今年、実施予定だったが、武漢肺炎の流行により来年実施に延期された「東京オリンピック」は、武漢肺炎の世界的大流行のために、どうやら中止となりそうです。これにより、東京都と日本は多大な損害を受けますが、これも、オリンピックを誘致した歴代都知事の責任だと思います。
さて、先日の家の防水工事のために、家の押入に入っているものを調べてみたら、1964年の「東京オリンピック」の時に千駄ヶ谷の国立競技場で撮った写真が出てきました。これ、使ったカメラは勿論、フィルム式カメラで、「小西六写真工業:KONICA AUTO S」(HEXANON 47mm F1.9(5群5枚)付)です。
行った日は10/18(日)の1日中雨の日で、最も安い席ですので、オリンピック後に取り払われてしまった最も高い位置、すなわち、グラウンドから最も遠い位置ですので、席から見える選手達は豆粒状態で、勿論、47mmレンズでの写真も豆粒状態です。

加えて、今とは異なり、情報が少ない時ですので、グラウンドで豆粒みたいな選手達が走ったりしているなあと言う感じで、熱狂的に見るなんて言うものではありませんでした。
と言うことで、おそらく、「10,000m走」か「5,000m走」ではないでしょうか。




それにしても、当時の写真、あまりの小ささに驚きました。計ってみると、11.2cm×7.6cmと、今のサービス判写真の面積の半分位ではないでしょうか。
matsumo(http://matsumo.seesaa.net)
さて、先日の家の防水工事のために、家の押入に入っているものを調べてみたら、1964年の「東京オリンピック」の時に千駄ヶ谷の国立競技場で撮った写真が出てきました。これ、使ったカメラは勿論、フィルム式カメラで、「小西六写真工業:KONICA AUTO S」(HEXANON 47mm F1.9(5群5枚)付)です。
行った日は10/18(日)の1日中雨の日で、最も安い席ですので、オリンピック後に取り払われてしまった最も高い位置、すなわち、グラウンドから最も遠い位置ですので、席から見える選手達は豆粒状態で、勿論、47mmレンズでの写真も豆粒状態です。

加えて、今とは異なり、情報が少ない時ですので、グラウンドで豆粒みたいな選手達が走ったりしているなあと言う感じで、熱狂的に見るなんて言うものではありませんでした。
と言うことで、おそらく、「10,000m走」か「5,000m走」ではないでしょうか。




それにしても、当時の写真、あまりの小ささに驚きました。計ってみると、11.2cm×7.6cmと、今のサービス判写真の面積の半分位ではないでしょうか。
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