新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

欧州勢に綺麗に点を取って勝った

2013-11-20 15:35:40 | コラム
流れの中だけで3点取ったのは非常に良かった:

今朝はキチンと4時に目覚めて、5時の中継開始か試合開始だったかを余裕を持って待っていた。これまでいくつ彼らの試合を見たか記憶もないが、あれほど綺麗に「プレーで点を取ったのを見たことがなかった」と言える。「良くやった」と褒めて上げると同時に「もう伸びしろが残っていないのでは」との疑問を呈したのを詫びねばならないかとすら考えた。

3点とも理詰めでパスが回り柿谷、本田、岡崎共に相手のマークを振り切った形で(フリーだったでも良いか)正確にシュートして決めたのは見事で「彼らは本当は上手かったのだ」とすら考えてしまった。柿谷はセレッソで未だ売り出していない頃に「これは面白い存在で、使い方次第ではA代表でもいけるかな」と見ていた。だが、中々ザ監督には認めて貰いようだった。岡崎に出したパスなどは評価されて良く、こういう形でも使えるように努力して貰いたいもの。

前半のメンバーで不思議だったのか遠藤も長友も岡崎も内田(私は評価していないが)もいなかった点で、それでも酒井宏樹から柿谷へのクロスで追いついたのは収穫だっただろう。後半に遠藤と岡崎が入るとパス出しの起点が変わっただけで落ち着いたサッカーになり、ベルギーのマークが甘いのか本田も岡崎も止めようがないフリーの形から追加点を取っていったのが良かった。ザ監督は未だに試験的に若い者を使って試している段階にしているのは、如何なる意図があるのか私には不明だ。

一方、アナウンサーも解説もFIFAのランク5位と何度も叫んだベルギーは「???」と思わせてくれたサッカーだった。野球の張本のMBL批判ではないが、当方はベルギーでは誰が"world class"の選手でどれがB級か知る由もないので、あれが本当に5位の実力かの判断が出来かねた。オフェンスの形に定まったものがなく、スピード感もなく、守備でも体当たりに活路を見出しているかの感があった。全体としては「思わぬ相手の動きに戸惑い、何をしたら良いのか」が解らないうちに3点も取られてしまったのではないかと、真剣に疑わせてくれた。負ける時はあんなものだろうと思うのだが。

経験上も負け戦とはこんなもので、相手の出方が解らずと言うか、何をしてくるかが読み切れないであれこれと試みている間に失点し、追いつかねばと焦るほど思うようにならず、身長の沙も活かせず、唯々縦一発の速攻という単純な攻め上がりだけしか出来ず、最後の最後にCKから身長差を活かしたヘディングで1点差に迫っただけだった。思うに、何をしているか解らないうちの94分経ってしまったのだろう。

私が「基本技を守れ」とずっと主張してきたが、ベルギーの7番だったかが、後半の時間が残り少なくなったところで絶好のパスが左側から入ってきてシュートチャンスが巡ってきた際に、「私があれほど言っている左から来たパスは左足でシュート」の原則を守らずに、右足で半分当たりそこねの妙な回転の球が川島の真正面に行って逸機した。あれを左足で引っかけられたら解らなかったと思った。

我が代表にも問題があった。最悪は私がそれほど評価していない「怖い顔をして真剣さを表現するだけのGK川島」の判断ミスで飛び出して抜かれたことと、更にその後のセンターリング(クロスとも言う)を酒井高徳(ゴウトクだそうだが)ボンヤリと見ていて後ろから来たベルギーのFWに無人のゴールに蹴り込まれた醜態。私は未だに川島を重用するのが解らないし、酒井高もっと口元をキチンと閉じてプレーせよと言いたいほど完成度が低い。

本田、長谷場、遠藤、岡崎、香川(順序不同)はごく普通に試合を作り上げて、無為無策にしか見えなかったベルギーと対等以上にゲームを進行させていた。この有様では未だ未だ世代交代を見据えても、二軍的な酒井高だの大迫や細貝ような者どもに頼れる時期は来ないだろうと危惧する。だが、オランダとの引き分けと今日のゲームでは欧州勢との戦い方が見えてきたのではないか。まさか、ベルギーは今日の試合では肝心のプレーを封印していたのではあるまいな。

大久保百人町界隈では変化が進行中

2013-11-19 14:22:59 | コラム
11月19日に大久保通りにて:

19日は国立国際医療研究センター(NCGM)で、8月29日の退院後に10週間から5週間置きに短縮された主治医の検診の日。新大久保駅前から09:22発のバスに乗れば、大久保通りでは早くも放置自転車撤去の放送が流れていた。正確には既に係員情け容赦なく続々とトラックに積み上げていたのだった。

