新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

マスメディアと野党の連合体

2018-03-26 14:50:04 | コラム
彼らの一致団結の努力が実を結んだか:

兎に角、先週末辺りからのマスメディアと野党の連合体の文書書き換え問題に対する姿勢というか、安倍内閣と自民党に対する攻勢は尋常ではなくなってきた。特に25日(日)の昼頃にはビートたけしの「テレビタックル」とTBSの「アッコにお任せ」がほぼ同時にこの件を取り上げて要らざる追及を始めたのには恐れ入っていた。その点では関口の「サンデーモーニング」も同様で、最早テレビを見るのは一層不愉快になってきた。見なければ良いのだが。

それだけではない。朝から晩まで共産党の志位や小池が文書書き換え問題を悪し様に罵って「安倍内閣を辞職に追い込もう」と喚く場面を繰り返して流すし、小泉進次郎に「何が起きたか解明すべき」などと言わせている。あれでは如何にも自民党内で意見が不一致だと言いたいようで、何ともはや形振り構わぬ「憲法改正阻止」の動きだ。何度も同じ事を言うが、あれでは訳が解っていない一般市民は「内閣支持せず」と言いたくなるのも不思議ではないと思う。支持率の低下などは言わば彼らの自作自演だ。

その本当に fake であるニュースをさも真実であるかのように流し、あの森友の豊中の国有地が途方もない曰く付きであり、隣地が既に90数パーセント引きで払い下げられていたことなどは一切報じないマスコミの姿勢などは、もうここまで来れば「ご立派」とでも言っておきたくなる
。ここまで事態を持ち込んでも、万が一にも安倍総理が辞職されても、後継は自民党内から出てくるだけではないのか。それでも憲法改正阻止になるとでも思い込んでいるのだろうか、連合体は。

3月25日 その3 墓参か花見か

2018-03-25 16:37:09 | コラム
24日に染井霊園に:

これは歴とした墓参だったが、昨24日に初めてお彼岸の間に亡母の墓参に染井霊園を訪れたのだった。祥月命日は4月11日なので平常は4月になってから出掛けても染井吉野の本場である霊園の桜に間に合っていた。しかし、近年は段々に花が咲くのが早まって4月になってからでは葉桜見物になってしまうようになった。これも地球温暖化とやらが原因かと思っている。そこで、今年は諸般の事情もあって24日に出掛けていったのである。

だが、折悪しく当方の体調が24日まで保たず、と言うか19日に受けたブロック注射の効果が切れ始めたので、朝一番にSクリニックに行くことから始めた。朝は8時50分に到着したのだが、それでも順番は3人目という具合。老人は朝が早くから病院に来るということだ。10時過ぎに高田馬場駅前で家内と落ち合って巣鴨に向かった。改札を抜けてから漸く気が付いたのだが、「四の日」でトゲ抜き様の縁日であり駅は大混雑だった。

染井霊園は17号線の方から入れば桜を眺めながらお墓まで到達できるので、花見どころか人手を見に入ったような状態だった。だが、初めてお彼岸の間に来たので良く解ったが、多くのお墓は綺麗に掃除されて花が飾られていたので、墓参に見える方が多いのだと大いに勉強になった。亡母には「大病で苦戦中の弟に『こっちに来ないようにしなさい』ときつく言って下さい」とお願いしておいた。

その後は縁日とは承知していたが、折角ここまで来たのだからと地蔵通りに向かった。矢張り高齢者の人並みを押し分けて歩くような状態で、家内と早期退散と決めた。そして、お馴染みの?マルジで赤い靴下2足組を約400円で購入しただけに止めた。これは厚手で室内履きに適切で一寸こじつけだが、スリッパの代わりになるし、暖かいのだ。丁度昼時になったので「動かない寿司屋」としてはB級グルメに入れても良いと思う17号線沿いのマグロの「すし三昧」を選んだ。

ここまでて、言うなれば3箇所を回ったことになったほどよくぞ動けたものだった。帰路は山手線を高田馬場で降りた時が丁度我が家の前で止まる1時間に1本のバスの時間にピッタリで、楽に帰宅が出来たのは幸運だった。尤も、この頃になると注射の効き目が出てきて何事もなかったような快適な体調になっているというのも皮肉なものだと思う。

そうそう、言い忘れたが「染井の桜」はほぼ満開に近い状態で、一部に未だ八分咲きかなと思わせる並木があったから、明日辺りで終わりになってしまうのではないかな。今年は17号沿いの駐車場には観光バスは1台しか停まっていなかったが、あれは縁日かお花見かどちらを狙ったものだったのだろう。何年前だったか、霊園内を旗を掲げたガイドを先頭にした花見の団体を見かけたが、あれは一寸失礼ではないかなと思った。何れにせよ、良く動き回った半日間だった。


3月25日 その2 スポ根時代は終わったのか

2018-03-25 11:27:52 | コラム
スポーツの指導者の在り方は:

