マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

市場(しじょう)か市場(いちば)か

2018年12月31日 | サ行

 この問題については、面白いので、興味をもって注視しています。少し用例を集めてみようかなという気持ちになりました。

A・市場(いちば)の用例

 既に記録しましたが、大きいのでは、楽天市場があります。

 ネット空間ではなく、リアル世界で必ず「いちば」と読んでいるのは「魚市場(うおいちば)」です。

 魚が中心でしょうが、他に野菜なども扱っている所で、大きなものでその後見つけたのは、京都の錦市場(にしきいちば)があります。朝日紙にカナが振られていました。

 金沢市の近江町市場(おうみちょういちば)もこちらです。こういう大きな市場でも、旧習を守って「いちば」と言っている例を見つけると嬉しくなります。ただし、金沢市には金沢市中央卸売市場(しじょう)というのもあって、これは文字通り卸売りで、小売店が買いに来るのだそうです。
小売りは「いちば」と呼び、卸売りは「しじょう」と言うとすれば、一応の原則は出来た事になりますが、他所はどうでしょうか。この伝で行くと、築地は場外市場は「いちば」と呼び、卸売りの方は「しじょう」となりますが、そうはなっていません。

 上に書いた京都市の場合はどうなのでしょうか。錦市場以外に卸売り市場があるのでしょうか。と考えて、市役所に電話で聞いてみましたら、中央卸売市場(いちば)というのがあるそうです。さすがに古きを愛する京都! こちらも「いちば」でした。

 皆さん、自分の都市なり町なりの「市場」の呼び方を確認して、面白い事があったら教えて下さいませんか。

 築地市場について大発見をしました。東京証券取引所への登録名が「築地魚市場(つきじうおいちば)」となっていることを発見したのです。確かめたい人は、本屋に行って、『会社四季報』を手に取って、コード8039を探してご覧なさい。ちゃんとカナが振ってあります。

 しかし、この会社名もその内に「豊洲市場(しじょう)」と改名されるのでしょうか。ああ。

 断っておきますが、私は、読み方を元に戻せと言っているのではありません。言葉は変わる物ですから、変わっても好いのですが、いつ頃、なぜ変わったのか、を考えてほしいと言っているのです。少なくとも、辞書はそれを書くべきだといっているのです。こういう事に多くの人が関心を持つようになってほしいのです。

 「しじょう」か「いちば」かで言えば、個人的には、「いちば」の方が、その「賑やかさ」が聞こえてくるようで、楽しいから好きですが。

 ついでに

 「他方」と言うべき所を「一方」という言い方には絶対に賛成できません。これでは物事を対立で考える弁証法が不明確になります。しかし、今や「他方」は死語同然です。「他方」という語を正しく使っている例は探すのが大変です。

 「他方」の代わりに「一方」を使っている例は沢山あります。教育問題を中心にして大活躍の斎藤孝の『使う哲学』(KKベストセラーズ)の中に次の用例がありました。

  ── ドイツの哲人イマヌエル・カントは「定言命法」を説きました。定言命法とはカントが考えた道徳の原理で、「~すべきだ」「~せよ」という正しい行ないについての無条件の義務のことです。~
 一方、誰もが納得する法則って何だろう、そんなことは決められない、それに、どうしたって、そのときどきの状況によって、できることとできないことがある。(略)」(27頁)

  ── オーストリア生まれのイギリスの哲学者、カール・ポパー(1902年~1994年)は科学は反証可能性が大事であると言い、マルクス主義を批判しました。反証可能性とは、仮説や命題などが実験や観察によって間違っていると証明される可能性のことで、ポパーは間違いであることを証明できる可能性があるもののみを科学と考えました。~
 一方、たとえば、三角形の内角の和は180度であることになっていますが、これに対しては「間違いである」と反証できる可能性はあります。実際には、今に至るまで、平面上では三角形の内角の和は180度とされ、反証されていませんが、反証される可能性はあります。となると、「三角形の内角の和は180度である」ことは科学といえます。(67頁)

 この二つの例では、「一方」の所はやはり「他方」と言うのが正しいと思います。「正しい」では言い過ぎとするならば、「本来の言い方」と言ってもいいです。こういう私見に対しては、「もう一方」というのを短縮して「一方」と言っているだけだ、という反論が考えられます。

