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軽井沢からの通信ときどき3D

移住して11年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

量子もつれ(2)

2025-02-14 00:00:00 | 日記
 「量子もつれ」という、とても不可思議で難解な話題についてのTV放送(2024.12.28, NHK)を見て、その中で紹介された科学者デヴィッド・ボームという名前に覚えがあったことから、学生時代に勉強した量子力学の本のことを思い出して、少し前に記事を書いた(2025.1.24 公開)。

 TV放送では、量子もつれが実在することを、実験的に証明した3人に、2022年のノーベル物理学賞が授与されたことを軸に話が進められた。

 この放送で伝えられたもう一つの話題は、この量子もつれの存在が明らかにされたことで、直ちに始まったその応用についてであった。具体的には、量子暗号技術、量子コンピューターの開発と量子テレポーテーションである。これもまたとても難解な話である。

 量子もつれを利用するためには、もつれ状態にある光子や電子などの量子を作り出さなければならないが、ノーベル賞を受賞した3人の科学者は一体どのような実験を行ったのだろうか。番組では彼らの実験内容の詳細までは紹介していない。

 それを知りたくて、「宇宙は『もつれ』でできている」(ルイーザ・ギルダー著、山田克哉監訳・窪田恭子訳 2016年 講談社発行)を購入して読んでみた。

「宇宙は『もつれ』でできている」のカバー表紙

 この本には、先のTV番組で紹介された量子もつれについての理論と実験研究の歴史がより詳しく描き出されている。監訳者は前書きで、この本のことを次のように紹介している。

 「本書の最大の魅力は、数式をまったく使うことなく、量子力学の構築に携わった物理学者たちがどんな考えやきっかけからどのような着想を得て、そしてどんな議論を通じてこの理論を精緻化していったかを、個々の人物のエピソードをふんだんに交えつつ、巧みに描写している点にある。・・・
 ルイーザ・ギルダーは、2000年にアメリカの名門・ダートマス大学を卒業した若い科学ジャーナリストだが、描写が実に巧妙で、往時の物理学者たちの会話を見事に再現している。存命の科学者たちへのインタビューも含め、20世紀初頭からの約1世紀におよぶ量子力学構築の物語を、まるで現場に居合わせているかのような迫力で体感させてくれる。・・・
 量子力学の理論としての正当性に難問を投げかけ、やがてその正当性を明確に示すことにつながった『量子もつれ』(Quantum Entanglement)。その奇妙でふしぎな現象は、アインシュタインやボーアをはじめとするあまたの物理学者たちの頭を悩ませ、時に人間関係をももつれさせながら、量子論の精緻化に貢献してきた。ギルダーが見事に解きほぐす『もつれの物語』を、ぜひ堪能していただきたい。」

 最初に量子もつれの実験を行ったジョン・クラウザーとスチュアート・フリードマンについて、ルイーザ・ギルダーは次のように書いている。

 「クラウザーは問題の核心から話し始める。『原子ビーム、これはかっこいい名前がついているが、実際にはごく単純なものだ。・・・
 もっとも簡単なのが、タンタル箔を用いた実験だ。タンタル箔を半分に折ってしわをつけたまま開き、そこに何か小さな粒をのせてガラス鍾(真空状態)に入れる。ガラス鍾に電流を流すと、タンタル箔は高温になる。銅、アルミニウム、カルシウムなどの融点の低い物質を入れてしばらくすると、すべて蒸発してチャンバーの壁じゅうに広がっているのが見える。穴の開いたシートを[オーブンの開け口の前に]置き、もう1枚穴の開いたシートを[最初のシートの前に]置けば、原子ビームのでき上がりだ!』
 チャンバー内の気体は、四方の壁に拡散せずに狭まってビームとなる。『簡単なつくりさ』 」

 これは真空中で金属を蒸発させる一般的な話だが、次は実際の測定装置での手順である。

  「クラウザーとフリーマンは、カルシウムを約14gの『小さな円筒状の塊』に切って、手を触れずにオーブン内に落とす。円筒形の真鍮製真空チャンバーに密閉されると、3時間から5時間でカルシウムは蒸発点まで加熱される。
 熱されたオーブンの穴から、カルシウム原子が・・・ビームとなって出てくると、装置の中心に向かってまっすぐ飛んでいく。ここで、二つめの円筒形真鍮製真空チャンバーの底面にはレンズが取り付けられており、そのレンズを通過した光線が、飛んでくる原子ビームを待ち受けている。こうして原子の一つ一つが励起され、薄緑色と紫色のもつれた光子を放出するのである。」

 もつれた光子がどのように発生し、どのようにして装置の中を反対方向に進むように調整できるのかまでは説明されていないが、波長の異なる光は、左右反対方向に進む。その光路にはブリュースター角に調整された多数のガラス板からなる偏光子が設置されていて、光電管に導かれる(次図参照)。


クラウザーの実験装置の内部(「宇宙は『もつれ』でできている」から、筆者作図)
 
 思いのほか私にも身近な部品や装置が用いられていた。真空装置の中に低融点金属を入れて、加熱することでガラス基板などに蒸着薄膜を形成する技術は、ごく普通に行われていて、入社後配属された研究所では、日常的に蒸着装置を使用していた。偏光板に至っては、勤務先の企業で製造していた。これらの偏光板は液晶素子やサングラスに用いられてきたし、今では液晶TVで大量に用いられている。

 クラウザー達の実験装置では偏光性能を向上させるために、有機フィルムの偏光板に換えて、ブリュースター角(約56度)に配置した多数のガラス板を重ねたものを使用した。

 装置の心臓部について見ると、真空中で加熱され、蒸気になって原子ビームとなったカルシウム原子に強い励起光を照射すると、カルシウム原子からもつれ状態になった薄緑色と紫色の光が放出される。実験装置は、この2色の光を左右に導き、ガラス偏光板を通して光電管に導く設計になっている。

 このようにして、カルシウム原子から発生した光子が、左右の光電管に向かった時、検出される光子の状態と頻度がベルの不等式を満たすかどうかの実験が行われた。結果はもちろんベルの不等式は成立せず、左右に分かれた後も、光子はもつれた状態を保っていたことが強く示唆される。

