新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

蔦の絡まるチャペルで賛美歌を

2023-01-29 08:22:55 | コラム
近頃の大学の評判を考える:

私はBS TBSが土曜日の朝4時45分から流す「名曲ミニアルバム」を好んで見て(聴いて)いる。その訳はコーラスをする(流行歌手たちとは違って)キチンと発声の勉強をした男女の規律正しい歌い方が好ましいのと、我が国古来ではなかった、大正から昭和の良い歌を歌っている人たちの無我の境地に入ったというの、あるいは恍惚とした表情に魅せられているからなのだ。

その「名曲ミニアルバム」では、昨日故ペギー葉山(青山学院高校出身)が歌ったので人気が高かった1964年の曲「学生時代」が出てきた。これは平岡精二が作為作曲していたが、何十年振りかでこの歌詞を聴いて「なるほど、青山学院大学が高校生の間でも社会人を調査しても、非常に人気も評価も高い訳は、多分この辺りにあったのではないか」と想像していた。

それと言うのも、歌詞には「蔦の絡まるチャペルで賛美歌を歌うような大学の時代」を語っているのだったからだ。青山学院大学は、小室圭氏の母校である国際基督教大学(ICU)、立教大学、聖心女子大学、フェリス女学院大学、白百合女子大等々と同じの所謂「ミッションスクール」だからではなかったかと考えた。他にも多くの大学はあるかと思うが、書き漏らしてていたらお許しを。

我が国では屡々皮肉屋さんたちが言うように「生まれてからお宮参りをして、神社仏閣に初詣をして、キリスト教の教会で結婚式をして、亡くなれば仏教の僧侶に導師をお願いしてお葬式」なのである。テレビなどを見ていれば、芸能人とやらや一般の方々はホノルルに飛んでプロテスタント(だろう)教会で牧師の前で永遠の愛を誓う式を挙げるのだ。

私にはそういうキリスト教のチャペル(とは付設されている礼拝所のことで、教会ではないと思うが)や賛美歌を聴き、純白のドレスをまとい、指輪を交換し、キスをするキリスト教の文化(で良いと思うのだが、間違ったら御免)に憧れを持つ若い人が多いのではないだろうかと思えるのだ。

私は世間様でミッションスクールだと思われているような上智大学出身だが、在学中に神父の教授たちから「ミッションスクールではありません」と聞かされていたし、在学中に別段蔦も絡まっていなかった隣接するイグナチオ教会には1度入っただけだった。賛美歌を英語で何というかも知らなかった。だから、青山学院大学他のミッションスクールでどのような教育がなされているのかも全く知らない。

私には「世間というか我が国には西欧諸国文化と文明及び、そこに広まっている宗教であるキリスト教に対して有形・無形の憧憬の思いか念があるのではないのか」と感じさせられる何かが、ミッションスクールにはあるのではないかと思えてならないのだ。それに、美しく知性高き女子アナウンサーや芸能界には青山学院大学や立教大学出身の垢抜けした人が多いので、「スマートで知性も教養も身に付く大学」と評価されるのではないかなどとも考えている。

論旨は飛躍するかも知れないが、高校生や世間の人々がそのようにキリスト教やミッションスクールを高く評価しているのだから、青山学院大学に対する高い評価が生まれてきているのではないかと思うのだ。現に、それかあらぬか、偏差値を調べてみれば今や四大私立大学に広栄にも入れて頂いている我が母校と青山学院大学も立教大学も同じような範囲に収まっているのだった。

要するに当方の好みではない「イメージ」というカタカナ語を使えば、私の見方は全くの誤りかもいるかも知れないが、ミッションスクールがキリスト教を背景にして評価が高くなるのではないかと思いながら「学生時代」を聴いていた。


現実の出来事はテレビドラマよりも凄い

2023-01-28 08:14:14 | コラム
広域強盗に思う:

全てのコイン(硬貨)には両面がある:
この件は昨日「我が国の治安の悪化現象か」と題して取り上げたばかりだが、事件の詳細が報道されるにつれて「両面性」が際立ってきたと思わせられている。言ってみれば「如何なる作家も思い描けなかった脚本」のようなのだ。