 私も、ここで「一方」と言うのは、前に「一方」という語が出ていない状況だから、「他方」と言うのはどうかなと感じて、「もう一方」ないし「その一方」という意味で「一方」と言ったのが始まりで、それが、今では「他方」などという言葉は忘れられてしまったのだと思います。

 実際、12月30日付けの読売新聞電子版には次の文が載っていました。

  ── 改革開放から40年、今月18日の記念式典で習主席が行った重要講話で、中国は引き続き発展を追求していくことが確認された。インフラ整備による大経済圏の構築、若者がリードする大衆娯楽やW杯で見られた消費はダイナミックで、中国経済にはまだまだ勢いがある。

 その一方で、米中貿易摩擦がもたらすマイナス要因に人々は不安を感じ、消費傾向の変化に敏感になっている。今年選ばれた言葉からは、躍動する社会の中で様々な問題を抱えながら生きている人たちの姿が浮かんでくる。来年はどんな言葉が生まれるのだろうか。(西本紫乃)

 しかし、やはり「他方」を使うべきだと私は思います。「一方」と「他方」、対立がハッキリ出て、気持ちがいいではありませんか。
 それにしても、「他方」という語を正しく使ってくれた例は中々出てきません。先日の朝日紙に一つありましたが、長い引用になるので、採録を躊躇してしまいました。今後はこれの収拾に力を入れるつもりです。皆さんも、出来たら、協力して下さい。

 そうそう思い出した事があります。「大地震」の読み方についてです。NHKではこれを「おおじしん」と読むように決めているそうです。何かの放送で聞いた覚えがあります。

 その他の点でも、NHKには「放送文化研究所」みたいなところがあって、言葉の研究をしているはずです。その部署に属する人が放送の中で出てきて、今関心を持って調べている事について発言することがあります。そのこと自体は良いことだと思うのですが、私見では、そこで取り上げる問題がどうもあまり重要でない事が多いように思います。自分の関心と離れていると「重要でない」と言うのも気が引けますが、私の問題にしている点は、やはり常識的にみて重要な事だと思いますが、どうでしょうか。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 事実を指すwenn(改訂版) | トップ | 「天タマ」第21号 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
世論(よろん)か世論(せろん)か (尾野 豊)
2018-12-31 19:59:18
 先日は『小論理学』お送りいただきありがとうございました。
 時間がとれないので(と言うと、牧野さんに「やる気がない」「能力がないんだ」と言われそうですが)なかなか進みませんが、とりあえず全文コンピュータに取り入れ、今は索引を手がかりに『ヘーゲル哲学辞典(仮)』めいたものを作っているところです(まだ『え』の段階ですが・・・) いつか勉強の報告でもできればいいですね。

 さて、高校時代(昭和四〇年後半)に『世論』を「せろん」と読むと、皆おかしがるんですね。「よろん」には『輿論』という字があるではないか!といっても、誰も聞き入れちゃあくれませんでした。テレビでニュースを聴いてても「よろん」という言葉は出てきても「せろん」は出てきません。もう死に絶えたのか、と思っていました。
 「市場(しじょう)か市場(いちば)か」を見て、ちょっと辞書でも引いてみようかと思ったら、まだちゃんと載っていました。

せろん(世論)
 世間一般の論。せいろん。→輿論(よろん)。(広辞苑第6版)
 ある社会の問題について世間の人々の持っている意見。よろん。せいろん。「―を反映させる」「―の動向」。「輿論(よろん)」の書き換えとして用いられ、「よろん」とも読まれる。→輿論(大辞泉第2版)
 世間の多くの人の意見。よろん。(新明解第7版)

よろん(輿論・世論)
 世間一般の人が唱える論。社会大衆に共通な意見。中江兆民、平民の目さまし「輿論とは輿人の論と云ふ事にて大勢の人の考と云ふも同じ事なり」。「―に訴える」。「世論」は「輿論」の代りに用いる表記。(広辞苑第6版)
 世間一般の人の考え。ある社会的問題について、多数の人々の議論による意見。せろん。「―を喚起する」「―に訴える」→せろん(世論)。当用漢字制定以前は「よろん」は「輿論」と書いた。「世論」は「せろん・せいろん」と読んだ。「輿論」は人々の議論または議論に基づいた意見、「世論(せろん)」は世間一般の感情または国民の感情から出た意見という意味合いの違いがある。(大辞泉第2版)
 〔「輿」は、衆の意〕それぞれの問題についての世間の人の考え。「輿論が高まる(落ち着く・割れる・沸騰する)」。当用漢字制定以後は、この意味で「世論」と書き、「せろん」と言うことが多い。(新明解第7版)

