新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月19日 その3 羽生結弦君の将来を考える

2018-11-19 15:53:37 | コラム
無事これ名馬のはずだが:

羽生君がグランプリ(フランス語だろうと思うが)のロシア大会で試合前の練習中にまた負傷したようだ。私はそこから先を問題にしたいのだ。彼はオリンピック2連覇で国民栄誉賞まで与えられた名選手だし、常に自己を高める工夫を怠らず野村萬斎にまで指導を仰いだりもしたし、自己に対して厳しい姿勢なども大したものだと思わせてくれる「ほぼ大選手」と言って良いと思う域にある。

それはそれで大変結構なのだが、自己に厳しすぎる余りか練習も常に自分の限界に追い込むというかそこまでの領域に挑戦しているか如くに見える。その為かあらぬか、怪我というか負傷が多くなっている。掲題の「無事これ名馬」を当て嵌めれば「名馬」か「大選手」ではなくなってしまいかねない弱点ではないか。それでも、彼は負傷を乗り越えて優勝してしまう凄さがある。偉いのだが、そこにも問題なきにしも非ずだ。

私はそこが問題であると思っている。団体競技ならば監督さんは故障者などは先発メンバーに加えたくないのが常識であろう。だが、羽生君の場合は痛みを堪えてでも出場して勝ってしまう。そこをまたマスコミが絶賛の嵐で褒め称えてしまう。私はこの姿勢はほぼ誤りであると断じている。故障をおして出て更に悪化させて将来を棒に振ったらどうするという論調が全くないのだ。寧ろ、羽生君の負傷には触れてはいけない話し合いでもあったかと思わせる。

平昌オリンピックでも右足首の故障を抱えて優勝して見せた。マスコミだけではなく日本全国で賞賛して「素晴らしい快挙」と喜び合った。誰一人として「ここで無理をして勝っても良いが、右足首が禍根を残して『また古傷が』という事態にならぬよう、参加を避けたらどうか」という声を上げなかった。私は元々が「怪我持ちか、故障者は出すべきでも出るべきでもない」という考え方であるから、あのオリンピックの優勝は「目出度さも中位なり」という受け止め方だった。

私はこの辺りに個人種目であるフィギュアスケートの微妙な点があると思っている。それは「出るか。出ないか」を決めるのは選手当人にであって、団体競技のように強い権限を持つ監督に当たる存在がないようにしか見えないのだ。要するに羽生君が「大丈夫です」と言えばそれまでのことで、彼が師事しているカナダ人だったかのコーチにも協会にも出場するか否かの決定権がないらしいのだ。

羽生君のテイームには医師もいるようだが、「出ると治療に3週間を要するから・・・」とは言ったようだが「出るな」とまでは指示していないような報道だった。私はこの点は是正されるべきではないかと考えている。羽生君のような選手がそうしょっちゅう出てくるものではないだろうから、誰かが彼にそういう点を十分に言い聞かせて「慎重に将来を考えるべき」と無理にでも自覚させる必要があると思うのだ。

彼は未だ23歳だそうだから、女性と違って未だかなり長い選手としての年月が残っていることを考えてはどうだろうかということだ。それに協会も世界的な大会には会長とは言わないが幹部級が帯同して然るべき指示を出すか、彼のような選手の監督的な役目か相談役のような存在になるべきではないかと思っている。もしかして、この協会も元選手の成り上がりばかりで、常識に欠けて世間が見えていないのかと不安になる。問題は羽生結弦君の将来をどう考えているかだ。


11月19日 その2 ポール・マカートニーに思う

2018-11-19 14:46:33 | コラム
何故1960年代の音楽が持て囃されるのだろう:

突然だが、ポール・マカートニーとマスコミ批判を採り上げよう。先日、マカートニーが何度目かの来日公演をしたとテレビ各局が取り上げ大きく報じていた。実は、私は未だに彼が我が国の私から見れば若年層にあれほど人気があるというか、マスコミにも持て囃されるのが不思議でならないのだ。彼らビートルズが初めてレコード界に登場した(カタカナ語ならば「メジャーデビュー」か)は今から50数年前の前世紀の1962年だった。

当時は我が国の厳しい評論家の一部には「うるさい音楽」とアッサリと斬って捨てられていたものだったし、私もうるさいだけだと思っていた。だが、やがて本国と同様にやがて大流行となっていった。彼らが初来日した時の騒動などは確かに忘れがたいものがあった。ジャズを好んでいた私にさえ「それほどのものか?」と疑問に感じた4人のグループだった。

素直に回顧すれば、50数年まではあの程度の音量というかコーラスの歌でも「うるさい」と酷評する向きもあったのである。尤も、その7~8年前にアメリカで売り出して絶大な人気を博していたエルビス・プレスリーと較べれば、ビートルズなどは未だ未だ上品な部類に入るとは思った。だが、私は受け入れる気にもならず、聞こうとも思っていなかったほどだった。私は1962だったか63年だったかに初めてプレスリーの「ハートブレーク・ホテル」を聞いた時には「何という歌か」と言葉を失ったほどの芳しくない意味での衝撃があった。

ところが時移り人変わった21世紀になっても、未だにビートルズの残党が不適切ならば生き残りとでも言うかポール・マカートニーがあれほど我が国で持て囃されていることが私には良く解らないのだ。と言うのは現在のJ-Popと言うもの、流行り歌、ジャニーズのガキどもがが口パクで歌う歌と、若者たちが好んでいる妙な片仮名の名前を付けた者どもが歌っている下手くそな歌詞の歌の類いとビートルズの曲に共通する点があるとは思えないからだ。第一にマカートニーを聴きに行く連中はビートルズを知っているのかとすら疑ってしまう。

私がそう思えてならないのにも拘わらず、20世紀の1960年代に一時代を築いたイギリス人の英語の歌を現代の品も何もない歌を嬉々として聴く連中が受け入れて、大会場を満員にするのが摩訶不思議だと言いたいのだ。マスコミはビートルズの歌を未だに名曲だと礼賛するが、あれはあの時代にはそうだったかも知れないが、今となっては寧ろ「クラシカル音楽」の如きものではないのか。私はあれを受け入れるのであれば、美空ひばりが歌ったジャズの方が遙かに名演奏だったと思うのだ。何故アメリカほどにプレスリーの歌は懐かしがられないのだろうか。

極端に言えば、未だに「コンニチハ、ナゴヤ」程度のことを言ってファンなるものの機嫌を取って売っているマカートニーは怪しからんと思うくらいだ。老化した彼が歌うのは「嘗ての名曲」であっても「名歌唱」なのだろうかと疑っている。

お仕舞いにテレビ局の不見識を批判しておこう。彼らは未だにポール・マカートニーを「ポールさん」と呼ばせている。何度でも言うが、Paul は名前であって、名字ではない。我が国には名前で呼び合う公式な習慣はない。もう好い加減に欧米人をファーストネームで呼ぶのを止めたらどうだ。およそ非知性的である。Michael Jacksonは正しく「マイクル・ジャクソン」とすべきであって、「マイケルさん」などと何時までも言っていては(アナウンサーに言わせていては)ならない。彼をポールと呼びたいのならば「ドナルド大統領」と何故言わないのか。