<浮彫・彩色系壁画古墳>千金甲1号(甲号)墳 円墳 熊本市 5世紀末―6世紀初頭
不定期連載として掲載した過去8回分をレビューしておく。
今回は第9回目として熊本市の千金甲(せごんこう)1号墳をとりあげる。
<浮彫・彩色系壁画古墳>千金甲1号(甲号)墳 円墳 熊本市 5世紀末―6世紀初頭
千金甲1号墳は、阿蘇凝灰岩の板石6枚を使って石障(せきしょう)が巡らされており、その内側に靫(ゆぎ)、同心円文、対角線文(向い鱗文)などが刻まれ、赤・緑・黄で彩色されている。
凝灰岩は宇土半島基部から運ばれていることが明らかとなっている。石室内に3区画の屍床(ししょう)を設け、奥壁に4個の靫を浮彫りにし、その上に2段に並ぶ10個の対角線を重ねた図形(向い鱗文)と、2段に並ぶ同心円文を交互に浮彫りにし、赤・緑・黄で塗分けている。両側壁にも2段に並ぶ同心円と向い鱗文を交互に浮彫りにし、赤・緑・黄で塗分けている。向い鱗文の上には、3本の矢を納めた靫が刻まれている。被葬者は特定されておらず、当該地域の有力者であったと思われる。
文様の解釈は、種々存在するようだが、同心円と向い鱗文は、直弧文を分解したものだとの説が存在するが、その当否についてコメントする知識を持ち合わせていない。また同心円文を太陽(日輪)とみる解釈も存在し、いやいやそれは銅鏡とみる解釈も存在している。
写真をご覧願いたい。屍床は、多くの向い鱗文と同心円文に囲まれている。過去の当該ブログを御覧の方は、お気付きであろうと思われるが、この様子は奈良・黒塚古墳に似ている。それは木棺を安置する粘土棺床に大量の銅鏡が、鏡面を内側に置かれていた。この解釈は、被葬者の霊魂に悪霊が侵入するのを防ぐものとされている。
(上の写真は黒塚古墳の様子である。黒塚古墳は大量の銅鏡に取り囲まれていた。千金甲1号墳の屍床を取り囲む同心円文は銅鏡の代替をなすものと思われる)
向い鱗文が辟邪文であることは、過去から何度も述べてきた。千金甲1号墳の被葬者は、2重の辟邪文により、悪霊の侵入から護られていたことになる。
<不定期連載にて次回へ続く>
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