「桜桃忌」は「太宰忌」とも言い俳句の夏の季語になっているらしい。1948年6月13日、太宰は愛人の山崎富栄と玉川上水に入水、遺体が見つかったのは6月19日、太宰治の39歳の誕生日だった。三鷹市の禅林寺に墓所があり「桜桃忌」には毎年、太宰治のファンが集う。
「太宰治はわたしの梅雨」
雨の夜の鏡の奥のわたくしは太宰治のように頬杖
読まれないとき本棚の本はみな直立不動、太宰治も
あの冬のきりりと冷えた夜だった
『斜陽』の扉を開いたときは
力なき字にて書かれた原稿が
「斜陽の館」に曝されている
われを乗せ金木駅より「メロス号」走れば津軽平野も走る
どのような百九歳か世にあらば太宰治のこの六月は
七月のなかば過ぎれば遠ざかる太宰治はわたしの梅雨
「太宰治はわたしの梅雨」
雨の夜の鏡の奥のわたくしは太宰治のように頬杖
読まれないとき本棚の本はみな直立不動、太宰治も
あの冬のきりりと冷えた夜だった
『斜陽』の扉を開いたときは
力なき字にて書かれた原稿が
「斜陽の館」に曝されている
われを乗せ金木駅より「メロス号」走れば津軽平野も走る
どのような百九歳か世にあらば太宰治のこの六月は
七月のなかば過ぎれば遠ざかる太宰治はわたしの梅雨
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