不定期連載として掲載した過去7回分をレビューしておく。
今回は第8回目として熊本県山鹿市の弁慶ヶ穴古墳をとりあげる。
<壁画系装飾古墳>弁慶ヶ穴古墳 熊本県山鹿市 6世紀後半
山鹿市中心部より北へ約1.2kmに位置する古墳時代後期の装飾古墳。直径約15m、高さ約5.7mの円墳であるが、もとは前方後円墳であったとする説もある。石室の全長は約11.5m、後室の天井の高さは約3.6m。
埋葬施設は南西方向に入口をもつ横穴式石室で、全長約9.8m、後室・前室・羨道からなる複室構造で、奥壁には石屋形、後室・前室には屍床が設けられている。出土遺物は鍔、雲珠、鉄鏃、金環など。
描かれている文様は同心円、三角文、菱形文、人物、船、馬、鳥を赤、灰(青と表記されている事例があるが、装飾古墳に青色は存在せず灰色である)、白で彩色されている。
Wikipediaは、描かれている壁画について以下の如く記している。巨大な凝灰岩を用いた前室・後室の複数の横穴式石室を設け、 西向きに開口している。石室入口に人物の彫刻があるほか、前室右壁には赤色でゴンドラ型の船を上下に二艘描き、そのひとつには馬を、もうひとつには荷物とその上に鳥が乗っている様子を描いている。この荷物を棺と見ることにより、舟葬思想(死後の世界を海の彼方にあると考え、遺体を船に乗せて葬るという考え)を裏付けるものとして注目されている。他にも大小5頭の馬と鞭らしき物を持った人物像、同心円、三角文などを主に赤色の彩色を用いて描く。
おそらくもとは後室にも壁画があったのであろう。1955年(昭和30)の調査時に須恵器や馬具、刀装具、装身具などの残欠が出土し、それらは6世紀後半のものであった。
ここで舟葬思想についてである。過去にもこのことについて触れているが、舟葬とは遺体を舟に載せて、海や川に放つことであるが、それは考古学的に立証されていない。しかし、描かれている船には箱が描かれており、これは棺と思われ、被葬者の魂を海の彼方の常世(ニライカナイ)へ運ぶものであろう。合わせて棺の上には鳥がとまっており、被葬者の魂をのせた船の水先案内をしている。また船にのる馬とその上方に同心円文をみるが、これは銅鏡ではなく太陽を表しているであろう。つまり太陽の船であり、馬もまた被葬者の魂を運ぶものとして観念されていたであろう。
熊本県立装飾古墳館が掲げるパネルを紹介しておく。パネルも含めて、これらの壁画をみていて特に物語性と云うか、当該古墳の独自性は見受けられず、多くの装飾古墳が語る世界観が示されているように思われる。壁画の内容と出土品から云えることは、武を具備した豪族であったことは間違いなく、磐井一族と何らかの繫がりがあったと想定してはどうであろうか。
<不定期連載にて次回へ続く>
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