 ただ、この実験方法については一部の不備が指摘され、量子もつれの存在がより広く認められたのは、アラン・アスペの実験結果が得られてからのことであった。

 「(実験の現実的な問題点は)クラウザーらの実験装置の両端に取り付けられた、巨大で壊れやすいパイル型偏光子の設定を迅速に変更できない点にあった。アスペは美しい代替案を考えついた。その主な成分は水であった。・・・
 アスペは説明した。『それぞれの偏光子には、スイッチのついた設定装置に向きの異なる二つの偏光子を取り付けたものを使います。いつでもスイッチを切り替えて、一方の偏光子だけに光を通すことができます。スイッチは素早く入射光を切り替えるため、光速信号が装置の両端にいかなる〈相互的な関係〉も生じさせる時間を与えないのです。』・・・
 アスペの『スイッチ』は、水を満たしたガラス箱でできている。二つのスイッチは13m以上離れていて、光子の発生源となるカルシウムカスケードのビームの両側につけられている。水の入った箱は、人間の耳がとらえるよりもはるかに高域の音波(超音波)を伝える。・・・
 アスペの超音波は、水面に濃淡の縞模様をつける高振動と、水面を揺らさない平らな低振動を繰り返すよう設定してある。縞模様は回折格子として作用し、光を屈折させて脇にある偏光子に送る。縞模様がなければ光はまっすぐ透過して正面の偏光子に当たる。波は縞模様と平面の循環を素早く繰り返し・・・これは、光速信号が、二つのスイッチを隔てる13mの距離を進む間にスイッチを4回切り替えられることを意味する。・・・」

 こうして、量子もつれの存在が確認されると、さっそくその応用が考えられるようになり、TV番組でも紹介されたように、量子コンピュータの開発へとつながっていった。

 さらに、番組では紹介されなかったが、量子もつれなどの量子現象と生命とのかかわりについての研究も進んでいった。

 量子力学における波動関数を見出すとともに、量子もつれの命名者でもあった、シュレーディンガーは「生命とは何か」(1944年発行)の著者としても知られる。


「生命とは何か」のカバー表紙

 この著書で、シュレーディンガーは生命現象と量子力学との関係についても触れているのであるが、当時はまだDNAも発見されておらず、ましてや量子力学でなければ理解されないような生命現象というものもまだ認識されていなかった。

 ところが、近年になって生物の示す様々な行動の中には量子力学でなければ説明のつかないものがいくつも見いだされるようになっているとされる。

 著書「量子力学で生命の謎を解く」(ジム・アル=カリーリ、ジョンジョー・アクファデン著、水谷 淳訳 2015年 SBクリエイティブ発行)にはそうした研究成果がいくつか紹介されている。

「量子力学で生命の謎を解く」のカバー表紙

 このことは、以前アサギマダラの1000㎞以上におよぶ海を越えての渡りのことを書いた際に少し触れたことがあったが(2017.1.20 公開)、その時はまだ「量子もつれ」について何も知らなかったので、それ以上考えることもなかった。

 今回、以前よりも量子もつれに対する理解が深まってきたので、改めてこの本の示している内容について読んでみた。

 この著書のカバーには次のように書かれている。

 「量子力学はふつうだ。不気味なのは、量子力学が記述しているこの世界のほうなのだ。
 量子力学を使って生命現象の謎を解き明かす『量子生物学』は、現在、急速なスピードで発展し、大きな盛り上がりを見せています。量子生物学によって、これまでの生物学では解けなかった様々な謎が解明されてきています。・・・
 量子生物学が解明した謎と、大いなる仮説
 ●渡り鳥は、どのようにして目的地までの生き方を知るのか
 ●サケは、なぜ数年間の航海を経て、生まれた場所に戻ることができるのか
 ●植物は量子コンピュータなのか
 ●生物と非生物の違いはどこにあるのか
 ●われわれの意識はどのようにして生まれるのか
 ●生命の起源は何か 」

 生物の示す不思議な能力と、量子力学的でなければ説明できないそのメカニズムについて、この著書では上記の6例が示されているが、その中でもヨーロッパコマドリが示す、磁気受容能力は「量子もつれ」との関係が認められているという。

 最近の報告例においても、「1.量子生命科学とは」(須原 哲也、日本生物学的精神医学会誌 35巻 第3号、2024)に、次の記述が見られる。

 「量子生命科学は新しい計測技術の開発と共に、生命の中の量子性を探ることをめざした領域として、2017年には幅広い領域の研究者を集めた量子生命科学研究会の形で発足した。・・・
 量子論的生命現象の解明は、現状で量子論的説明が提案されているのは渡り鳥の磁気コンパスで、・・・
 鳥の網膜にあるクリプトクロムタンパクが光を吸収してラジカル対を形成し、このラジカル対に生じる量子効果によって磁場を感知しているというものである。・・・」

 ここで言われている量子効果とは量子もつれのことであることが、「量子力学で生命の謎を解く」で示されている。この著書から一部を引用すると次のようである。

 「頭を左右に素早く傾けて海の方が晴れていることを確かめた鳥(ヨーロッパコマドリ)は、夜の空へ向かって飛び立つ。冬の深まりとともに夜が長くなったため、優に10時間は飛び続けないと休憩できない。
 鳥は195度の方位(真南から西へ15度)に進路を取る。これから何日もほぼ同じ方向へ飛び、天候の良い日には300キロは移動する。・・・
 この鳥は気づいていないようだが、辺りにはほぼ同じ方向へ飛んでいるコマドリがたくさんいて、そのなかにはすでに何度も旅しているものもいる。コマドリは優れた暗視能力を持っているが、・・・地上の目印は見ていないし、夜に渡りをするほかの多くの鳥とは違って、晴れた夜空の星の並びを頭の中の星図と照らし合わせるのでもない。かなり驚くべき技術と数百万年にわたる進化のおかげで、毎年秋に3000キロほどの渡りをする能力を身につけているのだ。
 もちろん動物界では渡りはふつうにおこなわれている。たとえばサケは毎年冬、北ヨーロッパの川や湖で卵を産み、孵った幼魚は川を下り海へ出て北大西洋へ向かい、そこで成長する。三年経つと若いサケは、自分が産み落とされたのと同じ川や湖へ戻って卵を産む。アメリカ大陸に棲むオオカバマダラというチョウは、秋に合衆国を横切って南へ何千キロも渡る。チョウたち、あるいはその子たち(旅の途中で卵を産む)は、春になると北へ向かい、自分がさなぎになったのと同じ木へ戻ってくる。・・・
 動物がどのようにして遠い場所までの行き方知ることができるかは、何百年ものあいだ謎だった。だが今では、さまざまな方法を使っていることが分かっている。日中は太陽を、夜は星を使うものもいるし、地上の目印を覚えているものもいるし、方角を嗅ぎ取ることができるものさえいる。しかしなかでももっとも謎めいているのは、ヨーロッパコマドリが持っている、地磁気の方向と強さを感知できる知覚で、この能力は磁気受容と呼ばれている。ほかにも多くの生物がこの能力を持っていることがいまでは分かっているが、一番興味を惹かれるのは、ヨーロッパコマドリが行き先を知る方法である。・・・
 磁気受容は不可解な能力だ。問題は地磁気が極めて弱いこと。地上では30から70マイクロテスラ、うまくバランスを取った摩擦の小さいコンパスの針を動かすには十分だが、普通の磁石に比べたらその磁力は100分の1ほどしかない。そこからある難問が浮かび上がってくる。動物が地磁気を感知するには、体内のどこかで起きる化学反応がそれに影響を受けなければならない。・・・しかし、細胞の中の分子と地磁気との相互作用によってもたらされるエネルギーの量は、化学結合を切ったり作ったりするのに必要なエネルギーの10億分の1にも満たない。だとしたら、コマドリはどうやって磁場を感知できるのだろうか?・・・動物がそんなことをできるような分子レベルのメカニズムは、少なくとも従来の生化学の範囲にはけっして存在しないように思われていたのだ。

