新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

何時か役に立つかも知れない英語の表現

2022-08-28 10:55:08 | コラム
英語ではこう言えば良いだろう:

「タクシーを呼んで下さい」:
解説)これは寧ろ笑い話のような話で、屡々失敗の例として引用されているものである。フロント(デスク)に行って“Please call me a taxi.”と言って頼んだら“Hey, taxi.”と言われてしまったというのだ。「チャンと、私にタクシーを呼んで下さいとなっているじゃないか」と言われそうだが、ここが英語の面倒なところなのである。それは「誰のためのタクシーを呼ぶのか」が抜けているので、“Hey, taxi.”となってしまったのだとの教訓なのだ。

正解は“Please call a taxi for me.”であり、「私が乗るために」と乗る人を特定する表現を入れなければならないのが、英語という言語の理屈っぽくて、我々にとっては面倒な点なのだ。即ち、思考体系の違いなのだ。同様に「奥様のヘレンに宜しく」を“Say hello to Hellen, please.”は文法的にも言葉遣いにも誤りはない。だが、ここでは“Please say hello to Helen for me, please.”と、for meを入れておかないと、誰が宜しくと言っていたかが特定されていないことになるのだ。

勿論、for me無しでも通用するだろうが、ここではfor meと言っておくのが無難なのが英語のしつこいところなのでご注意を。

「一寸(店内を)見るだけですが、宜しいですか」:
解説)少し日本語が丁寧すぎたかも知れない。これは、その店で何か買うかどうかがハッキリと決まっていないときに、こう言って予め了解を取っておくと良い台詞。“Let me take a look around, first.”か“May I just take a look around, first?”でも良いと思う。アメリカでは「冷やかし」は問題にならないと理解しているが、一応こう言って断っておくようにしていた。ドイツでは、店内に入ったら冷やかしは許されないと聞いていたが、デユッセルドルフでは咎め立てされなかった経験があった。

だが、アトランタの靴屋だったと記憶するが、チャンと断った上で散々見て歩いていたら、店主と思しき老人に「何時まで見ているのか。もういい加減に買いに入ったらどうだ」と凄まれたこともあった。結局、何も買わずに退散した。

「今、何時ですか」:
解説)「“What time is it, now?”以外に何があるか」と言われそうだ。だが、彼等アメリカ人の中には“What time do you have?”のような尋ね方をする人もいるので困る。私が思うには「彼らは時間とは自分の物だ」と認識しているような傾向があり、その自分の時間をどのように使うかは当人次第だと考えているようなので、「貴方はどのような時間を持っていますか」という訊き方になると思っている。

因みに、“Do you have time?”となると「時間がある?」と尋ねていることになる。そこで、“Yes, I have time in plenty.”などと答えると、“Let’s sit down to have a chat.”などと「一寸(お茶でも飲んで)話をしようじゃないか」などとなるのだ。

私は初めてアメリカに行った1972年に、到着したサンフランシスコ空港で乗り継ぎ便を待っているときのことだった。同じ便で隣に座っていたアメリカ人に再会して、時間があるのなら“I’ll buy you a drink,”と誘われたようだった。それが「一杯おごるよ」だと知らなかったのでドギマギしたのだった。これを覚えておけば、こう言って何方かを「一杯飲もうよ」と誘うことも出来るようになるのだ。


英語の単語の発音は紛らわしくて困る

2022-08-27 09:21:58 | コラム
何でこれほど変則的なのかな:

昨夜だったか、テレビでプロ野球の中継を見ていると、アナウンサーが当然のことで新人選手を「ルーキー」と呼んだ。何も今に始まったことではないが、当方は「何でrookieをルーキーというカタカナ表記にするのか。何処の世界にlookと『ルーク』、bookを『ブーク』と発音する人がいるか」と語気鋭く非難してきた。だが、こう言っている私には後ろめたさがあったのだ。

その辺りを取り上げて、英語とその単語の発音の紛らわしさを語ってみようと思うに至った。「紛らわしい」とは言ったが、英語という言語には実に不規則な点が多いのである。我が国ではその辺りに余り配慮することなく、先人は英単語をローマ字読みの原則に従ってカタカナ表記していったようだと思っている。この点はローマ字読みがアルファベットの原則的な発音として教えられた通りにカタカナ書きにしたのだと思えば、仕方がなかったのかとも言える気がする。

