新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

良く考えてみれば

2015-11-24 07:47:25 | コラム
大病から立ち直って良くぞ横浜まで行けたと思う:

来年の1月16日で最初の心筋梗塞発症の満10年の記念日(?)を迎えることになる。その前に昨年の12月30日には三度目の正直とか言う第3回目の発症があったが、何とか切り抜けたし、今年は一時はBNP値が1.300にまで達した心不全で2度も入院していた。しかも多くの医師、看護師、薬剤師の方々が「例外中の例外では」と言われた、お医者様がごく普通に処方される胃腸薬の副作用で半年にも及ぶ下痢に悩まされ、体重が45 kgまで落ちたことさえあった。

それだけではない、11日と18日には不勉強でそういう症状が出るとは知らなかった「後発白内障」で良く見えなくなっていた目にレーザー光線照射の治療を受けていた。しかし、7月から毎週受けてきたプラセンタ・エキス注射の効果が絶大だったようで、自分でも俄に信じがたいほど体調が好転してきた。と思っている間に16日(月)から26日(木)まで予定も約束もなくノンビリとする日は17日と23日しかないほど動き続けられるようになっていた。有り難い事だ。

しかも、22日には06年から見に行ってなかったフットボールの試合の観戦に、寒空を怖れつつも横浜スタジアムにまで遠征していたのだった。着るものも固い座席にしくシアトルで何年も前に購入しておいた座布団、とでも言うのだろうか、を家内を煩わせてクローゼットをひっくり返して探し出して持参していた。あのスタジアムの観客席の急な階段を上ってゲームを見やすい上の方の席に座った瞬間の感覚は何とも言えないものだったが、「やった-」というような思いは全くなく、昨日までやっていた事をやっている気さえしていた。自分ではさぞや感無量だろうと予測していたのとは正反対だったのは意外だった。しかし、良くぞ此処まで来られたものだという感覚は時間の経過と共に湧いてきた。

8月半ば頃に06年1月頃には62 kgにまで達していた体重が45 kgにまで低下していた時には長男は「ひょっとすると」と最悪の事態まで想定しておくべきかと考えたほど弱っていた。その辺りは自覚していたので、あの高いところから人工芝のグラウンドに引いてあった白い線を見た時の感覚は、同じような境遇にあった人にだけしか解らないものだっただろう。その「俺は生きていたのだった」という嬉しさは試合が進むにつれて出てきた。その辺りをなるべく抑えて感情を押し殺した観戦記はブログでも意外なほど食いつきが悪かったのは残念でもあるが、誰かは解ってくれるだろうと思って書いたものだと、ここに告白しておきたい。

フットボールを生で見るのはどうやら10年振りだったようで、それほど早い訳でもない大学生の動きにも中々目がついていかなかったし、何度か誰がボールを持っているのかを見失った(騙されたでも良いが)場面があったのは、正直に言って口惜しかった。だが、そんな事はどうでも良いので、こうやって観戦できるところまで到達できた事に意義があると自覚して、ただ単に見る事だけに嬉々として集中していた。

幸いにして今日24日に至るも別段体調に変化はない。しかも本日は国際医療研究センター病院での循環器科の定期検診がある。良い結果が出てくれるものと信じて出掛ける気構えだ。良ければ、12月6日(日)に川崎スタジアムで開催される日大フェニックス対関西学院大学ファイターズの甲子園ボウルならぬ2位同士の「東京ボウル」を見に行けるよう摂生に努めねばなるまいと、今から自分に言い聞かせている。


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