新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月24日 その2 思い切って外出した

2018-07-24 14:45:17 | コラム
新宿駅西口に90分ほど滞在:

本24日は結局のところ意を決して、9時過ぎに出掛けることにした。バスやJRを乗り継いでいた時間を除けば、新宿駅西口付近に約90ほど滞在して4箇所を回ったことになった。極力地上を避けてデパートの中を抜けるとか地下街とビルの中にいるように努めたが、暑いことには変わらなかった感触だった。9時45分頃に最初の目的地である地下の銀行に到着した時には、メッシュが入った帽子の下は汗ビッショリだった。ここでも怖かったことは「それほど暑くはないな」と受け止めていた感度の鈍さだった。

西口の地下街は予想したよりも遙かに多くの人が動いており、つまらない感想では「若い世代は偉いものだ」という辺りだった。面白いサービスだと思ったのが、最初に入った銀行で冷凍された紙のおしぼりを渡されたことで、これで顔と首筋を冷やすことが出来たのは有り難かった。帰りにはまたこれからJRとバスを乗り継いでいく気にはなれず、御身大事を図ってタクシーを利用したのだが、¥810は無駄な投資ではなかったと思っている。

何れにせよ、思い切っておっかなびっくり出掛けたことで、これから先2週間ほどは余程のことがない限り無理に遠出(と言っても精々新大久保駅から新宿までだが)をしないでも済む状態に持って行けたので一安心となった。それでも帰宅して初めて気が付いたのだが、ポロシャツは汗まみれで着替えるのに手間取ってしまった。矢張りこの暑さは余程用心して対応しないと思わぬ災害のもととなりそうだということだと再認識した。

一種の災害だ

2018-07-24 08:17:42 | コラム
気象庁は「一種の災害」と認めた猛暑:

気象庁がこのように「災害」と言い出したのを聞いて「なるほど、そう見做すのか」と何となく安心した。私は昨23日「最早この高温を異常と見るのではなく、これが普通なのだと認める方が」と述べたが、気象庁の見解はそれどころではないと認定していたのだ。私はこの発表を聞き捨てにすることなく「事態はそれほど深刻なのだ」と理解して対応すべきだと思っている。事実、連日報道されている熱射病による死者(死者だ!)と救急搬送された人の数は尋常ではない。明日はではなく「今にも我が身か」と考えてみても良い状態だ。

23日は更に「甲子園の野球の会場の追加または変更」云々したが、本心は「朝日新聞も高野連も本気で対策乃至は延期か中止を検討すべき段階に来ているのだ」と言いたいのだ。私は甲子園の野球ばかりを批判しているようだが、現実的に考えれば、この7月と8月の災害の如き高温が続くと予測される期間中には、全ての屋外の催し物(イベントじゃない、念の為)やスポーツの大会は開催すべきか否かを真剣に検討すべきだと主張したいのだ。

何処かの県で高校野球の試合時間をずらして夜間にしたと報じられていたが、そうしたところで地域によっては夜間でも30度台だ。昨23日観測史上最高の41.1度を記録した熊谷では夜の7時の気温は32.4度と報じられていた。35度よりは幾らかマシかも知れないが、異常な高温であるのは確かだ。そういう条件の下にあることを如何なる催し物と雖も、主催者は十分に考慮し、決行か中止かを判断すべき時ではないか。

現に、何処だったかで高校野球応援の観衆から9人の熱中症患者が出たと報じられていた。将に「だから言ったじゃないか状態」なのだ。また、愛知県だったかではその催し物関連の商品(何でで「グッズ」と呼ぶのか)を買いたくて屋外に並んだ何千人の中ではバタバタと倒れた人が出たというではないか。私は並んだ人たちを責める前に主催者側に「あなた方は正気か」と尋ねたい、イヤ非難し攻撃したい。

私は正直なことを言えば、朝日新聞と高野連に本大会の第1試合の開始の時刻をオリンピックに倣って午前7時として、午前中は2試合で打ちきり、午後は4時から2試合としたらどうかと提案しようかと考えていた。だが、夜間でも30度台に止まっている地方が多いし、ましてや兵庫県では、この考えも無意味かと思って控えていた。そこに気象庁が「一種の災害」と発表したのでは、この程度の弥縫策では追い付かない事態だと判断した次第。

昨23日は鼻風邪が抜けきらないままにジムに出掛けて見た。体は何とか動いた。それで午前11時過ぎに外に出てみても「何だ、大して暑くないじゃないか」と感じて気楽に帰宅した。ところが、東京の気温は39度だったというではないか。矢張り、高齢者ともなると感度が鈍って39度を「暑くない」と受け止めてしまうようだと、改めて認識したのだった。これは何処かの医師が警告しておられたように「温度に対して感度が鈍る」のは本当に危険なことだ。矢張り外出は差し控えるべきのようだが、本日はのっぴきならない用事がある。災害の犠牲者にはなりたくない。如何すべきか悩ましい事態だ。


