新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

カズオ・イシグロさんに思う

2017-10-07 07:51:14 | コラム
ノーベル文学賞受賞:

この一報がテレビの画面に「チンポン」という音で現れた時には、物を知らない私は「何のことか?」と一瞬判断ができなかった。そして「そうだったか文学賞である以上小説家か。それならば聞いたことはあった名前か」と思った程度だった。

その次に現れた現象にはもっともっと戸惑わせられた。産経新聞までが紙面を大きく割いて「日系英国人の受賞」を喜んだのだった。日本生まれで英国(UK→英連合王国の中のEnglandのことだろう)に渡られた方であれば、仮令帰化された後でも、その受賞を日系人として喜ぶ気持ちは解る気がする。

また、イシグロさんは「日本から受けた好印象の影響」を語られていた。自然な流れであると思う。だが、私が長年接触してきた白人国の人たちの優れた社交性では、日系人の方々がインタビューを受けてごく当たり前のようにあのようなことを言うのは普通であろう。特筆大書して褒め称えても良いが、それ自体も「社交辞令」のうちに入るのではないのか。何が言いたいのかと言えば「反応が過剰すぎないのか」である。

私は長年、特にアメリカの会社に転進して以降は、数多くの日系アメリカ人は言うに及ばず、多くの国を祖国に持つ白人のアメリカ人に出会い、共に仕事をしてきた。多くの日系人でも、私よりも一世代上乃至は同世代の方々は国籍こそ違え、頭の中の半分以上は日本人だったのである。簡単な例を挙げれば、日本語は我々と同じに話されるし、自由自在に書くこともできるのが普通だった。

私に英語で話すことを教えて下さったGHQの秘書だった方は日本語を話すどころか、筆で崩した字を書けるような方だった。私がアメリカの会社へ転進する切っ掛けを作って下さった日系カナダ人のGN氏は「古き良き日本の心と我が国の伝統を両親に教えられた」としっかりと、我々で悪ければ私以上に維持しておられた、古き良き日本人だった。

だが、それ以下の世代となると完全にごく普通のアメリカ人として生まれ育ったので、外見は日系人だが、言葉も思考体系もアメリカ人で「我が国を祖国としてみ見ているのではなく、かなり多くの点で異文化を持つ非常に親しみやすい優れた国」として認識ているようだとの印象だった。日本語で話せる方が例外的だった。

わたしはカズオ・イシグロがどのような方かなどは、報道された以上のこと以外は一切承知していない。しかし、立派な小説家だろうとは思う程度だ。だが、日系人だからと言って我がことのようにその受賞を言祝ぐのには一寸違和感がある。と言うのはイシグロ氏以外にも、マスメディアの目には止まらなかった優れた日系人で、我が国に遠くから貢献された方は数多くおられると思う。

「私に英語と日本語の学校では教えていないような違いから始まって、日米間の物の考え方の違い等」を思い知らせてくれた日本生まれで、中学進学前から渡米され帰化されたBJ氏のような優れた日系人」がおられるのだと敢えて言いたい。彼は我が国の製紙産業にも貢献された実績がある。彼はMBA取得後に就職し東京に転勤を命じられた。そして20年以上も離れていた日本語を勉強し直して、日経新聞を読みこなし、日本語を話す場合に英語の単語を挟むことを軽蔑し、もしも使いたければ現地の習慣に合わせて「カタカナ語の発音にすべし」とまで説いていた。

私はカズオ・イシグロの功績を称えることを云々するのではなく、寧ろ「色々な事情があって日本を離れて諸外国で生まれたか育った日系人とは」というような視点からの報道というか特集記事があっても良いのではないかと思っている。異文化の中で育った者が父祖の国をどのように見ているかを率直に語らせてみれば興味ある記事になると思う。しかし、私が20年以上も語り続けた「日米企業社会における文化と思考体系の違い」は未だ未だ一般受けしない。何故だろう。きっと、日本人だからだろう?!




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