24日にTBSの北野武が出ている「ニュースキャスター」で、懐かしきスポ根の指導者たちの生徒や学生を「絞る」場面を数多く見せてくれた。そ「う言われて見れば、昔はあのようなことをするのが素晴らしいと考えられていたな」と少しだけ感慨に耽っていた。「鬼コーチ」だの何のと言ってマスコミが褒め称えていた頃のことだった。だが、その中にはつい先頃大阪の高校で監督に殴られた主将の生徒が自殺したことだと思わせる場面も採り上げられていた。

と言うことは、スポ根時代は終わっていないのかも知れない。このコーナー(カタカナ語であって英語にはこう言う表現はないと思う)は確か栄和人のパワハラ問題から入って行ったと記憶するが、笑えたことに「パワハラは英語ではない」と字幕が出ていた点だった。だが、マスメデイアがこういう解説をするのは珍しいと褒めておくべきだったと思う。

私は昭和23年の第3回の福岡国体で残念ながら決勝戦で負けた高校のサッカー部の一員だった。だが、上級生もOBも(監督は遠隔地に住んでおられたので、偶に指導に来られるだけだった)全く理論的で、6年間にたった一度だけ東大の名選手だったOBがミスを繰り返した者に手に持っていたボールを投げつけたことがあっただけで、それが後々までも我々の間で話題にしたほどの「スポ根」とは極めて縁遠い理論派が主体の関東の強豪校だった。

ではあっても、終戦後直ぐの時代だったからか、練習中に水を飲むことは禁止され、水泳も筋肉が堅くなるからと禁止されていた。後に同時代に運動部を経験した人たちに尋ねてみても、当時はそういう非科学的な練習法が普通であり、精神力の強化が強調されていたのが実態だったようだ。そして、精神主義が蔓延っていた頃の我が国の多くの競技種目が国際的に通用しなかったのも、また実態だったと思っている。換言すれば、現代は「スポ根」時代は終わったのだと思っている。

即ち、教え方とコーチングの方法に科学的というかアメリカ式が導入された結果で、近代化されてきたことが我が国のスポーツが世界に通用するようになった主たる要因だったことに加えて、子供というか児童、生徒、学生、社会人たちの体格が著しく大型化されてきたことも手伝っていたと思う。この背景には食生活の水準の向上もあったが、プロテインだのゲータレードのようなものが採用されたし、ウエイトトレーニングが入ってきたことも貢献していると思う。

ところで、コーチなり監督なりが生徒や学生の部員たちに手を挙げることだが、多くは男子だけの運動部で発生していることだと思えてならない。マスコミはそういう事件が発生する度に「暴力が云々」と騒ぐが、彼らの中に「何故そうなるか」の実態を知る者がいると思う。実際にコーチを経験してみれば、苛立ってくるものだと知らないはずはないと思う。現に、高校から社会人までの間にコーチを経験した者たちの中には「手を出すのは必要悪」と小声でいう例もある。

私は「男子に比べて圧倒的に女子に世界的に通用する選手が多いのは、女子の世界では女性に対して所謂暴力的な指導者がいないからではないのか」とすら思うことがあった。女子のバスケットボールはオリンピック出場権を取ったが、男子はずっと縁がないようだ。それは大阪のあの高校の例があるからかななどと密かに疑っている。栄和人はあれほどの数のオリンピックの優勝者を育てたが、暴力の噂ではなく権威の濫用で非難されているのかなと見ている。

フットボールだけに限って言えば、アメリカの強豪大学にコーチ留学を何度か経験した人の話では「アメリカではコーチたちが、トレーナーたちの意見を採り入れて(顧問医もついているそうだが)部員たちに各人が鍛えるべき体の部位を指摘してその強化法を指示して自分でウエイトトレーニングなり何なりで準備を調えた上で練習に参加させるので、我が国とは比べものにならないほどの短時間で終わってしまう」のだそうだ。私はこれを聞いて「暴力の介入の暇はないな」と解釈した。

何が言いたいのかと言えば、矢張りその運動部を強化する為には合理的且つ近代的な練習方法が必要なことは間違いないが、精神面の強化もまた必要である」なのだ。だがしかし、絞り上げて精神面を強化したところで、技術が伴っていなければ本当の意味で強くならないということだ。故に、暴力的な指導に走っても余り意味がないのではないかとなるのだが。でも、「毎年護摩行をやっている広島の新井貴浩は41歳でも主力選手で頑張っているではないか」と言う方はおられるだろうな。


新聞に喝

2018-03-25 08:16:37 | コラム
「クレーマー国会」のなれの果て:

25日の産経新聞の「新聞に喝」欄に門田隆将が掲題の見出しで新聞に大きな「喝」を出していた。内容は野党の批判と読めるが国際情勢の危険性の指摘で結んである。その「喝」の一部を引用して野党批判と非難にみよう。

>引用開始
改ざん前の文書で安倍夫妻の潔白が判明したのに、マスコミと野党による印象操作には益々拍車がかかっている。野党による官庁への“つるし上げ”にしか見えないヒアリングと、コトの本質から離れた国会質疑。当欄で何度も書いてきたとおり、あの土地は大阪空港騒音訴訟の現場であり、どうしても国が手放したかった物件だ。伊丹空港の航空進入路の真下で騒音は大きく、また建物に高さ制限もついているといういわくつきの土地だ。

