パワハラの法制化は19日のニュースに入れるべきだったか:
NHKの夜の9時のニュースで採り上げていた話題だった。私は多少以上の驚きを感じて聞いていた。簡単に言えば、政府はこの「パワハラ」なるものを規定して法律にしようと本気で検討中だということらしい。細かい内容を記憶していないが、そこには6項目の嫌がらせか虐めが規定されていた。要するに「上司は部下に対して必要以上に叱責し怒鳴るか侮辱するか、個人的なことにまで介入してはならない」と決めつけていこうとなっていた。いや「部下を(悪い)上司から守っていこう」という規定の如き感があった。
そこで、22年半を過ごしたアメリカの会社での経験を振り返ってみよう。何回も触れてきたが「私を含めて本部機構に属する社員は即戦力としてその能力と経験を評価して採用したのであるから、上司乃至は事業本部長が一々細かい仕事のやり方を指図したり指導したり、怒鳴りつけることは先ずないと思っていて良いだろう。現実には私は3回ほど注意されたことはあった。だが、決してハラスメントとなるような性質の注意ではなかった
一度目は広報担当社が同席して受けるべき某経済新聞社のインタービューを単独で受けて「ここだけは書くな」と指摘したところだけ書かれた時に、何処か取引先が英訳してアメリカに送った為に本部に知れ渡って直属の上司に「軽率だ」と叱責された。当然の報いだと承知して「二度度しません」と詫びて許しを乞うて終わった。二度目は副社長兼事業部長の面前で迂闊にも“swearword”を使ってしまった時だった。
直ちに別室に連れて行かれて「君が英語が達者なのは解っている。だが、外国人がそういう言葉を巧みに使うのは気味が悪い。言っておくが、我が社の社員足る者が上司を目の前にして使うとは許しがたい。今後は厳重に注意して立派な英語だけで話すように」と厳しく注意された。これはハラスメントではないのは明らかだ。「二度と使わない」と誓って終わった。問題は“swearword”とはそういう性質だと、アメリカの大手会社の常識となっているという点だろう。
三度目は少し込み入っていた。それは、私は副社長兼事業部長に問われるままに本部と工場のマネージャーのタイトルを持っている者の人物評を語った為に生じた事態だった。言ってみれば「何処何処の彼をどう見ているか」と尋ねられて馬鹿正直に欠点まで指摘しまったのだった。これはとんでもない誤りであって、副社長は私の評価をそのまま受け止めて欠点を指摘されたマネージャーの日本出張を一定期留保てしまったのだった。他にもほぼ格下げされてしまった者も出てしまった。私は自分が原因だったとは全く考えても見なかった。
すると当時の営業部長から二人だけの席の際に「気をつけろ。迂闊に副社長の問いかけに答えて人物評(換言すれば、横からの査定)をするな。今やお前は陰の人事部長だと皆から怖れられていると知れ。兎に角口を慎め」と、かなり厳しい顔で言われたのだった。これでもハラスメントには当たるまい。アメリカの会社組織での叱責乃至は忠告はこういう形でやってくるのだ。尤も、W社内には上司と1対1での査定の他に同僚からの査定を受けることができる仕組みになってはいるが、その際には正式に当人から書面で依頼が来る。これには「どう書けが良いのか」と非常に悩まされたものだった。
回顧談はこれくらいにして本論に戻そう。パワーハラスメントなるカタカナ語の事案が良くないことは十分に解る。だが、私には理解不能なことは「悪いのは上司だけであり、不出来な部下がハラスメントに遭うのはある程度仕方がないとしても、上司の好き嫌いやその日の機嫌や気分で怒鳴りつけたり、侮辱したりすることがあったら、上司はハラスメント犯にされてしまうのではないか」と思うのだ。「上司は辛いよ」物語にはならないかと危惧する。
要するに、部下は常に法律で守られていて、上司は何時も危険に曝されているように思えるのだ。これではアメリカの組合員と月給制の本社機構にいる者たちの“job security”の不安さと似ているかと思う。私は何でもかんでも「ハラスメント」にしてしまう論調には賛同しかねる。駄目な部下を叱ることができない制度や、監督やコーチが幾ら丁寧に教えても基本や技術やを習得しない部員をきつく指導(叱る)できない運動部ができることが良いことなのだろうか。
私は「要再検討」か「要細心の注意」の事案だと思うのだが。要するに「ハラスメント」なるカタカナ語で何でもかんでも括るなということ。“harass”とはOxfordには“[often passive]to annoy or worry ~ by putting pressure on them or saying or doing unpleasant things to them”とある。被害者を指す言葉のようだ。だから英語には「パワーハラスメント」なんて言う概念がない訳だ。
