軽井沢からの通信ときどき3D

移住して11年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

森村 桂さん

2024-10-18 00:00:00 | 日記
 軽井沢町町制施行100周年を機に、軽井沢町教育委員会が1968年から発行し、12版を重ねてきた「軽井沢文学散歩」が装いも新たに新編となり昨年発刊された。

 当ブログでも紹介してきた明治・大正生まれの多くの作家がここに紹介されているが、その中に昭和生まれの作家も含まれるようになっていて、その一人、森村桂さんの名前も登場している。


「新編 軽井沢文学散歩」(2023年、 軽井沢町教育委員会発行)の表紙

 この「軽井沢文学散歩」の中で、森村桂さんは「南軽井沢エリア」の項で紹介されている。それは彼女がこの地区に「アリスの丘」ティールームを開いていたという関係からである。

 著書「アリスの丘の物語」(1984 角川書店)からの引用として、次の文が紹介されていて、軽井沢とゆかりのある近代の作家と言えるだろう。

 「北窓から何気なく外を見たとたん、息をのんだ。
 左ななめの浅間山、あの、いつも青黒くあずき色っぽかった、私には一つも美しいとはいえなかった浅間山に、うっすらと雪がかかり、まるで、モンブランのようなのだ。
 何と、お前が・・・・・、こんなにも、白鳥の羽のように、やさしく、きれいだったとは・・・・・。
 〈中略〉
 『すてきよ、とてもきれいよ』
 軽井沢は幼いころからなじみのあるところだった。でも今のような思いで浅間山を見たことがあるだろうか。あの初雪の白さが、陽のかげんだろうか、淡いバラ色にでもそまりそうな、神秘的なやさしい色になっているのである。」

 この森村桂さんが見たという浅間山はこんな風だったのだろうか。

朝焼けの浅間山と満月(2023.11.29 筆者撮影)

 森村桂さんと言えば、我々の年代の者にとってはデビュー作「違っているかしら」(1966年 オリオン社発行 )に続く2作目「天国に一番近い島」(1966年 学習研究社発行)が強く印象に残っている。

 当時、大学同級のNさんがこの本のことを紹介してくれた時の様子が今も思い出される。

 その後、前記2作品を原作として、NHK朝の連続テレビ小説「あしたこそ」(1968.4~1969.4 橋田寿賀子脚本)が作られるなど、「天国に一番近い島」は最終的には200万部を超える大ベストセラーとなった。

 さらに、「違っているかしら」と「天国に一番近い島」は映画化もされている。
 □ 私、違っているかしら(1966年、監督:松尾昭典、主演:吉永小百合)
 □ 天国にいちばん近い島(1984年、監督:大林宣彦、主演:原田知世)

 そんな森村桂さんが南軽井沢に手作りのケーキとジャムの店「アリスの丘」を開いたのは1985年のこと。

 開店当初のこの店については、
 「アリスの丘のケーキ屋さん」(1986年、中央公論社刊)、
 「桂のケーキ屋さん」(1986年、)、
 「忘れんぼのバナナケーキ」(1986年、ハーレクイン・エンタープライズ日本支社刊)などに見ることができる。

 その後もこの店やケーキ作りについての次のようないくつかの著書がある。

 「桂のクッキー屋さん」(1989年、)
 「皇太子の恋にささげたウェディングケーキ」(1993年、青春出版社)
 「桂のマイケーキ」(1994年、)
 「アリスの丘のお菓子物語」(2004年、海竜社刊)

 軽井沢の地元新聞社が発行している季刊雑誌「ヴィネット」には店の開店まもなくから森村桂さんのエッセイが寄せられていて、1989年からは「アリスの丘からこんにちわ」(1989年~1998年)の連載も行われていた。

 休止期間もあったようだが、2004年に「新連載」と題してエッセイが再開されて間もなくの2005年春号に、突然「森村桂さん死亡」とする編集長の広川小夜子さんの記事が書かれた。次のようである。

 「軽井沢取材日記㉖ 
 『天国に一番近い島』で知られる作家、森村桂さんが天国へと旅立った。アッといわせるいでたちで編集部を訪れた7月上旬、とても元気な様子に見えた。 それから2ヶ月、いったい、桂さんに何があったのか・・・。

 『森村桂が本日亡くなりました』と夫のM一郎さんから電話を受けたのは平成16(2004)年9月27日のこと。それは突然の信じられない出来事だった。・・・
 長い間、入退院を繰り返し治療を続けていた森村桂さん・・・元気を取り戻したのは、平成15(2003)年8月下旬、13年ぶりに天皇皇后両陛下が軽井沢を訪問されたことがきっかけだった。美智子皇后からケーキの注文を受け、スタッフに『皇后様のケーキは桂さんが焼かなくてはいけないですよね』と言われ、・・・桂さんはハッとしたという。そして心をこめて作り、滞在されているホテルにお届けした。その時、美智子様の嬉しそうな様子に桂さんの心は病から立ち直ったのだった。・・・」

 病から立ち直った後、2004年春号から「森村桂のエッセイ・アリスの丘からこんにちわ」が新連載として始まり、第1回のテーマは「皇后さまと思い出のお菓子」であった。

 続いて2004年夏号には第2回「九ちゃん、また、夏が来たよ!」というタイトルで、仲良しだった坂本九さんのことを書いた。九ちゃんを忘れないようにと「忘れんぼのバナナケーキ」を作るようになったのだという。このエッセイの最後に ー 今年も九ちゃんの命日に、今では名物になった「アリスの丘」の”忘れんぼのバナナケーキ”をモチ網にのせて持ち、御巣鷹山に向かって「上を向いて歩こう」を歌うだろう ー これが桂さんの遺稿になった(一部上記「軽井沢取材日記」㉖ からの引用)。 

