えくぼ

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 わたしの座席 その① 

2014-05-01 09:17:13 | 歌う

             ✿「わたしの座席 その①」✿    松井多絵子

 またの世は魚になれな、、などと詠んだのは十数年も前の二月。水槽をゆるゆる巡る熱帯魚をながめていたときだった。何十匹もの魚たちが小さな水槽のなかで互いにふれることなく泳いでいた。人間たちは近づきすぎる。だからトラブルが絶えないのではないか。
 その後、新聞でマグロは泳ぎ続けていないと死ぬという記事を読み 「またの世は魚になるまじ」 になってしまった。

♠ 泳がねば死ぬとうマグロのごとわれは今日も一万二千五百歩   松井多絵子

 魚たちはいつ休憩するのだろうか。座った魚を見たことがない。座ることのできる動物は多い。しかし何かに背を凭れながら腰かけて休むことのできる生き物は人間だけではないか。
 日本で椅子が普及するようになったのは明治維新の後らしい。しかし椅子はエジプト時代からあったのだ。ツタンカーメン王の墓から黄金の玉座が発掘されている。椅子は上流階級の人々の権威を表す家具だったのか。現在の日本でも総理大臣の椅子は権威の座であり、座ったらいつまでも俺の席、誰にも譲りたくない椅子であろう。

 私も腰かけたら立ち上がりたくない椅子と共に暮らしている。十五年前にセールで買った中級品。椅子というより一人用のソファである。背もたれが少し傾斜し両側に肘掛がある。私を後ろから支えてゆったりとすわらせてくれる。皮でなくレザーで覆われている。もし牛革だったら牛の屍を想い、座り心地が悪い。牛は人間の食料として飼育され、殺され、食べられてしまう。さらに死後は皮まで人間に利用されているのだ。人工皮革のほうがいい。私専用のこの椅子は、一日平均五時間、五十何キロもの私の重みに耐えているのである。 

※「わたしの座席」は歌誌「未来5月号」に掲載された私のミニエッセイ。二回に分けてブログに書きます。「未来」の会員以外の方々も読んでいただきたいです。明日もよろしくね。
                                5月1日  松井多絵子


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