新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

5月14日 その2 中国の発想を考えると

2017-05-14 14:49:31 | コラム
一帯一路に見る中国の物の考え方:

目下、北京で世界から130ヵ国も参加して中国というか習近平が推進するこの構想の会議が進行しているようだ。我が国からは自民党の二階幹事長が出席するかと思えば、DPRKの代表も招待を受け入れたとか。大盛況の模様だ。私は個人的にはこの会議を決して愉快の出来事ではないと思っている。

中国が自認する世界の軍事・政治・経済の大国意識が鼻につくからだ。あれほど多くの国が北京まで行くと言うことは、中国がそれだけ認識され意識されているというか、放って置けないと諸国が考えているのだろう。

私は中国がそれほど経済的にも技術的にも我が国を凌駕して、諸外国が一目置くような存在とは思いたくないのだ。負け惜しみ的な言い方をすれば、アメリカは言うに及ばず、我が国にも21世紀の今日でも中国を下請けとして扱っているような製品、それも非耐久製品が多いではないか。

それでも圧倒的な人口の巨大さに支えられて(いると思う)世界第2の経済大国などと我が国のマスコミは礼賛するのだ。中国を一寸でも旅して見れば明らかなことだが、大都市を一歩でも離れた場合の地方との格差の甚だしさは、とても世界の一流の国家とは思えない様相を呈するのだ。

だが、私がこのように悔しがっても、中国の目の付け所は常に大きな視野と言うべきか、マクロに物事を見ると言うのか、未開の土地と文明の行き渡らない国が多いアフリカような所に進出して、輸出で稼ぎまくった豊富な外貨を活かして資金を振りまき「偉大なる中国の力」を誇示して見せたりするのだ。

今回の一帯一路(英語では”Belt and Road”となるのだそうだが)を見ても、我が国の中ではそう簡単に出てこないだろうと言うか、欧州までも陸続きと言えば言える立地条件を利用した、茫洋とした大きさが感じられるのだ。その立地条件をあのような構想で活かそうとする発想には、中華思想の歴史を感じさせてくれる。

私は個人的な感情論で、中国が企図することなどに関心がなかったが、左に寄っている我がマスコミが嬉しそうに囃し立てて解説するところを聞いていて「なるほど」と思うに至ったことがあった。それは1980代半ばに北欧を代表する多国籍企業の日本法人の副社長だった論客のK氏が初めて北米に出張され、我がW社の本社の壮麗なビルで我が上司のM副社長兼事業部長と懇談された後で漏らされた感想だった。

「初めてアメリカに来てあの本社ビルの中でM氏以下と懇談して痛感したことがありました。それはこういう環境で仕事をしているからこそ、W社はあれほど大きな構想を持って事業を推進される訳だと解ったことでした。だが、そのスケールを分析してみれば、その規模の大きさはあれほど広大なる土地に恵まれていることが、大きな要素だと言えるのです」だったのだ。彼は更に「スエーデンには800万の人口しかありませんし、国土も広大ではありません。発想の力もそういう条件に支配されるのでは」とも追加した。

長々とK氏の感想を引用したが、我が国には優れた人材が多く、例えば、科学の分野でノーベル賞を受賞された学者や研究者が多いこともその辺りを証明していて、中国(況んや韓国など)との比ではない。だが、何となく四方海に囲まれた相対的には狭い国土に住んでいては、アメリカや中国のような物の考え方をしないというか、考えの対象とする物が違うのではないのかと考えているのだが。

言うまでもないこことだが、私はここで彼我の優劣の比較をしているのではない。単純素朴に立地条件の違いだけを語ったいるつもりだ。もしかして、その違いが物の考え方を違いを生んでいるのかも知れないと考えているのだ。


アメリカで見聞した女性の地位

2017-05-14 08:16:08 | コラム
男女同一労働・同一賃金の実態:

先日は「アメリカにおける女性の地位」を採り上げたが、今回は「男女同一労働・同一賃金とは如何なるものか」という辺りを論じてみたい。我が国でもこういう機会均等のようなことが採り上げられているが、アメリカの事務所や生産の現場等で見てきた実態には「凄まじい」とでも形容したいものがあった。