 私は森村桂さんの著書の読者ではなく、私が軽井沢に移り住んだのは2015年のことで、森村桂さんはすでに亡くなった後のことであったし、「アリスの丘」もすでに閉じられていたので、ご本人や店との軽井沢での接点はない。

 子供のころからよく軽井沢に来ていて、義母と「アリスの丘」にも行ったことがあるという妻から、店のあった場所近くを車で通りすぎるときに、折に触れて話を聞くだけであった。ただ、学生時代にNさんから聞いた「天国に一番近い島」の作者としてのイメージは強く印象に残っていた。

 今年になって、「軽井沢新聞」に次のような記事が載った。

 「森村桂さん、浅間山麓に眠る

 『天国に一番近い島』で知られる作家、森村桂さんの納骨式が7月19日、西軽井沢の向原霊園で行われた。森村さんが亡くなったのは平成16(2004)年9月だが、夫の三宅一郎さんが身近に置きたいと遺骨を自宅に持ち続けていた。 
 三宅さんが亡くなった後、親族は長く生活していた軽井沢で二人を眠らせてあげたいと考えて場所を探し、樹木に囲まれたこの環境を選んだ。
 墓石には二人の名を刻み、その横には森村さんが描いた自画像とアリスの丘の文字、猫のプーさんのイラストを彫刻した石が置かれている。・・・(軽井沢新聞、2024年8月号から引用)」

 霊園のある場所は、「アリスの丘」から西方に約6キロ離れた場所である。佐久平方面に出かける時にはよく通っている抜け道の道路からもほど近い場所にある。
 
 先日、妻とこのお墓に立ち寄ってみた。管理人のいない人気のない霊園であったが、それほど広い所ではないので、お二人のお墓はすぐに見つかった。いかにも桂さんらしく、彼女が笑顔で語りかけてくる姿が思い浮かぶようなお墓であった。

森村桂さんと三宅一郎さんの墓(2024.9.17 撮影)

森村桂さんと三宅一郎さんの墓(2024.9.17 撮影)


墓石脇の石に刻まれた自画像、アリスの丘、ネコのプーさん(2024.9.17 撮影)

 「アリスの丘」は取り壊され、更地になってしまい、森村桂さんが軽井沢にいたという記憶も消えてしまいそうであるが、ヴィネットに載ったエッセイを読んでいると、彼女が軽井沢に残したものが、お墓のほかにもいくつかあることが知れる。

 「アリスの丘」の前面道路である軽井沢バイパスに架かる3つの橋にはそれぞれ親柱に森村桂さんが描いた4枚のエッチングのプレートが配置されている。橋両側の中央部にもそれぞれ次の解説板が設けられていて、今はだいぶ読みにくくなっているが文面は次のようである。

 「メルヘン橋
 軽井沢バイパスには三つの橋があります。この度、橋の改修工事にあたり、何か軽井沢らしいイメージをと、軽井沢在住の作家 森村桂さんにお願いして、『緑よ水よ森の動物たちよ永遠に』をテーマに『森のプーさんの見た夢』12点の絵童話によるエッチングを親柱に配しました。散歩やサイクリングのあいまに、軽井沢を舞台に生れた森の動物たちのメルヘンの世界をお楽しみ下さい。
                               建設省長野国道工事事務所」


橋に設けられた森村桂さんのエッチングの解説板(2024.10.16 撮影)

 このエッチングの制作年についての記載はないが、軽井沢バイパスが緑化工事も含めて完成したのが1987年で、「アリスの丘」の開店が1985年であるから、ちょうどこの間に制作されたものと推測される。説明版の文字同様、エッチングの絵も文字も一部かなり読みにくくなっているが、今も健在である。


「雨宮橋」のエッチングプレート①花の枕でスヤスヤと(2024.10.16 撮影)

「雨宮橋」のエッチングプレート②幸せのウディングケーキ(2024.10.16 撮影)


「雨宮橋」のエッチングプレート③木さんは天才(2024.10.16 撮影)

「雨宮橋」のエッチングプレート④雪をよぶお菓子(2024.10.16 撮影)

「湯川橋」のエッチングプレート⑤魔法のじゅうたん(2024.10.16 撮影)

「湯川橋」のエッチングプレート⑥ぶどうの季節(2024.10.16 撮影)


「湯川橋」のエッチングプレート⑦くまさんは冬眠(2024.10.16 撮影)


「湯川橋」のエッチングプレート⑧誰がおいたか金の露(2024.10.16 撮影)


「鳥井原橋」のエッチングプレート⑨皇太子の恋(2024.10.16 撮影)


「鳥井原橋」のエッチングプレート⑩こわい山道(2024.10.16 撮影)


「鳥井原橋」のエッチングプレート⑪星をまく人(2024.10.16 撮影)

「鳥井原橋」のエッチングプレート⑫しょうにゅうどうのお姫さま(2024.10.16 撮影)

 以上紹介した「アリスの丘」ティールーム、メルヘン橋のエッチング ①~⑫、お二人の墓の場所は次のようである。

 「アリスの丘」ティールーム、メルヘン橋のエッチング ①~⑫、お二人の墓の概略地図

 このエッチングのほかに、軽井沢駅の改札口脇には桂さんが描いた、畳4枚分の大きな壁画があった。この壁画制作時のことはエッセイに書かれていて、次のようである。

プーさんの壁画描き
 軽井沢駅のホームで、ガタガタふるえながら”壁画”を描いていたら、子供たちの澄んだ声がひびいてきた。
 『わあ、きれい!』『かわいい!』『うまい』『がんばってください』
 あまりその声が続くので、うれしくて、『ありがとう、どこの学校?』
 『柏四小です』
 『柏!?』
 私はびっくりした。はじめて絵童話展をしていただいたのが柏なのだ。
 その、同じ柏の子供達が、この壁画を励ましてくれるなんてーーー。