 しかし、・・・フランクフルトで活動するドイツ人鳥類学者の夫妻ヴォルフガング・ヴィルチュコとロスヴィサ・ヴィルチュコが、・・・コマドリは確かに地磁気を感知していることを疑いようもなく実証する画期的な論文を発表した(Science, vol.193, 1976年)。さらに、驚くことに、・・・コマドリは磁極と赤道の違いしか見分けられないのだ。ヴィルチュコ夫妻の1976年の研究によって、コマドリの磁気感覚はちょうど伏角(地球の磁力線と地面が作る角度のこと)コンパスのように作用していることが明らかになった。問題は、その生物的な伏角コンパスがどのようなしくみなのか、その手掛かりがまったくないことだった。当時、動物の体内で地磁気の伏角を感知できることを説明するメカニズムなど、知られていないばかりか想像さえできなかった。じつはその答えは・・・量子力学という奇妙な科学と関係があったのだ。」

 クラウザーが量子もつれの実験結果を論文にして発表したのは1967年であった。続いて、アスペが実験方法に改良を加えて、より正確に量子もつれの存在を確認して、論文を発表したのが1982年である。

 ヴォルフガング夫妻の発見を受けて、ヨーロッパコマドリの持つ磁気受容能力と量子力学が示す量子もつれとを関連付けて提唱したのは、ドイツ人化学者のクラウス・シュルテンであった。これは、アスペの実験の数年前のことであった。

 「彼は遊離基(フリーラジカル)が関与する化学反応で電子はどのように移動するのかという問題に興味を持っていた。遊離基とは一番外側の電子殻にひとりぼっちの電子を持っている分子のことである。それ以外の電子は原子軌道のなかでペアを作っている。電子のスピンの不気味な量子的性質を考えるときには、この遊離基が重要となる。ペアを組んだ電子はスピンを互いに反対方向へ向ける傾向があるため、全体のスピンは打ち消し合ってゼロになる。しかし、遊離基のなかにあるひとりぼっちの電子にはスピンを打ち消す相棒がいないため、全体としてスピンが残り、その遊離基は磁気的性質を持つようになる。そのスピンが磁場の方向に向く。」

 シュルテンは『高速三重項反応』と呼ばれるプロセスで生成する遊離基の『ペア』が、それに対応して互いに『量子もつれ』状態にある電子を持つのではないかと提案していた。 

 彼は、ヴィルチュコ夫妻によるコマドリの渡りの研究と、生物コンパスの化学的メカニズムが見つかっていないという問題のことを知り、自分が研究している電子がそのメカニズムになるのではないかとひらめいたのであった。そして、1978年の論文の中で、鳥のコンパスには量子もつれ状態にある遊離基のペアが使われているのだと提唱した。

 しかし、鳥のコンパスが量子的なメカニズムを持っているというこの説は、20年以上顧みられることはなかった。この間に、ヴィルチュコは、磁気受容には光の助けが必要なことを見出していた。

 「ヴィルチュコ夫妻がクラウス・シュルテンと会ったのは、1986年、フレンチアルプスで開かれた学会の場だった。どちらもコマドリの磁気受容には目に入ってくる光が必要であることは確信していたが、・・・遊離基ペア仮説が正しいかどうかはまだ納得していなかった。・・・すると1998年、ショウジョウバエの目のなかに色素たんぱく質のクリプトクロムが発見され、・・・それが光による概日リズムの同期を担っていることが証明された。そして、・・・クリプトクロムは光と相互作用して遊離基を発生させるタイプのたんぱく質であることが知られていた。
 シュルテンらはこの発見に飛びつき、クリプトクロムが、いままで見つからなかった鳥の化学コンパスの受容体にほかならないと提案したのだった。
 その研究結果は2000年に発表され、のちに量子生物学を代表する論文の一つとなった。・・・

  こうした優れた研究によって磁気受容に対する関心が爆発的に広がり、いまでは、さまざまな種の鳥、イセエビ、アカエイ、サメ、ナガスクジラ、イルカ、ハチ、さらには微生物といった幅広い生物種で磁気受容が見つかっている。ほとんどの種ではいまだメカニズムが調べられていないが、・・・コマドリから、さらには植物を含む何種もの生物で、磁気受容にクリプトクロムが関係していることが分かっている。・・・
 
 アインシュタインの言った不気味な遠隔作用は、地球の歴史の大部分を通じて、生物たちに長距離を動き回る手助けをしていたのかもしれないのだ。」

 「量子もつれ」については以上であるが、ここで話題になったヨーロッパコマドリはイギリスでも特に大切にされているようで、以前コッツウォルズに行ったときには、宿泊したマナーハウスの生垣にもいたし、妻がお土産に買った2種類のクリスマスカードにも登場していた。

 1枚はコマドリの写真が、もう1枚は絵が使われているがどちらもなかなか可愛い。


ヨーロッパコマドリの写真を用いたクリスマスカード(2013年頃購入)


ヨーロッパコマドリの絵を用いたクリスマスカード(2013年頃購入)

 尚、この絵の方は、最近購入したショートブレッドの容器缶にもほとんど同じ絵が描かれていて驚かされた。

ショートブレッドの缶(2025年購入)
 
 

  




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投票立会人と昨年の選挙

2025-01-31 00:00:00 | 日記
 昨年は、国内外で大きな選挙がいくつも行われた。世界レベルで見ると、最も影響が大きく、世界中の関心を集めたのは、やはりアメリカ大統領選挙であったと思うが、国内でも衆議院選挙はもちろんのこと、都知事選挙、兵庫県知事選挙などでは地元有権者だけではなく、多くの国民の関心を集めた。

 2024年10月27日執行の衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査で、私は、今回も投票立会人に選任され、投票日の終日、会場となった新公民館でその務めを他の3人と共に果たした。

 一昨年は、3回も選挙がありその都度投票立会人を務めていたので、様子は判っていた。当地では、朝7時から夕方7時までの立会いである。

 いつもどおり今回の選挙投票所にも、旧軽井沢公民館が使われたが、この公民館は古い公民館のそばに新築されたばかりでまだ竣工式は済んでいなかった。ただ、大広間はじめ会議室の利用はすでに始まっていた。

