新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月30日 余談のその2

2015-07-30 16:34:23 | コラム
Masと呼んでくれると有り難い:

私の名前はローマ字にすれば”Masaaki”となります。そこで、ニックネームというか、愛称を”Mike”にしたらどうだと勧めてくれたアメリカ人も同胞もいました。それは彼らの中にいれば必ずニックネームで呼び合う文化があるからですし、マサアキは長過ぎるというのです。愛称は大体一音節の愛称が多いようです。例えば、”William”が”Bill”で、”Robert”が”Bob”や”Rob”に、"Richard"が"Dick"になるような具合です。

しかし、「お前は骨の髄まで日本人だ」と言われた私は断固アメリカ式愛称を拒否して、”Masaaki”の最初の三文字を採って”Mas”と名乗ることにしました。これは日系人で”Shigeru”という人が”Shig”だったことをヒントにしました。一寸難しかったのは”a”を”cat”のようにして「ミャス」と呼べというのかと尋ねられた点でした。「そうではない、Masaakiの最初の部分を詰めた感じで言ってくれ」などと説明してから実際にやって聞かせたりしたものでした。愛国精神も疲れるものだと知った次第でした。

7月30日 その2 本日の余談

2015-07-30 12:36:02 | コラム
嘗てアメリカ在住が40年を超えたという方とこちらで雑談中に、偶々”Michael”の読み方の話になりました。私は何気なく我が国では「マイケルとカタカナ表記されているが」と言うと、「貴方ともあろう人が間違っている。この発音は”マイクル”に近いのだ」と直されてしまいました。それは承知していましたが、私はカタカナ表記の何ものをも特定しないおかしさを語ったつもりでしたので、やや毒気を抜かれた思いでした。

因みに、Michaelのニックネーム(言うか略称)は”Mike”ですから、マイク眞木と名乗る歌手は最初から略称を名乗っていた訳ですね。良く考えると、このスペリングを最初に「マイケル」と読んだ先人は如何なる根拠でそうしたかが不思議に思えてなりません。ミチャエルだっておかしくはないと思ってしまうのですが。

本日の感動

2015-07-30 09:03:27 | コラム
産経が「ハディド氏再提案」との見出しをつけた:

これは本30日の2面に”新国立「白紙」IOC了承”という記事の言わば補足で、ハディド氏」としてあったのだった。私は「流石に産経、良くやってくれた」と当たり前のことなのに、何と感動までしてしまったのだった。本当のことを言えば「こんな事で感動するのが情けないのだ」となる。それほど多くのマスコミはこの程度の基本的な文化の違いが解っていないのだ。

我が親愛なるマスコミ界では私が何度も繰り返して指摘してきた、この手の名字(the last name)と名前(first name)の混同が余りにも激しいので、今朝の産経のような普通の表記が非常に新鮮に感じてしまうのだ。

我が国の名字を先に表記する文化と西欧の”first name first”の文化を我が国では何もマスコミだけではなく、至る所で混同し「マイケルさん」だとか「ポールさん」だとかいうおかしな表記を平然として行ってきたのである。だが、何故か「バラクさん」というのは見たことも聞いたこともない。

このくらいの相違点は英語を学び出せば直ぐに出てくることで、中学校に在学中にでも承知しているべきだと私は固く信じている。だが、実態はそうは行かないのだ。テレビなどに登場する所謂文化人の方でも平気で「ザハ氏」等と言っている始末だ。一体学校で何を勉強してきたのかと問いたい。文科省は国立競技場新設問題で失態を演じたと局長まで更迭されたが、この程度の文化の違いを教え損なった責任は誰が負うのか。

このくらいの基本的な事柄が徹底出来ていない状態で、小学校低学年から英語を教えると決める神経が解らない。駄目な教師が小学校から教えるというのだから、結果は始まる前から解っているのはないのか。

マイケルさんに話を戻そう。時たまマイケルが名字のことがあるのが英語のいやらしさだが、ここでのマイケルはほとんどの場合マイケル・ジャクソンなのだから救いがない。もうお察しの向きもあるだろうが「ポールさん」はポール・マカートニーのことらしい。何度も指摘したが、マイケル(Michaelも発音はマイクルが近い)やポール(Paul)等というファーストネームを持つ人はいくらでもいるので、こう言っただけでは何処の誰とも特定しないと知れ。

以前にも指摘したが、このような過ちをマスコミ等が犯し続けても誰も疑わず、それを真似してテレビに出てまで使うような文化人を産んだ英語教育担当者は、少しは反省せよと再度言っておきたい。最後に笑えない錯覚の話で結んでおきたい。

技術者のGeorge Smithさん(仮名)は日本市場担当になって躊躇なく名刺の裏に「ジョージ・スミス」と印刷した。そして何処に行っても、何時まで経っても「ミスター・スミス」と呼ばれ続け、「俺はこれほどお客様と親しくなってもファーストネームでは呼ばれないので仲間ではなく余所者扱いだな」と嘆いていた。すると、ある工場で新任の課長が彼の名刺を矯めつ眇めつ眺めてから「ジョージさん」と呼びかけてきたのだった。

彼は感動した「この人は初対面でも俺をファーストネームで呼んでくれた。やっと彼が私を親しい間だと認めてくれたのだ」と泣きそうな思いだったそうだ。だが、私は単なる課長さんの勘違いで先に出ていた方が名字だと思っただけだと信じていた。だが、私はスミスさんにその点を告げる気にはなれず、喜びに浸らせて上げた。

そして余計なお世話だと承知で、後刻課長さんに確認すると「エッツ、彼の名字はジョージさんではないのですか。知らなかった」で終わったのは言うまでもないこと。あーあ。