 おととしの夏、うっかり、躁状態で引き受けてしまったものの、板にいきなり描き出しちゃったものだから、長雨でカビがはえたり、雪がふきこんで、色が後退したりあせたりしてさんざんだった。・・・
 1年後の春、ようやく・・・仕上げにかかることにした。・・・何とか完成。
 今度は、・・・額が気になってきた。洋画の友達が、額も模様にしちゃえば、と言ってくれたので、ぶどう唐草を描こうとしたが、描いても描いてもしみこんでしまう。
 『駄目だよ、ペンキ塗ってからじゃなきゃ』・・・
 さて、ペンキを塗るには、絵を寝かせなければならないという。駅員さんに頼んだところ、『困ったなあ、駅長が今日は出ちゃって。駅長がいちばん力持ちなんだ』・・・
 『すみません、どなたか手伝って・・・』 と、ちょうどホームに来た人に呼びかけた。と、すてきな紳士が二人、スッと近寄って加わって下さり、壁画が動いた時は感動した。
 友人が、額にこげ茶のペンキを塗ってくれ、私はその上に、アリスの丘の天井の梁に描いたと同じ白ペンキで、ぶどう唐草様のものを描いた。・・・
 さて、額を描き上がったら、今度は額だけが目立ってしまった。ではと、森の小人を登場させることにした。・・・

 六時すぎ、これ以上遅くなっては、駅員さんたちの数が少なくなり、もう、もとにもどせなくなるので、止めることにした。
 しかし、あまりの冷えのせいか、同じ姿勢だったせいか、立ち上がりはしたものの、まるで内臓が全部脚に落ちてしまったようで、歩くことがうまくできない。
 『うわあ、まだ、いたんですか』 
 アリスの丘の仲間たちだった。・・・」(「軽井沢ヴィネット」1992年 SUMMER号 より引用)

 壁画は、新幹線開通に伴い駅舎が新しくなった時に取り外され、桂さんの自宅に保管されていたというが、ご主人の三宅一郎さんが亡くなってからは別の場所に保管されているので今は見ることができない。


 
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アサギマダラの孵化とイケマ

2024-10-11 00:00:00 | 
 昨年、小諸のMさんからアサギマダラの幼虫を分けていただき、飼育して最終的に羽化するところまでを撮影・記録することができた。この時、来年はぜひ卵から孵化するところも観察・撮影したい旨Mさんに話していた。

 今年、ミヤマシジミの観察にMさんのバタフライガーデンを訪問した時、Mさんは前年の私の話を覚えていて、アサギマダラの卵を探しに行きましょうと誘っていただいた。

 昨年、アサギマダラの幼虫を飼育をする際に、食草のイケマの生育場所を教えていただいていて、今回はまずその場所に向かった。イケマはたくさん見つかり、ひとつひとつ葉を裏返してアサギマダラの卵を探して歩いたが、ここでは見つけることができなかった。

 そこで、別の場所に移動し、イケマを探し出して、同じように丹念に葉裏を見てあるいたところ、Mさんが1卵を見つけた。その後、さらに場所を変えて随分多くのイケマを見て歩いたが、結局この日は先にMさんが見つけた1卵だけで、私は全く見つけることができなかった。

 これは、時期がまだ少し早かったからかな・・・とはMさんの話である。この1卵を受け取り、自宅に持ち帰り観察・撮影が始まった。食草のイケマは昨年数株を堀取って持ち帰り、鉢植えにしてあって、それが今年春になり芽を出していて、葉も出始めていたので餌の確保は問題なさそうであった。

 採集した卵は次のようであり、透明感のある白い砲弾型で、縦に筋が見られる。

イケマの葉裏に産み付けられたアサギマダラの卵(2024.6.14, 18時、採集後撮影)

採集翌日のアサギマダラの卵(2024.6.15, am 5時 撮影)

 翌日早朝時点では変化がなかったが、夕方には黒化し、中で幼虫の動きも感じられるようになった。そのまま撮影を続けると、夜に孵化が始まった。次のようである。


黒く変化し、中で動きが感じられるようになる(2024.6.15, 21:53 撮影)

 
アサギマダラの孵化(2024.6.15, 21:57 ~ 22:04)

 幼虫が卵の殻を食べてしまうかどうかを見ていたが、その様子はなく、孵化後は何も食べずに過ごし、約7時間後に卵のあった場所近くのイケマの葉の表面を齧るようにして食べ始めた。

卵の殻のすぐそばでイケマの葉を齧る1齢幼虫(2024.6.16, am4:45 撮影)

 孵化後約1日経つと幼虫には特有の模様も見え始め、イケマの食痕も大きくなった。


アサギマダラの1齢幼虫とイケマの葉にあいた食痕(2024.6.16, pm23時 撮影)

 1齢幼虫は順調に育っているように見え、孵化直後には白灰色であったものが、次第に特有の縞模様も濃くなり、やがて2齢への脱皮の時期を迎えた。

 脱皮も順調に見えたが、脱皮し終わった直後幼虫に異変が起きた。残念なことに、今年の飼育は2齢になったところで終わってしまった。

 この頃、小諸のMさんから電話があり、我が家近くに来ているのだという。理由を聞くと、近くのT小学校の理科担当の女性教師からアサギマダラの幼虫を飼育しているが、食草のイケマが足りなくなってきたので、協力してほしいと人づてに依頼され、山に行ってイケマを採集して持参したところであった。