 岩波書店のホーム・ページで検索すると、
  「せろん」→岩本裕著『世論調査とは何だろうか』
  「よろん」→リップマン著『世論』
が出てきました。

 大地震を「だいじしん」と読むようになったのは、チャールトン・ヘストンの1974年の映画『大地震』からではないでしょうか。(宣がすごかった)
返信する
市場の読みについて (いんきょやの10ちゃん)
2019-01-04 15:57:13
私は56歳になりますが、「市場」は「いちば」と読むものと普通に思っていました。近くにあるものをネットで調べてみたら、「飯山中央市場」というのがありました。また長野市には「市場」という地名もあるようです。両方とも「いちば」と読むようです。長野県では、ある施設や業者を指す場合には「いちば」の方が一般的だと思います。
 また、私は切り花農家なので市場とはよく交流があります。花の業界は小さいので、市場のセリ人とは顔見知りですが、我々農家も向こうの方も「いちば」と発音するほうが多いと思います。
 花の業界で関西で一番大きい市場は、会社名を「なにわ花いちば」と言います。平成16年に改名したそうです。一般的には「~花き」と名乗ることが多いのですが、とてもインパクトのある名称だと思います。我々農家は「なにわ」は人情が有るなどと言って、官僚的な東京の市場とは少し違う印象を持っているのですが、それも関係があるかもしれません。
[市場」の読みは、考えるととても面白いと思います。私はどうしても自分の仕事に関連付けてしまうのですが、野菜も少し作っていて、そちらの市場とも付き合いが有ります。野菜に関しては「しじょう」と読むことが多いような気がします。
 ちょっと専門的な話になってしまいますが、私の印象少し列挙してみると以下のようになると思います。
(1)全体の市場規模が違うこと。切り花は産出額で2500億円位ですが、野菜はその十倍くらいあります。
(2)切り花はその日の仕切値(販売価格)が、市場によって全く違うことがよくあります。野菜では市場による違いは、あまりありません。
(3)切り花は市場からよく品質上のクレームが来ますが、野菜はよほど悪いものを出さない限り、ほとんどありません。
(4)切り花は、市場の人と農家で日常的な付き合いがありますが、野菜の方ではあまりありません。
(5)切り花は花屋さんが買ってくれますが、野菜は大手スーパーのような量販店が主です。
(6)切り花は、同じ品目でも品種のはやりすたりが激しく、農家はその情報を仕入れるときには市場を頼りにしています。野菜では、キャベツはキャベツ、ニンジンはニンジンで品種まで問われるのはあまり聞きません。また品目の数でも、切り花の方が多いと思います。
(7)切り花は、もの日(お盆やお彼岸)には大量の引き合いが有りますが、野菜は特にそいいったことはありません。
以上が私の印象ですが、差異もあれば同一性もあります。
農家にとっては、どちらも園芸作物という分類に入り、技術的にも質的な差は少ないので相互転換が可能です。どちらもほぼ世界的な自由市場になっていますが、生鮮品なので、輸送コストがかかり、国内の生産に比較優位性があります。両方とも機械化が難しく効率化に限度があります。従ってどちらもかわいそうな貧乏稼業です。
 農家から見た場合、切り花も野菜も似たようなものですが、卸売業者の「存在感」が違うということが言えるのではないでしょうか。「存在感」とは何かが問題です。「その市場」即ち目の前にいる特定の市場と具体的な情報のやり取りがあり、付き合いがあり、それがとても大事なものであるということでしょうか。それが「しじょう」と「いちば」の読みの違いに関係があると思うのですが。
 ひとつひとつの「いちば」の存在感がなくなり、統合された全体の部分のようになると「しじょう」と呼びたくなるのではないかと思います。

 
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

サ行」カテゴリの最新記事