私にはこの放置自転車ほど不思議なものはないと思わせてくれる。ここから見える山手線の線路の内側にある放置自転車の保管場所には、何時見ても1ヶ月以上も経っている自転車が数多く並んでいる。あれほど持って行かれても未だ懲りずにと言うか、出費をものともせず新車を買っては放置する人たちがいるのかと疑ってしまう。新大久保駅の直ぐ近くに区営の駐輪場があるが、そこの料金を惜しんで放置しているらしい神経が解らない。

11時過ぎにNCGMから駅前まで帰ってくると、暫く見なかった制服警官数組による職務質問が行われていた。警官は私が見ても明らかに外国人と思えるアジア系の若者を数カ所で質問していた。嘗ては私服の警官(出入国管理局?)の職務質問が頻繁に行われていたが、最早歩いているのが圧倒的に外国人となってしまったのでは「やっていられない」とでもなったかと疑っていた。

大久保通りを大久保駅方向に歩くと、何時の間にか寿司の詰め合わせを売っていた店がなくなって、新規入居者用なのだろうが、内装工事中になっていた。また、「ここは以前何があったか」と思うような小さな店がCoCo壱番屋に変わっていた。我が家が贔屓にしていたパン屋の後でも内装工事が始まっていた。

また、我がアパートに向かう路地では2棟の11階建てマンションが建築中だ。1階が保育園だった6階建てアパートと高田馬場駅方向の福祉作業所も再建築のための取り壊し中である。何となく建築業界は活況かと思わせられるが、あれは耐震建築云々があるとも聞かされている。某方面から聞いた話だが、「これほど新規建築が増えるとセメント用に砂と砂利が不足し、国内からは賄いきれず輸入しようにももう既に近場には供給可能な国が残っていない」という話に迫力が出てきたと感じる。

Koreatownは既に最盛期を過ぎた感があるし(と思いたいのだが)、これから先の冬場に入ってどのような変化が出てくるのか、興味深いものがある。これから進出してくるだろう小売店や料理店は、如何なる客層を目指すのかを余程慎重に検討してからでないと、成功は覚束ないのだろうと思わせる大久保百人町界隈の変化が進行中である。

因みに、検査の結果は問題なしとの診断を頂いた。

森林を管理していないと

2013-11-18 12:32:57 | コラム
Managed forestの意義は:

先日「木質バイオマス燃料」を論じて「W社では"Managed forest"と称している」と述べた。私の森林管理についての知識は、謂わば「門前の小僧習わぬ経を読む」的であり、W社の社員として心得ておくべき最低限のものである。

その視点からすると、我が国の森林の管理は余り良い状態ではないと危惧する。これは関連の業界にいれば、そう思わざるを得ない現象であろう。即ち、森林は内部で空気(酸素等)を循環させ、地面の日当たりを良くするために間引く作業が必要であることから始まる。そして、下枝を払って置く必要もある。更に肥料をまく必要もあるし、雑草も抜かねばならないとも聞いた。針葉樹(soft wood)を主体とするW社では冗談のように「種が風で運ばれて育ってしまう広葉樹(闊葉樹=hard wood)は雑草と同じ扱い」としているとも聞いた。

こういう管理(manage)を怠ると地面に樹木が十分に根を張らず弱くなって痩せていくので、大雨でも降ると崩れてしまうことになるのだそうだ。素人の私が見ても、我が国の美しく紅葉する広葉樹林には木が密生し、間引きされている様子がなく、下枝も払われてはいないようだ。これでは地面というか地盤というかが、強固にならないのかと思って見ている。大雨が降れば崩れる危険性があるということ。

我が国では多くの人手を要求する林業が衰退した上に、嘗ては丸太が輸入され、さらに製材品(四寸角や「ツーバイフォー=2×4等」を指す)も輸入されるようになって来ていた。それだけが原因かどうかは知らぬが、山林が手を入れられずに放置され樹木が伸びるままになっているのかと見てきた。林業が盛んな地域もあるが、一時の円高では苦しい競争になっていただろう。

製紙用には我が国の広葉樹だけでは強度を要求される品種には外来の針葉樹のチップかパルプが必要であり、チップなどは1960年代から輸入されていた。また、我が国の広葉樹は北海道等の寒冷地の多く育つので、一部の論者が指摘されるような乱伐や乱獲が本州だろうと何処だろうと、行われる訳がないのだ。即ち、紙は天然資源である木材を乱用していないのである。

それどころか、山からの土石流や崖崩れを防止するために、国内と森林の管理を怠ってはならないことを論ずべきだと、森林の管理には門前の小僧の私は考えている。

小泉さん、木質バイオマス燃料もあります

2013-11-17 11:22:23 | コラム
エネルギー源論:

目下小泉元総理の「即刻原発ゼロ」で方々で議論が沸騰しているかの如き現状だ。一昨日だったかの古館の報道ステーションにコメンテーターで登場した藻谷圭介(こういう字だったか)という論客が「木質バイオ燃料にすればCO2が化石燃料より削減できるし、我が国には木材が豊富だ」と推薦していた。一聴、尤もだが、実現の可能性は低いかと危惧する。