だが、その前に「なるほど、そういう事が起きていたのか」と痛感させられたことを取り上げておきたい。それは「フィリピンで入管の収容所に留め置かれている強盗団の首魁が看守に賄賂を渡し、SNSを使って実行犯を募集して指示を出していたこと」なのである。私は20世紀中に「携帯電話は今世紀最悪の開発商品」と論じて「文明の利器を非難するとは」と非難攻撃された経験があった。同様に「スマートフォンは21世紀で最悪だ」と断じてあった。

スマートフォンという良貨の裏面には:
そう言う根拠は「20世紀では老いも若きも携帯電話に可処分所得の大半を投入した感があり、我が国の経済の主体である内需を不振に陥れたから」なのだ。スマートフォンの優れた点と利便性は疑う余地もないだろうが、コインの裏側の面では「スマホ脳」などという新語が生まれたことからも明らかだ。そこのこの度は強盗団外国の収容所内からスマートフォンでSNSを駆使していたというではないか。「全ての薬には副作用がある」と同じ現象だ。

此の世には多額な現金をお持ちの方が多い:
次に驚かされたことはと言えば「彼らが自宅内に現金を保管している高齢者宅のリストを作り上げており、その家を襲えば上は3,000万円から下は300万円だったかの現金があったことだ。10万円置いてあっても凄いと感嘆したいのに、お金持ちは桁が違うと感心する前に、元特殊詐欺団(?)の情報収集能力の凄さに感嘆している。全く話は違うが、全人口の30%近い高齢者が現金で蓄えて消費に回さないのでは、内需が盛り上がる訳がないとも痛感。

倫理観の問題:
「看守に賄賂を渡して」というのは驚きでもなかったし、強盗団の首魁がそういう手段に打って出たことも不思議ではないと、かの国とアジアの諸国を歩いて見た経験からも言える。何方だったかが「日本人は生真面目すぎる」と指摘しておられたが、外国に行ってみれば「チップ制度」が示すように、我が国のような性善説信奉国とは全く異なる文化というか、金に物を言わせるというコインの裏側が存在するのだと、今回あらためて認識させられた。

今時の若者:
逮捕された実行犯の若者は言うなれば特殊詐欺団の「出し子」か「受け子」の類いになるのだろう。私が酷い話だと受け止めたことは、彼らが安易にSNSを使って「儲け口となるアルバイト」と知って「金が欲しくて応募した」と告白したこと。彼らはチャンとした働き口がないのか、怠惰なのか知らないが「任務(?)の途中で強盗と知ったが、引き返せなかった」と言っていたのには、呆れる前に「我が国でも倫理と道徳観が落ちたものだ」と悲しくさせられた。

無法者:
彼ら強盗団の首魁が「反社」の連中なのか所謂「ハングレ」なのか知る由もないが、私はこのような連中が数多く(?)存在するような時代になってきたことが恐ろしいのだ。我が国には西欧諸国の一部にあるように大都会の街中を歩いていて強盗や窃盗に遭うことがあるとは到底思えないほど治安が安定しているし、世界でもそのように認められている。しかし、その裏側には今回の事件のような物騒な事態も生じているのが嘆かわしくも恐ろしくもあるのだ。

検察が全力を挙げてオリンピック関連の賄賂を取る汚職をした者どもを検挙されるのも良い事だろうが、警察庁もそれこそ全力を挙げて広域強盗団の息の根を止めるように警察の力量のほどを示して貰いたいと思っている。

最新鋭の文明の利器:
それにつけても思う事は「治術と知識と研究開発の力を使い人知の限りを尽くした新製品を世に送り出す前に「この最新鋭の文明の利器の使われ方には裏と表が見込まれる」くらいの能書を付けて、市場に送り込む必要があるのではないかとすら考えている。スマートフォンを世に送り込んだスティーブ・ジャブス氏はそれによって印刷媒体(新聞と言っても良いか)が今日のように衰退する推進力の一端を担うと想像していたのだろうか。「コインの裏側」を見通せなかったのだろうか。