 投票場にはその大広間を用いて行われ、新築間もないピカピカの木の床であったが、区長と分館長の計らいで、そこにマットを敷いて、投票にくる皆さん、特に高齢者の方や足の不自由な方々が下足のまま入館し投票ができるようにして対応した。


新しい公民館を利用した投票所(2024.10.27 投票終了後撮影)

 投票場の雰囲気はやはり厳粛なものであるが、中にはご近所のよしみで、我々立会人に「居眠りしてては駄目だよ!」とか「長時間ご苦労様!」と声をかけてくれる人もいる。

 当地区も高齢化が進み、若い住人が少なくなっていて、投票に来る人達を見ていると、それ以上に若者の姿が少ないと思える。

 お年寄りが杖を突きながら来たり、家族に付き添われながら来たりしている姿をみると、若い人たちももっと投票に来てはどうだろうかと思ってしまう。

 実際、これまでの全国の投票率データを見ると、年代が下がるほど投票率が低下する傾向にあって、前回衆院選ではNHKの記事によると次のようである。


 
 今回の軽井沢町の選挙結果は町の公式HPに早速掲載されていて、投票率は56.48%であった。この数値は全国平均53.85%を若干上回る結果であったが、近年の投票率は低下傾向で、1990年頃のような熱気は感じられない。


軽井沢町の投票結果(軽井沢町HPより)
 

 今回の選挙の結果はご存じの通りで、事前に予想されたことではあるが与党に厳しい結果になった。


2024年の衆院選挙結果(NHK報道より)

 選挙演説では、与党からは「政権担当能力があるのは、自民・公明の連立政権だけである。」という主張が行われ、一方の野党は「政権交代こそが最大の政治改革だ」と訴えた。

 今回、これまでの4倍と大幅に議席数を伸ばした国民民主党だが、その目玉政策は「手取りを増やす」であり、「若者支援」を訴えていた。こうした政策提示が若者の関心を呼び戻し、選挙会場に足を向けさせることにつながったのだろうか。今回の選挙の動向調査結果が発表されるのを待ちたい。

 一昨年秋に、自民党内のパーティー券収入のキックバック問題と、その収支報告書への不記載が明らかになり、この時点では、これほどまでの政変につながると予想した人はそう多くなかったのではと思うが、その後繰り返された事柄も含め、政治と金にまつわる問題を見た国民が選挙で示した判断が今回の選挙結果である。

 選挙翌日の購読紙の論説は次のようであった。

 「長期政権のぬるま湯につかり、有権者の意識とかけ離れた『党の論理』を捨てきれなかった自民党に、厳しい審判が下った。
 これまでの自民党政治家と違う感覚で政権を運営するのではとの石破首相への期待は、瞬く間に失望に変わった。
 予算委員会なしでの衆院解散や、政治資金問題に関わった前議員らの公認問題と2000万円の活動費支給を巡る対応などで、総選挙で掲げた『国民の納得と共感』よりも自民党の事情と都合を優先する姿勢が露呈し、国民の怒りの火に油を注いだ。(読売新聞から)」

 今回の衆議院選挙の結果をみて、若い人たちが、一票を投じることで、自らの意見を国の政策に反映させることがきるのだと感じ取り、積極的に政治に参加するようになってもらいたいものと思う。

 実際、この世の中で起きている重要なことには、選挙を通じてしか変えていくことができないことがとても多いはずである。

 その少数与党の運営による第217回通常国会が、今月1月24日に召集され、6月22日までの150日間の会期で始まった。若者の関心を集めた「年収103万円の壁」がどこまで引き上げられることになるか、与野党の駆け引きを見守っていきたい。

 我々の生活に直接影響するわけではないが、今も多くの人が関心をもって推移を見守っている兵庫県知事を取り巻く問題については、出直し選挙に至る経緯や、その後の事態の推移については、複雑怪奇で、遠く離れた場所で見ていると事の真相がとても分かりにくい。

 大学時代の同級生の多くは地元兵庫県や大阪に住んでいて、関心の度合いもも高く、皆さんそれぞれに意見を持っているようであり、グループメールなどでも意見を求められることもあったが、私などには安易に口を挟める状況にない。

 ただ選挙戦そのものについては、都知事選などもそうだが、SNSが選挙結果に大きな影響を及ぼすようになったことは別な意味で興味深い。

 斎藤元彦知事がパワハラの疑いで告発され、県議会から不信任を決議され、失職の道を選び、再び知事選に立候補して再選されたわけであるが、選挙戦では若者などがSNSを通じて応援し、再選の原動力になったとされる。選挙のスタイルがここでも大きく変わっていることを感じさせた。

 その知事に対する百条委員会が現在も開かれていて、元県議会議員で百条委員会の委員でもあった竹内英明氏が1月18日に自殺するなど、事態は更に混迷しているように見える。

 この元県議の自殺に関しては、購読紙の社説に次のような記述があったので、記録しておきたい。

 「人の死まで中傷する残酷さーSNS上の悪意
  ・・・兵庫県の斎藤元彦知事のパワハラ疑惑などを調べる県議会百条委員会の委員だった前県議が死亡した。自殺とみられている。
 兵庫県の問題では、別の死者も出ている。極めて異常かつ深刻な事態だといえよう。
 ・・・T党首は、・・・前県議の死後には『前県議は逮捕される予定だった』と語り、まるで逮捕を苦に自殺したかのような動画を投稿した。
 これに対し、県警本部長は議会で、・・・『全くの事実無根』と否定した。・・・T氏は県警の対応を踏まえ、動画を削除して謝罪した。・・・
 T氏の投稿は、多くの人が拡散し、前県議の名誉は著しく傷つけられた。T氏、そして安易に虚偽の情報を広めたSNSユーザーたちの責任は重い。・・・(1月23日付読売新聞社説より抜粋)」

 さて、トランプ劇場はまだ1月20日に始まったばかりである。1月22日の購読紙の1面には『トランプ大統領令25本超』、『パリ協定離脱・南部国境に軍』の見出しが見られる。

 トランプ大統領が就任初日に打ち出した主な施策とトランプ氏が署名した主な大統領令は次のように紹介されている。

● トランプ氏が就任初日に打ち出した主な施策
 【関税】
  ▶ 2月からメキシコ、カナダからの輸入品に最大25%を課すと示唆
  ▶ 外国からの収入を徴収する新機関「外国歳入庁」を創設
 【不法移民対策】
  ▶ メキシコ国境に「国家非常事態」を宣言し、軍を派遣
  ▶ 出生地に基づき国籍を付与する「出生地主義」の見直し
 【対外政策】
  ▶ パナマ運河の返還を要求
  ▶ デンマーク領グリーンランドの領有に意欲
  ▶ メキシコ湾を「アメリカ湾」に改称
 【エネルギー政策】
  ▶ バイデン政権が行った電気自動車(EV)の普及策撤回
  ▶ 化石燃料の増産を推進するため、採掘規制を見直し
 【国際的枠組みからの離脱】
  ▶ 温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」からの再離脱
  ▶ 感染症対策などを行う世界保健機関(WHO)から脱退

