新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月15日の日記

2017-09-16 15:17:31 | コラム
9月15日は多忙だった:

朝は9時半には出て国際医療研究センター病院(NCGM)に前立腺の泌尿器科の外来にMRIの結果を伺いに行かねばならなかった。すると、8時頃に言うなれば突如としてテレビの画面が「Jアラート」に変わったので、また何か訓練でもしているのかと一瞬疑ってしまった。だが、画面の下を良く見れば9月15日の午前6時57分頃にDPRKが missile を発射とあったので現実だと認識した次第。

私は以前から金正恩委員長は何が何でも核保有国足ろうとする目標を変えることはないだろうし、missile にしたところでアメリカ本土まで届くような核弾頭を搭載する段階までやり通すと見ていたので、15日の発射実験には何ら新鮮味もなく、計画通りだったのだろうと見做して良いと考えていた。だが、誠に以て怪しからん所業だったのは間違いないが、UNだのSCの決議などは「ザル決定」だとあらためて痛感させて貰えただけのことだった。

現時点では、私には新幹線を止めたりゴルフのトーナメントをサイレンを鳴らして止めることが正解であるか否かを論評できるだの、この問題に対する認識はないと懸念している。だが、「日本列島に missile の残渣でも落下するかも知れない危険性に備えておく心構えが出来ている必要があるだろうか」とは考えている。

話題変わって、NCGMだが10時40分の予約に対して10時丁度に泌尿器科の外来に到着して呼ばれるのを待っていた。これは早く着いていれば早く呼ばれるかも知れないという儚い望みだった。そして望みが叶って10時45分には待ちに待った順番が巡ってきた。主治医の結論は「前回と比較してこれという悪化の兆候が見えないので、3ヶ月先に採血をして検査して様子を見よう」となり、11時前には1階の会計のところで、自動支払機の順番が来るのを待っていた。

11時15分には家内がやって来て院内で簡単な昼食を済ませてから、当日の2番目の行事である某商社のファミリーフェアに行こうと、大江戸線・若松河田駅に向かった。そこから月島まで行って、都バスの東京ビッグサイト行に乗ろうという算段だった。このバスは恐らくファミリーフェアーか他の何かの催し物に行こうとする一見ビジネスマン風の者たちで大混雑だった。

我が夫婦は半分も行かないうちに運良く座れたが、終点までに降りる乗客は希だった。私がこのバスの中で極めて違和感を覚えたことがあった。それは、私の前に座っていた中年の会社員は最後までスマートフォンでゲームをやったいたことと、私の隣の会社員はずーっと何かメールの如きものを散漫な注意力で見ていただけだったこと。あれほど沢山の連絡事項があるほどの重要人物だったら、東京駅八重洲口から長々と遠回りしてビッグサイトまで行くバスに乗るか、という疑問だ。

ビッグサイト到着は見込み通り午後1時で、待ち合わせていたYM氏との合流も無事果たせて、西館の3・4階を占めているフェアーに入場。前回の6月と同じ規模だったが、今回は流石に入場者の数が減少していた感があったが、それでも人気ブランドを並べた婦人用アパレルやアンダーアーマー等のスポーツウエアのブースは相変わらず買い物客でごった返していた。我が家もYM氏も目当ては食料品だったが、今回は系列会社のプリマハムのケースの台数が減っていただけではなく、お目当ての「4品で¥1,000」がなくなっていて失望させられた。

買い物は無事に終えて、場所によっては通行もままならない喧噪のビッグサイトを後にして午後3時半に東京駅八重洲口までノーストップの都バスで帰路についた。商社が準備している八重洲口まで運んでくれる無料の送迎用大型観光バスも、午後には1時間待ちにもなるそうで、酷暑の中では敬遠した。幸運にもこの超満員の都バスでも後期高齢者は席を譲って頂けて、重い荷物(?)を背負って30分以上も立っていないで済んだ。八重洲口では大丸の地下の食料品売り場で以前からご贔屓の柿安で、肉タップリの肉まんを買って夕食にすることにした。

帰路は山手線の内回りを利用して高田馬場駅で降りて、4時37分発のKBバスを利用して我がアパートの前まで歩かずに済ませた。私はそこから更に調剤薬局まで歩いて、処方された薬を買いに行った次第。帰宅すれば早くも5時を回っており、一休みして落ち着いてから野菜サラダと肉まんの夕食。更に昼間に流しただろう汗で失った水分を補強すべく、最もカフェインの含有量が少ないと聞く麦茶をがぶ飲み。長かった一日はこうして終わった。16日の午前中には日大のST教授とお目にかかる約束があり、台風の上陸が遅れるか外れることを祈って就寝。