7月23日 その2 ダメージ・ジーンズって何のこと

2018-07-23 14:53:47 | コラム
ダメージ・ジーンズを着用だったそうだ:

芥川賞を受賞された高橋弘希なる作家がその記者会見に極めて寛いだ服装で出てきたと、テレビのニュースで採り上げていた。そこで記者が尋ねたことは「その服装に何か意味があるのか」だったと記憶するが、答えは「家にあったものを着てきただけのこと」だった。そういう質問が出てくるのも尤もだと思うが、高橋氏がはいていたのは「ダメージ・ジーンズ」と紹介されたからだった。大方の読者はこれが意味することというか、着衣が何であるかお解りだと思うが、私は問題が二つあると思った次第。

先ずはカタカナ語としての問題点。細かいことと言うか固いことを言うようだが、ダメージ・ジーンズでは全く意味を為していないし、文法的には出鱈目なのである。これが日頃指摘している「カタカナ語を作る際に日本語にはない観念の言葉は、全て元の英語を無視したものにしてしまう」の典型的な例なのである。ここまで私が何を言いたいかをお解り頂ける方がおられると希望的に考えている。

何処が宜しくないのかと指摘すれば「ダメージ」(damage)だけでは動詞の原形で、「ジーンズ」の前に来る形容詞の役割を果たせないのである。恐らく学校ではこういう場合には「過去分詞の形容詞用法」で damaged とせよと教えたはずであると思っている。ところが、そのようなチャンとした英語教育を受けて有名大学を経てアナウンサーなりキャスターになったはずの者が何ら躊躇うこともなく原稿にあったのだろう「ダメージ・ジーンズ」と読み上げてしまうのだ。

私は経験上もここで文法的にも正確なカタカナ語にして「ダメージド・ジーンズ」と読んだとしても上司から叱責され、挙げ句の果てに職を失うような事態にはならないだろうと思うのだ。言いたいことはまともに学業を終えてきたのだったならば「ダメージ・ジーンズではおかしい、文法的に誤りである。私の信念で訂正して読み上げる」くらいのことが出来ないのかと思うのだ。何時も同じ事を言うが「我が国に学校教育における英語の教え方の至らなさがここにも現れた」のである。

これは余談めいた話だが、私自身がこれまでの人生でブルージーンズ乃至は和製語の「ジーパン」は似合わないと思っているので、一度だけしか買ったことがなく、しかも予想通り似合わなかったこともあって、ジーンズについては詳しい知識がない。従って damaged jeans という英語の表現があるか否かは解らないのだ。彼らが blue jeans という表現は使うか、簡単に denim (デニム)か時たま Levi’sと言うのを聞いたことがある。

次はデニムの生地を使ったズボンである。私は何が正式な名称かは解っていないのだ。30年ほど前に、一度だけ次の目的地に行く前にジーンズをはいた姿を見た上司が First time to see you in jeans. と言ったのを未だに覚えている。であるから、英語ではもしかして damaged blue jean か、damaged Levi’s か、damaged jeans かも知れないなと思っている程度だ。私が危惧している点は、もしかして「ダメージ・ジーンズ」は我が国だけに通用する造語かも知れないということである。



猛暑に思うこと

2018-07-23 08:09:13 | コラム
この暑さを普通と思うべきかも:

昨22日には全国の観測地点の30%以上が猛暑日を記録したと報じられていた。都内では6時40分に30度を超えたとの報道があった。熱中症での救急搬送が激増しているとも聞いた。私はこの気象を最早異常と見做すよりもこれが普通であると思って、それに対処すべきではないかとすら考えている。昨日はごく短時間にほんの100 mほどを2往復したが、それだけの経験でもどれほど暑いかは十分に感じ取れた。

その最中に何らの配慮もしない朝日新聞は、高校球児とやらの夢を実現させるべき甲子園野球の100回記念大会とやらの予選を全国で進め、着々と代表校が決まっているようだ。私はこれこそが異常であると思って新聞とテレビの報道を眺めている。30度を超えただけで室内での熱中症が発生しているこの時期に、関東地方とは比較にならないほど暑く且つ夏場の湿度が高い兵庫県の西宮市で野球大会をやろうというのだから。しかも、試合をするのは真っ昼間であり高校生である。

私は出場する高校生たちとそれを応援する子供たちと観客で、どれくらいの熱中症かそれに準じる体調の不備を訴える人たちが出てくるのかと、密かに大いに心配している。大阪府や兵庫県で夏を過ごされた経験がない方には解らないだろうが、私は昭和38年春から40年一杯兵庫県の芦屋市に住んで見て、とても関東生まれで育ちには耐えられない辛さだと、イヤと言うほど思い知らされた。