そこで、母音のアルファベット順に原則的ではない発音になる単語を、思い浮かんだものから順に書き出してみようかと思うのだ。

aの部: 本来は「ア」と発音されるようだが「エイ」となる場合が多いので困る。Oasisは「オアシス」と表記されているが、元は「オエイシス」。Tomatoの「トマト」は寧ろUK式で、アメリカでは「トメィトゥ」になっている。有名なゴルファーの青木功のAokiはアメリカ式では「エイオキ」になっているし、大阪なおみの「ナオミ」のNaomiは「ネイオミ」と発音されてしまうのだ。

eの部: 本来は「エ」だと教えられている。ここでは余り例外は多くないようで、easyと書いて「エアスイ」ではなく「イーズイ」だし、readも「エアド」とはなっていない。research等も少し紛らわしくで「リサーチ」だ。

iの部: 勿論「イ」が普通の読み方だ。「アイランド」はislandのことなのだが、sがサイレントなので余計紛らわしい。同様にisle seat何ていうのもある。「アイルスィート」で通路側の席。不親切な例にはkindがある。「カインド」なのだ。だが、kindergartenは「カインダーガーテン」とはならない。なお、これはアメリカでの幼稚園のことで、UKではnursery schoolというのだそうだ。実は告白すれば「ミサイル」となっているmissileはUK式で、アメリカでは「ミスル」なので、私は永年「ミサイル」は誤りだと思っていた。

oの部: 当然「オ」と発音したくなるが、Queen’s Englishでもそうならない例が多いので困る。映画になって有名なHarry PotterのPotterはUKでも「ポッター」ではない模様で「パター」だし、アメリカ語では「パーター」だと、Oxfordに出ている。「ポッター」は典型的なローマ字読みだった。否定に使うnotも紛らわしい例で、勿論「ノット」とするのはUK式で、私は「ナット」を使ってきた。

冒頭のooとなった場合だが、bootは「ブト」ではなく「ブート」だし、「根っこ」のrootは「ルート」であって「ルト」でも「ルット」でもないのだ。こういう例を見るとrookieを「ルーキー」と表示した先人を、一概に貶せなくなる気もする。

uの部: 「ウ」が常識的な読み方だが、そうなっていない例が多いのだ。「ウルトラマン」はultra manであり、ultraの発音は「アルトゥラ」なのだ。同様にultimatum=「最後通牒」は「アルティメイタム」となる。似たような例にaluminumがある。これはローマ字式に「アルミニウム」になっているが、英語では「アルーミナム」なのだ。「しかし」というbutも「ブット」ではなく「バット」だ。


2022年7月の新宿区の人口

2022-08-26 07:45:28 | コラム
新宿区の新型コロナウイルス感染者の累計は79,940人で日本全体の0.04%だった:

第7波による感染者の増加傾向は一向に沈静化する気配が見えないので、今回は先ず新宿区の感染者の累計がどのようになっているかを見ることにした。上記の比率は8月24日の時点でのものである。この日までの我が国全体の累計の感染者数は17,798,021人で、世界全体の597,740,914人に占める比率は2.9%となっていた。更に新宿区が東京都の2,911,812人に対する率は3.27%となっていた。

因みに、世界の第1位はアメリカの93,755,395人の15.7%で、以下インド、フランス、ブラジル、ドイツと続いていた。我が国はつい先頃まではトップ10入りは出来ていなかったが、第7波の急激な感染者の増加で不名誉な?上位10ヶ国に名を連ねるに至った。

22年7月の新宿区の人口は345,858人と対前月比で249人の増加となっていた。日本人は459人の減少で307,236人となった。外国人は708人の増加で38,622人となっていた。この増加現象で外国人が区全体の人口に占める比率は11.16%と前月の10.76%から上昇であり、5月の9.7%より1.5%ほどの増加となっていた。ということは、彼らの増加傾向が続いているのである。

大久保通りを山手線の内側と外側を歩いた限りでは、外国人が昨年辺りよりも増えたとは感じられない。だが、確かに数多ある日本語学校に出入りする若者の数には明らかに増加している。彼らは新たに入国したのだろうか、それとも他の区または都外から移住してきたのだろうか。私には不思議な増加傾向のように思えてならない。