 この日、私は仕事もあり同行できなかったが、この話を聞いて、自治会で一緒に仕事をしていて、小学校の放課後の生徒の見守りをしているH女史にこのことを伝え、我が家にもイケマの鉢植えがあるのでよかったら提供しますと、その女性教師を探して伝えてもらった。お名前はT先生だと教えていただいた。

 さっそく翌日になって、そのT先生から電話連絡があり、今は餌のイケマは足りているが、そのうち校庭の一角にチョウの飼育のためのコーナーを作るので、その時に改めてお願しますということであった。

 その電話がかかってきたのは、9月下旬であった。校庭の準備ができたので、イケマを届けてもらえないか、子供たちがお手紙を用意して待っています・・とのことである。我が家の鉢植えのイケマは葉の色がやや黄ばんできてはいるが、まだ元気な様子である。早速日程を打ち合わせて届けることになった。

 小学校の昼休みが過ぎたころ、車にイケマの鉢植えを載せ、妻と小学校に向かった。駐車場に車を停めて校舎の入り口に向かうと、ちょうど中から一人の若い先生が出てきて私の名前を確認した。T先生であった。

 私が車にイケマの鉢植えを取りに行って戻ってくると、二人の女子生徒が先生と一緒に待っていて、アサギマダラの飼育担当だと挨拶をしてくれて、用意してあった手紙を手渡された。授業を抜けてきたとのことで、すぐに先生も生徒たちとも別れたが、私たちからは、妻の用意したチョウの形に切り抜いた色紙や、我が家のブッドレアにやってきたアサギマダラの成虫の写真と、幼虫から飼育した時に撮影した蛹の写真を絵葉書にしたものをプレゼントした。

 家に帰って女子生徒から受け取った手紙を読んだが、「ぶじにイケマとアサギマダラが育ったら見に来てくれるとこうえいです。」とある。来年、アサギマダラが、このイケマに産卵のために飛来することを楽しみに待ちたい。当地の小学生にチョウなど昆虫好きの生徒がいることも判り、嬉しく思ったのであった。


 2人の女子生徒からの手紙

 

 

 

 
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コスモス

2024-10-04 00:00:00 | 日記
 そろそろ見ごろを過ぎているが、今の季節、各地のコスモス園はこの花を愛でる人たちでにぎわったことだろうと思う。軽井沢周辺では国道254号線の佐久市内山地区区間の道路沿いの両側に 10㎞ほどにわたってコスモスが植えられていて、「コスモス街道」と呼ばれている。

 9月になると、このコスモスの花が咲き、道路を走る多くの人々の目を楽しませる。道路沿いに咲くコスモスは車窓から眺めるだけになるが、休耕地を利用して広い農地一面にコスモスを育てている場所もあり、ここには駐車場も整備されているので、ゆっくりと花を眺めたり、写真を撮ったりする人で賑わう。

 この地域にはもう1か所コスモスを栽培している場所がある。内山牧場のキャンプ場に隣接する「大コスモス園」である。ここに行くには国道254号線からそれて北上することになるが、名前の通り丘陵地一面に咲くコスモスが見事である。

コスモス街道と大コスモス園の周辺概略地図

 コスモスの花とは別に、私にはもう一つの”コスモス”がある。母の実家の姓にちなんでつけられた「コスモス会」という名前のいとこ会である。少し前に、このいとこ会のメンバーの家族から「日本一」が誕生したことを当ブログで紹介したが、そのいとこ会の集まりが今年も開催されることになった。

 今年は、我々いとこの親世代の叔母が102歳を迎えることとなり、その叔母の誕生日祝いも兼ねて大阪で開催されることになった。

 私は都合で昨年のいとこ会に参加することができなかったこともあり、幹事役のSさんから余興として何か軽井沢の話をしてもらえないかと依頼があった。何事にもNOと言わないことを旨としているので、この時も快諾したが、さて何を話そうかと考えてしまった。

 数年前には、いとこ会の会場でネット接続し、私のブログ記事からチョウの羽化シーンなどをスクリーン画面に映し出して、紹介したこともあった。 
 その時は時間的な余裕もあり、設備も整っていたからできたのであったが、今回はそうした設備のないレストランでの食事会であり、口頭での話に限られていた。

 はじめは、最近のブログ記事から、ペンローズ・タイルの話をして、きれいなペンローズパターンを絵葉書にして配ろうと考えていた。しかし、これは妻の反対にあった。せっかくの食事がまずくなるのではないかとの懸念からであった。

 それではと、ちょうどTVのニュースで紹介された上記「コスモス街道」と「大コスモス園」に行って、いとこ会の名にちなんだコスモスの花の写真を撮り、絵葉書にして皆にプレゼントしようということに決めた。

 軽井沢から現地までは、妙義荒船林道があり最短コースとなっているが、数年前に台風19号の被害に遭ってからは通行止めになっていたこともあり、その後の様子が判らなかったので慎重を期して別ルートを選んだ。

 迂回ルートには下仁田経由と佐久経由とがあるが、今回は通いなれた佐久市を回ることにした。先ず内山牧場を目指し、そのすぐそばにある「大コスモス園」を訪れた。このあたりからは荒船山の「くじら」のような姿が望める。

内山牧場から見える荒船山(2024.9.18 撮影)

 ここのコスモスはまだ少し早いようであり、事前に写真で見たほどの花数ではなかったが、広大な丘陵地にコスモスが植えられていた。


大コスモス園(2024.9.18 妻撮影)