私が1975年3月に初めてW社の製紙工場に入った際に手洗いに行った。大勢の組合員が働いている割りには小さなところだったのは兎も角、内側からかける本当に鍵はなく、言わばフックみたいなものが申し訳程度に付けてあり「女性も入るようになったから鍵をかけることを忘れるな」と張り紙がしてあったので驚かされた。そうなんだ、生産の現場は以前は完全な男性だけの職場で女性の工員が入ってくる為の配慮はなかったのだと知ったのだった。

確かに、日本の製紙工場では見た記憶がないことで、女性が全く当たり前のように男性の中に入って、時には危険なこともある製紙の機械を扱っていたのにはやや驚かされたのだった。それは、我が国の製紙工場では女性の仕事は鮮やかな手さばきで出来上がった紙を選別し、包装することが主体だったことと比較しての驚きだったのだ。これ即ちアメリカでの男女同一労働・同一賃金だと知った次第。

男女同一労働・同一賃金の凄さを、1988年秋に我が国の優れた製紙の技術者をW社のカナダの製紙工場に案内した時にまざまざと感じたのだった。それは我が国では先ず女性の仕事ではないような工場の現場で唸りを立ててフォークリフトを運転して損紙(廃棄され古紙処理される紙)を女性が運んでいるかと思えば、熟練した男性でも注意深くやらないと危険な作業だと案内した技術者が作業と指摘された、抄紙機が事故で停止した際の修復作業を女性たちが何の躊躇いもなく手際良く処理していった。

その現場を暫く無言で眺めていた我が国の技術者は「我が国では考えられない作業だ。良くも女性にやらせるもの。これぞ男女同一労働・同一賃金の実態か」と感心するとしきりだった。次には私がW社が嘗てはカリフォルニア州に持っていた紙器加工工場で経験したことにも触れて置こう。

それは、事務室に中年の女子工員が怒鳴り込んできて「何で私は何時まで経っても深夜勤務ばかりなのか。もう好い加減で日勤に戻してくれ」と言って事務長に直談判に来た時のこと。事務長は「もう暫く待ってくれ。貴女1人の都合だけで事を運ぶ訳にはいかない。これが男女同一労働・同一賃金なのだ」と、穏やかに説得してして事を終わらせた。何事にも極端な傾向があるアメリカらしい風景だと思って眺めていた。

最後の実例は、私が翌月の生産計画に日本市場向けのある特別規格品を緊急で採り上げる為に、本社の「受注・生産・発送・在庫管理等」を担当する2名の女性と、本社から約200 km離れた工場で翌日の朝の8時から開始される生産計画会議に参加した時のことだった。

私は本社から約50 kmはあるシアトル市内のホテルでその女性の1人に朝4時に拾って貰い本社の駐車場に朝5時に集合して残る1名と合流して、200 kmのドライブをすると前夜に告げられた。そして早朝のドライブが始まり、約100 kmほど走ったところで一旦インターステート5号を降りて朝食となった。その言わば街道筋の有名なレストランで甘過ぎて倒れそうなシナモンロールを食べて無事に8時前に工場に到着して会議を終えた。

そして昼食中にも別件の打ち合わせを終えて午後1時にドライブを再開し、午後3時過ぎには本社に戻って女性2人は何事もなかったように仕事に戻り、私は副社長との打ち合わせに入り、途中からは彼女らも参加して終わってみれば午後7時。何をしていた訳ではない私は些か疲労したが、女性たちは意気軒昂たるものがあり、”See you, later.”と8時過ぎに帰宅していった。正直なところ、恐れ入ったのだった。

言葉を換えれば、このような凄まじいとでも形容したいような女性たちの働きぶりは「アメリカの女性たちは長い年月をかけて戦い、現在の女性の地位を勝ちとった結果というか産物」と見るべきかも知れないのではと思うことすらある。「男には負けていられない」というか「それ以上のものを見せてやらねば」というような強烈な意識があるのではと思って見ていた。

私の経験の範囲内でも、非常に挑戦的な女性もいれば、男性に対抗意識が顕著な人にも何回か出会っていた。そういう場面では、仲間ではあっても外国人である私のような存在は如何に対応すべきかに無い知恵を絞っていたものだった。しかし、中には非常にしっとりとした日本の女性のような控え目の優しい女性もいるので、その辺りの見極めを誤ってはならないのが肝腎なのだ。

要するに人を見て扱い、何処まで行っても”Ladies first”を忘れてはならないのだということで、その対応を誤ると痛い目に遭わされるのが、アメリカの社会での女性への対処法だと思うのだ。