不肖90歳の当方もスマートフォンを何とか一昨年の10月から持つようにしたが、それは飽くまでも電話としての機能に依存する為が主体で、SNS何て何の事が知らないし、知る必要もないと思うのだ。だが、こんなことを言うのは時代に負けた「負け惜しみの証拠」かな。


最近のニュースから

2023-01-27 08:28:04 | コラム
気になる話題を:

森喜朗元首相:
岸田政権がウクライナにあれほど肩入れしている状態に懸念を示しておられたそうだ。解説では「森氏は在任中にロシアとの国交に注力されたので、自分が築き上げた関係が崩されていくのは決して愉快なことではないので、あのように言われたのでは」となっていた。私には何となく裏の読み過ぎのように聞こえた。

私はロシアというかプーチン大統領のあのウクライナ侵攻は決して宜しくないと思うが、ウクライナが交通事故の診断にあるような「10ゼロ」のように正しくて100%ロシアが悪いと立証されているのかなと、何らの具体的知識もなく何度か述べてきた。断っておく必要もないと思うが、一般人である私はマスコミ報道だけからしかあの侵攻問題などを判定出来ないのだ。故に、某元大使が指摘された「返り血を浴びるような制裁を科すとは」も尤もだと受け止めている。

では、岸田内閣が西側というか民主主義側の諸国に同調せず、ロシア制裁に踏み切らなかったらどうなっていただろうか。「仮定の事柄には言及しない」という決まり文句があるが、制裁に踏み切らなかったならば、エネルギーコストの急騰とそれに伴う物価の上昇もなかったかも知れない。だが、アメリカには「日本は経済的な不振等により、G7から一番先に脱落する危険性あり」とされているそうだから、「反ロシア」組に止まる選択肢しかなかったのだろう。

我が国の治安の悪化現象か:
連日のように都下狛江での90歳の婦人に対する強盗殺人と、その関連の組織的なのかSNSの悪用なのか、関東地方一円で数多く発生している強盗事件が大きく取り上げられている。一部の報道では「特殊詐欺を手がけていた連中が行き詰まって、強盗という手法に転換したのではないか」という観測もあった。私はその悪者共が狙っているのは、家に現金を保管しているという点よりも「一戸建て住宅」が標的にされやすいのではないか」と感じている。

我が国は世界に希な治安が安定した安全な国であると誰もが信じているかも知れない。だが、その「日本良いとこ」説に水を差すような強盗組織が蔓延っているのは憂慮すべき事態だと思う。既に故人になってしまった弁護士の従兄弟からは「刑法から考えれば、強盗か強盗殺人は盗み取った金額の多寡に関係なく刑罰が厳しくなる。同じ他人様の金を奪うのならば詐欺を企てる者の方が狡猾だ」と聞かされたのを思い出した。

私は強盗殺人のような凶悪犯罪が増えても、我が国の街中の治安の安定度に変わりは無いと思う。これは「治安」という時にどのような場所での安全性を指しているのかを考える必要があると考えている。何処か外国に行けば、大きな都市の中を歩いていても強盗だの掏摸だという危険な目に遭うことがある。我が国では普通には想像も出来ない危険が待っているのが外国だ。

私はスペインをパック旅行中に、ある都市で自由時間となった途端に、後ろから羽交い締めにあってウエストポーチとやらを奪われてパスポートとトラベラースチェックを失った高齢の女性の例を知っている。我が国の「悪者」はこのような犯罪には手を付けずに、一気に刑罰が重い強盗殺人に及ぶとは浅慮のか緻密な計略なのかが、私には解らない。それに付けても感じることは「景気が低迷する我が国では、窃盗犯が増えたな」なのである。

週刊誌報道によれば:
「木原誠二官房副長官の態度が傲慢ではないか」とかなり皮肉っぽい書き方で取り上げられていた。私はこの岸田総理の懐刀と報じられているお方を着任された早々にPrime Newsに登場された際の傲慢というか、思い上がったように感じさせられた態度に呆れて不安感を表明してあった。2度目にPrime Newsだったかで見かけたときには、やや態度が改まっていたかという気もしたが、今回の週刊誌報道である。