● トランプ氏が署名した主な大統領令
 【米国第一】
  ▶ 対外開発援助を90日間停止し審査
  ▶ 米国の核心的利益を守る外交政策の推進
  ▶ WHO(世界保健機関)からの離脱
  ▶ パリ協定からの離脱
 【国境・治安対策】
  ▶ 不法移民、麻薬の流入などを防ぐための国境封鎖
  ▶ 「出生地主義」の見直し
  ▶ 死刑制度の確実な運用
  ▶ 不法滞在者の強制送還
  ▶ 麻薬カルテルを「外国テロ組織(FTO)」に指定
 【官僚機構改革】
  ▶ キャリア官僚の政治任用職への転換推進
  ▶ 「米国の価値観」などを基準に連邦政府職員を採用
 【エネルギー】
  ▶ 電気自動車(EV)普及策の撤回 
  ▶ 化石燃料の増産を推進
 【多様性の否定】
  ▶ 性別は男と女の二つしかないと定義
  ▶ 多様性などを推進する「DEI」政策の終了
 【SNS】
  ▶ TikTok禁止法の適用を75日間猶予
  ▶ 前政権が「偽情報」対策などの名目で行ったSNSに対する「検閲」を容認しない

 以前、2017年にもトランプ大統領は「パリ協定離脱」を発表し、その際に当ブログに「ナガサキアゲハとトランプ大統領」というタイトルで記事を書いたことを思い出すが、その時はまさか8年後に同じような事態が起きるとは予想もしなかった。

 この8年間に何が起きて、何が起きなかったのか、改めて考えてみたいと思っている。

 海の向こうのことで、我々が直接関与することのできないアメリカ大統領選挙であるが、その影響は言うまでもなく強大であり、世界を変える力を持っている。

 今回の大統領令には、世界の人々の生命にかかわることがいくつも含まれている。しかし、そうした巨大な権力に対してわれわれ海外に住んでいる者ができることは無きに等しい。民主主義の手続きから言えば、日本の政治・政治家を通じて働きかけることが、唯一国内にいてできることなのだろうが、何もかも「ゴマメの歯ぎしり」でしかない。

 そんなことを思っているところに、次の「終末時計」のニュースが届いた。

 「ワシントン 28日 ロイター: 米誌『レティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ』は28日、人類滅亡までの残り時間を象徴的に示す『終末時計』を『89秒前』と発表した。
 昨年より1秒、理論上の絶滅点である真夜中に近づき、1947年の創設以来最短となった。
 ウクライナ侵攻を続けるロシアの核の脅威や、人工知能(AI)の軍事利用、気候変動などを要因に挙げた。
 ブレティンの科学・安全保障委員会のダニエル・ホルツ委員長は『今年の決定に影響を与えた要因である核リスクや気候変動、科学技術の悪用の可能性、人工知能などさまざまな新興技術は目新しいものではない。しかし、主要な課題への取り組みは不十分で、多くの場合、これがますますネガティブで憂慮すべき影響につながっている』と指摘。『終末時計を午前0時の89秒前に設定することは、世界の全ての指導者に対する警告だ』とした。
 同誌は、アルバート・アインシュタインやJ・ロバート・オッペンハイマーら著名科学者によって1945年に創刊された。」

  
人類滅亡までの残り時間「89秒」を象徴的に示す「終末時計」(ロイター)

 こうした数字の発表自体にも賛否様々な意見が寄せられているが、ウィキペディアに示された「推移」を見ると、2025年がどのような年として位置づけられているかがわかる。因みに2023年と2024年は90秒前である。


世界終末時計の推移、1947-2023(ウィキペディアより)

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コロナ感染記

2025-01-24 00:00:00 | 日記
 世界的なパンデミックを引き起こし、大混乱を招いた新型コロナであったが、軽井沢のきれいな空気のおかげか、人ごみにでることを避けてきた結果か、この5年間はなんとかやり過ごしてきた。

 そのコロナに、夫婦そろって感染してしまった。昨年7月末のことである。接客業であることを考えて、ワクチンは二人とも受けてきたが、賛否もあり直近2回の接種は受けておらず、第11波とされるこのウィルスにはすでに効果が失われていたようである。

 コロナが第5類になって1年余、意識的にもかなり緩みが出ていたところで、母の七回忌を大阪で行うことになり、ここに出かけて感染してしまった。
 
 出かける少し前には、久々の長距離移動の旅になることもあり、妻とは感染予防をしなければね・・と話していたのに、いざ出かけるときにはマスクも持っていくのを忘れるという弛み様であった。

 新幹線での移動、駅や地下鉄の混雑の中の移動、20人ほどの家族との墓参と会食。考えてみると、感染の機会はどこにでもあった。

 喉の異変に気がついたのは、帰宅後2日目であった。夕方喉の痛みを感じたが、熱は平熱であった。妻に聞くとやはり喉が変だという。この時、コロナ感染を疑ったが、様子を見ようということで翌朝を迎えた。

 体温を測ると、妻は高めに出たが私はまだ変化がなかった。発熱した妻はすぐに病院に行き、検査を受けた。私は、ショップに出勤し、待機していたが、妻から検査結果がコロナ陽性であったと聞き、すぐにショップを閉めて帰宅した。

 夕方、私も熱が出始めたので、妻が処方してもらった薬を分けてもらい、翌日医師の診断を受けた。結果はやはりコロナ陽性/インフル陰性で、飲み薬を処方してもらった。1週間ほどでのどの痛みと発熱は次第におさまり、大事に至ることはなかったが、発症後すぐに起きた別の異変が味覚と嗅覚の異常で、食べ物の味が全く感じられなくなった、匂いの方も同様で、約3週間後ようやく回復するまで、毎日味気ない食事が続いた。

 私の場合、味覚も嗅覚も同じように回復していったが、妻は半年後の今も嗅覚が戻らないという。

 コロナ感染の話はこれだけであるが、数か月後の11月にまた喉に異変が出た。今度もすぐに医師に相談したが発熱もなく、飲み薬を処方してもらい、これを5日間飲んで回復した。

 このころ、マイコプラズマが流行していてこれを疑ったが、とくに医師からはそうした話は出なかった。

 そうして迎えた年末。娘が休暇を利用して正月をすごすためにやって来た。12月生まれの娘の誕生日のプレゼントを探して、軽井沢のショッピング・プラザに出かけたり、おせち料理の食材を買いに佐久のショッピングモールに出かけたりしたが、いずれもかなりの混雑している中に出かけることになった。

