新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月20日 その2 時代の流れ

2023-05-20 14:58:11 | コラム
「老いては時代に従え」ってか:

先刻、セルフレジの普及の件を花田氏の言を引用して取り上げた。色々な商売をしている人たちがすることに文句を言うつもりもない。そこには「合理化」、「人員削減」、「人員不足の補強」、「(初期投資の費用はかかるが)経費削減」等々があるだろうし、「時代の流れ」というバスに乗り遅れまいとする努力もあるだろうから。

だが、受益者ではないお客にとっては不都合が事だって起きるのだ。それは、同じ会社か店でも店舗か営業所次第で導入されるレジスターというのか自動支払機が異なっている例があること。それどころか、場所によっては未だに係員が配置され古式豊かに現金を受け取ってくれて、釣り銭を手渡してくれる店もあるのはどうなっているのだろう。一説に「店長の方針次第」というのも聞いたことがあった。

時代の流れ、キャッシュレジスターのような機器の急速な進歩と言うのか合理化がある事くらいは解っている。だが、場所によって機器が異なり、入力の方法がまちまちなのは如何なものだろう。しかも、指導者然として振る舞うその場にいる係員の態度がでかい場合があるのも気になる。

我が国には300万以上もの中小企業があり、無数の小売店と食堂があるとは承知している。この種類の機器のメーカーが星の数ほどあるとも思えないが、JIS企画のようなことにはならないのか。しかも、「現金は扱わない」と「けんもほろろ」な場合もある。キャッシュレス時代だとは解るが、どれもが全店舗で通用しないこともある。高齢者が全人口の30%にも達していることに配慮しても良くはないか。

嘗て某国の大手メーカーの社長が激怒したという話を聞いたのを思い出した。それは、 何分にもM&Aが横行する国であるし、副社長兼事業部長が全権を掌握している経営体制であるから、事業部ごとに(買収された会社もあるが)給与計算の方式が異なっており、何と30を超えていて、全社で統一しようにも大いに時間と費用がかかったからだったそうだ。

そういえば、何処かの銀行が始終システムの不具合の問題を起こしていたっけ。時代は兎角面倒な方向に流れていくもののようだ。何時だったか触れておいたが、新大久保駅前の中国人が経営する本当の四川料理店ではタブレットで注文するのだが、チャンと「華為」製品だった。自慢だけど、チャンと注文はできたが、ほんま物の余りの辛さには完敗で、折角の麻婆豆腐は半分も食べられなかった。

生きにくい世の中

2023-05-20 08:10:24 | コラム
面倒な時代だな:

電気代値上げ:
昨日から華やかに岸田文雄首相の見せ場であるG7関連の報道が賑やかである。敢えて英語の感覚で言うと「上手く(と言うか「恙なく」)行くことを祈ります」なのだが、これを英語にするとsuccessを使いたくなるだろうが、私の感覚では「成功」とはこの程度のこと。

その最中に電気代値上げが承認されたとの報道。私は以前に「どの面下げて節電してくださいと言うのか」と政権を面罵した。ロシアのウクライナを受けてエネルギーコストが上昇して耐えきれないというのが主たる理由のようだ。

だが、それならば岸田さんは制裁に加わる前に「国民の皆様。この制裁を科することで『あれこれ然々』のご不自由をかけると思いますが、世界の正義と平和のためにご理解とご協力を賜りたく」と断っておくべきではなかったのか。私は節電などして彼を支える謂れなどないと思うが、如何か。

岸田総理は「原発も何とかして稼働させるように最善の努力もします」くらい言っても罰は当たらなかっただろう。私には岸田総理は内政に向かっての努力と配慮に欠けていると思う、如何に以前は外務大臣だったからと言って。

円安:
大谷翔平がホームランを打ったの、打たないのと朝から賑やかだし、猿之助が退院したのという報道ばかりだが、経済面(新聞のだ)を見ると、為替レートは静かに¥139だった。テレビのニュースでも騒がなかった気がするが、このレードは穏やかではない気がする。ただでさえ、輸入品の価格の上昇が止まっていないこのときに、¥140近い円安に戻れば、さらなる電気代の値上げが襲ってくるのではないか。

私は解りやすく言えば、この事態は政治の至らざるところが原因だと思っている。反省を求めたいところだが、G7の方が大事か。本筋から離れるが、G7のご一行様を厳島神社にご案内していた。キリスト教徒にとっては「偶像礼拝」になってしまうのではないのかという気がしたが、誤りか。

花田紀凱氏は言った:
「ファミレスのタッチパネル注文とか紙の時刻表配布中止とか、ますます生きにくい世の中になっていく」と産経に書いておられた。その通りだなと思う。昨日もこの近所では大型の「まいばすけっと」に暫くぶりに入ると、何としたことか「セルフレジ」ばかりが並んでいた。古いことを言えば「ブルータス。お前もか!」だった。

私の1人前では高齢の女性が着々とUPCを読み取らせて、膨大な数の品物を袋に移しておられた。「偉いものだ」と一寸感心。自分の番が回ってきた。パネルを見れば「係員呼び出し」のボタンもあった。20年以上もPCを使いこなしてきて培った時代慣れと、スマホで鍛えた技術を駆使して、無事に買い物を終えた。

近頃、バスや偶にしか乗らないJR等で観察すると、かなり沢山の高齢のご婦人方がスマートフォンを見て忙しそうに指を動かしておられるのを見かけるようになった。だが、高齢の男性がスマートフォンをいじっている光景にはそれほど出会わない。とは言っても、この現代の文明の利器は広い年齢層に浸透してきたことが解る。

だが、政府なのかスマートフォンの会社なのか知らないが、ここまでディジタル化を進めることが適切なのかと思うこともある。それは、最早我が国では65歳以上が30%に達しているのだし、私のように90歳になってタッチパネル攻撃に手向かっている者もいる。だが、中学・高校のクラス会の連中には両方とも知らない者が多いのも現実。高齢者に不便な立場に追い込むことを何とも思わないのか。

30%の高齢者の中でどれ程多くの方が、タッチパネル化を苦にしておられないか知る由もないが、この傾向は今後一層激しくなるだろう。我々罪なき消費者には阻止する術はない。将に花田氏が言われたように「ファミレスのタッチパネル注文とか紙の時刻表配布中止とか、ますます生きにくい世の中になっていく」事だろう。

これって「高齢者の繰り言」と片付けられるのか。「生きにくい」と嘆くのは誤りか。「時代の変化と進歩と流れについて行くよう努めるのは当然だ」との声が、何処からともなく聞こえてくる。