大久保通りの山手線内側のKoreatownの老若女による賑わいは衰えることを知らない模様だ。夏休みとあっては一段と活況を呈している。彼らは連日の猛暑にもめげずに押し寄せている。韓国産の化粧品にあれほど人気があるのでは、我が国の化粧品メーカーは彼女らの需要を標的にしていないのかと疑いたくもなる。

参考資料:新宿区広報 8月25日号


深紅の大優勝旗

2022-08-25 10:34:41 | コラム
Victoribus Palmae:

今回は目出度く初めて東北の地にこの深紅の大優勝旗を持ち返った仙台育英高校の優勝の話ではないのだ。

この大優勝旗に示されている外国語を見て、直ぐに「勝者に栄光あれ」と分かる方は、かなり次元が高い高校野球通だと思う。私は昭和24年(1949年)にこの深紅の優勝旗を湘南高校の校長室だったか職員室で、日曜日のサッカー部の練習が終わった後に見て、不届きにも触れることが出来たのだった。反省を籠めて言えば、無人の部屋に皆で忍び込めたということ。戦前からの優勝旗だったから、かなり草臥れていて綻びもあったが、そこに“Victorbus Palmae”とあったのは、何のことか誰にも解らなかった。

何故、そこに優勝旗が飾ってあったのかといえば、湘南高校の野球部は最初で最後の夏の甲子園野球に出場して、誰も予想できなかった優勝を成し遂げて、その深紅の大優勝旗(と呼ぶのだそうだが)を持ち帰ったのだった。凄いことを成し遂げたのだったが、我々サッカー部の者たちは「野球部もやるじゃないか」といった程度の受け止め方で、1回でも勝てば大手柄だろうなどと言っていた。

と言うのも、我々は昭和23年の第3回福岡国体の高校の部の決勝戦で、広島師範附属高に0対1で敗れたという実績を残していたので、まさか野球部が我々に優るような成績を甲子園で残して帰ってくるとは予期していなかったのだった。だが、その予想が外れたために、その大優勝旗を目の前で拝むことが出来たのだった。私はそれほどの高校野球の通ではないが、たった一度出て優勝した公立高校が他にもあったのだろうか、少なくとも戦後に。

ところで、そのVictoribus Palmaeだが、ラテン語だと知ったのは数年後の上智大学でのことだった。別に上智大学で教えて貰えた訳ではないが、ラテン語だとは分かったので、個人的な興味で調べてみただけのこと。また、教授である神父様には上智大学の校章にLVとあるのは、“LUX VERITATIS”というラテン語で「真理の光」の意味だと教えられたのも、Victoribus Palmaeとは何の事かと調べてみる気を起こさせてくれたのだった。

今回は、念の為に検索してVictoribus Palmaeの意味を確認してみた。発音は「ビクトリブス・パルマイ」とかになるそうだ。Victoribusはラテン語では複数形を示していて、優勝した学校の勝者は複数であることになるとあった。戦前にこのようなラテン語を優勝旗に掲げたとは、朝日新聞社は往年には知性が高かったようなのかなど感じた次第だ。なお、現在の深紅の優勝旗は作り直した物のようである。


8月24日 その3 再度「あらためて旧統一教会の問題を」について

2022-08-24 16:21:23 | コラム
畏メル友TS氏からのコメント:

不本意ながら「コメント」などというカタカナ語を使いましたが、何となくこの方が据わりが良い感がしましたので、禁を破りました。

今朝ほど「現在の公職選挙法がある限り、無償で働いてくれる人たちを送り込んでくれる彼らの存在が立候補者にとっては、何物にも代え難いほど有り難いのだ。だから依存するので、それを止めようがない。」

と掲載しましたが、これについてS氏から下記のようなご意見がありましたので、引用してみます。

「その通り。それが本質なのだから、有償運動員を認めるか、宗旨宣明をさせることにして、つまり、日当3万円で人集めをするか、無償なら、所属する宗教団体名を、それぞれ、名札にして胸に付けることで、解決させればよい。そんなに難しくはない。」

でした。如何にもS氏らしい尤なご指摘だと思います。私もこうあって欲しいと考えましたが、矢張り公職選挙法の改正は必要ではないかと感じました。だが、野党も含めて政党からは何故こういう声が大っぴらに上がって来ないのでしょうか。