 元旦には、初日の出を撮影するために、碓氷峠に車で出かけた。よく出かけている浅間山の撮影ポイントに近い場所であった。

 正月の二日目になり、喉に違和感が出、咳をするようになった。熱はない。気にした娘が龍角散を買ってきてくれて、これを飲み、少し楽になったが咳は完全には収まらず、休み明けの6日になってようやく医師の診断を受けた。

 咳症状は次第に収まり、11日には義兄夫婦から招待されていた、東京での食事会に出かけることができた。今回の咳は、年末に人ごみの中に出かけたことが原因かと思っていたので、東京駅から義兄が予約してくれていたホテルまではタクシーで直行、ホテルから食事会場までも義兄夫婦と一緒にタクシーを利用するなどして人ごみを避けた。

 ホテルに宿泊した翌日の朝食はビュッフェスタイルで、3連休の中日でもありかなりの混雑であった。この日の過ごし方は、少し前から妻と博物館に行きたいねと相談していたが、軽い咳がまだ出ていたので、人ごみの中に出ることを避けて、ホテルに併設されている集古館だけを見て、来た時と同様、東京駅にタクシーで直行し、早々に軽井沢に戻ってきた。

 飲み薬はちょうど前日で切れていたが、熱は出ていなかったので、そのまま様子を見ることにしていたところ、16日に37度ほどの微熱がでた。すぐに医師に相談をし、飲み薬を処方していただいた。

 1月にはこの後、17日、19日、21日と予定が入っていた。17日は区会の小会合で、私が委員長をしているものなので、欠席するわけにいかず、19時から2時間ほどの会議に参加した。

 翌日目が覚めた時には、熱は38度になっていた。夕方には薬の効果もあり平熱近くまで下がるが、翌朝にはまた38度に上昇していた。

 この日、19日の16時からはTGさんの小説の出版記念のトークショウが近くの書店で開かれる予定で、その後18時から親しい人たちを招いて食事会も予定されていて、私も招待されていた。

 このTGさんの小説は昨年10月に新潮社から出版されていて、今年は3月5日の外国人記者倶楽部を皮切りに、軽井沢、国立、青山などでトークショウが予定されていて最後はブータンで終えるとのことであるが、今回はその練習を兼ねたものということであった。

 ぜひ参加したいと思ってあれこれ体調管理に気を遣ってきたのであったが、咳と熱を考えるとキャンセルせざるを得ないとの判断に至り、当日朝欠席の連絡をすることになった。

 この日の夜には案の定38度になった。翌日昼頃の検温ではこれまでの最高の38.2度を記録した。

 21日には、今度は区の役員会と演芸会・新年会が控えている。役員会では定例の会計報告があり、演芸会・新年会では総合司会を任されている。

 当日の朝も37.5度の発熱があったので、役員会では原稿をどなたかに読み上げてもらい、司会は代役をお願いしようと考え様子を見ていたが、ギリギリのところで出席することにした。

 ただ、食事の始まる前までの司会にとどめ、宴会の開始を告げて以降は、宴会担当の司会者が別途指名されていたので、その方にこの日の最後まで、司会を続けていただくようお願いして、退席した。

 年初からの咳に始まり発熱と、すでに3週間を超えるこれまでに経験したことの無い長引く症状に困惑しているが、これも齢のせいなのだろう。それともコロナ感染が何か影響しているのだろうか。

 以前当ブログで免疫のことを調べた時に引用した、若者と老人がインフルエンザに罹った時の症状の差があった(2020.11.13 公開)。次のようである。
 
 「冬の朝、同じバス停でバスを待っている青年と老人が、同じインフルエンザウイルスに曝されたとしよう。青年がインフルエンザウイルスに曝された場合、青年はインフルエンザにかかりにくいが、かかったとしても、定型的な一次免疫反応の経過をたどって、数日のうちに治癒してしまう。一時免疫反応というのは、はじめてこの抗原(インフルエンザウイルス)に出会った時の定型的な反応である。
 ウィルスが細胞内に入り込み自己複製を開始すると、まずインターフェロンの合成が始まり、ウィルスの増殖を抑えようとする。
 マクロファージが異常を察知して、IL1などの炎症性物質を出す。IL1は発熱物質なので、熱が出、体は汗をかく。ウィルスの粒子や蛋白はマクロファージに取り込まれ、消化された断片はクラスⅡ抗原に結合してヘルパーT細胞を刺激する。
 ヘルパーT細胞からは、B細胞やキラーT細胞を刺激したり、炎症を引き起こすインターロイキン群が生産される。
 ウィルスが感染した細胞では、ウィルスの構造蛋白がクラスⅠ抗原に結合して細胞の表面に提示される。それをキラ-細胞が認識、刺激を受ける。ウィルスを発見したB細胞も動員されるが、それはまだ、ウィルス中和能力の低いIgM抗体を遊離するばかりである。
 とにかくこうして起こった免疫系の大騒動によって、インフルエンザの症状はクライマックスに達する。
 しかし間もなく、B細胞はヘルパーT細胞の指令(その多くはインターロイキンの働きに帰せられる)を受けて、ようやく中和能力の高いIgG抗体を大量に分泌しはじめる。
 IgG抗体はウィルスに直接取り付き、他の細胞への感染性などの動きを抑えてしまう。これがウィルスの中和である。インターロイキンの影響下で、キラーT細胞はウィルス感染細胞を次々に殺してゆく。壊された細胞から飛び出したウィルスにはIgG抗体が待ちかまえて中和する。
 やがて炎症はおさまり、サプレッサーT細胞が、それ以上免疫反応が過剰にならないようにヘルパーT細胞の働きを抑え、反応は終息する。青年は、再び青空のもとを疾走し、病気の残骸を吹き飛ばすかのようにサッカーのボールを蹴る。」

 これが、若者がインフルエンザウイルスに感染し、治癒するまでの流れである。さて、次に青年と比較して、我々老人がインフルエンザウイルスに出会ったときの体の反応は次のようになるという。

 「老人のインフルエンザはいささか違う。それほど高い熱が出ないのに、全身がけだるい。初期の防衛反応であるインターフェロンやIL1の生産が悪く、ウィルスは広範に広がる。
 T細胞の反応もおかしく、インターロイキンのいくつかは過剰に作られるが、あるものはあまり作られない。そのために片寄った炎症が肺などに現われ、通常は問題にならないような細菌が増殖して肺炎を起こしたりする。
 B細胞は、ウィルスを中和できるような抗体をあまり作らない。病気は長引き、肺炎などの二次的な合併症を起こすようになり、それはしばしば致命的である。
 インフルエンザが治ったとしても、血液中のガンマグロブリンの濃度は異常に高く、炎症性のインターロイキンもなかなか消失しない。ときにはひそんでいた免疫異常、たとえば自己組織を破壊するような抗体による障害が、風邪を契機に出現することもある。・・・ 」

