とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

アイスリンク仙台

2016-01-10 10:31:18 | 社会
 「NHK杯フィギアスペシャルエキシビジョン」をテレビで見ました。東日本大震災の復興支援のため、盛岡市で開催されたアイスショーです。豪華なメンバーがあつまり、演技を披露していました。日本人でオリンピックで金メダルをとった羽生結弦選手も荒川静香選手も仙台出身の人です。東北はフィギアスケートのひとつの拠点であり、このようなアイスショーが開催されることは大きな意味があることだと思います。

 それを見ながら、そういえば何年か前、仙台のスケートリンクが閉鎖したんじゃなかったかと思ってインターネットで調べてみました。すると仙台で年間を通じて営業しているスケートリンクがひとつあり、それは「アイスリンク仙台」という施設でした。今でも営業していますが、そのスケートリンクの歴史がすごい。日本テレビでも紹介されたことがあるようなので多くの人が知っていることなのかもしれませんが、バブル期に営業を始めたリンクが、バブル崩壊後営業停止となり、それが荒川静香選手が金メダルをとりそのおかげで営業再開、そして東日本大震災。ここ数十年の日本の歴史を見事に具現しているようなリンクです。ドラマにしたい。

 ウィキペディアを読むとだいたいの歴史がわかりますので、ぜひご覧ください。
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視聴率

2016-01-07 15:46:10 | 社会
 2015年大晦日の紅白歌合戦。紅白は、私は高校生のころからあまり興味がなくなり、それ以降ほとんど見ていなかったのだが、最近は時々見るようになった。もちろん大晦日の酒のつまみで、積極的にみているわけではない。おもしろい場面が出てくればそれを話題で会話が進む。多くの人がそんなものであろう。

 さて、その紅白の視聴率について年明けに話題になっていた。視聴率が悪い。その原因は、演出の失敗だ、構成の失敗だ、出演者の問題だ、などなど。

 どうでもいい話である。

 そもそも、今はヒット曲がない時代なのだ。音楽番組が成立しづらいのは当たり前である。むしろ今の時代にこれだけの視聴率をとっている方をほめてやるべきである。

 テレビ業界の人は視聴率、視聴率と騒ぎすぎである。視聴率がいい番組がいい番組なんてことはない。わかったような口を利くTV業界の人は「視聴率がすべてだ。」と言うが、その考え方がテレビをゆがめているのは明らかだ。せっかくいい番組を作っても、ただ単に視聴率が悪いからと言ってけなされる。これでは才能のある人材は育ちはしないだろう。また、せっかくBSも普及してきたのだから、いい番組は何度も再放送すべきである。そうしないのは視聴率が分散するからであろう。すばらしい番組が気づかれないまま葬り去られているのだ。みんな目先の視聴率を追い求め、二番煎じの番組ばかりになり、結局はテレビ離れを生じさせているのだ。

 視聴率しか話題にならない日本のテレビ状況は、閉鎖的なムラ社会であり、しだいに人々を遠ざけ孤立していくだけのような気がする。
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「アクティブ・ラーニング」に対する意見

2016-01-03 19:09:42 | 教育
 昨年、「アクティブラーニング」という言葉が教育界に急速に広まりました。これは生徒・児童が能動的に学ぶ授業のことです。自分で問題を見つけ、他の生徒と協働してその問題を解決していく学習形態のことを主としてさしているようです。従来の講義形式の授業では学ぶ楽しさを実感することが難しく、また社会が急速に変化しています。だからこれからの社会では新たな課題を自分で見つけ、仲間と協力しながら解決していく能力が必須です。「アクティブ・ラーニング」が推進されているのはこのような意味からです。

 「アクティブ・ラーニング」は現代の教育に必要なもののように見えます。しかし、この「アクティブラーニング」ブームについて私は批判的に見ています。

 誤解していただきたくないのは、「アクティブ・ラーニング」的な研究、実践を批判しているわけではありません。いい実践は数多くあり、また、新たな示唆を与えてくれるものがあります。それらを批判しているわけではありません。私が問題にしたいのは、急激に「アクティブ・ラーニング」という言葉を広めようとしていることです。

 教育の世界で問題解決型の授業形態の必要性は何十年も前から言われていました。多くの実践があり、そのすばらしさは誰もが認めてきていたのです。つまり昔から「アクティブ・ラーニング」的な授業の必要性は気づいていたはずなのです。もし今頃になってそれが必要だと考えている人がいたら、その教師はこれまで何をしてきたのかということになります。それなのに、ここに来て急に教育界に「アクティブ・ラーニング」ブームが起きました。おそらくこれは大学入試改革が発表されたことによるものだと思います。これまでの知識偏重型の入試からの脱却を新試験がうたっており、あらたな学力観が「アクティブ・ラーニング」という言葉と結びついたのです。

 それは悪いことではないのかもしれません。しかし、「アクティブ・ラーニング」というのは実はそんなに簡単なものではありません。準備も必要ですし、方法においてもしっかりとした技術がなければいけないのです。何も考えず「アクティブ」という言葉に惑わされて、ただ生徒が動いていればいいというものではないのです。

 例えば「アクティブ・ラーニング」という名のもとにグループ学習をやったとします。しっかりと準備をして技術のある教師ならば効果のある授業ができると思います。しかし、グループ学習というのは、グループごとに異なった状況になるわけですから、それをすべて把握して導いていくことは非常にむずかしいことなのです。それに気づかず授業を進めれば、確かに教室はにぎやかで生徒は「生き生き」とするでしょうが、それはただにぎやかなだけで学習をせずにおしゃべりをしている生徒が多くなります。学びの場となっていないのです。

 「アクティブ・ラーニング」ブームはおそらく「にぎやか授業」ブームを作りだします。これは「ゆとり教育」が本来の趣旨とは異なり、ゆとりだけの授業になったという過去の経験と同じです。文部科学省は過去の失敗を繰り返そうとしてるように思えるのです。

 先日、大学入試の新テストの例が発表されました。あのテストが本当にいいのか。そしてどのような基準で、どのような全体像の中で実施されるのか。また採点はどうなるのか。そういうところが全く見えてきません。しかも「アクティブ・ラーニング」という言葉は垂れ流し状態です。文部科学省に本気が感じられません。教育改革には大きな山がたくさんあるのです。それを簡単に考えているようにしか思えません。

 文部科学省は偉くなってはいけません。あなたがたこそ「アクティブ・ラーニング」をよく学び、現場の教員とよく話し合いながら問題を解決していく必要がある。

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書評「チームⅡ」(堂場瞬一作)

2016-01-02 12:39:49 | 読書
 「自分のためだけに走」ってきた天才ランナー山城。しかし、彼には多くの仲間がいた。そしてその仲間の存在に気づき始め、変化し始める。

 前半はウルトラ兄弟大集合のように、「キング」「チーム」「ヒート」に出てきた登場人物が次々と出てきて、総集編的な雑な作品のように見えてしまうが、最後のレースは山城の心の動き、そして「仲間」たちの気持ちが迫ってきて心に響いてくる。

 誰もが唯我独尊的なところがあり、一方では成長するにしたがって自分ひとりでは何も出来ないことに気づいていく。そこに生じる心の揺れの整理はむずかしい。孤独に走り続けるマラソンランナーは走りながら何を考えているのか。改めてそんなことを考えさせられた。
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