NHKの夜の9時のニュースで採り上げていた話題だった。私は多少以上の驚きを感じて聞いていた。簡単に言えば、政府はこの「パワハラ」なるものを規定して法律にしようと本気で検討中だということらしい。細かい内容を記憶していないが、そこには6項目の嫌がらせか虐めが規定されていた。要するに「上司は部下に対して必要以上に叱責し怒鳴るか侮辱するか、個人的なことにまで介入してはならない」と決めつけていこうとなっていた。いや「部下を(悪い)上司から守っていこう」という規定の如き感があった。
そこで、22年半を過ごしたアメリカの会社での経験を振り返ってみよう。何回も触れてきたが「私を含めて本部機構に属する社員は即戦力としてその能力と経験を評価して採用したのであるから、上司乃至は事業本部長が一々細かい仕事のやり方を指図したり指導したり、怒鳴りつけることは先ずないと思っていて良いだろう。現実には私は3回ほど注意されたことはあった。だが、決してハラスメントとなるような性質の注意ではなかった
一度目は広報担当社が同席して受けるべき某経済新聞社のインタービューを単独で受けて「ここだけは書くな」と指摘したところだけ書かれた時に、何処か取引先が英訳してアメリカに送った為に本部に知れ渡って直属の上司に「軽率だ」と叱責された。当然の報いだと承知して「二度度しません」と詫びて許しを乞うて終わった。二度目は副社長兼事業部長の面前で迂闊にも“swearword”を使ってしまった時だった。
直ちに別室に連れて行かれて「君が英語が達者なのは解っている。だが、外国人がそういう言葉を巧みに使うのは気味が悪い。言っておくが、我が社の社員足る者が上司を目の前にして使うとは許しがたい。今後は厳重に注意して立派な英語だけで話すように」と厳しく注意された。これはハラスメントではないのは明らかだ。「二度と使わない」と誓って終わった。問題は“swearword”とはそういう性質だと、アメリカの大手会社の常識となっているという点だろう。
三度目は少し込み入っていた。それは、私は副社長兼事業部長に問われるままに本部と工場のマネージャーのタイトルを持っている者の人物評を語った為に生じた事態だった。言ってみれば「何処何処の彼をどう見ているか」と尋ねられて馬鹿正直に欠点まで指摘しまったのだった。これはとんでもない誤りであって、副社長は私の評価をそのまま受け止めて欠点を指摘されたマネージャーの日本出張を一定期留保てしまったのだった。他にもほぼ格下げされてしまった者も出てしまった。私は自分が原因だったとは全く考えても見なかった。
すると当時の営業部長から二人だけの席の際に「気をつけろ。迂闊に副社長の問いかけに答えて人物評(換言すれば、横からの査定)をするな。今やお前は陰の人事部長だと皆から怖れられていると知れ。兎に角口を慎め」と、かなり厳しい顔で言われたのだった。これでもハラスメントには当たるまい。アメリカの会社組織での叱責乃至は忠告はこういう形でやってくるのだ。尤も、W社内には上司と1対1での査定の他に同僚からの査定を受けることができる仕組みになってはいるが、その際には正式に当人から書面で依頼が来る。これには「どう書けが良いのか」と非常に悩まされたものだった。
回顧談はこれくらいにして本論に戻そう。パワーハラスメントなるカタカナ語の事案が良くないことは十分に解る。だが、私には理解不能なことは「悪いのは上司だけであり、不出来な部下がハラスメントに遭うのはある程度仕方がないとしても、上司の好き嫌いやその日の機嫌や気分で怒鳴りつけたり、侮辱したりすることがあったら、上司はハラスメント犯にされてしまうのではないか」と思うのだ。「上司は辛いよ」物語にはならないかと危惧する。
要するに、部下は常に法律で守られていて、上司は何時も危険に曝されているように思えるのだ。これではアメリカの組合員と月給制の本社機構にいる者たちの“job security”の不安さと似ているかと思う。私は何でもかんでも「ハラスメント」にしてしまう論調には賛同しかねる。駄目な部下を叱ることができない制度や、監督やコーチが幾ら丁寧に教えても基本や技術やを習得しない部員をきつく指導(叱る)できない運動部ができることが良いことなのだろうか。
私は「要再検討」か「要細心の注意」の事案だと思うのだが。要するに「ハラスメント」なるカタカナ語で何でもかんでも括るなということ。“harass”とはOxfordには“[often passive]to annoy or worry ~ by putting pressure on them or saying or doing unpleasant things to them”とある。被害者を指す言葉のようだ。だから英語には「パワーハラスメント」なんて言う概念がない訳だ。