 これは新型コロナが出現する前の本に書かれていることなので、インフルエンザをコロナと読み替えて差支えないだろう。

 免疫力は老化に伴いこれほどまでに変化するものらしい。私はすでに後期高齢者の年齢も過ぎているので、この本の例にしっかり当てはまる。最後のところにある、風邪を契機に出現する可能性のある免疫異常や抗体による障害が出ていないことを願いたいものである。



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量子もつれ(1)

2025-01-10 00:00:00 | 日記
 年末のTV番組NHKスペシャルで「量子もつれ」が取り上げられた。副題は「アインシュタイン最後の謎」というものである。

 アインシュタインでさえ解けなかった謎「量子もつれ」の存在が実験的に証明され、3人の科学者が2022年のノーベル物理学賞に輝いているが、番組はこの量子もつれの存在を否定したアインシュタインに始まり、量子もつれの存在が明らかにされると、それを応用することで開発された量子暗号技術、量子コンピュータや、我々の意識や宇宙の成り立ちにまで及ぶ哲学的な考察につながることを紹介した。

 3人の科学者へのノーベル賞が決定すると、当時も解説が行われたが、その多くは、量子もつれの存在を実験的に決着をつけるために発案された、ベルの不等式から話が始まっていた。

 今回のNHKスペシャルでは、そのベルの不等式を誘導したともいえるボームの量子力学に対する考察にまでさかのぼって、100年にわたる科学者の苦闘を描き、それでもなお科学者たちは量子もつれをまったくと言っていいほど理解できていないことも示した。

 量子もつれ光子の実験を行い、ベルの不等式の破れを実証したのはアラン・アスペ博士(パリ・サクレー大学及びエコール・ポリテクニーク、フランス)、ジョン・F・クラウザー博士(アメリカ)、アントン・ツァイリンガー博士(ウイーン大学、オーストリア)の三氏である。

 事の発端は1935年に発表された「EPR論文」とされる。それまでもアインシュタインは量子力学に対して不完全な理論であるとの否定的な考えを持っていたが、1930年には量子力学は一応の完成を見たとされていた。

 そこに「量子もつれ」を用いて、この論文で量子力学が「不完全な理論」であると指摘したのであった。EPRとは、この論文の三人の共同執筆者であるアインシュタイン(Einstein)、ポドルスキー(Podolsky)、ローゼン(Rosen)の頭文字をとったものである。こうした量子力学のもつ不思議な性質は「EPRパラドックス」と呼ばれた。

 量子もつれの名付け親は、かのシュレーディンガーとされるが、光子や電子などの量子の間でいったん相互作用が生じると、その二つの量子は相関をもち、どんなに離れていてもその相関は完全に保たれると量子力学は示す。

 EPR論文では、宇宙の果てと果てに離れた二つの量子の相関関係は崩れることなく、完全に保たれると予言する量子力学に対する疑問を提示した。

 電子のスピンを例に取り上げると、自転軸が上向きのスピン・アップと自転軸が下向きのスピン・ダウンが相関している場合には、片方がスピン・アップであれば、もう片方はスピン・ダウンということになる。

 この2つの電子が遠く離れた場所にある場合、測定器を一方の電子に向けて、スピン・アップと測定されると、その瞬間にどれだけ離れていようともう一方の電子はスピン・ダウンに決定するというものである。

 この現象は情報の伝達というレベルのものでないことは明らかである。

 こうした現象に基本的な疑問を投げかけたのがアインシュタインであったが、この問題を解決するために持ち出されたのが「隠れた変数」理論であった。

 「隠れた変数」理論とは、それがどのようなものであるかは具体的に判らないが、これを用いることで量子力学が示す不確定性原理によるあいまいさが消え、すべてが古典物理学が示すような、測定値のあいまいさの残らない決定論となるものである。

 この理論によれば「EPRパラドックス」はパラドックスではなくなる。

 プリンストン大学で、オッペンハイマーの下で働いていて、アインシュタインとも近い関係にあったボームはこの「隠れた変数」理論に共感し、量子力学の波動方程式を別な形で書き表わしてみせた。番組では友人の言葉として、次のように紹介されている。

 「ボームは 頭をかきむしるような難題を 数学で自然に説明できる方法を考え出したのです。宇宙全体からの力という概念を持ち込めば、問題にならないと。」

 宇宙から量子全体に働く「ある力」を想定したものであった。この理論によると「量子もつれ」を持ち出すことなく、量子の振舞いを記述できるとした。

 この頃ボームは次のような考えを持っていたと紹介されている。

 「私はこの問題には科学を超えた何かが必要だと考え始めた。私自身、そして多くの人たちの科学への興味は宗教や哲学への興味の背後にあるものと切り離せない。それこそが全宇宙やあらゆる物質、そして私たちの起源を理解するということなのだ。」

 しかし、ボームのこの理論は、仲間の科学者からは、「ひどく馬鹿げた理論」、「換金できない小切手のような役に立たないもの」と評され、師であるオッペンハイマーからは、「子供じみた逸脱だと考えている」とされ、プリンストンを追われ、不遇な研究生活を送ることになった。

 ここに一冊の本がある。「量子論」(著者:David Bohm、訳者:高林武彦・河辺六男・後藤邦夫・井上 健、1964年、みすず書房発行)という本だが、著者はボームである。この本は私が学部の学生時代に買ったもので、大学院の受験勉強をしている時に入手して、量子力学の勉強をしていた。


「量子論」(著者:David Bohm、訳者:高林武彦・河辺六男・後藤邦夫・井上 健、1964年、みすず書房発行)のカバー表紙

 この本をテキストとして、同級生のMSさんと一緒に勉強をしていたのであるが、最後まで読了した記憶はない。量子力学の入り口くらいには立っていたのではないかと思う。

 この本の原著は、David Bohm:Quantum Theory, (Prentice-Hall, Inc., 1951)であり、訳者あとがきには次のようにある。

 「・・・量子力学についてはすでに沢山良い本があるが、この本は原理的な問題についても実際的な問題についてもなみなみならぬ親切さと懇切さでもって書かれた興味深いものと言える。著者 Bohmはプラズマの理論や量子力学の因果的解釈の試みなどによって著名であり、力量ゆたかで個性的な物理学者である。
 なおこの後の方の仕事は唯物論的な立場を貫徹しようという彼の要請から発したものであったが、この書物は彼がその解釈をとる以前において、普通の正統的な立場で書かれたものである。・・・
 その量子論の解釈は正統的なコペンハーゲン解釈であり、・・・これに対する著者Bohmの目の輝きを、読者は行間いたるところに感ぜられたことであろう。Bohr-Heisenbergの確率論的解釈に抗して、決定論的な解釈を求める傾向は、旧くすでに1927年、de Broglieの理論に見ることができ、本書第22章に述べられたEinstein-Rorsen-Podolskyの反論もその線に沿うものとみなされるであろう。
 ・・・最近、とくに素粒子の理論における諸困難と関連して、コペンハーゲン学派をつつむ”哲学の霧”を晴らすことがふたたび問題にされるようになった。・・・その口火を切ったのが本書の著者の Physical Review 誌所載(85 1952,166,180)の二論文であった。・・・量子力学の解釈における非決定論と決定論とのあらそいは、多彩な哲学的観点と各様の数学的定式化とがからみあっているが、次量子力学的段階における”隠された変数”による因果的記述をもくろむ、本書執筆後の著者の見解については、上記二論文と共に、D.Bohm:"Causality and Chance in Modern Physics" 及び D.Bohm and Y.Aharnov, Phys.Rev. 108(1957), 1070 を一読されることをおすすめしておく。    
                                1964年5月  訳 者」