大コスモス園(2024.9.18 撮影)

コスモスの花(2024.9.18 妻撮影)

 続いて国道254号まで南下し、途中コスモス街道の花を楽しみながらコスモス畑に向かい、駐車スペースに車を停めた。ここには臨時の野菜などの販売所も設けられていて、妻が買い物をしている間に私はコスモスの花の写真を撮った。


コスモス畑から妙義山を望む(2024.9.18 撮影)

 頭の中で描いていたものとは違って、コスモスの花色と花びらの形は随分多様である。青色のものはさすがにないが、黄色のコスモスもあり、何故かこの黄花にはミツバチがよく訪れていた。

 こうして2か所で撮影した様々なコスモスの花の写真を絵葉書にして「コスモス会」に備えた。この絵葉書の評判はご想像にお任せすることとするが、幹事のSさんから頼まれた「軽井沢だより」の話を無事務めることができた。

 以下、絵葉書に採用したコスモスの花の数々である。














コスモスの花色と形の数々(すべて2024.9.18 撮影)




 
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地震予測と対策(8)令和6年日向灘地震と一条堤

2024-09-27 00:00:00 | 地震
 遠くパリからオリンピックでのメダル獲得のニュースが流れる中、8月8日16時43分頃に日向灘沖で発生した強い地震により国内に緊張が走った。

 これまで、30年以内に70~80%の確率で発生すると予測されていた「南海トラフ巨大地震」の震源域内で発生した地震であったことと、地震の規模がマグニチュード(M)7.1とかなり大きかったことによる。

 皮肉なことに偶然気象庁では前日の7日、南海トラフ地震評価検討会の定例会合で、大規模地震発生の可能性について、「平常時と比べ、高まっていると考えられる特段の変化は観測されていない」と評価をまとめたばかりであった(読売新聞報道)。

 政府の地震会議では、来たるべき「南海トラフ巨大地震」への対応策を2019年に決めて発表していた。それによると、予想震源域内でM6.8以上の地震が発生した場合に取る行動基準が決められていた。次のようである。


気象庁発表の南海トラフ巨大地震への対応策

 今回この基準を満たすM6.8以上の地震が、基準制定後初めて発生したため、この対応策に従い、臨時情報「調査中」が発表され、引き続いて専門家による「評価検討会」が開かれた。TVの報道番組を見ていても、専門の解説委員の緊張感が伝わってくるものであった。

 まもなく気象庁と地震会議の平田 直議長による記者会見が始まった。発表内容はすぐにネットで公開されたが、「今回の地震は、プレート境界の一部が割れたと断定」、直ちに 『巨大地震注意』が発令された。上図の①の場合に相当する。あわせて、「普段より地震が起きる確率は数倍高くなった。元々いつ起きても不思議でないところだ。」と評価検討会会長の平田直・東大名誉教授は注意を呼び掛けた。 

 尚、気象庁の発表内容詳細は以下のようである。

 「気象庁発表:南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意) 
** 見出し **
  本日(8日)16時43分頃に日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生し ました。この地震と南海トラフ地震との関連性について検討した結果、南海トラフ地震の想定震源域では、大規模地震の発生可能性が平常時に比べて相対的に高まっていると考えられます。今後の政府や自治体などからの呼びかけ等に応じた防災対応をとってください。
 ** 本文 **
 本日(8日)16時43分頃に日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生し ました。その後の地震活動は活発な状態が続いています。また、ひずみ観測点では、この地 震に伴うステップ状の変化が観測されています。 気象庁では、南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会を臨時に開催し、この地震と南海 トラフ地震との関連性について検討しました。 この地震は、西北西・東南東方向に圧力軸をもつ逆断層型で、南海トラフ地震の想定震源 域内における陸のプレートとフィリピン海プレートの境界の一部がずれ動いたことにより 発生したモーメントマグニチュード7.0の地震と評価されました。 過去の世界の大規模地震の統計データでは、1904年から2014年に発生したモー メントマグニチュード7.0以上の地震1,437事例のうち、その後同じ領域でモーメン トマグニチュード8クラス以上の地震が発生した事例は、最初の地震の発生から7日以内 に6事例であり、その後の発生頻度は時間とともに減少します。このデータには、平成23 年(2011年)東北地方太平洋沖地震(モーメントマグニチュード9.0)が発生した2 日前に、モーメントマグニチュード7クラスの地震が発生していた事例が含まれます。世界 の事例ではモーメントマグニチュード7.0以上の地震発生後に同じ領域で、モーメントマ グニチュード8クラス以上の地震が7日以内に発生する頻度は数百回に1回程度となりま す。 これらのことから、南海トラフ地震の想定震源域では、大規模地震の発生可能性が平常時 に比べて相対的に高まっていると考えられます。 南海トラフ地震には多様性があり、大規模地震が発生した場合の震源域は、今回の地震の周辺だけにとどまる場合もあれば、南海トラフ全域に及ぶ場合も考えられます。 最大規模の地震が発生した場合、関東地方から九州地方にかけての広い範囲で強い揺れが、また、関東地方から沖縄地方にかけての太平洋沿岸で高い津波が想定されています。 今後の政府や自治体などからの呼びかけ等に応じた防災対応をとってください。 気象庁では、引き続き注意深く南海トラフ沿いの地殻活動の推移を監視します。 ※モーメントマグニチュードは、震源断層のずれの規模を精査して得られるマグニチュードです。気象庁が地震情報等で、お知らせしているマグニチュードとは異なる値になる場合があります。 ※評価検討会は、従来の東海地域を対象とした地震防災対策強化地域判定会と一体となっ て検討を行っています。 
** 次回発表予定 **
 今後は、「南海トラフ地震関連解説情報」で地殻活動の状況等を発表します。」

