新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

異種の競技をやっているのかと思った

2013-11-01 15:25:55 | コラム
野球とBaseballの違い:

10月31日の夜は、ついつい楽天と読売の何れが勝てるのかとの興味で、あの日本シリーズの試合を最後まで見てしまった。ゥワールド・シリーズは第6戦を除いては大部分見ていたので、掲題のDarvishのMLBに移った直ぐ後の感想が非常に迫力が出てきたと感じた。日米何れも謂わば鎬を削っての熱戦なのだが、その内容が余りに異質だし、Darvishのゲスト解説もその違いを説いていたのも印象的だった。

古くは、初めてMLBから日本のプロ野球に来たBob Horner(お断りして置くが、断じて彼は「ボッブ・ホーナー」ではなく、「バブ・ホーナー」とカタカナ表記すべきではないか。UKならばそれで良いが)が1年経って「もうこれ以上something like baseballをやるのはイヤだ」と言って帰って行った違いが依然として残っているということだ。

アメリカでは各個人がと言うか投手と打者が「何とかして勝ちたい」と闘志を全面的に前に出して、真っ向から争っている凄まじさと迫力を感じさせる。だが、会社でも痛感したような「組織のためにか、愛社精神で力の限り仕事をしているのだ」というものは迸ってこない。「彼らは会社かティームの場を借りて、個人事業主として懸命にやっているのだろう」と思わずにはいられなかった。常に勝負を挑み合っているとでも言えば良いか。

日本シリーズでも「全員一丸となってティームのために魂を込めて戦っている」という厳しさは良く解った。細かいところに神経を遣ってある時は真正面からかと思えば、スカウティングの賜物かと思わせる裏をかいて見せたりと、虚々実々の駆け引きは、アメリカの勝負の仕方と余りにも違う「皆で練習して築き上げたプレーなのだ」と解って努力を心から評価したくなる。

Darvishはアナウンサーの質問に答えて「アメリカでは気の毒なくらいキャッチャーのリードが云々とは言わない」と言ってのけた。ずっと以前に西武だったかのコーチだった広野が「アメリカでは自分が持つ最高の球を投げて勝負する野球だが、日本では相手の弱点をこれでもかとついていくので、アメリカから来たバッターはこの違いに戸惑って打てなくなる」と解説したが、これはDarvishが言っていることと実質的に同じではないかな。

また、興味深かったのはDarvishは所謂「トゥ-・ナッシング」からボールを投げたのを評して「あれはアメリカでは許されないサイン。何故ならば投手はほぼ絶対的に有利な立場にあるからそこで勝負すべきであって、無駄球を投げるとは何事と叱られる」と言った。更に「アメリカでは先に外側(アウト・コースは日本語であって、彼らは"outside"のように言うが)に投げて、打者の目付をそこに持って行ってから内側をつくという種類の駆け引きはしない」とも解説した。即ち、「真っ向勝負」の感覚の差を語っていたと思った。

日米比較論はこれくらいにして、当方は「読売がその場慣れ、選手層の厚さという優位性を活かして勝ってしまうのでは」と懸念していた。だが、案に相違して坂本、阿部、高橋由伸、ロペスが全く当たらず、村田の孤軍奮闘と「そんな奴がいたか」と思わせるほど無名に近い存在だった寺内が健闘している状態で、良くあそこまでやってきたもだと寧ろ感心させられるほどだ。そう言いたいほど、楽天は「ここぞ」というチャンスを度々逃していた。星野の采配の失敗の一つに、あの四球を連発したハウザーという外国人とその他の投手を使ったことで、昨夜辛島があそこまで投げたことから見ても、あれは勿体ない負け方だった。

最後は余談だが、楽天にMcGeheeというアメリカ人がいるが、カタカナ表記が「マギー」となっている。テキサスかアーカンソーに同じスペルの地名があるが、アメリカ人は「マギーヒー」と呼んでいた。これでは複雑だし言いにくそうだから「マギー」にしたのかなと思いつつ、彼が打席に入る前にヘルメットを取ってユニフォームの襟の部分が頭部と顔を拭いている儀式を見ている。アメリカで一時問題になったイチロー君の儀式以上に風変わりだ。