国はやっと現れた“買い主”を逃したくなかったし、4人の政治家が絡んだ政治案件でもあった。いま野田中央公園になっている隣地は、国が補助金をぶち込んで、実質98.5%もの値下げになっていることでも、この土地の特殊性がわかる。そんな実態を新聞が知っていながら、一切、書かない。

<引用終わる

これでけでも十分だが、全文はより詳細に如何にマスメディアと野党連合が怪しからんかを指摘してあるし、門田隆将は「日本はそんなことをしているときではない。世界が注視する北の核問題、そして拉致問題で、仮に米朝首脳会談が決裂すれば、米軍の軍事オプション発動の可能性が高まる。(以下略)」と国際情勢が如何に難しくなっているこの時期の重大性を指摘している。不肖私でさえも何度も指摘して事だ。新聞だけではなく野党にも大「喝」だ。


情けなかった日本代表のサッカー

2018-03-24 07:54:05 | コラム
<strong>23日の夜はジッと耐えて対マリのサッカーをテレビ観戦:

結論から言ってしまえば「弱将の下に勇卒などあるはずがない」という点をこれでもかと90分プラス4分も見せられた情けないサッカーだった。この程度の完成度のテイームを連れてW拝本番に行こうとは間違っていると言わざるを得ない。弱将を今更論じても仕方がないことだから、ここでは積極的に批判はしない。だが、弱卒と怪我人ばかり育成してW杯に行こうという考え方は論外だろう。

昨夜は「誰か一人くらい良い動きと良い働きをしてくれるか」と目を凝らして見ていた。しかしながら、所詮は応援団長的な存在でしかない松木安太郎までが「もう少し積極的に動いてパスを貰える場所に動かなければ」と「あのようなパス回しと前線にいる者の動きでは・・・」とまで嘆き節を聞かせたのだから、論外な試合運びだった。私の見方は「あれほど消極的な展開をしていれば、チャンスなど来る訳もなく、最後まで『良くやった』と褒めたい者を見いだせなかった」だった。

兎に角何度でも同じ事を言うが「責任逃れのパスと、一寸でも前方に相手が見えれば後方へのパスとバックス同士での横の展開に終始し、その間に前にいる者が少しでも動いてマークを外そうとか、マークを引っ張っていってスペースを作ろうという類いの動きはほとんどなかった。自陣でバックス間で横パス交換を続ければボールの保有率は上がるだろうが、相手は何の危険も感じないから「勝手にやらせておけば」となってくるのだ。

引き分けだと言うが4分も伸ばして貰えたので、私はは「この間に何とかなってしまうだろうが、それでは何の為にもならない」と閃いたら、その通りになってしまった。中島が偉かった訳でも何でもない。一寸当たられただけでのたうち回るマリの選手たちが時間を引き延ばすという墓穴を掘っただけのこと。

ハリルホジッチ監督の選手の使い方も意味不明だ。最悪は何で初めて出したのか知らないが浦和の宇賀神は酷かった。浦和で一応一本目を張っていた記憶があるが、何でこんな者が浦和が使うのかと思ったほどダメなバックスだった。それが「だから言ったでしょう」でPKを与える反則をするかと思えば、カードまで出される始末。明らかに監督の責任だ。その他にマスコミが騒ぐほどには使えなかった久保、宇佐見、大島、大迫等には「やってやろう」という気迫がまるで見えなかった。

それにしても、本田や原口は何の為に招集したのだろう。監督はこのまま香川も岡崎も武藤も乾も使わない気なのだろうか。本田は少しの時間だけ出たが、あんな程度ではいてもいなくても同じだ。欧州組は欧州にいれば「周りが巧いから何と使えるのだが、代表では周囲が下手過ぎて生きてこないとも言える。

私も長年日本代表のサッカーを見てきたが、これほど少しでも褒めてやりち者が不在だった試合も珍しいと思った。彼らは本当は下手なのか、あるいは監督が気にくわなくてやる気が出ないのか、あるいはその両方かと思って、詰まらない試合を最後まで見ていた。中でも情けなかった点は、海外組までがアフリカ系の者どもの「膝から下の長さ」という特徴がある脚の長さに最後まで対応できずに競り合いにほとんど負けていたり、パスを「インターセプション」されていたことだった。

アナウンサー共は未だに解っていないので「パスをカットされた」という誤った表現を使っている。学校教育の英語が責任を負うべき問題だと指摘するが、奪われたことは「カット」ではない。また、松木は自分が開発した言葉である「スリッピー」を使っていたし、アナウンサーも真似た。あれは英語では「スリッパリー」(slippery)と言うのだよ。また松木はやたらに「コンパクト」と言うか、これは具体的にどういう布陣を言うか説明すべきだ。英語が解る私には意味不明だ。

私は残念ながらW杯本番に期待しようという気が益々薄れた。特に監督への期待感はゼロだ。