 この内容は翌日の新聞でも報じられ、購読紙では次のようであった。


8月9日読売新聞1面の記事

 これに伴い、今後1週間は更に大きい地震発生に備え警戒を強めるよう求められ、その対象となる地域は、全国の1都2府26県707市町村に及ぶ広大なものであって、各自治体ではそれぞれの実情に応じた対応を迫られることになった。

 この1週間という数値の根拠として、気象庁は先の発表で次のように説明している。

 「世界で1904~2014年に起きた国際的な単位『モーメントマグニチュード』換算で7以上の地震は1437回あり、その内、震源から50キロ以内で7日以内に起きた7.8以上の地震は6回ある。」


 この可能性が「数倍」高まったという内容は、少しわかりにくいと思うので、計算してみると次のようである。

 今回の地震が発生するまでの状況をみると、30年以内にM8クラス以上の地震が想定震源域内で発生する確率は70~80%(平均75%)とされている。これを単純に1週間以内に発生する確率に計算し直すと、
   0.75/30年x52週=0.00048
である。
 一方、M7クラスの地震発生後1週間以内に、M8クラスのより大きい地震が発生する確率は240回に1回とすると、
   1/240=0.0042
であるから、
   0.0042/0.00048=8.8
となり、今回の地震発生前に比べて、地震発生後1週間のM8クラスの地震発生確率が約9倍増加することになる。これを、数倍と表現しているのであろうと思える。

 岸田首相は、中央アジア・モンゴルの外遊を9日の出発直前で取りやめ、立憲民主党の泉代表も 11日からの米領グアム訪問を取りやめるなど、それぞれ危機管理を優先させた。また、対象となった各自治体では対応に追われた。
 
 30m以上の津波の想定される高知県の濱田知事は「注意の度合いを普段より上げながら冷静に対応してもらいたいと・・」と県民に呼びかけるとともに、高知市や土佐市、黒潮町など10市町村に避難所を開設し、あわせて39人が避難している。
 一方、高知市で開催される予定であったよさこい祭りは、協議の結果予定通り開催が決まった。

 最大震度7の揺れが想定されている愛知県岡崎市は、臨時情報発表時に避難所を開設することを防災対応指針であらかじめ定めており、8日夜に計20か所で開設した。避難者は8~9日に1人だったが、政府が防災対応を呼びかける1週間をめどに開設し続けるという。

 このほか、神奈川県、静岡県、三重県、徳島県、愛媛県、宮崎県などでは知事が県民に、注意喚起を呼びかけていて、観光地では宿泊予約のキャンセルが相次いでおり、旅行会社ではツアーの中止を決めたところも出た。海水浴場を閉鎖したところも出ている。

 長野県内では県南部が想定震源域に含まれることから、JR東海では9日の始発から、飯田線の特急「伊那路」の上下線全4本を1週間程度運休すると発表した。

 その後、幸いにも巨大地震の発生はなく、1週間が過ぎた8月15日、政府は対応地域への防災対応の呼びかけを終了した。

8月16日読売新聞1面の記事

 ところで、改めて政府が発表している被害想定の中の県別の死者数推定値を見ると次のようである。高い津波に襲われる県の死者数が大半を占める内容である。


死者数推定値

 こうしたことからも、地震への備えで重要なものは人口の多い地域における津波対策ということになる。

 内閣府から発表されている各地の津波高さ予測データがある。震源域をどの場所に設定するかにより当然津波予測値も異なるが、全部で11パターンが示されている。

 その中の1つ(ケース①「駿河湾~紀伊半島沖」に「大すべり域+超大すべり」域を設定 )は次のようである。対象となる地域の全体を示す地図と、各地域ごとの数値が左端の佐世保市から右端の北茨城市までが示されている。





南海トラフ地震による津波高さ予測(総務省資料から)

 こうした情報をもとに各地域では長期的な視点での津波対策をとることになる。

 これに関して興味深い事例があるので見ておこうと思う。それは、遠州灘に面した海岸線を持つ浜松市の取り組みで、すでに17.5㎞にわたる防潮堤の建設が完了している。この防潮堤は民間企業からの寄附金を核として、多くの企業や個人の寄附金により建設されたもので、最大の寄附を行った企業「一条工務店」の名前を冠して「一条堤」と名前が付けられた。

 今回、大阪に行く予定ができたので、かねて関心を持っていたこの浜松市の防潮堤を、途中下車をして見学した。

 長い防潮堤であるが、今回は浜松駅からまっすぐ南に延びる道路の突き当りにある中田島砂丘に向かった。この砂丘の入り口の交差点脇には、「一条堤」の名前を刻んだ石碑と解説パネルが設けられている。

遠鉄、中田島砂丘バス停(2024.9.20 撮影)

バス停横の公園の入り口付近に設置されたパネル(2024.9.20 撮影)

交差点脇に設けられた「一条堤」の石碑と解説パネル・寄附者銘板(2024.9.20 撮影)

向かって左側の解説板(2024.9.20 撮影)

向かって右側の解説板(2024.9.20 撮影)

「一条堤」の名前を刻んだ石碑(2024.9.20 撮影)

交差点から中田島砂丘の入り口を望む(2024.9.20 撮影)

中田島砂丘の解説板(2024.9.20 撮影)

中田島砂丘の入り口に設置された石碑(2024.9.20 撮影)

入り口の階段を越えると砂丘が広がり、その先に15mの高さの防潮堤が見える(2024.9.20 撮影)

防潮堤の上から見た東側の風景(2024.9.20 撮影)