私は彼の傲慢さを見て、それが確固たる裏付けがある姿勢なら結構だと思うが、果たして岸田内閣で結果が出ているのかだと思う。私は「隠すより現れる」との諺を信じているので、木原氏の本性は変わりようがないのではと、他人事ながら懸念している。何を懸念するのかと言えば「岸田総理は側近に人を得ているのか」であり、「聞く力」も結構だが、「人を見る力」にも心を配って頂く必要がありはしないかと言うこと。


「運」と「運命」の考察

2023-01-26 09:08:27 | コラム
90歳に達して「運」と「運命」を振り返って考えてみた:

先日、湘南中学以来の級友(即ち、同期生)と90歳になった事を語り合ってみた。彼は70歳代後半になって庭仕事をして腰骨を粉砕骨折して長期療養せざるを得なくなった後では肺癌を患うなどして、今では杖なくして行動出来ないと言いながら、明晰な頭脳は変わっていない。私は「この年齢にまで達し得たことは有り難いと思うが、これほど頻繁に命に関わる病気ばかりでは」と嘆いてしまった。

彼が言うには“「人生僅か50年」の時代から今や「100歳が当たり前」と言わんばかりになった。長生きすれば短命の時代とは違って大病に罹るのは仕方がないことだと思うべきでは”なのだった。彼は更に「君は幸運だと思うべきではないか。それは奥方が健康で二人で暮らせている事を言う」と指摘した。それと言うのも、彼自身が離婚経験者であり、級友には奥方に先立たれたか、施設入させている者が多いということを考えて見ろ」と言うのだった。

確かに不思議な現象で、私の友人知己には何故か彼が指摘したような不運(辛い状況とでも言うか)に見舞われている人が多いのだ。そう言われて見れば、私は確かに運が良いのだろう。それでは「運」とは何だろうかとか暫く語り合ってみた。その辺りと私がその時の意見交換を基にして「運」と「運命」をあらためて考えてみた。些か私事を語ることになるが、ご一読賜れば幸甚だ。

私はこれまでに屡々自分の人生を振り返って「運と運命(悪戯)に突き動かされてきた」と述べてきた。また、「運とツキを腕で消してはならない」とも言ってきた。その「運」とは如何なる事を言うのかと、好みである英語から考えてみようと和英辞典を見ると“luck”と出てきた。そこでOxfordを調べてみた。そこには“good things that happen to you by chance, not because of your own efforts of abilities“とあった。

今回は敢えて訳してみると「貴方の身に貴方の努力や能力のお陰ではなく、偶々生じた良き事柄」とでもなるだろうか。では「運命」はと言えば“destiny”だそうで、これは“what happens to ~ or what will happen to them in the future , especially things that cannot change or avoid”とOxfordには出ていた。これは「将来貴方の身に降りかかる変更することも避けることも出来ない事柄」とでもしておこうかと思う。

矢張り一神教の国の人たちが考えそうなことだと思うが、私は妙に納得している。それは自分のことだけを振り返ってみれば、39歳でアメリカの会社に転進するようになった切っ掛けは将に「運」(=luck)だったと思えるからだ。尤も、そういう前提には「アメリカの会社に転じたことがgood thingsのうちだと決めていることになるのだが。

長くなるが思い出してみれば国内市場の担当者になって「もう英語は趣味にしても良いか」と考えていたときに、私よりも5年前にアメリカの会社に転進していたM君が彼の会社が製作した「情報用紙の専門用語の語彙集」を「君の好みだろう」と言ってくれた。その中で「複写能力」を英語で何と言うかを覚えていた。所が、69年だったかに本来私が受けるべきではなかった我が社が新規開発したノーカーボン印刷用紙についてUKの製紙会社代表の日系カナダ人のインタービューの席に臨む「運」がやって来た。

その代表者は我が国の紙パルプ業界の輸出入の分野では大有名人だったそうだが、国内市場の担当だった私はそんな事とは露知らず、その有名な日系カナダ人が英語でメモを取っている中で「複写能力」を間違えていたのを見て「それ、違います」と、親切にも(?)つい教えて上げたのだった。後で聞けば「俺の英語を直すとは」と驚いたのだそうだが、その瞬間に「この人は英語が解るのだ」と読んだのだそうだ。