今年の異常と言われる気象条件下では兵庫県のあの辺りの猛暑振りがどのようなものかは大凡の想像が付く。38度だの何のと言うのは空気中の温度であり、日中にはそこに直射日光の照り返しが来るのだ。恐らく野球をやっている時間帯では40度台の後半にもなることだろうと思う。未だ身体能力が十分に備わっていない高校生たちには苛酷すぎる条件になるのではないか。倒れる者が出てくるのではないかと危惧する。それを担架で運ぼうという程度の態勢しか整っていないのだから恐ろしい。

私は何も野球を止めてしまえとまでは言う気はない。だが、朝日新聞も経費をケチらないで試合会場を甲子園だけに限定することなく、夜間にも試合が出来るドーム球場等の活用(と言うか阪神だけに犠牲を強いることなく、他の球団とも交渉してドーム球場を借用するくらいの手を打つべき)すべきではないだろうか。大阪市内には一箇所しかないようだが、その場合は名古屋でも福岡でも、はたまた東京ドームだったあるではないか。甲子園で夜間に開催する手もあるが、あの地区の「夕凪」の暑さを思い出すと今でもゾッとする。

私は長年主張してきたことがだ、甲子園の野球は戦後間もなくの娯楽がない時期にはそれなりの価値があったし、野球という点では「斯道奨励」の効果もあっただろう。それに忘れてならないのが朝日新聞社の販売促進手段としての有効性があった。だが、これらの使命も終わりその時代は既に過ぎ去っており、何れは我が国にも「紙に印刷された新聞が激減する時代」がやってくるのだ。即ち、この夏のお祭りはとっくにその賞味期限は切れているということ。朝日と高野連が為すべきことは「代替の手段」と言うか手法の案出ではないのか。

高校生に犠牲を強いていながら、それを販売促進の手段とする考え方からもう好い加減に離れるべきではないのか。その辺りを考慮せよと現在の途方もない気象条件の大変動が提案しているのではないのか。高校生に夢とやらを追わせて事故が発生したらどうやって補償する気かと思っている。私は極論を言っているつもりはない。


7月22日 その2 恐ろしいばかりに気温が高い

2018-07-22 10:57:36 | コラム
35度を超えた恐ろしさを痛感:

昨21日には午後3時前に我が家から歩いて100 mほどの食料品専門のスーパーまで出掛けて見た。100 mとは言ったが、この敷地内を北から南の端まで歩いただけのことで、直射日光には当たらずに行けるのだ。それでも、異常とでも言いたい日当たりの眩しさとムッとくる熱気にはたじろがざるを得なかった。鼻風邪が中々抜けてくれないので外出は避けようと考えていたので、100 m程度ならと甘く見たのは誤算だった。

しかも、このアパートのようなコンクリート住宅の弱点は昼間の熱気を外壁が十分に吸収し夜になっても一向に室温が下がらないので怖いのだ。そのように所謂専門家の方々がテレビで警告して下さるのは聞いていた。だが、正直なことを言えば「何ほどのことがあるか」と甘く見ていた。だが、これほど何日も35度周辺の高温が続くと、昨夜は19~20時という時間帯になっても室温が一向に下がっていかないと知った。それは空調を止めると室温は直ぐに25度を超えて上がっていくので解ったのだった。

正直なところ、このコンクリート住宅の怖さがやっと解ってきた気がした。よくよく思い出してみれば、我々が育った昭和20年前後には30度を超える温度などは滅多に経験したことはなかったのだ。その気象条件の中では空調などある訳もなく扇風機だけで過ごしてきた時代だった。それかあらぬか、私は暑さには弱く、寒さにも決して強いとは言えぬ体質である。ましてや大病が続き、いまや超後期高齢者である。

昨夜はこのまま空調なしで室温が上昇するままの室内で過ごせば、室内でも熱中症にかかるという有識者の警告が現実のことのように思えてきた。より現実的に言えば「電気代が嵩むことなど気にしている場合ではないのだろう」と実感したのだった。天気予報では来週一杯くらいは30度以上の暑さが東京でも続くようだ。恐ろしいことだ実感せざるを得なかった。

我々と言うべきか私というべきか知らないが、これほどの高温には体も馴れていないし、抵抗力もないと思う。この異常とも思える気象条件の下で如何に過ごしていくべきなのかを考える時に、外出時には飲料水を持ち歩くことと帽子の着用以外には思い当たる対策もないし、室内では空調しかないと考えた時に、地球温暖化だけが原因がどうかは知らぬが、恐ろしい時代になったものだと、改めて痛感させられた一夜だった。