防潮堤の上から見た西側の風景(2024.9.20 撮影)

防潮堤の上から見た南(海)側の風景(2024.9.20 撮影)

防潮堤の上から見た北(浜松駅)側の風景(2024.9.20 撮影)


防潮堤の上から見た海側のパノラマ風景(2024.9.20 スマホで撮影)


防潮堤の上から見た陸側のパノラマ風景(2024.9.20 スマホで撮影)

 この防潮堤の全体像は次のようであり、東は天竜川河口から西は浜名湖までの17.5㎞にわたり設けられている。

浜松市の海岸に設けられた防潮堤(浜松市HPより)
 
 2020年3月に6年9か月をかけて完成したこの防潮堤に関して、地元新聞は次のように報じた。
 
 「南海トラフ地震を想定し、遠州灘の沿岸(天竜川河口から浜名湖まで)に整備が進められ、3月に完成した国内最大級の防潮堤の竣工セレモニーが11月15日行われました。
 遠州灘の沿岸に完成した防潮堤は、天竜川河口から浜名湖までの全長17.5km、高さは最大で15mの巨大な防潮堤です。
 総工費は約330億円で、浜松市創業の住宅メーカー「一条工務店」が東日本大震災直後にに300億円の寄附を申し出て、今日の日を迎えた。地元では「一条堤」と呼ばれている。
 防潮堤の完成により、浜松市内は津波の浸水面積が8割程度減るだけでなく、木造家屋が倒壊する目安となる深さ2m以上の浸水想定区域は98%減ると見込まれている。
 竣工式には、川勝平太静岡県知事、鈴木康友浜松市長、宮地剛一条工務店前社長が出席『浜松市民の大きな財産、また歴史に残る1ページが開かれた』と称し、一条工務店グループに感謝状を贈った。
 平常時にはにぎわいの場として活用していくということで、国内最大級の防潮堤が新たな観光名所となることに期待が高まる。(静岡新聞)」

 民間の篤志家の寄附をきっかけとして完成したこの防潮堤は現在17.5㎞の海岸線を守っている。

 国土交通省の資料によると、南海トラフ地震津波対策特別強化地域(津波到達の早い地域)の総延長は約2,100㎞とされており、設計津波の水位に対する充足率は約4割で、設計津波の水位に対して堤防の高さが2m以上不足する海岸の割合は、約6割とされる(2020年資料)。


津波に対する全国の海岸堤防等の整備状況(2020年 国土交通省)

 仮にこれらの高さが不足している約1,200kmのすべてに「一条堤」と同程度の防潮堤を作るとすると、その工費は330億円の約70倍に達し、約2.3兆円の工費がかかる計算である。

 死者数が最大約32万3000人、被害総額が214兆円という東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)をはるかに上回る南海トラフ巨大地震による災害対策として、この防潮堤にかかる2.3兆円が高いか安いか、今日にも決まる自民党新総裁に聞いてみたいところである。


地震本部発表資料(2024年1月)から

 政府は今年度、約10年前にまとめた南海トラフ地震対策の被害想定や基本計画の見直しを進めており、今回の臨時情報や1月の能登半島地震の課題も検証し、反映させる方針だという。
 
 東日本大震災の教訓を活かし、対策してきた結果として、上記表の想定死者数や想定被害額をどこまで減らすことができているか、期待して発表を待ちたい。





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ブッドレアとクサギ

2024-09-20 00:00:00 | 
 もともと蝶好きのわれわれ夫婦であるが、軽井沢に移住してから自宅庭にもチョウを呼び寄せたいと考え、ブッドレアの苗を購入して植えた。

 2年ほどして、花が咲くようになるとすぐにいろいろなチョウが吸蜜にやってくるようになった。代表格はタテハチョウとヒョウモンチョウの仲間である。

 これらのチョウについては、順次「庭に来たチョウ」として当ブログで紹介してきたが、これまでに30種類ほどに達した。

 ところで、日本のチョウの中でも特に美しさで際立っている種のひとつがミヤマカラスアゲハだと思うが、軽井沢には比較的多く生息していて、初夏と盛夏の頃に2回発生する。

 我が家のブッドレアにもまれにやってくるが、夏型は8月になると、ちょうどこの頃、山野に咲くクサギの花によく集まってくるのを見かける。ミヤマカラスアゲハのほかに、カラスアゲハやオナガアゲハ、クロアゲハなどもこのクサギの花の常連である。

 以前から、南軽井沢の別荘地近くの林地にこのクサギの樹があることに気がついていて、花の咲く季節になると仕事に出かける前の早朝、アゲハ類の撮影に出かけていた。しかし、私有地の中にあったため、ある年行ってみると切り倒されてしまっていた。

 ほかにクサギの樹はないかと随分探してみたが、周辺地には見つけることができなかったので、それでは自宅庭に植えようということになった。クサギは名前通り臭いを嫌う人もいるようで、庭木として見かけることは少ない。しかし、その集蝶力から、信濃追分にあるTさんのバタフライガーデンにも、小諸のMさんのバタフライガーデンにも植えられている。

 我が家では、ミヤマカラスアゲハが来てくれることを優先したので、臭いのことは気にしないで、3年前に苗を3本買って植えた。成長は早く、植えて2年目の昨年は2mほどに成長して、少しながら花を咲かせた。その花を目指して早速ミヤマカラスアゲハとカラスアゲハが吸蜜に来るようになった。

 クサギのすぐそばに、キハダも植えていて、昨年はこのキハダにカラスアゲハが産卵するところを妻が偶然目撃したので、その卵を2個採集して蛹になるまで育てたが、その記録は当ブログで紹介している。