それから彼は私にUKからやって来た本社の研究員の博士と、日本の事務用紙の専門会社の社長との会談の通訳を私に押しつけてきたのだった。すると、16年以上も放置してあった英語が予想以上にスラスラと出てきて、何とか仕事が出来てしまった。その後の私の社内における立場を見た彼GK氏は「君は日本の会社に向いていない。外資に変わるべきだ」とMead Corp.を紹介してきたのだった。

そして転進することになったのだが、ここまでに長々と述べてきたように、M君が私に語彙集をくれたことに始まって、「複写能力」(write throughなのだが)をたった一つ覚えていて、GN氏に注意してしまった事態に繋がったのだった。そして、説明は省略するが、社内で微妙な位置に立たされたのにはGN氏も関係していたことを気にかけて、転進を勧めてきたのだった。

そして、6ヶ月間も会社を辞めることが大変困難なことだったと辛酸をなめた後でMeadに転進し、次には関係した全部の方が「これほどの偶然(運)があるのかと、その後数年語り合った「運」で、どのような企業かも良く知らなかったアメリカ第2の紙パルプ・林産物企業のウエアーハウザーに二度目の転進をしてしまうことになったのだった。

この「運」(=luck)は夢でも思いつかないだろう出来事だった。それは、GN氏の事務所をMeadの関連事業だったカナダの木材会社の駐在員と訪れたときだった。用事を終えた後で、私が一件だけGN氏に伝えることを思い出して再度上に上がって数秒間用件を伝えていた。すると、そこには知り合いだったウエアーハウザーの代表者だったYN氏が入ってこられた。軽く挨拶して別れた。

YN氏は私が19年間勤めることになった当時は空席だった事業部の日本駐在マネージャーの適任者が見つからないので、GN氏に「何処かに良い候補者はいないか」と依頼しに来られだそうだった。その頃、偶々Meadではパルプ部門の再編成に着手していて、私がまたまた微妙な立場にあると知っていたGN氏が「たった今帰って行った彼なら取れるかも」と推薦し、結果として採用に決まってしまったのだった。

YN氏とGN氏は親しい間柄だったそうだが、GN氏のオフィスを訪れることは滅多になかったそうだし、私がGN氏に伝えるべき事を忘れて数秒間再訪しなければ、YN氏とすれ違いでも出会うことはなかっただろうということ。このような「運」がその1974年から動き出して、今日までの私の人生の大きな流れを決めてしまったのである。

あの時にYN氏とあの場所で数秒でも顔を合わせていなければ、私は恐らく「日本とアメリカの企業社会における分化比較論」などを語るようにはならなかっただろうし、アメリカのビジネスの世界の支配層の人たちの日常にも触れられなかっただろうし、猛烈などというものではない彼らの働き方と仕事の進め方にも接する機会はなかっただろう。私的なことを言えば、藤沢市を離れて東京都内に暮らそうとは考えなかったろう。

言いたかった事は「あの1960年代後半にM君が私に語彙集をくれたことが、私の運命(destiny)を決めてしまったのではなかったかと、ずっと考えてきている。あのM君がくれた語彙集は否定ようもないほど私の将来に大きな影響を与えたのだろうが、そこで与えられた「運」に逆らわずに何とか幾多の逆境をも乗り越えてきたのだとも考えている。

具体的に逆境の例を挙げてみれば、仕事復帰に半年を要し危うく職を失うところだった1985年10月のシアトルでの自動車の貰い事故、2006年1月の最初の心筋梗塞がある。私自身が不思議なことだと感じていたことは「これは非常に深刻な事態だが、私は必ずこの苦境を乗り切って社会復帰するのだ」と何の根拠もないままに閃いて、無邪気にそれを信じていたら切り抜けられていたことなのだ。私はこれぞ「運命」即ちdestinyで乗り越えられるとの定めがあったのだと考えるようにしている。

