「さい子さんの波」
先月、梶原さい子さんから 第三歌集 『リアス / 椿』 を頂いた。彼女のことは昨年3月のブログに
「ふしぎなキモノ」を書いた。 「塔」の歌人で、第29回現代短歌評論賞を受賞している。この歌集には、彼女の30代から40代にかけての歌が収められている。読みながら 「波」 の歌の多いことに気付いた。
432首の作品のなかに約25首。波という言葉は使わず波を暗示する歌もかなり多い。
♠ ものすごい音だったよとおとうとはまづ大波がひくことを言う
「大波」は3・11の津波だ。彼女の実家が津波に襲われた様子を弟から聞く。 「あとがき」 には
東北の長い長い海岸線。 そこに、津波が来ました。ひとつずつの入り江に、そこに営まれてきたシステムにも、津波が来ました。実家は気仙沼市唐桑町にある神社です。津波が来ました。
♠ 庭に散るガラスに映る黒波の 三月十一日の海底に立てり
♠ この部屋に波はあふれた 張り替へし床板の上にかかとを下ろす
♠ この板の下に彼らのゐることをつくづく知りて誰も語らず
私は海から離れたところで暮らしている。 「波」は、北斎のあの波、海辺で暮らす人々の波とはまるでイメージが異なるだろう。まして津波に襲われた人々の波とは。
♠ まだ波になりきれぬ波があることを思うて立てり昏れきるまでを
この歌はなぜか私に 山本有三の小説 「波」 を 思い出させる。 逆境の教え子と結婚した教師が妻の不貞を思い疑うという小説だったような、理性は無力なのだろうか。荒波。津波。
梶原さい子サマ この夏はじっくり波をながめたいと思っています。
6月26日 松井多絵子 、
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