 クサギは今年さらに成長し、樹高3m以上になり、花芽もおどろくほどたくさんついた。そして、花が咲き始めた8月上旬、はじめてミヤマカラスアゲハが吸蜜に来ているところを見ることができた。


クサギの花に吸蜜に訪れたミヤマカラスアゲハ♂(2024.8.10 スマホで撮影)


夢中になってクサギで吸蜜するミヤマカラスアゲハ♂(2024.8.10 スマホで撮影)

 この数日前から、旧軽井沢銀座にあるショップの前の道路を悠々と飛ぶカラスアゲハかミヤマカラスアゲハの姿を目撃していたし、この日の朝の雲場池散歩でも同じように目撃していたので、そろそろ我が家のクサギにもやってくるのではと思っていた矢先、期待に違わず、朝仕事に出かけようと庭に出たところに、ちょうど飛来した。

 しばらく様子を伺うように、私の頭すれすれに飛んでみたり、手にも止まりそうなところまで近づいてきたりしたが、やがて咲き始めたクサギの花穂に止まり蜜を吸い始めた。こうなると、もう私が手持ちのスマホを近づけて撮影しても驚いて飛び去ることもなくなる。数枚の写真を撮影してから、やや後ろ髪をひかれる思いでショップに出かけた。

 クサギの花はゆっくりと開花していて、咲きはじめから満開になるまで、かなりの日数を要するようである。以前山地で見ていた時には、ミヤマカラスアゲハを見るのはお盆の頃がピークであったが、我が家のクサギに集まるミヤマカラスアゲハはそれよりも遅く、8月10日に見て以来なかなか姿を見せず、その間にカラスアゲハ、オナガアゲハ、クロアゲハを見るようになった。


ブッドレアで吸蜜するオナガアゲハ♀ 1/2(2024.8.10 撮影)


ブッドレアで吸蜜するオナガアゲハ♀ 2/2(2024.9.3 撮影)

クサギの花に吸蜜に訪れたオナガアゲハ♀ 1/4(2024.8.23 撮影)

クサギの花に吸蜜に訪れたオナガアゲハ♀ 2/4(2024.8.23 撮影)

クサギの花に吸蜜に訪れたオナガアゲハ♀ 3/4(2024.8.23 撮影)

クサギの花に吸蜜に訪れたオナガアゲハ♀ 4/4(2024.8.23 撮影)


クサギの花に吸蜜に訪れたオナガアゲハ♂(2024.9.3 撮影)

ブッドレアで吸蜜するクロアゲハ♀(2024.9.1 撮影)

クサギの花で吸蜜するクロアゲハ♀ 1/2(2024.9.1 撮影)

クサギの花で吸蜜するクロアゲハ♀ 2/2(2024.9.1 撮影)

ブッドレアに来た翅がかなり傷んだミヤマカラスアゲハ♀ 1/2(2024.9.1 撮影)

ブッドレアに来た翅がかなり傷んだミヤマカラスアゲハ♀ 2/2(2024.9.1 撮影)

ブッドレアで吸蜜するカラスアゲハ♂ 1/2(2024.9.4 撮影)

ブッドレアで吸蜜するカラスアゲハ♂ 2/2(2024.9.4 撮影)

吸蜜の合間にモミの樹で休息するカラスアゲハ♂ (2024.9.4 撮影)

 9月に入り、ふたたびミヤマカラスアゲハが来るようになり、♀の姿も見かけるようになった。昨年は、♀チョウがキハダの枝先に産卵しているところを妻が目撃したので、容易に卵を採集できたが、今年はまだそうした機会もなかった。しかし、ミヤマカラスアゲハの♀が近くまで来ているので、どこかに卵を産んでいるのではないかとの期待もあり、キハダの枝先を丹念にみていくと4個卵を見つけることができた。

 昨年、卵を採集して室内で育てたものは蛹になり、さらに今年の春、無事羽化させることができたが、キハダの葉で幼虫(多分2齢)になっているところを見つけ、採集して育てたものは、すでに寄生バチに卵を産み付けられていたらしく、蛹にはなったものの、今年春には羽化することなく、蛹の殻に丸い穴をあけてハチが出てきた。

 こうした経験があったので、できるだけ卵を見つけるとすぐに採集し、室内で育てるようにしている。それでも見落としがあり、幼虫になっているものを見つけることもあるが、見つけ次第飼育ケースに移している。


採集した卵から孵化する様子(上から 2024.9.5, 9:03, 9:06, 9:09, 9:12 撮影動画からのキャプチャー画像 )


卵を採集し孵化させた幼虫(孵化直後 2024.9.14 撮影)


卵を採集し孵化させた幼虫(孵化後10日目 2024.9.14 撮影)

キハダの葉上にいた幼虫 A(2024.9.11 撮影)

キハダの葉上にいた幼虫 B(2024.9.11 撮影)

キハダの葉上にいた幼虫 C(2024.9.11 撮影)

キハダの葉上にいた幼虫 A(右)とC(2024.9.11 撮影)

 今年はまだ、♀チョウが産卵しているところを見ているわけではないので、得た卵や幼虫がミヤマカラスアゲハのものか、カラスアゲハのものかは判らない。昨年カラスアゲハを育てているので、今年はぜひミヤマカラスアゲハを飼育したいものと思っているが、卵はもちろんのこと、幼虫をみても2種のどちらか区別がつかないでいる。今、早いものは4齢になっているが、終齢になってみないと私には判定がつかない。その後も次々と卵や幼虫が見つかっていているが、ぜひこの中にミヤマカラスアゲハがいて欲しいものと思いながら飼育を続けているところである。
 
 

 




 





 
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