・・・ 言葉はいらない?・・・
♥ ほんとうのことを話せどフィクションと思われている、ような気がする 松井多絵子
言葉を話したり書いたりできるのはなぜ人間だけなのか。わたしは時々ふしぎにおもう。猫がすり寄ってきても何を言いたいのか分からない。私が落ち込んでいるときに「なんとかなるよ」などと言ってくれるようでもある。もし人間だったら「アナタの態度に原因がある」などと言われるかもしれない。昨日の✿折々のことばは。田村隆一の詩集「帰途」から。
言葉なんておぼえるんじゃなかった。(略)意味が意味にならない世界に生きていたらどんなによかったか 田村隆一 この言葉に鷲田清一は次のように書いている。
生きることの意味、世界かあることの意味。人は生きようとしてそれに深くこだわる。そして翻弄される。世界の意味を約めてしまわないこと。意味の膜ごしに世界をいわば「水平」になぞるのではなく、その膜を切り裂かんばかりに世界と「垂直」に対面すること。言葉の限界をも詩人は言葉で突きつめようとする。
昨日の天声人語に 歌人・松村正直の次の1首が引用されている。
▼ いくつもの人のこころを経由してうつくしからぬ噂とどきぬ
松村正直は1999年、第45回角川短歌賞次席、「塔短歌会」に所属し現在「塔」編集長。
言葉は便利でも不便でもある。自分の言葉がストレーとに伝わらず歪められる場合も多い。ことに詩歌は読者にいろいろに受け取られ、それが楽しいが、誤解されかねない。私は何となく、ブログで連日短歌やエッセイめいた言葉を綴っているが、或いは無責任かもしれない。松井多絵子は猫のほうがいいかしら。
2月7日 猫に生まれ損なった松井多絵子
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