麻雀では、「ついているかいないかも腕(実力)のうち、ツキを腕で消さないように」と聞かされてきた。私は「運」を何とか取り込んで、何とか巧みにその波に乗っていくのも腕のうちだろうが、その前に「運命」(=destiny)があるように思えてならないのだ。90歳まで「運」を使い果たさずに過ごしてこられた。これからも「腕で消さないよう」万全の努力を怠ってはならないと思っている。


2022年12月の新宿区の人口

2023-01-25 07:38:35 | コラム
2022年12月の新宿区の人口は前月比556人の減少で346,279人になっていた:

ここ東京都新宿区は有り難いと言うべきか不思議とすべきか、一昨日から大寒波の襲来で万全の注意と事前の準備を怠らないようにとマスコミが懸命に報道し且つ警告しているにも拘わらず、2日前に朝方ほんの少し雪のようなものが降っただけで、特に耐えがたいほど寒いとか何か生活に支障がある現象が起きていなかった。

このコンクリート建築の我が家の今朝4時の室内の温度は19度、湿度は30%には下がっていたが、空調を動かせば直ぐに22度ほどに上がってきていた。「矢張りこの住宅の構造は有り難いな」と痛感させられた。それでも昨24日は外出もせずにジッと安全を期して部屋に籠もっていた。午後には1階の郵便受けまで降りてみると、冷たい風の所為か建物の中でも体感温度は天気予報よりも遙かに低くいようだった。

先週末に新大久保駅前に出てみたが、矢張り「インバウンド推進策」の効果が発揮されたのか、イスラム横丁付近には大きなトローリーケースを引き摺ったアジア系(中国?)の人たちの集団が数組屯していた。彼らは「経済を回すこと」に大きく貢献してくれるとは思えなかったが、この界隈にも彼らがやって来るのだと認識/確認出来た。「観光」という点から見れば、この界隈に見るべき「スポット」など皆無だと思うが。

22年12月には新宿区全体の人口は556人の減少で346,279人となり、対前月比では△0.16%と前月と同様に微減だった。中でも外国人は107人の減少で40,279人となり,全体の人口に占める比率も11.6%と11月と同じ水準を維持していた。また、この減少率は対前月比では僅か0.26%だった。

私の感覚では、大久保通りの山手線の外側には相変わらず中国人の若者とイスラム教徒が増えているのだ。中国人とアジア系の若者たちは日本語学校に通ってくるかに見えるし、イスラム教徒たちはハラルフードの店に来るのだろう。毎度同じ事を言うかも知れないが、私にはあれほどの数の粗末な格好をしたイスラム教徒たちはどうやって物価高騰が止まらない我が国で生計を立てているのか、不思議に思えてならないのだ。

表現を変えれば、「業務上の出張で来ているとは到底考えられない彼ら外国人は、如何なる目的というか「Youは何しにニッポンへ」来るのかなのである。「彼らが我が国に入国出来て、しかも数が増えていると感じられるのは何故だろうか」と考え込まされてしまうのだ。北京語で声高く語り合う若者の数が増えてきたし、イスラム横丁に来る他都府県のナンバーを付けた車の路上駐車も相変わらずだ。

大久保通りの山手線の内側のKorea townも相変わらず老若女による大盛況が続いている。その賑わいは新宿駅西口や高田馬場駅周辺を遙かに上回っている。あれほど若き女性たちが韓国産化粧品や彼らの好みに合わせた韓国料理に群がるものだから、本場の感じを味わおうとばかり、彼らが梨泰院等々を訪れたのだろうと察しがつく。大久保通りのあの部分は完全に韓国化され、あの周辺以外でもその傾向は止まっていない。韓国民は「イルボンは嫌い」と言いながら何故やって来るのだろうか。

平日でも山手線新大久保駅では「改札口に立ち止まらないように」とのアナウンスが聞こえてくるが、改札口を出た後の雑踏を通り抜けて我が家の方向に突進するのは容易ではない。初めて来られた方はこの凄まじい改札口での大混雑に驚かされておられる。「日韓親善」は尹錫悦大統領が努力されようとされまいと彼女らによって無邪気に推進されているのだ。

参考資料:新宿区広報 23年1月25日号