1975年、当時でもアメリカというか世界でも最大級の木材会社だったW社のワシントン州南部の工場で「木は全てを無駄にすることなく有効活用できる」と教えられた。南部とは言ったがこの地域は寒いので、工場の事務棟はスティームで暖房されていた。その熱源は工場の発電所で余った蒸気を使っている。そこの燃料は自社林の間伐材、風倒木、虫に食われた木、払った下枝、製材工程で剥がした樹皮、鉋屑等々である。更に、余った電力はこの地区の電力会社(配電網)に販売している」と聞かされた。当時の私には驚きのシステムだった。因みに、W社が保有する森林の面積は約600万エーカーで、四国より広い。

アメリカの林業はドイツ系であるものが多いと聞いた。どういうものかと言えば、大型のトラック(logging truck)が通れる林道(logging road)を広大な山中に設けて、そこまで伐採した巨木をワイヤーに吊して運べるような塔を建てて、平地の製材所まで輸送するのだ。伐採した後には自社の大規模な種苗園(nursery)で育成した苗を植えて育てて再植林していく。こういう山林は余り急斜面にはない。因みに、植林もその後の管理も人手でないと出来ないほど細かい作業だ。

即ち、種を蒔いて苗を育てて人力で植林し、管理し、伐採し、輸送し、樹皮を剥ぎ、製材し、製材できない滓をチップをパルプと紙の原料に使用し、その過程で発生した全ての残渣をエネルギー源とするのが、アメリカ式の紙パルプ・林産物企業の形態である。

ところで、「我が国はアメリカと比べれば10%にも満たない国土の面積で、その70%近くが居住に適さない、樹木に覆われた森林か山か丘陵地帯である。その豊富な木材に覆われた地域は概ね傾斜が厳しく、アメリカのように簡単に林道を設けて木材を輸送するには不向きだという悪条件がある」と、私は聞かされている。しかも、林業は不振だった上に輸入品に依存しているので、益々衰退したとも聞かされた。

その森林地帯ににこれから新たに林業のシステムを導入して、木質バイオマス燃料を生産していこうという計画は非常に結構だとは思う。だが、これからインフラを整備して、流通機構まで確立するコストは如何になるかと考える時、現実的な妥当性があるのか考え込んでしまう。山林には全く素人の私が見ても、多くの広葉樹林は最早全く管理されていないようで、そこを開発していくのは容易ではないと見える。

しかし、電力のコストを高め、CO2の発生量を抑止できない石油系の燃料依存は回避せねばなるまい。木質バイオマス燃料は有力な代替熱源の候補だろうが、そこまでに持って行くには課題が多すぎると思う。藻谷氏は国内の山林を伐れば材木が無くなると言っていたが、それは再植林で補っているのがアメリカの森林経営である。W社では"Managed forest"と称していた。それが上記の種からの一貫態勢である。

私は木質バイオマス燃料が現在の石油等を消費する発電所でそのまま使えるものか否かも知らない。小泉元総理はこういうことまでお考えてであれこれ言っておられるのだろうか。アメリカにも行って林業をご覧になってみればどうだろうか。

あの脱走ドイツ人は我が国の善意に付け入ったのか

2013-11-16 08:34:48 | コラム
脱走したドイツ人への親切さに思う:
ドイツ人(マスコミ報道には自称とあるが)は昨15日に交番に出頭して、一件落着のようだった。これについては昨日海外経験豊富な商社マンとの歓談の話題でもあった。マスコミ報道の一部には「外国人に親切な我が国の人の好意を逆手に取った」とあったが、「それを言い過ぎで彼がそこまで付け入ったのではないだろうと思う」と語り合った。

我が国ほど治安が良く、性善説が遍く行き渡っているところは世界に例がないだろう。そして、異国の人にあれほど(今回の例には顕著だったと言えるかも知れない)親切にしてくれる国もまた少ないだろう。脱走のニュースがあの地域にどれほど広まっていたかは知る由もないが、寒空に震えていたかも知れない外国人(しかも白人)に無償で衣服を与え、スリッパを提供する優しさと親切さは、我が国ならではであろうと語り合った。

しかし、彼とは「我が国には依然として言うなれば『外国人、特に欧米人を敬う気風』が残っているようなことがありはしないか」とも論じ合った。他国の人を尊敬するのは決して悪いことではなく、我が国の美風であり、否定するものではない。だが、性善説信奉の我が国ではテレビのニュースに出たような風体の外国人の犯罪性を疑わないのは、"naive"の本来の意味ではないと言うか、カタカナ語の「ナイーブ」である点に、多少の危険性を見出すとも語り合った。

しかし、我が国が性善説の国とまで承知してくる欧米人は少ないと思うのだが、ここ大久保・百人町界隈に多く住まう外国人たちには付け込まれているのではないかと疑ってしまうのだが、どうだろう。