新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月7日 その2 バイデン陣営の不正行為は真実か為にする噂か

2020-11-07 13:57:20 | コラム
我々は座して結果が出るまで待っていれば良いのでは:

アメリカ大統領選挙の開票開始後には「本当にアメリかではこのような不正が行われているのか」と、目と耳を疑うような報道がなされ、その種の情報も何処からともなく流れてきている。要するに、トランプ大統領側は「不正が行われ選挙が盗まれている。正しく計算されれば我が方の勝利である」と主張して、既に6州だったかで提訴して、何件かは却下されている。それかあらぬか、バイデン候補とトランプ大統領の得票数は昨日から動いていない。複数の専門家はトランプ大統領は最後的手段にまで訴える可能性があると言うが、果たしてそういう事態にまで至るのだろうか。

もしも、ペンシルベイニアやジョージアの票が完全に開いて、バイデン候補の勝利となってしまった場合に、トランプ大統領は「バイデン陣営が不正を行っている」との声明を出していた以上、彼が敗北声明を出すとは到底考えられない。一部の報道では、共和党内にトランプ大統領に「今回は諦めて、24年に再度挑戦すれば」との説得をしたとあったが、私はその可能性は低いと思う。現に別な筋では、トランプ氏の事業が不振で400億円もの負債を抱えている以上、大統領職に何としても止まりたいのだとの説も出ている。果たしてそのことだけで大統領職にしがみつくのだろうか。

私は既に述べたことで「割り切って言えば、余所の国の大統領の選挙である。如何に我が国が同盟国であっても、太平洋を隔てたここで騒ぎ立てても大勢は変わるまい。我が国にとって重要なことはトランプ政権が続こうと、バイデン政権が誕生しても、アメリカとの関係を揺るぎないものにしておくべきであり、菅総理以下にはその点の準備おさおさ怠りなしという態勢を整えて置いて貰いたい」のだ。何れがアメリカの大統領になるかで、我が国の対中国政策というか姿勢をどのように持っていくかも、一層重要な課題になるだろう。

先ほど診て頂いてきた永年お世話になっているクリニックのS医師は「私はあの面白い性格のトランプ大統領は嫌いではない。だが、もしも正当な選挙で負けと決まった時には、素直に身を引けば良いじゃないか。4年間もあれだけ公約したことを粗方やり遂げて、言いたいことをTwitterで言ってきたのだから、もう十分じゃないか。これから78歳になるまで激職に身を置くよりも、静かな生活に戻っても良くはないか」と語っておられた。興味ある見方だと思って拝聴してきた。だが、果たして身を引いた場合のトランプ氏に「安寧な生活」が待っているのだろうか。

私は敢えて重ねて言うが、トランプ氏かバイデン氏のいずればが大統領になるかは我が国にとっては極めて重要な問題なので、ここでじっと成り行きを見守っていれば良いと思っている。


「おかしな言葉遣い」の問題点

2020-11-07 08:42:34 | コラム
学校教育に問題があるのではないか:

先日採り上げた「おかしな言葉遣いを嫌う」について、国文学者のS教授から下記のようなご意見を寄せて頂いたので、その一部を引用してみよう。学者や大学の先生方も使っておられるようなのだ。

>引用開始
 「今の現状」は、「ついつい使ってしまう誤用」の代表でしょう。これと同類の誤りに「違和感を感じる」などがあります。
 私も会話をしているときにはウッカリ使ってしまうこともありますが、文章語では避けるようにしています。このタイプの「頭痛が痛い」式のあやまりは、最近とみに増えたというより、割と昔からありがちな誤用表現という気がします。
 それから、「どうも、こんにちわ」は、私もしょっちゅうつかってしまっています。
 近年の口語表現において、「どうも」は、「Very」の意味ではなく、「Hello」とか「Hey」の意味でつかわれるケースが増えているようです(挨拶がわりに、「どうも!」とか「どうもです!」とか呼びかけあうケースは非常に多いです)。
 私は「どうも=Hello」、「こんにちわ=How are you? 」の感覚で「どうも、こんにちわ」をつかっています。
 言葉というのは時代とともに変わっていくものであり、「どうも」の意味の変化は、そうした仕方のない変化だと私は思っています。昭和ひとケタ生まれの私の指導教授も、「みなさん、どうも」とか、あきらかに「Hello」の意味で「どうも」をつかっていました・・・

<引用終わる

私の解釈では「これ即ち、英語どころか国語教育の至らなさをも表している」となるのだ。極言すれば、「国語ですら怪しい使い方しかできないような教育をしている時代に、英語の教育を小学校から始めようなどというのは、誠に以て愚かなことだ」となる。この点は数十年前から指摘して来たことで、日本の会社時代の2期上の秀才が「日本語もままならぬ者に、英語などを教えて効果が挙がる訳がない」と喝破したのと同じ論法である。

この国語が乱れているという問題については、仏文学者のK博士は「明らかに国語教育者の責任である」と厳しい意見を述べていた。因みに、K博士は20年以上も前から「我が国の外国語教育のレベルは世界最低の部類だ」と慨嘆していた。この点は私も全く同じ意見だ。恐るべき事は「我が国の学校教育では国語も外国語も、その水準が非常に低いと指摘しておられる学者おられるという点」なのだ。文部科学省に自覚症状があるのだろうか。