新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「ファインプレーとは何か」を考えよう

2022-08-18 08:21:49 | コラム
身体能力ショーと見紛うファインプレー:

今回の要点は「本物を見抜く目を養って頂きたい。無闇やらにファインプレーなどと感心して貰いたくない」ということなのだ。先ほどもテレ朝で、甲子園の野球での高校生の素晴らしいプレー「ファインプレー」の特集のようなものを流して、本日の準々決勝が素晴らしい試合になるだろうとの予告をしていた。「また、あんな浅はかなことを言っているな」と思って聞いていた。

私は以前からアナウンサーが何かと言えば「ファインプレー」と叫ぶことを批判してきた。また、アメリカのメイジャーリーグの野球が近年「身体能力ショーのようになってきたこと」も批判してきた。また、MLBが流している今週だったかの素晴らしいプレー50例の大半は、私に言わせて貰えば「身体能力ショー的」なのである。

これだけでは何を言いたいのか解り難いだろうから、他の競技の例を挙げておこう。それは、サッカーでゴールキーパー(GK)が素早く宙に飛んでセービングをすると「ファインプレー」と褒め称えるのを指摘したいのだ。多くの場合に、ファインでも何でもなく、ただ単にGKが守っていた位置が悪かったので、最後的手段で飛び付いたに過ぎないのと同じなのだ。

これでも未だ解りにくいと思うので言えば、本当に上手いGKは予め何処にシュートが来るかを的確に読んでいるので、どんなに凄いか難しいシュートでも、何でもなかったようにストライクで捕ってしまうのだ。これを「本当に上手いGKとは」を知らぬ人が見れば、何処が上手いのかは解らないと思う。

これでも未だ説明不足だと思うので、卑近な例を挙げてみよう、それは、ジャイアンツが今シーズンから使っている2人のアフリカ系の外野手の何れかの目に見えない「ファインプレー」だ。彼は左翼を守っていた。何処の誰が打ったかなどはどうでも良いが、凄い大飛球が左中間に飛んでいき、私は「最悪でも2塁打にはなるか」と感じた。ところが、あに図らんや彼は最初から左中間に寄っていたので、何ということなく2~3歩走って捕ってしまった。

これこそがファインプレーなのである。彼がそこまで読んでいたかどうかは知らないが、その打者の打球の傾向のデータを承知していて左中間に寄っていたと解釈すれば、その上手さが分かってくると思う。往年の広岡達朗氏は捕手が出すサイン(正しくは「シグナル」だが)を見て、打席に立っているものの打球の方向を予測して、他の内野手に立つべき位置の指示を出していたと聞いた。この指示が当たれば「ファインプレー」はなくなるということだ。

もっと「ファインプレー否定論」の根拠を挙げておこう。故野村克也氏がその著書で指摘していたことは「往年の南海ホークスの監督だったドン・ブラッシングゲーム氏は我が国独得の千本ノックという一見厳しいかのような練習を否定していた」のだそうだ。その根拠は「ノックの際に野手の横を抜けていくようなゴロを、宙を飛んで捕れるのは身体能力の問題であり、捕球を上手くする練習とは別問題」と教えられたと言うのだ。

野村氏は「本当の訓練は、如何にして真正面に飛んでくるゴロを、腰を落として正確に捕球できるように訓練することであり、真正面に来ないゴロに対しては素早くそのゴロ(球)の線に入って、体の真正面で捕れるような練習を積み重ねるべきである」と教えられたと指摘していた。

野球でもサッカーでも、余程観戦に馴れているか、本当の事は何かが解っている方でない限り、野手が何時の間にか守備位置を変えて(「シフトして」とでも言うか)いることまでは見ていないものなのだ。外野手が難しい飛球を「スライディング・キャッチ」などをした場合には、スタートが遅れていたか、あるいは守っていた場所が良くなかったので、窮余の策で飛び込んだことがあると思って頂きたいのだ。

それこそが「身体能力発揮」の瞬間なのだ。言いたかった事は「本物を見抜く目」を持って頂きたいのである。