新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの大学の優等生

2021-09-28 09:03:53 | コラム
小室圭氏の帰国に際して調べてみた:

何処のテレビ局だったかは定かではないが、小室圭氏が就職されたという大手の法律事務所(Lowenstein Sandler)が彼の経歴を紹介する箇所を報じたのがチラリと見えたのだが、Kei KomuroはLaw Clerkであり、その学歴はフォーダム大学のLaw Schoolを“cum laude”で卒業とあった。これを見て一瞬「優等生だったのか。偉いものだ」と思った。

学業成績優秀者の表彰:
私はアメリカの会社の在籍している間に半ばは興味と関心から、方々でアメリカの大学事情の話を聞いては、自分でも時間の許す限り調べてみた。そこで知り得たことの一つが、学業成績優秀者の(表彰の基準だと思っていた)三段階だった。だが、そういう区別があるとは知ったが、それ以上は突っ込んで調べたこともなかった。また、我が社の中には何人かの表彰者(?)がいたとは知り得ていた。

その三段階とは下から“cum laude“、 “Magna cum Laude”、 ”Summa cum laude“だった。何れもラテン語なので、意味まで追求する気などなかったが、今となって英辞郎で調べてみるとcumがwithであり、laudeはpraiseとあった。言ってみれば「賞賛される成績を伴って」とでもなるだろうか。

そこで、小室圭氏のcum laudeであるが、フォーダム大学Law Schoolでは上位25%に入ったのだから立派なものだという賞賛もある一方で、ある大学では上位50%に入っただけでという評価の情報もあった。因みに、Wikipediaによればcum laudeは上位30%位内となるようだった。

私は小室氏はこれから総勢350名という大きな専門の事務所に就職されたということは、法律に関する学問的知識は備えておられるだろうし、Schoolでも実習を経験されただろうから、業務はこなされるだろうと思う。また、経歴書には“Kei is fluent in Japanese”と、何とも当たり前の紹介がされていた。何れにせよ、彼はこれから先はfluent in Englishというnative speaker乃至はそれに準ずる同僚たちとの生存競争を挑んで行かれるのだから、生易しい事ではないのではないと思う。そこまでを読み切って挑まれたのだろうか。

人員を整理する基準は:
そこで、参考までに私の場合を振り返れば、本部から我が国の市場に派遣された単独のマネージャーであり、誰とも競合する訳もなければ、英語力は兎も角「日本語力に優れております」などと標榜する必要などなかった。振り返れば、今でこそ偉そうに英語論などを語っているが、在職中に絶対に無理とは承知していても「何時の日にかnative speaker並みの英語力を達成してみよう」と懸命だった。だが、決してそれを「夢」だなとと思って狙ってはいなかった。単なる業務達成上の必須の能力の強化だけのこと。

正直なところ、彼ら支配階層の管理職の指揮下に入ってみれば、口語体や慣用句などの知識は全く不十分だったし、テクニカルタームや業務用の用語や表現にも知らないものはこれでもかいうほど出会った。だが、これは「解らない」とは言えないので、想像や当てずっぽうで何とか凌いでから覚え、口語や慣用句は外国人である点を活かして「それは何という意味か、何を表すのか」と堂々と尋ねて表現力を強化した。だが、小室氏の立場で、万が一にも「それ何の事」と尋ねる訳に行かない職業を選択されたのではないのかと思っている。

80年代に入ってからだったか、本社のアメリカ全土でも有名な経済調査部(M&ER)にICUを経てUCLAでMBAを取得した同胞の俊英が在籍していた。当時の我が社は目覚ましく成長・発展中で、その間に何度かの「不採算部門の整理人員削減」(=「リストラ」)を繰り返していた。その何度目かのリストラの最中に、本社で彼と出会った。彼は「M&ERでは2人の整理が発表され、自分がその候補者であり、もう一人はアメリカ人だ。能力の点では負けない自信はあるが、英語力では劣っているので間違いなく切られるだろう」と語っていた。現実にはその通りとなった。



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