 ボームのこの著書を読んでいた当時、量子力学はすでにコペンハーゲン解釈で説明されていて、大学でもそのように教えられていたし、ましてや私自身は理論物理を専攻していたわけではないので、アインシュタインや、すでに量子もつれの問題に頭を悩ませていたボームの考えには、全く興味もなく、考えも及ばなかった。

 今、こうしてこれまでの100年間の科学者の苦闘と、その後得られた自然観を目の当たりにすると、ボームの苦悩の一端が見えてくる気がする。

 量子力学を深く理解し、その核心に触れることで、更にこの学問を発展させようとしたボームであるが、量子力学を不完全なものとしたアインシュタインの考えていたことと、ボームの考えていたことは同じようなものだったのだろうかという疑問が私には残る。

 番組では、ボームの次のような言葉も紹介されている。

 「物理学者は本質を無視して『物理学の目的は計算することだ』と言う。しかし量子力学を初めて学んだ学生には理解できないのです。彼らは1年もすると『単なる計算システムだから理解する必要はない』と言うんです。」

 アインシュタインは間違えていたというのが、今回の「量子もつれ・アインシュタインの最後の謎」の結論である。「量子もつれ」は存在し、量子力学は正しく、「隠れた変数」を持ち出す余地はない。その意味で、ボームもまた間違えていたということになる。

 番組の中で、ベルの不等式を見出したジョン・ベル、そしてこの量子もつれの研究でノーベル賞を受賞した三人は、それぞれ次のように語っている。

 ジョン・ベルとジョン・クラウザーはアインシュタインの考えに賛同していて、「量子もつれ」は存在しないはずとの考えのもとに、それぞれこの式を考案し、また実験を行っていた。

 *ジョン・ベル
 「1952年にボームの論文のコピーが届きました。もちろんすぐ読みました。
  それは私の考えにとても近く、ものすごく感銘を受けました。
  そして私はその論文で、長い間不可能とされていたことが、達成されていることを知っ
  たのです。
  心から熱狂しました。私にとっては大事件でした。
  ボームは可能性を見せてくれたのです。非常に明確な方法で、不可能だと主張する
  証明を論破し、問題を再び提起してくれたのです。私は計り知れない感謝をしています。
  
  量子力学の世界は 私たちが本当に消化できていない奇妙なものです。
  ほとんどの理論物理学者はこのことを気にしていません。
  自転車に乗るのと少し似ています、どうやって乗るのか他人に詳しく教えられなくても
  自転車には乗れます。
  そしてほとんどの理論物理学者は量子力学を 自転車に乗るのと同じように使っている
  と思います。
  しかし それが何を意味するのか 考える人もいなければならないと思います。
  私たちは今 自分たちが何をしているのか(量子力学の)原理をよく理解していませんが
  それはありえないと思います。
  物理学の未来は ますます理解できなくなるだろうし 私はそれに賛成できない

  波動関数とは一体何なのか、それはとても不可解で物理学とはいったい何なのかという
  疑問が湧いてきました。
  アインシュタインの主張には絶対的な説得力があると思うのです。それが唯一合理的な
  考え方なのです。そして、その結末は動かない。遠く離れたところで実験したとたん
  理由のないシンクロが生じてしまう。なぜ物理学者たちはボームをあれほど攻撃したの
  か。なぜボームの素晴らしい発見と論文に寛容でなかったのか・・・。」  

 *ジョン・クラウザー
  「(当時)私は博士論文をゴダード宇宙研究所で書いていました。そこで突然本棚に眠っ
  ていた論文に出会ったのです。無名の雑誌に掲載されたジョン・ベルの論文でした・・
  それを読んで、私はただ圧倒されました。今まで人生で読んだ中で、最も素晴らしい
  論文だったからです。

  Q:物理学者として「量子もつれ」を理解していますか?
  A:いいえ その反対です。私は量子もつれを全く理解できていません。」

 *アラン・アスペ
  「ベルはまずこういいました。『みんなからこのテーマは興味がないと批判される』と。
  このテーマに取り組むのはやめた方がいいと忠告してきました。私は既にポストについ
  ていると伝えると、『それなら科学の話をしよう』と言われたのです。」 

 *アントン・ツァイリンガー
  「個人的には私はずっと根源的なことに興味がありました。応用していくことは大切だと
  思いますが、それでは根源的な問いに答えを出すことができないのです。
  この問題(量子もつれ)は長い間、物理ではなく哲学の問題だと考えられてきました。
  それでも、最終的には(実験は)うまくいったのです。アインシュタインの反応が知り
  たいですね。実験に対して、彼が今何を言うか知りたい。私達人類は、世界に対する見
  方を変えなければならない。それにはおそらく長い時間がかかるでしょう。
  それは若い世代が納得していくことなのです。

  私が何を推測しても、おそらく間違っているだろう。この世界は私たちが思うよりずっ
  とファンタジーに満ちている。」

 アインシュタインはベルの不等式のことも、「量子もつれ」の存在が確認されたことも知らないで亡くなっているが、ボームの場合は存命中に、「量子もつれ」でノーベル賞を受賞した二人の研究結果が発表されている。一方でボームは晩年まで量子力学の解釈に情熱を注いでいたようであり、ウィキペディアによると次のようである。

 「ボームは1987年に引退するまで量子物理学の研究を続けた。彼の最後の研究は、彼と同僚である Basil Hileyとの長年の共同研究の成果として、死後にThe Undivided Universe: An ontological interpretation of quantum theory (1993) として発行された。 」
    

「量子もつれ」の放送に登場する主要人物とその生没年、主要な論文、ノーベル賞の受賞年などを示す表(筆者作成)
  
 ※NTTに対するサイバー攻撃があり、一時gooブログへのアクセスが不可能になったため、当ブログ記事のアップを1週間延期しました。
 

 
 
 
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謹賀新年

2025-01-01 00:00:00 | 日記
 碓氷峠の初日の出を、今年こそ平和が訪れることを祈念してお届けします。

碓氷峠の初日の出(2025.1.1 撮影)


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