える初の選挙だが、興味は持てない。「子どもに不自由させたくないけど、選挙で生活が変わるかな。何かのせいで自分がこうなっているとも思わないし」。

 子どもの貧困は、沖縄県で特に深刻だ。県が初めて行い、2016年に発表した独自調査による貧困率は29・9%。全国平均の倍だ。県民所得が全国最下位(約217万円、15年度)という「親の貧困」が招く現実。ひとり親世帯の割合も高い(6・36%、13年度)。離婚の大半は経済的理由という。

 元県中央児童相談所長で若年妊産婦の支援に取り組む山内優子さん(71)は、戦後27年間にわたる米軍統治で児童福祉法の適用が遅れたことが「貧困の連鎖」の遠因とみる。「そして、今は基地問題。代々の県政が手を取られ続け、本来の大きな課題に腰を据えて取り組めずにいる」。(朝日、2018年09月22日。奥村智司)

 4,感想

 こういう現実を調べて、本にしたものがあります。『裸足で逃げる』(上間陽子著、太田出版)です。
 「ライフワークである『マルクス伝』を執筆中」のマルクス研究者はこういう現実をどう考えているのでしょうか。
 私は、やはり「世の中をよくする」という初志を忘れたくないと思っています。あえて言いますけれど、今問題になっている普天間基地の辺野古への移転の問題でも、私は、辺野古移転を認めて、その代わりとして、十分な補償を毎年、政府からもらうことを約束させて、それを沖縄の全県民を対象にした「ベーシック・インカム」に当てると好いと思います。現に辺野古周辺の人たちはこれを選択しています。先日の県知事選挙で反政府側が勝ったのは、前知事の死があったので、それに対する弔いの気持ちが強かったからだと思います。
 そもそも米軍の沖縄駐留は日本が侵略戦争を始めた結果として「無条件降伏」したことの結果の一つで、実際問題として、日本の力ではどうしようもないことです。米軍の力がどれほどかを知るには、「自力の革命で政権を取ったキューバですら、ガンタナモ基地を取り返す事ができないという事実」を見れば分かるでしょう。だから米軍の方針は受け入れて、基地を辺野古に移せば、普天間基地という大きな危険は無くなるのですから、危険は小さくなるし、行政協定の(ドイツやイタリア並のものへの)改定も要求しやすくなると思います。
 日本だけの問題としても、沖縄は昔から我々本土の人間は犠牲にしてきたこと、その上、今全ての米軍基地の中で沖縄の負担はあまりにも莫大であること、こういう事を考えたら、それしか仕方ないと思います。
 とにかく、沖縄の貧困問題、特にそれを最大の原因とする貧困家庭の少女達の苦しみはこれ以上放置出来ません。「マルクスを訳して幸福な生活を送っている」訳には行かないと思います。

 その後、ヘーゲルの『世界史の哲学講義』(講談社学術文庫)が出ました。訳者は伊坂青司です。下巻の最後に「訳者解説」が載っています。そこには次のような文句がありました。
 ──ヘーゲルの「世界史の哲学」講義をどう現代に活かすかは、現代に生きるわれわれ自身にかかっていると言えよう。
 現代はまさに世界史的な転換点にあると言っても過言ではない。産業革命以降の地球温暖化とそれにともなう自然諸現象の変化、また核兵器による世界戦争の危機という人類存亡に関わる時代の中で、われわれは現代という歴史的地点を反省する必要に迫られている。そのためには、ヨーロッパの近代文明を問い直すとともに、近代以前の、しかも近代文明とは異なる世界の文明に広く目を向ける必要もあると思われる。東洋の中でも極東に位置する日本はヘーゲルによって世界史から除外されたが、その考察はわれわれ自身がなすべき作業である。現代に生きるわれわれ日本人は、明治期以降ヨーロッパ文明を受容してきた歴史を振り返るとともに、それ以前の日本を歴史的に遡上することによって、忘れられたわれわれ自身の過去を世界史的な連関の中で想起することが必要であろう。(339頁)

 やれやれ、折角「ヘーゲルを現代にどう活かすか」と正しく問題を立てたのに、その「現代」を「地球温暖化」と「核戦争の危機」とにすり替え、更にそのための仕事として、日本の過去を世界史的関連の中で振り返る」として、結局は歴史研究に、只の歴史研究に持って行ってしまうのです。

 伊坂は、極左派から転向して出世し、紫綬褒章までもらい、今やヘーゲル哲学そのものではなく、ヘーゲル関係の文献学で頑張っている加藤尚武の弟子のようです。この師にしてこの弟あり、ですね。









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