晴走雨楽(せいそううがく) 風の又三郎

晴れている日は山やロードを走り、雨の日は音楽や楽器演奏しています。風の吹くまま、気の向くまま・・・。

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで         398

2012年01月15日 23時27分04秒 | 昭和のプロレス
■本日(2012/01/15(日))は、年末に借りた「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を
紹介します。


■「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで
図書館からリクエストした本が入荷した連絡があり、年末・年始に読んでいました。

○書籍名:木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
○著者  :増田俊也
○発行  :2011.9.30  2刷 2011.10.5
○定価  :本体 2,600円(税別)
○ページ数:701ページ
※昭和のプロレスファンであれば、“力道山”と日本一決戦した柔道家“木村政彦”のことか。
と思いますが、しかし細かなことは知らないのが現状でしょう。
そこで、時系列に紹介(説明)します。

<番号と写真が対応>
▼戦前・戦中、そして戦後を通じて15年間不敗のまま引退し、「木村の前に木村なく、木村
の後に木村なし」と謳われた。

01:表紙 木村政彦の全盛期の写真(上半身)
▼熊本の怪童
熊本県加瀬川の砂利採りを生業とする家に生まれ、小さい時より稼業の砂利採りを手伝い
強靭な肉体が培われた。
尋常小学校の時、熊本で開催された、全九州相撲大会決勝で他県代表を得意の大外刈り
をするも勇み足で準優勝となるが、鎮西中からスカウトされる。
その後、鎮西中出身の拓殖大学柔道部師範の“牛島虎熊”からスカウトされ拓殖大学予
科に入学する。

02:木村政彦の師匠となる“牛島虎熊(全日本選士権二連覇)”

03:拓大予科、高専柔道大会(国立大学以外の大学及び専門学校の大会)の団体優勝
する。

04:「三倍努力」の誕生
木村の稽古は毎日9時間以上、朝は警視庁へ稽古、昼は拓大、夕方は講道館、そのあと
は牛島塾、そしてうさぎ跳び、ウェートトレーニングなど。

05:全盛期の木村政彦の肉体、まさにマッチョマン 170センチ、85kg
全日本選士権3連覇 S12(1937)拓大三年生、二十歳
(この記録は、40年後、山下選手<ロス金メダリスト>が破る)

06:ばんカラな校風、拓大時代の木村政彦

07:S15年(1940)師弟悲願の天覧試合制覇、昭和天皇から下賜(かし)された短刀
その後、戦争、終戦、戦後の闇屋

08:、古流柔道から柔道へ「講道館」「高専柔道」「武徳会」に派生し、GHQ(連合国軍
最高司令官司令部)の指導により「高専柔道」「武徳会」が消滅する。

09、10、11:プロ柔道の旗揚げ、S25国際柔道教会 柔道のエースとして活躍
木村、プロ柔道でも王者に
プロ柔道破壊(プロモーター経済的理由、マッチメーク、選手人数等)

12、13、14、15:ハワイへの逃亡、ブラジル遠征、ブラジリアン柔道

16:空手家 大山倍達 木村を兄貴と慕う

17:もう一人の怪物、力道山 そしてプロレス団体旗揚げ、日本プロレスリング協会
街頭テレビ、木村政彦 vs 力道山の世紀の一戦

18:シャープ兄弟 vs 力道山・木村政彦との世界タッグ選手権
負け役に徹する。

プロレスにはブッグ(シナリオ通り)がある。
※プロレスはショーとか八百長とか言われますが、はやりプロですからお客さんに見せる
楽しませる要素が必要となります。
例えば、1本目は相手の得意技を受け、2本目は自分の得意技を決め、そして3本目は引
き分けや反則勝となることなど。

19:木村政彦 vs 力道山 世紀の一戦
事前に両者話し合いで、「引き分けにし、もう一度引き分けを繰り返し、次に力道山が勝ち
木村が勝つ」ことで合意していた。
木村政彦は気の緩みで練習せず、酒を飲んでいた。一方、力道山は練習を積み万全な体
制で試合に臨んだ。

20:試合は力道山がブックを破り、本気で攻め頸動脈にキックが入り脳震盪を起こし
ダウン、15分49秒ドクターストップ。
その後、木村政彦の再戦を望むも力道山が無視する。

21:海外放浪へ、そして拓大の柔道顧問となる。
愛弟子“岩釣兼生”を育て、プロレスへの復讐

22:木村政彦の全盛期と老年期
木村政彦の墓、墓誌には「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」という有名な言葉が
彫られている。

※木村政彦の柔道への熱い思いが分かりました。


▼本日は、昼からロードジョグを2時間。途中、“内みのわ走遊会”のKさん、K女史も若潮
マラソン(フル)に向けて練習していました。




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