笑顔の永田和宏
三日前の朝日歌壇の永田先生は選歌を休んでいられた。私は先生は急病かもしれないと不安になった。でも今日の朝刊に笑顔の先生の写真、ほっとした。「スウェーデンのストックホルム市で行われたノーベル賞授賞式に出席してきた。本年の生理学・医学賞の受賞者、大隅良典博士が招待してくれたのである。大隅さんとは20年来の友人であり世間では我々研究仲間を称して七人の侍」などと呼んでいるようだ。受賞者に許されたわずかな招待枠のなかに私を入れてくれたのは、この上なく嬉しいことであり、得難い経験となった」。
♦ 友としてあるを誇りに檀上の君を見てをりメダルは君に
♦ 友のためはろばろと来し雪の街国王は君に手を重ねたり
この2首は大隅氏に贈られた永田先生の歌、枯れることのない歌の花束である。十日の受賞式当日はストックホルムに来て初めて雪が積もった。市のコンサートホールは燕尾服とイブニングドレスの人々で溢れかえるようであった。私がそこを訪れたのは30年位前のこと。9月だったが建物のなかは暖房していた。「ここでノーベル賞の授賞式が?」と驚いたが大昔の記憶は茫々としている。あのホールの近くで買った首飾りは今も大切にしているが。
「グスタフ国王からメダルを渡される場面ではさすがに胸が熱くなった、研究対象は違うが、かなり近い分野で、大隅さんの20年の研究を見てきたからである。今回の受賞は大隅さんの単独受賞ということに大きな意味がある。~略~ 檀上の友を見ながら大隅良典という友を誇りにおもうことはもちろんだが、サイエンスを通じて、こんな友人を持つことのできた自分自身を誇らしく思ったことだった」
「自分が喜んでいるときに一緒に喜んでくれる人が有難い」というようなことを永田先生が書かれた文を読み、共感したことがあった。「落ち込んでいる時には慰めたり励ましてくれる人は多いけど賞を頂いたときに<おめでとう>と言ってくれる人は少ない、<さみしいわねえ>と、先日ある歌人が云っていた。永田先生の笑顔の写真はホントに嬉しそうである。
12月22日 松井多絵子
三日前の朝日歌壇の永田先生は選歌を休んでいられた。私は先生は急病かもしれないと不安になった。でも今日の朝刊に笑顔の先生の写真、ほっとした。「スウェーデンのストックホルム市で行われたノーベル賞授賞式に出席してきた。本年の生理学・医学賞の受賞者、大隅良典博士が招待してくれたのである。大隅さんとは20年来の友人であり世間では我々研究仲間を称して七人の侍」などと呼んでいるようだ。受賞者に許されたわずかな招待枠のなかに私を入れてくれたのは、この上なく嬉しいことであり、得難い経験となった」。
♦ 友としてあるを誇りに檀上の君を見てをりメダルは君に
♦ 友のためはろばろと来し雪の街国王は君に手を重ねたり
この2首は大隅氏に贈られた永田先生の歌、枯れることのない歌の花束である。十日の受賞式当日はストックホルムに来て初めて雪が積もった。市のコンサートホールは燕尾服とイブニングドレスの人々で溢れかえるようであった。私がそこを訪れたのは30年位前のこと。9月だったが建物のなかは暖房していた。「ここでノーベル賞の授賞式が?」と驚いたが大昔の記憶は茫々としている。あのホールの近くで買った首飾りは今も大切にしているが。
「グスタフ国王からメダルを渡される場面ではさすがに胸が熱くなった、研究対象は違うが、かなり近い分野で、大隅さんの20年の研究を見てきたからである。今回の受賞は大隅さんの単独受賞ということに大きな意味がある。~略~ 檀上の友を見ながら大隅良典という友を誇りにおもうことはもちろんだが、サイエンスを通じて、こんな友人を持つことのできた自分自身を誇らしく思ったことだった」
「自分が喜んでいるときに一緒に喜んでくれる人が有難い」というようなことを永田先生が書かれた文を読み、共感したことがあった。「落ち込んでいる時には慰めたり励ましてくれる人は多いけど賞を頂いたときに<おめでとう>と言ってくれる人は少ない、<さみしいわねえ>と、先日ある歌人が云っていた。永田先生の笑顔の写真はホントに嬉しそうである。
12月22日 松井多絵子
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